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共和国 3

 中央を進む革命軍の先鋒が崩れているころ、第十七歩兵連隊の先遣隊約四十名が里の北部に広がるヨムーの森を進んでいた。

 この森はブナと樫が生えた古い森だった。土地の勾配は南西からから北東へとゆるやかに下がり、ところどころ流れる小川が下生えの茎を浸している。

 イルククが所属する隊はここでもう一隊とともに待ち伏せしていた。ふたつの隊は上から見れば、道を挟んだ漏斗のように配置されていて、十字に矢を浴びせ攻撃を仕掛けることになっていた。

 敵の先頭は二角帽バイコルヌをかぶった徒歩の士官でサーベルを吊り金具から外して、自分の脇に挟み、柄が前にくるようにして左手を添えていた。白い陶器のパイプを吹かしながら歩く彼の後ろには雑多な恰好をした兵士たちがついてくる。毛皮が痛んだタールトン・ヘルムや折りたためばハンカチみたいにポケットにしまえる略帽をかぶり、生皮の背嚢の上に鍋や丸めた布団を背負った兵士たち。軍服は破れたところにツギハギをしてあって、靴を持たず裸足で歩いているものも多かった。靴があっても靴下がないものもいるし、青い上着のなかには生地が持たずバラバラになりかけているものもある。誰もが里の家から奪った略奪品を持っていた。意匠を凝った小刀や青銅の風鈴、陶器の土瓶、沐浴のときにつかうゆったりとした帷子。鶏は逆さにして足を背嚢に結びつけられ翼をばたつかせていた。軍隊というよりは野盗の一団に見えた。里の縫製技術の粋を凝らしたイバリノミをまとって潜むイルククたちのほうがずっと戦士としての装束に恵まれている。こんな追剥同然の格好でやってきて、いったい何から自分たちを解放するつもりだったのだろうか? 彼らのいう自由とは人の家のものを好き勝手に奪う自由なのか?

 それでよく僕たちを野蛮人扱いできたものだと、イルククはあきれた。

 ふと、イルククはあの偵察兵のことを思い出していた。すばしこそうな若者だった。ここにいる兵士たちよりはいいものを着ていて、取り回しがしやすいようにと特別につくられた斥候用の短銃身マスケット銃を持っていた。

 既に軍議で二日目以降は偵察兵は全て始末し、敵にこれから進む区域の情報を渡さないことが決まっていた。イルククの隊もまずは偵察兵を排除するために動き、イルククは初めて人を殺した。

 これまで誰かの背に忍び寄る訓練は何度もやってきたが、本当に殺すために忍び寄るのは初めてだった。だが、血のにじむような訓練の成果だろう。イルククは標的の背後へあっけなく近寄れた。訓練よりもずっと簡単だった。それから流れるような動きでその若い兵士の口を塞ぎ、喉を真一文字に切り裂いた。兵士は喉の奥でコッと小さな咳のような音を鳴らしただけで芯を失ったように力が抜けて、静かに死んでいった。もうひとりの偵察もすぐそばでサキリの手にかかり、あっけなく殺された。

 人を殺したのにその実感がない。そのことをサヤトにこぼすと、

「まあ、そういうもんだ。あんまり何にもないんで、自分には人の心がないのかと思う。だが、夜になってみろ。急に血がカッカと熱くなって、頭がふらふらしてくる。おれたちはそれを血に酔うと呼んでいる」

「血に酔う、ですか?」

「そうだ。まあ、慣れてくるとそういうのもなくなってくるがな」

 いま、苔に覆われた倒木の陰に潜み、イルククは先頭の士官を見つめている。サヤトがこの士官を射倒すのが襲撃開始の合図なのだ。これから死のうとしている男は不機嫌な顔で煙草を吹かし、喧嘩で潰れた鼻をむずむずさせていた。くしゃみすべきかどうか迷っているようだ。くしゃみするにはパイプが邪魔だが、何かの誓い立てでもしているのか手をサーベルに添えたまま動かそうとしない。

 最初は矢をもって戦うが、ある程度相手の数が減ったら、斬り込むことになっている。訓練では多く倒すことよりもひとりの敵を確実に倒すことを優先しろと学んだ。一撃で屠るのはよいが、一撃で仕留め、余裕があるならニの太刀、三の太刀を急所に入れて、相手の死をより確実なものにするのがランカの剣術だ。そのため、影術士の斬撃は恐ろしく速い。あまりにも速いので斬られたものは自分が胴から真っ二つになっていることに気づかないこともある。

 シューッと大気が擦れる音がした。見れば、先頭を歩く士官の首を赤い羽根の矢が貫いていた。

 アッ、と叫んだかと思うと顔のすぐ下から血を噴きながら小川に落ちる。

 イルククも起き上がり、腰を落としたまま左足だけ伸ばして腐葉土に踏み込み、横に倒した弓を引き絞った。弦を挟んでいる指を開くと、弦がうなり、真後ろから見た矢はまるでゆっくり浮いているみたいにくるりとまわった。森に備わる不思議な力が矢を宙に釘づけしたようだと思った次の瞬間には青服の兵士の胸に深々と刺さっていた。

 悲鳴と混乱。隊長に続いて、七人の兵士が倒れた。

 軍曹の袖章をつけた古参兵がパナシェ語で号令らしいものを怒鳴る。士官を失った兵士たちが弾を無駄にする前に左右どちらかの茂みへ一斉射撃を食わせるつもりでいたのだ。火打石を挟んだ撃鉄が次々と引き上げられると、イルククは倒木の後ろに身を投げた。体が柔らかい湿った落ち葉へ沈み込んだすぐ後にニ十発以上の弾丸がイルククのすぐ上を飛び過ぎ、倒木が乾いた音を立てて裂けて、苔が破裂し、灌木が数本薙ぎ倒された。

 すぐに膝立ちの姿勢で矢をつがえ、指揮役の古参軍曹を探したが、既に三本の矢を胸と背に受けて、倒れるところだった。並んで弾と火薬を銃身に流し込む無防備な兵士たちも左右から矢を浴びて、次々と倒れていく。先遣隊の後続二十名が少尉を先頭に銃剣をぎらつかせながら、茂みへと突っ込んでくると、薬師のユレシが竹筒に炸薬を詰めた煙幕弾を放った。硝煙よりも濃い白煙が戦場を覆い尽くし、イルククたちは小太刀を抜いて、雲の壁で隔てられた混乱へと飛び込む。

 煙幕でも敵と味方の見分けは簡単についた。長い銃剣付きのマスケット銃を右へ左へと困惑するようにふりまわす影があれば、獣のように素早い影が黒い風となって閃き、影がひとつ地に倒れ伏す。

 イルククも右手に小太刀、左手で抜いた短刀を逆手持ちにして、自分の影に溶けるぐらいに身を低くして煙幕のなかの敵影へ走った。相手は銃剣を突いてきたが、小太刀を逆に立てて、相手の切っ先を受け流し、がら空きの胴へ短刀の刃を深々と沈めた。硬直した体から震えと抵抗を受けつつ短刀と抜くと、膝をついた敵のこめかみに一太刀見舞った。青服の兵士は血煙を噴きながら横に倒れる。次の敵が銃剣を腰だめにして突進してくると、わずかに左に身を寄せて、僅差でかわし、飛び違いざまに小太刀で薙ぐと、一拍遅れて、首が跳んだ。

 雲の谷のように開けた小川沿いにイルククは強敵を見つけた。牛の首を落とせそうな大きな斧を持ち、白い革の前掛けをつけ、大きな毛皮帽をかぶりカラシ色の顎ヒゲで胸のほとんどが隠れていた。雲を突くような大男で、イルククが放った手裏剣をいとも簡単に斧で叩き落したので、これは敵の大将に違いないと思い、イルククはこの大男を仕留めることに決めた。

 大男はすでに煙幕の外にいた。そして、イルククを見つけるなり、熊のような咆哮を上げて、斧を斜めに振りかぶって叩き下ろした。だが、斧が地を裂いた次の瞬間にはまたもや斧が振りかぶられ、イルククの頭を狙って振り下ろされた。見かけと武器では分からないほどすばしこい大男はイルククににじり寄り、瞬きをするのも忘れて、目を充血で赤く光らせながら、襲いかかる。イルククは相手の懐に飛び込んで斧をかわそうとするが、大男は斧を振り下ろすかわりに縦にして、その持ち手を真っ直ぐ降ろして、イルククの頭に打ちつけようとした。風のうなりが耳のなかで渦巻くほどの近い距離でその打ちおろしを左にかわすと、突然目の前にマスケット銃の銃床があらわれた。それは大男が背負っているもので、金具には革のベルトが通してあった。イルククがそのベルトに左足を引っかけて、思いきり踏み込むと、大男はたたらを踏んだ。その体勢が戻るより先に小太刀の刃を返して、左腕の上に乗せ、激しく突きかかった。碧い刀身が大男の胸を貫き、心臓のすぐ下まで届いた。イルククが剣を引き抜くと、肋骨が軽く擦れる響きが手に伝わり、血がカラシ色の顎ヒゲを真っ黒に染め、大男は斧を取り落して、小川へ背中から落ちた。

「敵将、討ち取った!」イルククはすっかり上気して叫んだ。

 一方、パニックに陥っていた敵兵はてっきりサン=タンドレ将軍が討ち取られたと思ったらしく、算を乱して逃走した。それをランカ族の戦士たちは追撃し、第十七歩兵連隊の本隊へ生きて帰れたものはたったの三人だった。

 サヤトと薬師のユレシがイルククのもとにやってきて、敵将を見ると、サヤトは笑った。

「こいつは兵卒だよ」

「え?」

「正確に言うと、工兵だ。普通の歩兵が戦っている横で木の柵や門といった障害物を取り除くのがこいつの仕事だ。こいつらは自分が撃たれても撃ち返さず、ひたすら障害物を破壊することに専念しないといけないから、特に肝が据わっていて、しかも弾を一発二発食らったくらいではビクともしない頑丈な体のやつが選ばれる」

「そうですか……」

「そうがっかりするな。こいつの袖章が三つ重なっているだろう? これはひとつ三年、三つで九年軍にいるって証拠だ。手強い古参を初陣で討ち取れたのは幸先がいい。さあ、次はやつらの背後にまわりこむぞ。輸送部隊を襲うんだ」

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