エージャとガリャンイー 1
ランカ族の里によそ者がやってきたのはアメイ山頂の雪が春風のなかで眩く煌めき、村の長老たちがその煌めきについての暦詩をいくつか詠んだ、あののどかな年のことだった。癖のあるあまり整えられていない黒い髪、細い鼻にかけた大きな丸い眼鏡、ちょっとしたことですぐニコニコする青い目。よそ者は山越えをしたらしく大きな荷物を背負い、少し訛りがあるもののランカの言葉を話すことができ、自分は西大陸にあるアレンテラ王国出身のアルトフルガヴリエル・ルナという名の学者だと紹介した。
「お前の名前はどうして屋根を大きくし過ぎた家のような名前になっている?」戦装束の長老たちがこの異人のもとをたずね、一番最初にたずねたのが、このことだった。
「本当はもっと長いのです。父方の祖先の名前を分かるだけ全部入れていますから」
「では、名乗るとよい」
「はい。ボクの名前はアルトフルガヴリエル・フランシスコ・エミリアーノ・ゼ・カルルシュ・パウネーロ・サンミゲル・クアッロス・バルマティウス・サビア・シプリアン・ピエトロ・ゴンジャロ・ペレイラ・ジャオルカス・ギリヘルメ・サルバドーレ・レオカディオ・ラファエロ・アルトフルフェルナンド・マルト・セルタンバルダン・ジョセ・ルナです」
よそものの学者は少しもつっかえることなく名乗り上げた。それで少なくとも自分の先祖を敬う心は持っていることが分かったので長老たちは儀礼として顔を隠していた覆面を引き下げた。
「お前はここに住むつもりか?」
「そのつもりです。あ、もちろんみなさんのお邪魔はしません。いや、ちょっとお邪魔するかな? ボクはみなさんの暮らしに興味があるのです」
そうきいて、長老たちはまた覆面を引き上げて顔を隠した。
「ボクは何か言わないほうがいいことを言ってしまったようですね」
「わしらのことを知りたがるのは他国の間者だ」
「うーん。ボクは違いますよ」
「間者はみなそういう」
「まあ、そうですよね」
「だが、わしらは違う」
「そうなんですか。詳しくききたいですね」
「なぜ、わしらのことを知りたがる」
「ボクは病にかかっているのです。何でも知りたがるという」
「なら、治る見込みはないな。この世界を全て知り尽くすことはできない」
「症状を軽くすることはできます。知ることで」
「なぜ、わしらの戦いを知りたがる」
「ボクはみなさんが戦士として育て上げられる際の風習に興味があります。でも、それ以上に興味があるのは、みなさんがどんなお祭りをするか? 傭兵として出ていった家族の無事を祈るとき何にお祈りするのか? めでたいことがあった日にはどんなものを食べるか? こんなふうに春風が気持ちよくて山の頂に雪が輝く日はどんな詩を詠むのか? そういうことを知りたいんです」
長老たちは頭を寄せ合って、ひそひそ話し始めた。よそ者の言う『知る』とは語り部の仕事だ。だが、もう長いこと里には語り部がいない。戦士としての務めがこの数十年でかなり増えたためだ。ひょっとすると、これは語り部を欠いた我らのためにカシャ神が異人の語り部を授けたのかもしれない。
長老たちは里の主だったもの――戦士と薬師と巫術士――をルンビエの社に集めて、衆議を開き、この謎めいた異人を受け入れるかどうかを話し合った。様々な知恵が先人の名とともに引き出され、話し合いは穏やかだが少しずつ崖を削る大河のように進み、結果、里はこの風変わりな異人に出会ったら覆面や仮面を下げて顔を見せてもいい――つまり、里に受け入れることになった。決め手は自分の祖先の名を全て言えるというところだった。ランカ族にとって先祖を敬うことは生きると同義だったのだ。
学者を里に迎えるとして、第一の問題は呼び名だった。全ての名前を言うのは論外だし、アルトフルガヴリエルでも長すぎた。ルナにすればいいという意見が出たが、学者はルナという名前は彼の故郷ではとてもありふれた名前なのだといい、知り合いは名前と名字からガヴルナと呼ぶということなので、みなは学者をガヴルナと呼ぶことにした。ガヴルナのために簡素だがしっかりとした柱の家が作られ、暮らし始めた。彼は慣れたもので自分で魚を釣ってきて、分けてもらった米をサクンの根や葉と一緒に器用に炒めて、何ともうまそうなにおいのする食事をこさえた。酒は飲まなかったが、里の儀式で宴があったときだけ、少し飲んだ。ガヴルナは大きなスケッチブックと二本の羽根ペンを手に里のあちこちに行き、山麓にかかる雲や田畠で働く人びとを写したが、右手だけでなく左手も同時に使い、あっという間に極めて写実的な絵を描くことができた。そのうち、ガヴルナがあちこちでスケッチをしたり植物を集めたりするのはよく見かける日常のことになった。
彼は里のものよりも里に詳しいのではないかと思わされることがあった。ケルケルという鳥がいて、この鳥の巣がどこにあるのかランカ族にはまったく分からなかったのだが、ガヴルナはアメイの山に登り、巣を見つけ出した。他の国でこれと似た鳥がいて、その鳥の巣を見たことがあるから、同じように暮らしているかもしれないと思い、探したとのことだった。
ガヴルナは学校をつくったわけではないが、物知りだったので、よく子どもに囲まれ、いろいろきかれた。
当時、十四歳だったイルククはなぜ空は青いのかガヴルナにたずねた。
「それはね。空が海だからなんだ。空からすれば地面は海底なんだ」
「では、どうして僕らは息ができるのですか?」
「それはボクらが魚だからなんだよ」
その後、イルククは水中に潜って限界を超えて溺れて、大人たちに助けられこっぴどく叱られた。
「僕は魚ではなかったのですか?」
「ごめんごめん。説明が足りなかったね。いいかい? 空の海はその底にさらに海や池を持つんだ。そして、その海や池ではボクらは魚ではない。人に過ぎないんだ。空の海の底にある淡水、そこで魚でいられるのは鯉やマスやフナやウナギ、それにナマズなんだ。でも、そうした魚たちは空の海のなかでは魚でいられない。空の海の下では彼らは焼き魚だったり煮魚だったりする。このようにどこを海とするかでボクやキミの本質が違ってくる。これは海だけではない。物の考えた方ひとつで自分が昨日までの自分とがらりと変わることもあるんだ」
そんなことを説明しているうちにガヴルナにはランカの古い言葉で先生を意味する『エージャ』という呼び名が使われるようになった。エージャには先生という意味の他に『夢見がちな人』という意味もあったので、ガヴルナにはそれがぴったりに思え、そのうち村の年寄りたちもガヴルナのことをエージャと呼ぶようになったが、それは彼がこの里に心から迎え入れられた印だった。