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天突く声    作者: 岩 大志
9/16

脱出

長篠城の西を流れる豊川を挟んだ所に、雁峰山という山がある。

 標高約六百メートル程の山と、川のコントラストが綺麗である。

それはまるで風景画の様でもあった。

勝商は幼少期によく、佐平次や権平太と共に川を渡り、山で遊んだ。

誰が一番に山の山頂に登れるかを競い合った。

山頂付近にある、一本の松を目掛けて。

その松の木からは、山の下を一望できる。

勝負はいつも決まっていた。

まず、足の速い勝商が山を駆け上ると、悠々と松の木に、ニコニコしながら、眼下に広がる景色を独り占めしていた。

そこに、権平太が次に登ってくると、長い木の棒で、黄昏ている勝商を突く。不意を突かれた勝商はよろけ、落ちてしまう。

やっとの思いで立ち上がる勝商の襟元を権平太は掴み遠くへ投げ飛ばす。綺麗な大外刈りであった。えっへんと、得意げに飛んで行った、勝商を見て思うと、振り返って松の木を見る。

そこにはもう既に佐平次が座っていた。

勝商が見ていた方とは逆に、西側を遠く見ていた。見えるはずもない、岡崎城、強いてはそのずっと奥にあるだろう、京の町を眺望しているのであった。

それが勝商達三人の毎日を三人の日常であった。だが、その二人はもういない。

勝商は権平太に投げ飛ばされると、気を失うこともしばしあった。



勝商はぱっと目を開けた。天井が目に入った。むくっと起き上がると、辺りを見渡した。誰もいない。

(夢であったか)

雁鋒山での幼き頃の夢を勝商は見ていた。

大広間での、会議の後、この長篠城の英雄に、信昌は

「出発は今宵」

と、決まり、これから死地に向かう勝商に、少しでも休養させるために、城内の一室で仮眠をさせていたのである。

勝商は立ち上がると、首を回し、肩を回す。

「よう寝たわ。」

と、ボソッと一言言うと、ついさっき見た夢を思い出していた。

「権、佐平次…。」

と、悲痛な面持ちであるが、次には、

「久しぶりの雁鋒山じゃわ。あの松はまだあるかのう。」

と、歩き出した。

廊下から外を見ると、もう月が綺麗に輝いている。さらに廊下を進むと、信昌の近習が現れた。

「勝商殿、お目覚めでございますか。ささ、こちらへ。殿がお待ちでございます。」と、振り返ると、投下を案内した。誘われるように勝商は廊下を進む。たまに、月を見ては、ニコニコしている。

 「こちらにございます。」

と、近習は手で部屋を示すと、部屋に向かい、

 「殿。鳥居様がお越しになられました。」

と、部屋に向かった言った。

 「うむ。入れ。」

と、信昌の声がした。

 勝商は

「御免。」

と一言、中に入り、ひれ伏す。

 「おお。勝商!おもてを上げよ。」

と、信昌が言うと勝商は頭を上げた。

 そこには、二本の蝋燭が揺れていた。 

 奥に、長篠城城主奥平信昌が、一枚の書状を手に、こちらを見て座っている。

 「勝頼からの文じゃ。降伏せよとな。二・三日の返事の猶予を持たせたうえで、返事がなければ総攻撃にて、皆殺しにする、とな。」

 と信昌は言い、勝商に目をやった。

 勝商の顔は、蝋燭の火に揺られながら、その目は信昌はその垂れた目を一点に見つめていた。

 「さすがは、福笑いの足軽じゃ。そちの顔を見ると何か安心するわい。」

と笑った。


 (この男に全てを託すしかない。)


 信昌はそう思うと、その書状を勝商の目の前でビリビリと縦に破いて行った。

 左右に破かれた書の間から、信昌の顔が現れ言う。

 「これがわしの答えじゃ。頼むぞ。勝商。」

 「はっ。」

 と、勝商はひれ伏した。

 「事の子細は、重臣達に伝えてある。広間でお主を待っておると思う。行って参れ。」

 と、伝えると、勝商は、

 「かしこまりました。失礼いたします。」

 と、立ち上がり、くるっと反転すると、襖に手をかける。すると、後ろから、

 「勝商。」

と、信昌の声がした。


 襖に手をかけた勝商は頭を少し横に振り返り、横目に信昌を見る。

 「生きてまた会おうぞ。」

 と、言う。それを聞いた勝商は襖を開けた。

月の光が勝商の身体に注がれる。勝商は、振り向くと、頭を少し下げ、

 「お任せくだされ!」

と、言い襖を閉めた。

 信昌は、廊下の勝商の足音を聞きながら、泣いた。

自分がもし、逆の立場であったら、こんな無謀な脱出策に手を挙げられるだろうか。勇気のある男よ。

 (勝商よ。死ぬでないぞ)

 と、なお泣き、先程の書状を払いのけ、合掌した。



 広間に勝商の姿が現れると、中にいた、十数人の男たちは、口々に勝商の名を呼び、勝商の元に歩み寄ってきた。 

 「こっちじゃ。」

 と、広間の中央に勝商を連れていく。

 そこには、一枚の地図らしきものが置かれていた。見ると、ここ長篠の地図である。

 「よいか、勝商。」

 と、元・兵糧庫番の津見が地図を指さし言う。

 地図を中心に、十数人の男たちは皆、地図を覗き込んでいる。 

 「お前が寝ている間に、我らで話し合ってな、脱出場所と岡崎までの道のりを考えたぞ。」

と、津見は勝商の目を見ながら言う。

そしてまた、地図を見て続けた。

 「まず、城の抜け口だがな。ここ。西の下水路じゃ。ここ最近の武田軍は、総攻撃に備えて、兵を城門側に移動させておる。故に、ここは少々手薄になっておる。」

 と、地図の城の西側を丸くなぞって指さし言う。

 「この下水路は、外の川につながっておる。ここを飛び降りて、川を潜り、川岸へ泳ぐ。」

 と、地図をなぞる。皆その手追って見ている。

 「下水路から川は、ちょいと落差があるでな、落ちると水しぶきの音がして気付かれると思うたじゃろ。じゃがな、そこは任しておけ。我らに策がある。」

 と、自慢気に言う。


 任されていた兵糧庫を焼かれてしまい、責任を感じ、さらに、また友が城の為に、死地に臨むとなった今、津見は必死に皆と考えたのであろう。


 「そうじゃなあ。『つけもの』とでもしておこう。この言葉が聞こえたら、川に飛び込むのじゃ。良いな。」


 勝商を初め、聞いていた男たちはぽかんとしながら聞いていた。

 「続けるぞ。川を渡り切ったら、雁鋒山を登れ。ここの山頂に、もう誰もおらん寺がある。そこで服を着て、狼煙を上げてくれ。脱出が上手くいった事を我らに教えてくれ。」

 「おお。あそこの一本松の山頂じゃな。」

 「そうじゃ。その山をこっちに降ったら、岡崎城まで続く一本道じゃ。」

 と、津見は、地図をすーっと指でなぞってぽんっと、叩いた。皆、その指を追って見た。そこには「岡崎城」と書かれていた。

 「まあ、雁鋒山を抜ければ、松平様の領地じゃ。そこまでは武田の兵はおらんじゃろう。」

と、津見は地図を見ながら続ける。

 「ただ…。」

 「ん?ただどうしたのじゃ?」

 と勝商は津見の方を見る。

 「いや、まあ、その…。」

 と、津見は顔を少し赤らめて言う。

 「どうしたのじゃ、言ってくれ。」

 と、勝商が促すと、

 「いや、わしゃ、大の大人じゃて、信じてはおらぬがな。この「長沢村」の近くと言うのがな…。」 

 と、またごもる。

 「何じゃて?」

と聞く。津見は、小声で、

 「その、なんじゃ。もののけの類がよう出ると言う話を聞いたことがあってな。」

 と、地図の岡崎城近くの村を、指さし、恥かしそうに言う。

 一瞬の間が生まれた後、笑い声が広がった。 

「だから言うとうなかったのじゃ。」

と、津見は、顔を赤らめて言う。

 「いやいや、津見殿。ありがたき情報。ここら辺を走っている時は、もう疲れ果てておる頃じゃろうて、気を引き締めて走るわい。感謝するぞ。」

と、屈託のない笑顔で勝商が言うと、津見は救われたように、同じく笑顔で勝商の顔を見た。



 夜が更けた。準備は整った。下水路の入り口に勝商はいた。ふんどし姿に、頭の上には衣服や火打石を紐で結い、顎に結び付けている。

 見送りに来た数人の兵に別れの言葉を告げると、そそくさと、下水路の中に入って行った。後ろでは、別れを惜しみむせび泣く声がしたが、勝商は振り向きもせずに、奥に進む。やがて、勝商の姿は闇に消えていった。

 昨日の雨のせいか、下水が膝下くらいまできていた。真っ暗な下水路を早足で進む。酷く臭い。足に何か当たったが、気にすることもなく、前へ前へ進んでいく。

 やがて「どどど」という音が聞こえて来た。

 

(近いな)


 と勝商は思いながら進む。やがて、光が見えてきた。光の方へ方へと、自然とその歩みは早くなる。

 すると、やっと下水路の出口に着いた。

 川へ下水が流れ落ちていく。

ふと、その川の岸に目をやると、川岸には何本かの松明の火が見えた。

 (津見殿の言う通り、ここは手薄の様じゃな)

 勝商は、下水路から飛び降りた際にどちらに泳ぐべきか、思案していた。川までの高さは約六メートル位、下水の音がいくらあったとしても、飛び込んだ際に、やはり音がして気付かれる恐れがある。

 (いかがしたものか)

 と、勝商は、困った顔をした。

 (ん?)

 と、何かに気付き、眼を閉じ、耳を澄ました。何やら城内から、喧嘩をしているような声がする。

下水の落ちる音のせいであまり良く聞こえないが、確かに何か、怒号のよな、騒ぎ声がする。

 すると、川岸の松明が少しづつその声の対岸線の方へ移動して行く。


 武田方の見張りの兵は、突如、長篠城の城壁で騒いでいる声に目が行っていた。

 「何じゃ。どうした。」

 「いや、何か城壁で大声で喧嘩が始まったみたいじゃ。」

 「見てみよう。」

と、その喧嘩を見ようと、その声の方へ移動していった。ここ数日、長篠城からは弓はおろか、声すらも聞こえておらず、侵入防止の為に作った、鳴子網も最近は鳥がつっついたり、魚が飛び跳ねたりで、鈴が鳴っても、見向きもしない。暇を持て余していたのである。

 「何じゃ。何と言うておる。」

と、武田軍の見張り番が他の兵に聞くと、答える。

 「いや、何じゃ。夕飯を食べるときに、米が先か、汁が先かで揉めておるそうじゃ。滑稽な話じゃ。」

 と、笑いながら言った。聞いた男は耳を澄ますと、確かに揉めている。


 「かかが作った汁じゃ!かかよありがとうと言いて先に飲むもんじゃ。」


 「いや、腹が減っているのであれば、まずは米を喰らうじゃろ。汁はその後じゃ。この阿保め。」


 「何~。」


 と、城壁の二人はとっつかみ合いを始めた。暇を持て余していた、武田軍は大いに笑った。

「どっちでも良かろう。」

と、武田軍が掛け合うように言うと、また笑いが生まれた。


 すると、つかみ合いをしている二人を止めるように、もう一人の男が、二人を止めるように入って来た。


 「やめい!みっともない!米でも、汁でもない!漬物が先じゃ!」


と大声で言う。

 思わぬ第三者の出現に、武田軍は尚一層笑った。


 武田の陣は、ここ長篠の地に来て以来、初めての笑い声が空に響いた。




 もう、下水路に勝商の姿はなかった。

              脱出  完


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