応戦
初日の敗戦の報に触れ、勝頼は怒ったが、怒りをぐっと抑え込み、重臣を陣幕に集めた。
「長篠の兵、意外に士気高く、自然の要塞と言われる…。」
と、報告する内藤正豊の言を、
「もう良い。」
と、勝頼は途中で制すると、その眼先を山県昌景に向け、
「明日は、そちが行け。」
と伝え、陣幕を後にしていった。
残された武将たちは、
「はっ。」
と頭を落とし答え、解散する。内藤は、山県に近づき、
「かの者たち、あの人数だが士気が高い。気を引き締めてかかるが吉じゃ。」
と、ちょっと分が悪そうに言うと、さっと自分の陣に戻って行った。山県は自陣に戻ると、近習に明日の出陣の旨を軍に伝えた。
(少々厄介な城じゃな)
と、思いながら目を瞑った。明日の城の攻め方を考えているようであった。
夜が明け、日差しが差し込み始めると、城の外に整然と真紅に染まる騎馬武者がゆっくりとその歩みを進めてきている。
異様な程静かである。
馬も「赤備え」の馬であることを自覚しているように、誇り高く進む。
長篠城の奥の間に物見の使いが、走ってきて報告が入る。
「敵軍!わが城に向け進軍中。」
「うむ。」
と、信昌は立ち上がり、具足に手をかけた。使い番は続ける。
「敵の数およそ千。軍旗、鎧から見て…。山県軍かと。」
信昌の手が止まった。
(次は赤備えか…。)
信昌は自らは、最前線の城壁近くの櫓に赴いていた。
相手があの「赤備えの山県」と聞いたとあらば、いかなる戦法で攻めてくるか分からない。自身もそれをその目で見たかったのであろう。
信昌は甲冑に身を纏い、城の外を見ると、そこには聞きしに勝る、精悍な騎馬武者達が、綺麗に隊列を組み、進んで来る。見とれてしまいそうな程、綺麗な行進はどんどん近づいてくる。
空から見ると、まるで、長篠城に真紅の血が流れ込んでいくように見えた。
城門前の一本道の前に真紅の騎馬隊が、差し掛かると、騎馬隊はピタッと止まった。
一時の静寂が流れる。
すると後方から太鼓の音がけたたましく、鳴り始めた。
「何じゃ、何じゃ。」
と、長篠兵が城壁からその赤い軍に注目していると、
「えいや!」
と、掛け声と共に
「ドドン!」
と太鼓が鳴る。すると、騎馬隊の後ろから、ささっと五十人程の兵が走って前に出てきた。その兵たちは皆、長方形の板の様なものを持っていた。矢盾である。
その矢盾も赤く塗り統一されていた。
そして一同、矢盾を「どん!」と地面につけた。あっという間に、赤い壁が完成した。そこにまた矢盾を持った兵が次は、横を埋める。その中に、足軽隊や、丸太隊が入ると、最後にまた「ドン」と太鼓の音が聞こえると、中に入った矢盾部隊が矢盾を真上に展開する。すっぽりと、足軽隊や、丸太隊を矢盾で覆いかぶせてしまった。 まるでそれは巨大な赤いダンゴ虫の様な様相を示していた。
それを後方で悠然と馬に乗り、見ていた山県は、眼光鋭く、その所作を確認すると、手綱を握る片手を離すと、スッと軽く顔の横に挙げた。
その手がくいっと動く。
すると、それを見ていた近くの者が力一杯ほら貝を吹く。それに呼応するように至る所からほら貝の音が響いて行く。
「そいやー。」
と、真紅の足軽隊の後方で声がすると、
「どん」
と太鼓の音がする。その音に合わせ、矢盾に囲まれた、足軽隊は、
「おっ」
と呼応しながら一歩づつ、一本道を進み始めた。
「そいやー」
と威勢の良い声と、太鼓の音、じりじりと近づいて来る。
それを見た信昌は急いで戦闘態勢を取るよう指示を出した。
(そう来たか)
信昌は心で思うとそう、聞きしに勝る赤備えの軍への感心と、負けてなるものかと、強く拳を握った。
城壁に待機した長篠兵は、信昌からの合図を今か今かと待っていた。目下、異様な赤い軍団がじりじりと近づいて来ているのだ。
城壁には50人程の弓手を構え、ほかの者は城門の裏で待機していた。この城門が破られば、後ろで控えている、戦国最強と言われる騎馬武者隊が、雪崩れ込んでくるのが誰にでも分かった。
(城門の死守)
これこそが最大の要であった。その中に、勝商、佐平次、権平太の姿があった。
城壁の上から、
「今じゃ。それ打て!」
と、信昌の号令が出されると、五十の弓兵は、一斉に真紅の矢盾隊目掛けて弓を放った。
矢は正確にその者たちを、狙ったが、ことごとく矢盾にはじかれてしまった。
(ぬぬ…。)
と、信昌はそれを見ながらもう一度号令を出すが、一本道に折れた矢が落ちていくだけであった。
「そいや。」
「どん。」
と、どんどん山県隊は一本道の中腹を過ぎてどんどん城門に近づいて来る。はじかれた矢が、両脇の沼に空しく浮いている。
城門の裏で控えている勝商達は、門の外から確かに近づいて来る足音と、太鼓の音を聞きながら、皆顔を見合わせている。一体門の外は何が起こっているのか分からない恐怖があった。佐平次が
「合図があったら一気に出るぞ!」
と皆に言うと、皆答えるように、刀を抜いた。
後ろの方にいた、権平太は陣笠の緒を結びなおすと、自慢の長槍の穂先越しに太陽を見つめ、自分の出番を今かと待っていた。
勝商も、刀を抜き、その時を待っていた。
すると、外から、
「うぎゃ」
と叫び声と、沼に人が落ちる音がした。
城壁から、拳大くらいの投石攻撃が始まったのである。
城壁上から、つぶての雨が、矢盾隊を襲う。つぶてによって、陣形が一瞬崩れる。が、しかし即座に別の矢盾がそこを補う。更に、盾の隙間から弓兵が城壁に向かって矢を放ち始めた。
矢は、正確に城壁の長篠兵を射抜く。「うっ」と、つぶてをふりかざした脇腹を射抜かれた兵は、沼に落ちて行ってしまった。
沼にはいくつもの死体と折れた矢が浮いていた。そして、ゆっくり、外の川の方へ流れていく。山県軍はもう城門前に迫っていた。
城門裏はざわついた。外では時折断末魔の叫び声と共に、水しぶきの音。そして不気味なほど揃った太鼓に合わせた「おっ」という声がすぐ近くに聞こえるのである。
皆顔がこわばっており、震えている者もあった。
戦々恐々とした雰囲気を払拭するように佐平次は、
「恐れるにあらじ!我ら長篠兵の力を…。」
と言いかけると、次の瞬間、轟音と共に城門に衝撃が加わった。
丸太隊の攻撃が始まったのである。佐平次は門側に振り向くと二発目の攻撃が加わった。門のかんぬきが今にも外れそうになったのを見ると、佐平次は慌てて、
「押さえろ!」
と言って、全身で城門に張り付いた。十数人の男たちが城門を抑える。
すると外からまた太鼓の音が鳴った。
呼応するように
「えいや!」
と声と共に、勝商や佐平次の全身に衝撃が伝わる。何人かは吹き飛ばされてしまった。もう、門は左右の均衡を保てずにいた。
その隙間から、真紅の甲冑に身を纏り、赤い頬当てをした武者の目がぎろっと中を見てきた。
(まずい)
と、佐平次は思い、
「ほれ。押し返せ!」
と、仲間に言うと数人の男たちが城門を押すように抑える。すると、城門の隙間から覗いて来た武者は見えなくなった。
「もう次を喰らったら終わりじゃぞ。」
と、口々で弱音を吐くと、城壁から降りてきた信昌の伝令が走って来た。伝令の男は、焦っていたのか、つまずき転がりながらも。城門の兵に言う、
「信昌様からじゃ。合図と共に、城門から打って出よと!半分は敵を食い止め、半分は城門の応急処置に回れとの事じゃ。」
と伝えた。
それを聞くと
「うおー。」
と、佐平次達は自らを奮い立たせながら叫んだ。
一方、城壁上の信昌は機を図りながら、下から打ってくる矢をよける為、身をかがめ、矢が弱まったのをみると、城壁の兵に合図を出した。すると、かがんでいた他の兵たちは一斉に真下の山県軍につぶてを思いっきり投げつけた。
この一斉攻撃は効果があった。
山県軍の陣形が少し崩れ二歩三歩後退したのであった。
(今じゃ)
と、門の下の者に手を上げ合図を送る。
城門がゴゴゴゴゴゴと開いた。
正念場である。
第10話 応戦