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天突く声    作者: 岩 大志
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開戦

武田軍急襲を受け、すぐさま長篠城の奥の間で、青年城主信昌を始め、重臣達の軍議が始まった。

 軍議の場で、信昌が即座に出した策は

「籠城戦」

 であった。

 報告による敵軍の数は約1万5千。

 対するわが軍は五百。

 打って出ては、瞬時に玉砕するのは目に見えていた。

 満場一致で、籠城策が決まった。城門を固く閉じ、耐える。これこそが、上策だと皆分かっていた。

 

 また、信昌が何の根拠もなく即座に籠城戦に踏み切った訳ではなかった。三つの根拠が彼を支えていた。

 一つ目は、米だ。幾度となく戦火をを見てきた、ここ長篠城は、過去の経験から、籠城戦に備えて、城内の北の砦にある兵糧庫に、城兵五百人を半年は持ちこたえられる程の兵糧を蓄えていた。

 二つ目は、この長篠城自体が自然の要塞であるという事であった。二つの川が合流する手前に建てられたこの城では、川側の警備は小人数にし、城の入り口に側に兵を割くことができる。さらに、その城門への道の両脇には、両川から水を引き、沼ができており、一度に攻めかかってくるには、大軍が通れないよう作られていた。やみくもに攻めてきたのであれば、城壁から弓で狙い撃ちすることができる。武田家との決別の日から、城の修繕、投石用の岩の準備などに余念が無かったのは、この日の為と言っても良かった。

 最後に三つ目。これが信昌を最も頼りにしている支えであった。それは、松平元康であった。約六十㎞離れた岡崎城にいる元康は、長篠城懐柔以来頻繁に連絡を交わしていた。

 「長篠の寝返りを知ったとあれば、勝頼は必ず怒り、長篠に攻めてくる。その時に備えて、城の普請を進めておくこと。我らもその時には、盟友織田様の力を借りて、武田を迎え撃つ故、よくよく応戦してくれ給え。」と。

 

 現に、元康は、勝頼の動向を一早く捉え、織田軍を岡崎城へ迎え入れていた。

 「あの青大将めが出て来よったか。」

 と、信長も近畿、志摩方面の攻略を一旦緩め、自身精鋭と共に岡崎城に入っていた。

 しかし、信長はあまり乗り気ではない。

 桶狭間で今川義元の首を取り、独立した元康と同盟を結び、東からの脅威の壁ができた、信長の頭は今、京にしかなかった。

 やっとの思いで上洛したにも関わらず、敵に囲まれ、ひとつずつ、対抗勢力を潰している最中であった。志摩平定が見えてきた今の、元康からの援軍依頼であった。

 岡崎城にあって、信長は志摩の情勢、京の動向の報告を受けては、指示を事細かに出している。対武田軍への動きは一向に見えなった。

 そんな事は露知らず、長篠城主・信昌は岡崎城からの援軍を信じ、籠城戦に踏み切ったのである。

 信昌は、部屋を出て、兵士たちが集まっている場所へ赴くと、

 「皆の衆!二・三日の辛抱じゃ!二・三日すれば、岡崎城から援軍が来るぞ!それまで耐えるのじゃ。」

 この青年城主の声に、居並ぶ兵士たちは鼓舞され拳を空へ突き上げ

 「おう。」

 と答えた。

 (士気は高い。耐えれば勝ちじゃ)

 と、信昌も拳を強く握りしめた。

 雨足は弱くなってきていた。


 一方武田軍は、五月七日には、布陣を完全に終わらせ、開戦を明朝、日の出と共にと附令していた。

 先陣は内藤正豊隊一五〇〇。

 城門突破にて一気に攻略するようにと。

 また、川岸には杭を打ち、縄を張り、鈴をつけて、二つの川沿い全てに張りめぐらされていた。敵の内外からの侵入を察知するためである。犬一匹通さない、包囲網が出来上がっていた。

 そこには、長篠の寝返りへの強い勝頼の怒りがとって見えた。


 

 分厚い雲を、切り裂くように朝陽が登って行く。

 それと同時に至る所から、ほら貝の音、陣太鼓の音が鳴り響いた。

 

(来たか)

 

 信昌は武装し、城内の間で外のほら貝の音を聞いていた。

 ほら貝の音が鳴りやむと、場外から、おびただしい足音が聞こえる。

 一糸乱れぬ行進で、真っすぐに、城に向かってきている。

 城の手前まで来ると、ピタッと止まった。

 後方から合図が送られると、太鼓が一打ちされた。

 すると、内藤隊は、手に持っていた、槍の矛先を一斉に城に向ける。

 「トトーン。」

 と、また太鼓が鳴ると、ゆっくり内藤隊は門に向けじりじりと歩を進めてくる。

 その軍の遥か後方に、内藤正豊の姿があった。

 泣きながら天を仰いだあおの老将とは全くの別人の様であった。

 黒の甲冑に身を纏い、頬当てのその奥の目は、亡き信玄の遺志をその目に宿し、真っすぐと長篠城を見つめている。

 

 同じ目をしている老将がもう一人、後方の山の中腹にいた。

 内藤軍を見つめている。

 その更に後方の山の開けた所に布陣する総大将武田勝頼を守るように、敷かれたこの陣は、

 全員上から下まで真紅に染まっていた。戦況を伝える早馬が、幾度となく往来する中、『赤備え』の兵は微動だにしない。山県昌景である。

 「正豊よ。頼むぞ。」

 ぼそっと昌景は言いながらじっと戦況を見つめていた。

 早馬が勝頼の陣幕に、駆け込んできた。

 勝頼は椅子に座り左足を右足に載せながら、いつものように、小刻みに足を動かしながら、その早馬の報告を受けた。

 「内藤様の部隊、陣太鼓と共に前進を開始されました。」

 と、告げると早馬の兵は去って行く。

 勝頼は、返事をするでもなく、ただ聞いていた。時折首を回す仕草をする。苛立っている時の彼であった。

 信玄亡き後、武田の総棟梁となった勝頼は、日々その重圧に苦しみながら、自身の求心力の無さに苛立っていた。

 重臣達と話しては二言目には

「お屋形様なら…。」

 と、言う。

 自分の居ないところで、武田家の将来を悲観して泣いている者がいるのも知っていた。

 だからこそ、今回の奥平家寝返りは、はらわたが煮えくり返る程の怒りと共に、自身の言わば信玄の怨霊を取っ払う為の戦であった。

 自分の威を示す絶好の機会ととらえ、先陣を武田家の重臣中の重臣、内藤正豊に

「うぬが先陣ぞ。早々に片を付けて来い。」

 と命じた。


 槍を向け、前進してくる内藤隊は城門への道に入ると三列縦隊の形になり、細長い陣列に変更されていた。隊列の真ん中には、大きな丸太が、六人の兵士の手によって運ばれている。城門を叩き壊すための物だ。

 どんどん内藤軍先陣は一本道を進んで来る。ちょうど、一本道の中腹にさしかかると

 「今じゃ!撃て」

 と、城内から号令が出された。

 すると、城壁にいた約二百の弓兵が一斉に弓を放った。

 弓の恰好の的となった内藤軍はばたばたと倒れていく。

 だが、その屍を乗り越えて、あおの歩みを少し早めながら前進して来た。

 「放て!」

 第二陣の矢が降り注ぐ。

 これも、内藤軍の前線はまともにくらい、とうとう丸太の部隊の姿が見えてきてしまった。

 「今じゃ!」

 と、一気に城門を開くと、長篠の兵はがむしゃらに、丸太隊目掛けて突進していく。

 「その丸太をよこせ。」

 と、飛び込んでいくが、内藤軍も負けじと後ろから、丸太隊を守るために、前へ出てきた。

 しかし、長篠軍は斬っては両脇の沼に、蹴り落としていった。

 地の利を活かした長篠軍は徐々に、その軍を丸太隊に近づけていくと、内藤軍の後方から、太鼓が鳴り響いた。

 退陣の合図である。丸太隊を始め、内藤隊は後ずさりを始めるが、血気盛んな長篠軍は尚攻勢を強め、とうとう丸太を持つ男の一人を切り伏せた。丸太がドタッと地面に落ちた。崩れた内藤隊は丸太を放り出し、逃げ始めた。

 「よし。もう良い。」

 と、足軽大将が言うと、城内が太鼓が鳴らした。

 「うおー。」

 と、叫びながら、長篠の兵達は城内に引き返していく。その時、転がっていた丸太を見た、勝商と佐平次は二人で持ち上げると、パシャ―ンと脇の沼に投げ落とした。

 してやったりと、二人は顔を見合わせながら意気揚々と、城内に戻って行った。

 そしてまた、固く城門を閉じた。

 中からは一万五千の武田軍に負けじ劣らじと、勝ち鬨の声が鳴り響いていた。

 その様子を、後方で見ていた内藤正豊は

 「これは、侮れんな。」

 と、城内からの勝ち鬨の声を聴きながら小声で言った。

 沼に投げ飛ばされた丸太に目をやると、ぷくぷくと泡を立て、底に沈んでいった。


 「初手は様子見。勝頼様に『容易ならじ』と報告せい。」

 と、早馬に正豊が伝えると、今日はもう、引き返した。

 沼に、浮かぶ死体は、ゆっくりと川の方へ流れていった。

              

   開戦  完

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