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天突く声    作者: 岩 大志
12/16

岡崎城

長篠城より約60km西に、岡崎城はある。

 松平元康(後の徳川家康)はここにいた。

 聳え《そび》立つ天守閣は、四方を睨むような威厳を放っている。

 今川義元の元で、肩身の狭い人質生活に終止符を打ったのは、盟友の織田信長である。

 今川義元が、時は来たれりと、その大軍を西へ進めるその最前線に元康の姿があった。

 攻略の難しい沓掛城の攻略を元康は割り当てられるが、天賦の戦の才を発揮し、これを攻略。

 気を良くした、今川義元は軍を西に進める。

 が、田楽狭間にてその首を取られる。

 

 長く池に潜んでいた鯉は、滝を登り始める。滝を登り切り、竜になるのはそれから三十年も後のことである。

 

 今川家と決別し、独立すると、織田信長と同盟を結ぶ。

 織田信長にとっては、東方からの憂いを家康を壁とし、自らは京へと、その目を向けていくのであった。

 信長は、足利義昭を奉じて、京へ上がるが、敵も多かった。しかし、持ち前の求心力と調略で

 「天下布武(武を持って天をなす)」を推し進めていた。

 その信長の一番の頭痛の種は、甲斐の武田信玄であった。

 贈り物などまでして、ご機嫌を伺ってはいたが。

 いよいよ、信玄が甲斐より南下し、遠江・三河・美濃と三つの部隊で進行してきた。

 遠州三方ヶ原では、家康の援軍要請に、部下の佐久間信盛を派遣するも惨敗。

 

 各所で敗色が濃くなる中、突如として、潮が引くように、武田軍は甲斐に引き返してしまった。

 

 巨星の死に、信長は息を吹き返し、再び自身の包囲網を一つずつ潰していった。

 

 その時である。元康の耳に、武田勝頼の南下の報せが入ったのは。

 元康はすぐさま、信長に援軍を要請。信長自身も岡崎城に入城した。

 まず狙われるは、国境の長篠。

 一刻も早く、織田・松平の連合軍で、迎え撃たなければならない状況であった。

 

 しかし、信長は一向に動こうとしない。

 京や、志摩からの報告に指示を出す毎日であった。

 癖の爪を噛み、苛立ちが元康に見えていた。

 そんな元康を見ていた、松平家の重臣・本多忠勝は、元康の元に歩み寄ると、

 「元康様。もう我慢なりません。いつ長篠が落とされるか分かりませんぞ。」

 と、詰め寄った。が、元康は、

 「信長様には何か考えがあるかもやしれぬ。もう少し待っていよう…。」

 と、忠勝をたしなめる。が、心中は穏やかではなかった。

 現に今日も、織田家と松平家での軍議を朝からしていても、良い返事は帰ってこない。

 「まだじゃ。」

 信長のその一言で、軍議は終わる日々を送っていた。

 

 そんな時であった。

 勝商は、とうとう岡崎城の城門にたどりついた。いや、着くや否や、倒れこんだ。

 城門の見張り番が驚いて駆け付けると、

 「何奴じゃ!」

 と、怪しみながら、槍の穂先を突き付けてきた。勝商は小さな声でボソッと、喋りながら体を起こす。

 

「やっと…。やっと着いた…。」


 「何と申した?何者じゃ」

 と、重ねて問う。


 勝商は、疲労困憊の中、やっとの思いで声を出した、


 「拙者、長篠城奥平信昌が家臣、鳥居強衛門勝商と申す。長篠城の大事を伝えに、ここまで参上いたしました故、どうか松平様へお目通りを。」


 と、ほうほうの体で言うと、また座り込んでしまった。

 「まことであるか?それは一大事。殿へお伝えしてまいる。暫く待っておれ。」

 と番兵は事の子細を、城内の者へ伝え、城主元康の元へ走らせた。

 軍議の最中の部屋の前に報せの者が来ると、元康の近習の者に、事を伝えると、近習は、

 襖を開け、元康へ耳元で子細を伝えた。

 「まことであるか?」

 と、元康は声に出して言うと、

 「連れてまいれ。」

 と、指示を出す。

 部屋にいる、織田家・松平家の重臣達は、何事かという目で見ていた。

 勝商は、軍議が行われている、部屋の横の廊下に進められた。

 すぐ横では、織田・松平両家の重臣達が、活発に意見を交わしている。

 勝商は、正座し、ひれ伏し、その時を待った。

 近習の者がまた、部屋に入り、勝商の到着を伝えると、元康は、

 「ちと中座、失礼つかまつる。」 

 と、隣に座る、信長に伝えると、廊下側へ歩いて行き、襖を開け、廊下に出た。


 元康は、勝商を見つけると、早歩きで近づき、しゃがみ込むと、勝頼の肩を叩き、

 「鳥居強衛門!よく参った。長篠からわざわざ参るとは、如何いたした。」

 と、聞く。


 勝商は、下を向いたまま、大声で言う。

 「お目通り頂き、感激至極にござります。」

 開けっぱなしの、部屋の中にもその声は響いていた。中の者は何事かと、耳を澄ませる。

 勝商は続ける。

 「我が長篠城、武田の軍一万五千の兵に囲まれ、よくよく我ら五百の兵でこれを、耐えてまいりましたが、おとといの夜、兵糧庫を焼かれ、城の米、もってもあと二日。このままでは、飢え死にか、玉砕覚悟の突撃かという状況でございますれば、城主奥平信昌様より命を受け、この勝商、城を抜け出し、一晩中走り、松平様へ事の子細を伝えにまいりまして候。」

 勝商は、下を向いたまま言った。


 軍議をしている部屋では諸将が、驚いたように顔を見合わせていた。

 「なんと、もう袋の鼠じゃ。」

 「兵糧庫を焼かれたとあれば…。」

 等々、憶測が飛び交う。


 元康は勝商の話を聞くと、遠く長篠城を想いながら、

 「…。左様であったか。」

 と、この勇気ある足軽に、心を打たれながら、長篠城を想った。

 「大儀であった。任せておれ。」

 と、勝商の肩を叩き言うと、ボロボロの勝商の衣服を見て、


 「鳥居よ。疲れたであろう。何か食べる物を用意させる故、そこで待っておれ。」

 と、近くの近習に膳の手配をさせ、また部屋に戻って行った。



 程なくすると、ひれ伏す勝商の前に、膳が運ばれて来た。握り飯に、汁、漬物、それに魚まである。

 が、勝商は膳には目もくれず、ただただ無言でひれ伏していた。



 しばらくすると、広間から元康の声が響いてきた。

 怒気を帯びている。

 「これでも兵を出してくださらんか!」

 あの温厚な元康からは想像もできない怒った声であった。

 「かの者は、決死の覚悟で、ここ岡崎まで助けを求めに来たのでございますぞ!」

 どうやら、この期に及んで、まだ、信長は兵を出し渋っているようである。 

 勝商は、ひれ伏しながら、目を瞑っている。

 その瞼の裏には、長篠の仲間の姿が浮かんでいた。

 広間からは、いよいよ語気を強めた、元康の声がする。



 「それでは…。」

 元康は、声を詰まらせながら、そして息を吐き、


 「それでも、兵を出さぬと申しますれば。この元康。武田と手を組んで、その先鋒として、織田軍と一戦交えるまででございます!」


 と、言い切った。


 広間は、一気に緊張感が増す。誰一人動こうとしない。

 いや、元康の気迫に飲まれ、動けなかった。

 すると、

 「ははは。」

 と、かん高い笑い声が聞こえた。

 勝商は信長を見たことが無い。だが、その笑い声が信長のものだとすぐに分かった。

 「そうか。元康。あい分かった。」

 と、信長は元康に向かって言うと、織田方の重臣の一人に向かい

 「金柑。鉄砲の用意はいつになる。」

 と、聞いた。

 金柑と呼ばれた男は、即座に

 

「明日には。」

 と答えた。


 信長は、にやっと笑うと諸将に向かい大声で、

 「皆の者、戦の支度じゃ。この戦。松平の戦にあらず!わが戦ぞ。明日には準備を整え、長篠で武田を迎え撃つぞ。」

 と、元康に負けじ劣らず。物凄い気迫で触れを出す。すると、一同

 「御意!」

 と、一言。皆立ち上がり部屋を出ていく。

 さすが、天下を収めんとする軍の諸将たちである。目つきが変わっている。

 勝商の頭上を無数の足音が通り過ぎていく。

 

 その中、一人の足音が勝商に近づいてきた。

 元康であった。

「鳥居よ!」

 と、呼びながら近づく。

「喜べ!援軍が決まったぞ。そちのお蔭じゃ。」

 と言うと、何にも手を付けていない膳に目をやる。

 「何じゃ、何も食うておらぬではないか。」

 と言うと、勝商は、ひれ伏したまま、

 「長篠の仲間を想うと、私一人、こんな大層な御馳走戴けませぬ故…。」

 と、答えた。


 (なんと律儀な者よ)


 と、元康が感心していると、近習のものが元康の背後に近づいて来た。

 「信長様がこれを。その者にと。」

 と、何やら布袋を元康に渡した。

 それを勝商に渡す。

 勝商は、恐る恐る顔を上げ、受け取る。

 その布袋には「織田木瓜おだきうり」の家紋が入っていた。

 「開けてみよ。」

 と、元康に促されると、恐る恐る、勝商はゆっくりと開く。

 中には、小さなキラキラ七色に光る粒が入っている。

 ほんのり甘い匂いがする。勝商は見たことも、嗅いだことも無いものであった。

 「『コンペイトウ』という南蛮の食い物じゃ。信長様も粋な計らいを…。」

 と、ふっと笑った。


 勝商は、大声で

 「ありがたき幸せにござりまする。」

 と、部屋にいる信長の耳にも届くよう大きな声で言う。

 そして、またひれ伏した。

 元康は、襟を正しながら、

 「鳥居よ。まこと大儀であった。飯でも食うて、今日はゆっくり休むが良い。」

 と優しい顔で言う。

 「いや、一刻も早く、援軍の旨、長篠の仲間に伝えとうございます。」

 と、伏しながら言うと、元康は驚きながらも笑い、

 「安心せえ。大丈夫じゃ。明日には準備を進めて、もう二日もすれば、長篠城に勝ち鬨が聞こえてるぞよ。お主はここまでよう頑張った。今日はもう飯を食うて、湯を浴び、寝るが良い。」

 と伝えた。


 すると勝商は、むくっと顔を上げると

 「なれば、これだけ。」

 と、前にある膳から握り飯を笑顔でつかみ上げた。

   

          岡崎城  完

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