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天突く声    作者: 岩 大志
11/16

走る者・助ける者

山を物凄い勢いで走って降りる。

 下りの斜面は一段と速度が上がる。

 「おお。」

 と、叫びながら、大きく勢いのまま飛んだ。

 城を無事に抜け出した、高揚感か、長篠の友の命を一身に受けている使命感なのかは、分からないが、心臓の高鳴りが止まらない。

 勝商は、着地に失敗すると、二・三メートル転がり落ちる。

が、むくっと立ち上がるとまた、軽快に走り出した。

 「松平様~!長篠の皆~!待ってろよ~。」

 と叫ぶ。

 暗闇が一段と深くなった。

 雲が月を覆うと、一寸先も見えない程の闇である。

 どこを走っているか分からない。

 ただ、雁鋒山を降りて、平坦な一本道を走っている事だけは分かる。

月が気まぐれに顔を出しては、勝商の行く道を照らしてくれていた。

 何回も、足がもつれ転がったであろうか、全身泥だらけで、至る所に傷ができていた。

そんな事は気にせずに一心不乱に走り続ける。


 いくつの村を超えたか分からない。

途中、小さな川を見つけては、顔ごと川に突っ込んで、溺れるほど水を飲んだ。

飲み終えると、竹筒に水を並々と入れ、顔を拭おうともせず、また走り出した。

 そんな事を繰り返しながら、走って行くと、夜は一段と深くなった。


 漆黒の闇を、足音と、忙しない荒い息遣いだけが聞こえてくる。だが、その足音は段々と疲れが見えてきて、力強さが無くなって来た。

 (もう少しで夜が明けるな)

 と、勝商は思った。

 (それにしても、足の裏が酷く傷むな)

 疲労と、衝撃で勝商の足は、地面に着く度に激痛が走りだしていた。しかし、走るのを止めない。

いや、走っているかどうかも分からない位の速さであった。

 (夜明前が一番暗くなると言うものじゃ。わしのこの痛みも、夜明けと共に晴れるはずじゃわい)

 勝商は自らを鼓舞しながら、前を進む。

 が、また足が絡まり、前のめりになって転んでしまった。

 ぜえぜえ、と息をしながら、体を空に向け星を眺めた。

ふと道端に咲いている一輪の花に目がついた。

その花は一人満身創痍で走る勝商を労わるように笑って見えていた。

 勝商はその花に微笑み返す。

いや、この花が、勝商本来の底抜けの明るさを引き出しているようであった。

 勝商は、花との無言の会話を終えると、空をまた見た。

 考える事はただ、長篠の友の事だけであった。

もし、自分が倒れれば、長篠の友五〇〇を待ち受けるのは、飢え死にか、皆殺しだ。

 勝商は、やっとの思いで再び立ち上がると、ゆっくりとその足を進めていく。


 勝商は、自分の使命の重圧に耐えながら闇を進む。


 「使命」とは「命を使う」と書く。

勝商は長篠の友の為、一人その言葉通り、自らの命を使い、進んでいくのであった。勝商は今、困難を使命と捉え、その困難さえも自分の活力にしようとしていた。

 学が無いので、昔の偉人の言葉を引き合いに出し、自分を鼓舞することはできなかったが、勝商の頭の中には、人の笑顔があった。

 佐平次に、権平太、喜、福、長篠の皆…。

浮かぶ顔は全員笑顔であった。それは、いつもこの男が笑顔で接していたからこその光景であろうか。



 が、しかし、いよいよ脳からの指示を身体が拒み始めた。頭では、

 (さあ、岡崎へ)

 と思いながらも、足は動いてくれない。

 まるで、ただの肉の塊に魂が宿っているだけで、その肉の塊は、意志を持てる状況ではなかった。

 その時、とうとう勝商は膝から前に、崩れてしまった。

 「うっ。」

と、言いながら体を仰向けにすると、そこには、満天の星空が広がっていた。

 「はあはあ。」

と、息をしながら、空を見つめる。

 (綺麗じゃな…)

 と見とれている。

どこまで来たのかも分からない。もしかしたら、全く別の方向に走ってしまっているかもしれない。

そんな、不安が勝商を襲った。

足裏の痛みは、徐々に全身を蝕んできていた。


 (よう。走った。寝たい…。)

 と、ふと張り詰めた緊張の糸が切れそうになる。

 (この星空を独り占めにして寝るのも果報者かもしれんな)

と、少し笑った。

 が、勝商は重い体をゆっくりと起こし始めた。

「いかんいかん。」

と言いながら、よろけながらも立ち上がった。

 (進もう)

 と、足を前に出した。

が、出したつもりであった。また勝商は前に倒れてしまった。

しかし、両手で地面を押し上げ、少しでも前に進もうとするが、力が入らなかった。また仰向けに転ぶ時に、ふと道脇にある石碑が目に入った。


 石碑には『長沢村』と書かれていた。


 「おお。津見殿が言ってた、もののけが出るという村か。」とかすれた声で言った。

 すると大きな声で笑い始めた。


 (もののけか。ははは。津見殿も面白いことを。道は合ってたんじゃ)


 勝商は空を見ながらニコッと笑う。

 その石碑は、勝商に勇気を与えた。

 (ということは、岡崎城までもう少しじゃ)

 と、力を振り絞り立つと、足を引きずりながら、歩き出した。全身が痛いが、まだ見えない岡崎城だが、来た道が正しかった事が何よりも彼に力を与えた。

 村の中をやっとの思いで抜け、林にさしかかった。


 その時、後ろで何か気配を感じた。

 しかし、勝商は振り向きもせずに、進んでいるかどうかも分からない程の早さで、進む。


 何か寒気を感じる。晴れているのに靄がかっているように見える。


 (津見殿の言う、怨霊、もののけの類かの…)

 と、勝商は思いながら笑った。

実際は、疲れ切って、強烈な睡魔を彼を襲っていたのである。だが、その足を止めることはなかった。

 しかし、とうとう限界が来た。

 もう、この足が自分の足なのか、棒きれなのか分からない。意識が朦朧としてきた。気力も尽き、とうとう勝商は、

 (無念!)

 と、心で叫びながら、目を閉じ後ろに倒れこみそうになったその時であった。



 勝商の身体を二本の腕が、優しく包んだ。


 一本は、何だか懐かしい感触だ。


 もう一本は、力強い腕だ。


 居心地が良い。このままゆっくり眠りたい。そんな風に思っていた勝商だったが、誰が後ろで支えてくれているのか、見たくなり、重たい瞼を、ゆっくりと最後の力を振りぼり、目を開け後ろを脇を見た。

 

左を見ると、妻の喜がいた。美しい。

 自然と笑みがこぼれる。

 (じゃあ右は?)

 と右脇を見る。

 

そこには、権平太がいた。長篠一の武の者そのものの精悍な顔つきだ。

戦友との再会である。

 二人とも何も言わない。

混乱しながらも、勝商はその二本の腕に、身を委ねるように、寄りかかろうとした。

 (死んだか。わしも)

 と、思った。

 (ようここまで走った。二人とも褒めてくれておるのかのう)

 と思い、甘えるように腕に寄りかかる。


 すると、その二本の腕は、力強く勝商を前に押し出した。

勝商は日本の腕に押し出され、二・三歩進み、

 (ん?何故じゃ)

 と、振り返り、二人を見る。

二人とも何も言わず、真っすぐに勝商の目を見ている。

(何じゃ。久しぶりに会えたというのに)

 と、少し口を尖らせ、ふてくされた表情を見せるが、二人は表情一つ変えず、真っすぐにこちらを見ている。

(何じゃ。まだ死ぬなとでも言うのか)

 と心で言う。

近づこうとすると、二人の目は、尚力強く勝商の目を見る。

 (そうか。そうじゃな。わしには長篠の皆の命を預かっておる身じゃでな)

 と、ゆっくり振り返ると、歩き出した。


 二・三歩歩くと、また振り返った。



「そうじゃ。佐平次はおらぬのか?」

 と声にする。二人を見た。

喜と権平太は何も言わずに、勝商の目をじっと見ている。


 勝商はおもむろに周囲を見渡し佐平次を探したが、佐平次の姿は無い。


「そうか…。」


 勝商は声を詰まらせる。


「そうか…。生きておるのじゃな。生きて…。良かった。」 


 最後の言葉は言葉にならず今にも泣きそうに顔を崩した。

 喜と権平太は、くちゃくちゃになった勝商の顔を見てると笑顔になり、振り返り、どこかに歩いて行ってしまった。

 



「佐平次…。」 

 と、呟きながら、勝商は目を開けた。

 目の前には、燦々と輝く朝陽が登り始めていた。

 (そうか、気を失っておったか)

 と、勝商は、体を起こしながら、

 (佐平次は生きておる。それにあの二人はわしにまだ死ぬなと。使命を果たせと)

 勝商は立ち上がると、もう歩き始めていた。


 少し寝たお陰で、驚くほど体は軽い、意識もはっきりしている。足は相変わらず痛いが、そんな事はもう気にならない。

 (二人ともありがとう)

 と、勝商は心で思うと、また走り出していた。

 もう、岡崎城は近い。

        走る者・助ける者  完

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