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天突く声    作者: 岩 大志
10/16

雁鋒山

勝商の姿は、川岸にあった。

 ずぶ濡れになりながら、そろりと、川から上がってきていた。

 津見達のお蔭で、見張り番の姿は無い。

 慎重に足の踏み場を選びながら、川岸を山の方へ進む。上流の方では未だに笑い声が聞こえた。ふとすると、雲が月を覆った。暗闇になり何も見えない。すると、何かが足に引っかかった。

 (しまった)

 と、思うや否や、

 「チリーン、チリーン。」

 と、鈴の音が鳴った。

 武田軍の仕掛けた鳴子網に足が触れてしまったのである。

 勝商は引っかかった足もそのままに、微動だにせず、止まっていた。心臓が飛び出しそうで、冷や汗が顔を伝っていくのが分かった。

 「誰じゃ!」

 と、向こうから声がした。岸の砂利を踏む音が近付いている。

 (万事休すか)

 と、勝商は目を閉じ、観念しようとした時、もう一人の男の声がした。

 「やめとけやめとけ。また魚かなんかじゃろ。最近はそんなんばっかじゃ。」

 「そうじゃな。」

 砂利を踏む音が止まる。

 「それより、城壁の騒ぎを見に行かまいか。何か楽しそうじゃ。」

 「そうじゃ。そうじゃ。」

 と、足音は離れて言った。

 勝商は止めていた息を一思いに吐きだすと、上げていた足をゆっくり動かし、今まで以上に慎重に歩んでいく。

 (助かった。急がねば)

 と、雁鋒山のふもとを目指した。


 ゆっくり慎重に歩いて行くと、山の麓に着いた。

 子供の頃、幾度となく登った、勝手知ったる山である。


 勝商は一気に走り登り始めた。

 山は勝商の帰りを喜んでいるかのように、木々や草が道を開けて行ってくれている。

 そんな感じが勝商はして、笑顔になった。

 さっきまでの雲が嘘のように晴れ、空は満天の星空が広がっている。

 月明かりが眩しい位であった。

 駆け上がる事半刻程、頂上が見えてきた。駆け上がる足に力が入る。

 「ふっ。ふっ。」

 と、小刻みに呼吸をしながら勝商は、登り続けた。

 やがて、月の明かりに照らされた、建物が見えてきた。誰もいない朽ちた寺だ。勝商たちが子供の頃には既にだれもいなかった。

 勝商や、権平太、佐平次らの格好の遊び場であった。

 亡くなった妻・喜と、夜ここに来て、境内に腰をかけ、満天の星空を二人占めしたこともあった。

 (長篠に戻ったら福を連れてこねばならんな)

 と、色々な事を思い浮かべ、一人笑みがこぼれる。

 雲が出て来たのか、暗闇が山頂を覆う。


 寺に着いた。


 勝商は目を凝らしながら、入り口を探し、戸を開け中に入る。

 「ふー。」

 と、一つ大きな息を吐いた。

 川からここまで、緊張の連続であり、やっと束の間の、休息だ。休息と行っても着替えて、早々に狼煙を上げなけらばならない。

 (着替えるか)

 と、勝商は頭上に巻いていた、衣服の結い目を解き始めた。

 袖に手を通すと、勝商は気付いた。

 (無い!)

 と、来たばかりのぼろい服を、手探りで探し始めた、

 (参ったな)

 と、顔を曇らせていると、部屋の奥から、微かに人の気配を感じた。

 (何じゃ。人か?)

 と、動きを止め、眼を凝らす。

 (野盗の類であったらかなわんな)

 と思った。

 今勝商は刀すら持っていない。

 ここで襲われては、やっとの思いで抜け出したのが水の泡である。

 勝商は、ゆっくりと体を反転させ、出口の方へゆっくりと、向かおうとした。

 その時、月を覆っていた雲が晴れ、朽ちた寺の天井の隙間から、月光が勝商を照らした。

 その明かりをを浴び、勝商は

 (しまった)

 と思い、足に力を入れ、踏み出そうとした。




 「鳥居様でございますか?」


 不意の呼びかけに、勝商の足は止まった。

 (わしを知っておるのか?)

 と思いながら、ゆっくりと振り向いた。

 「そうじゃ。おぬし等は何者じゃ。」

 と、警戒しながら言う。

 すると、暗闇の中から、光の当たるところに、一人の男が歩んできた。


 「わたくしめにございます。」

 と言う。

 「ん?」

 と、その男を見ると、なんとそこにいたのは、一年前まで通い詰めていた、薬屋の主であった。

 「おう。薬屋の主じゃないか。こんな所で何をしておるのじゃ?」

 と、勝商は安心しながらも、不思議そうに聞いた。

 「鳥居様こそ、こんな夜更けに、しかも、こんな所で。城は武田軍で包囲されてるはずではございませんか。」

 と、問いに問い返してきた。

 奥から、ぞろぞろと数人の人が近付いてきた。奥の方には、女子供もいた。

 「わしゃ、今しがた、城を抜けて、岡崎城の松平様の所へ向かう所じゃ。」

 「え?」

 と薬屋の主は驚きを口にした。


 「あの包囲網を抜けて来られたのですか?また何でそんな危ないことを?」

 と、不思議そうに勝商に聞いた。

 「いや、これがな、昨日武田方に兵糧庫を焼かれてしもてな。こりゃいかんっちゅう話になって、奥平様が誰か岡崎城まで事の子細を伝えに走ってくれまいか。っという話じゃ。」

 いつもの様に、端的に勝商は言う。

 「で、鳥居様が選ばれたのでございますか?」

 「そうじゃ。誰も手を挙げんかったからの。それに上手く行ったら、一生食うに困らん程の米を下さると言うからな。」

 と、ニコニコしながら言った。

 主を始め、そこにいる物は、口を開けて呆れていた。

 「そんで、何でお主たちはここにおるのじゃ?」

 と、勝商は続けた。

 呆れかえっている主は我に返り、説明し始めた。

 「いや、最近ですな。我々の村の隣の集落が、武田様の兵か、野盗か分からないのですが、略奪に頻繁に逢ったと聞きましてな。こりゃいかんと思いまして、一部の家財を持って、村の者数人とここに皆で身を寄せておった所でございます。」

 と、主は顔をこわばらせながら、後ろの者たちに目をやりながら言った。

 「そうか、それは恐ろしいことじゃのう。」

 勝商は目を細めながら心配そうに話しを聞きながら、しゃがみ込むと、奥にいる、母親の袖に隠れている小さな子供に向かって、

「大丈夫かえ?」

 と、笑顔を送った。

 子供は、勝商特有の福笑いの笑顔に、安心し、ニコッと笑った。

 こういう所が、この男の好い所で皆から好かれるところであった。ふと勝商は

(福やかか様は大丈夫であろうか)

 と、不安になりながらも、立ち上がった。

 「わしゃ、そろそろ行くでな。あっ。」

 と、勝商は何かを思い出すように止まった。

 「主よ。火打石はござらんか?」 

 と、聞いた。

 「火打石で?はて?持って来た物の中にあるとは思いますが。」

 「ちょいと貸してはくれまいか?」

 「ええ。構いませんが。これ。」

 と、主は後ろの仕様人と思われる男に言った。

 

 言われた男は、奥に行くとすぐに戻って来て、火打石を主に渡した。

 「こちらに。また何で火打石など?暖を取られるおつもりで?」

 と、火打石を勝商に渡しながら言った。

 「こりゃ助かった。いや、城を上手く抜け出したらの、この山から狼煙を上げる手はずじゃったのよ。」

 と、受け取った火打石を見ながら勝商は言った。

 「おお。それはそれは。大事にございますな。急ぎましょう。」

 と、主は一緒に身を寄せている者を連れ、勝商と一緒に、枯れ草を集め始めた。

 すぐに充分な枯れ草は、松の木の下に集められた。そこに、勝商は火打石で火をつけると、瞬く間に、煙が上がって行った。

 「これで良し。」

 と、もくもくと上がる煙を見ながら、勝商は満足気に言った。そして振り返り、皆に向かって、

 「皆の者助かったぞ!これで、長篠の皆は元気を取り戻すはずじゃ。」

 と、今にもはちきれんばかりの笑顔で言った。

 「よし。それじゃ…。」

 と、勝商は、袴の裾を持ち上げて、走り出そうとした。

 「鳥居様!」

 それを見て主が呼んだ。

 「ん?どうしたのじゃ。わしゃ急がねばならぬ。」

 「一つだけ。一つだけお伝えしとう事がございまして。」

 と、主は涙目で勝商を見て言った。

 勝商は、袴の手を離し、主の側に歩むと

 「いかがしのじゃ。」

 と、優しく聞いた。

 主は、今にも泣きそうな声で、勝商に今まで、一文で良い薬を二文で売り続けていた事を告白した。

 何故か、この純真無垢で、今にも武田軍に飲み込まれそうな、長篠城を救う為に、城を抜け出し、遠く岡崎まで走って行く勝商に、自分を恥じ、全てを告げておきたかったのであった。もう主の頬には涙が伝っていた。


 主の話しを聞くと、勝商は笑いながら、

 「そうであったか。構わぬ構わぬ。はは。」

 と言い、

 「ならもし、わしが万が一、長篠に戻って来れなかったらのう。」勝商は少し考え、

 「そうじゃ。わしにゃ、福という可愛い娘がおってな、かか様とおるでな。その福は、絵を描くのが好きじゃてな、でもわしゃ、紙を銭がなかったもんで、何か綺麗な紙でも届けてくれやい。」

 と、胸元にお守りの様にしまってある、猪鍋を食した時に福が薬の布袋に描いてくれた自分の似顔絵をふと目をやりながら言う。

 「そんな…。誠に申し訳ございませんでした。」

 と、声を詰まらせながらひれ伏す。

 「良い。そんな事よりな。皆、生きてこの戦を乗り越えようぞ。」

 と、辺りに笑顔を振るう。

 最後に、ひれ伏す主の、肩をポンと叩くと、歩き出した、徐々にその足は早くなっていく。

 遂には力強く走り出した。

 「皆!達者でな!」

 と、大声で勝商は叫ぶと、森の中へ消えていった。

 主を始め、そこにいた者は、肩を揺らしながら泣いて、勝商の姿が見えなくなるまで、見つめていた。

               雁鋒山 完


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