私とこの世界の常識
「ぅーん………」
何となく、窮屈?
身動きが取れなくて、肩周りに窮屈さを覚えてふと目を覚ます。
気が付けば、今度は毛布をグルグル巻きに巻かれていた。
「………メイドさん達が気を遣ってくれたのかな?」
パチクリと目を瞬かせ、もぞもぞと動き、腕を出す。
部屋の中が明るい。
腕時計を見ると、11時を過ぎたところだった。
巻き付けられていた毛布を外し、リュックと一緒に傍にどける。
「んーっ」
両手両足を伸ばし、大きく伸び上がった。
小さく丸まって寝ていたからだろう。
気持ちいい。
目の前には新たな水差しとグラス。そして食事が置かれていた。
カトラリーも夜見たものと異なるのでいつのまにか交換されていたのが伺い知れる。
が、喉は乾く。お腹も、空く。しかし、なぜか食欲が無いのだ。
食べたいと思わない。
綺麗に磨き上げられたカトラリーに、カバーの付いた綺麗な食器。
昨夜は気付かなかったが、側にはワゴンがあり、ティーポットやカップなど一式が揃っていた。
手を伸ばし、グラスを手前に置くと水差しと傾ける。
喉を潤す水が最高に美味しい。
数杯飲むと恵理奈は毛布を畳み、ソファーに置いてリュックも背負うと勢いよく立ち上がった。
気持ちの整理はつかない。
一晩寝たぐらいでつくはずがなかった。
正直、まだ混乱している。
世界に靄がかかった様な感じでボーっとしてフワフワした感じがする。
地に足が付かないとはまさにこんな感じだろう。
恵理奈は扉に着くと、ゆっくりと開いた。
「あのー」
遠慮がちに声をかける。
昨日の王子が言うには、侍女が控えており、必要なものは全て取り寄せると言っていた。
ひょこりと顔を出して、小さく息を飲み、直ぐに首を引っ込める。
ビックリしたー。
そう言えば警備の人がドアに居たんだった。
「サトゥー様!」
女性と男性の声が聞こえる。
男性は警備の人だろう。
女性は女官のものだと分かった。
思わず驚いて首を引っ込めた恵理奈だったが、もう一度ゆっくりドアを開き、一歩踏み出し、寝室から出る。
「おはようございます。お加減は如何ですか?」
一番に駆け寄った女性は自分の母ぐらいだろうか。少し年がいっており、その後ろに控えたもう一人の女性は恵理奈より少し上ぐらいに見えた。
「有難うございます。まだボーっとしますが大丈夫です。
あの、お水、とても美味しかったです。お気遣いいただき有難うございます」
「お礼だなんてとんでもございません。お食事、冷めてしまいましたね。すぐに暖かいものに取り替えましょうね」
「直ぐに用意致します」
そう言って年若い方が動き出すのを恵理奈は手を振って止めた。
「いえ、食欲が無いので気にしないで下さい。勿体無いし、そのままで」
恵理奈がそう言うと女官は目をパチクリとさせた。
「丸一日以上何も召し上がってない事になります。さすがにそれでは体に良くありません。
何かお口に召されませんと……」
女官の言葉に、若い侍女が明るい笑顔で提案した。
「ならばスープやデザートなどは如何ですか?喉越しの良い物ならどうでしょう?」
「そうね。サトゥー様、如何ですか?」
優しい笑みを浮かべ侍女に聞かれ、恵理奈は口元に笑みを刻み小さく頷いた。
二人はホッとしたように緩やかな表情になり、お互い頷き合い、年若い女官が準備に取り掛かる。
「あの、さっそくですみませんが……。お願いがあるのですが良いですか?」
「はい。何なりと」
笑顔のまま女官は返事をする。
「寝室に勉強机が欲しいんです。後、聖女召喚に関する書物やこの国の事などを調べたいので図書館に行かせてもらいたいんです。警備上、図書館に行く事が無理ならせめて関連書物を見せて欲しいのですが………」
笑顔で聞いていた女官は一瞬、ポカリとし、恵理奈を見つめた。
見つめ合う事しばし………。
ん?私、何かおかしな事言ったかな?
本って貴重だからやっぱり厳しい?それとも聖女召喚が門外不出の秘密の儀式とか⁇
聞いてはならない事に触れたのだろうかと悩み、恵理奈は視線を感じ両側に立つ寝室警備の騎士にも目をやる。
やはり二人ともキョトリとした顔で見つめていた。
「えーっと。………そういうのはダメだったのでしょうか?」
あはは。
ごめんなさいとから笑いしながら言う恵理奈に、今にもブンブンと音を立てそうな勢いで女官はかぶりを振った。
「とんでもございません!机ですね?えぇ、寝室にご用意致します!あぁ。こちらの部屋にも用意致しますか?」
「そうですね。出来るなら是非お願いします」
寝室も広いがここ程ではなく、窓の大きさが違うからどうしても陽当たりはこちらの方が良く、明るい。
昼間などはこちらで勉強出来た方が良さそうだと恵理奈も頷く。
「畏まりました。筆記用具も揃えさせていただきますね。他に御入用の物はございませんか?」
「そうですね……。あぁ、そうだ。こちらは電気とか無いんですか?夜とか暗いですよね?灯りはどうされてるんですか?」
唇に手をあて、しばし考え聞いてみる。
日の入りと共に就寝はさすがに時間が勿体無い。
限られた時間は少ない。ならば時間は有意義に使わなければならないだろう。
「それでしたら魔道具があります。王宮は基本、スイッチで灯りは操作出来る様になっており、こちらの寝室も部屋も同様になります。
後は魔道具のランプもあります。魔力がある方はご自身の魔力を少し流すのみで使えます。魔力が無い者は魔石を利用して使用します」
そう言って寝室に入ってドアの脇にある壁のスイッチを外し、押してみせる。
「おー。リモコン式!」
「リモ、コン……?」
思わず見知った形に恵理奈がぼやくと、女官はきょとりと首を傾げた。
「あぁ、ごめんなさい。着脱式なんですね」
「はい。寝室はこれ一つですが、こちらの部屋は広いので二箇所あります。まずあちらの出入り口側と、こちらの寝室側に有ります。
そう言えば、お部屋のご案内もまだでしたね。今してもよろしいですか?それとも、何かご希望はございますか?」
人の良さそうな笑みを浮かべ、侍女は聞く。
「特に欲しい物は……」
「ではお部屋をご案内させていただく前に……」
一旦そこまで言い置いて、女官は優雅に恵理奈の手を取り、相手の腰までの深いカーテシーを取った。
「ご挨拶が大変遅くなりました。これからサトゥー様の筆頭女官長を務めさせていただきますカッシーナ・レイドルクと申します。第二王子のアレクサンドル様の乳母をしておりました。どうぞカッシーナとお呼び下さいませ。宜しくお願い致します」
「私は佐藤恵理奈と言います。そちら風に名乗るならエリナ サトウ。こちらこそ宜しくお願い致します」
見よう見まねのカーテシーをするべきか悩む。
そのままカッシーナの手を取り、片手でスカートを摘み、片足を斜め後ろ、内側に引こうとした所でカッシーナに話しかけられる。
「有難うございます。この礼はこちらでは目上の者に対してのものです。サトゥー様は礼を受ける立場ですので不要ですよ」
言われて恵理奈は小さく笑う。
「良ければ、王族とかにはしていただけたら良いかと思いますが、ここまで深くは不要です。
宜しければ、こちらの礼やマナーも学ばれますか?」
「そう……ですね。必要ですもんね。でもさっき言ってた事も調べたいのでそれなりに、とは思います」
最優先事項は帰る方法を調べる。
本当に帰れないのかを確かめないといけないから余り余計なものに時間は割きたく無い。
それが本音だが、しばらくここで生活しなければならないのも事実。
ならば必要なものは学ばなければならない。
戻れなかった時に、困るから───。
戻りたい。
でも、それが叶わなかったら?
ここで生きていかなければならなくなる。
今は、帰る為に考えよう。
目の奥が熱くなる。
暗い思考に陥りそうになるのを必死で堪える。
「分かりました。体調をみながら一日一時間程度で予定を組みましょう」
「それぐらいならば。よろしくお願いします」
一気に詰め込まれなくてよかったと内心ホッとしながら恵理奈は微笑む。
「あとサトゥー様、こちらはリザベル・ヨークと言います。彼女もサトゥー様付きになります。他に二人が現在サトゥー様付きになります。二人はまた後ほどご紹介致しますね」
軽食の準備が整ったのだろう。若い女官がカッシーナの後ろに控えていた。
「ご紹介に預かりました。リザベル・ヨークです。どうぞリザベルとお呼び下さいませ。よろしくお願いします」
にっこり笑うとリザベルはカッシーナと同じ様に恵理奈の手を取り、深い礼をとった。
「こちらこそ宜しくお願いします」
挨拶が済むとリザベルはつと静かに下がり、カッシーナが話す。
「食事の準備も整いましたが、お部屋のご案内とどちらを先に致しましょうか?」
「せっかくなので食事を先にいただきます」
「承知致しました」
どうぞこちらに、とリザベルが先導して食事の席に案内した。
食事は希望通り、スープがメインにあり、ロールパンとクロワッサンなど柔らかめのパン、サラダが用意されていた。
部屋に準備されていた品数よりはかなり少なく、パンは多めだが、朝ごはんとしては丁度良く恵理奈はホッとした。
「パンは残すと思いますがこれぐらいの量が丁度良いです。有難うございます」
そう言って案内されるままにソファーに腰掛けた。
「え。今は体調が優れないので食欲が無いんですよね?」
「んー。今は食は細くなってます。だから肉とかは要らないかなぁ。普段ならこれに肉や魚ぐらい食べますね。私は朝はパン食だけど普段はご飯がメインかなぁ……。こちらにはご飯はありますか?」
差し出された淹れたてのハーブティーの香りを楽しむ。
ペパーミント特有の清涼感が淀んだ思考を払拭し、気分が少しスッキリしてきた。
口に含むと爽快感が占める。
ほぅ……と吐息が漏れ、表情が緩む。
「ご飯……ですか」
「私の国は米が主食でした。米……稲作をしている農家はありませんか?」
「この辺りは主にパンを食べます。食事はワインや果汁と一緒に召し上がります。サトゥー様は?」
聞けば聞く程昔のヨーロッパ圏だった。
恵理奈は苦笑を浮かべた。
「私はまだ未成年ですから私がいた国ではまだ飲酒は許されていませんでした。二十歳から成人とみなされ、お酒もそれからになります。食事の時は…お酒にも色々種類があって、白や赤のワインやスパークリングワイン、ビール、ウィスキー、日本酒、焼酎など、好みで飲む事や食事に合わせて飲む人も居ますね。ただ、毎食時は飲まないんじゃないかなぁ?昼は大抵仕事があるので飲酒するのは大抵夜が多いと思います」
飲酒運転だめだし、仕事の時に酒の匂いさせるなんて絶対ダメだしなぁ…。
恵理奈の話を不思議そうに聞きながらカッシーナは聞いてくる。
「この辺りは18歳で成人とみなされ、デビュタントをします。ワインは13歳〜15歳ぐらいから嗜みますね。水代わりに飲む……という感じでしょうか」
「食事の時は私の国ではお茶ですね。まぁ外食すれば水もありますし、ジュースもあります。あぁ、外国ではここの様に水代わりにお酒を飲む国もありますけど」
「がいしょく……ジュースとは何ですか?」
サラダを啄ばみながら会話を楽しんでいた恵理奈にカッシーナが申し訳なさそうに聞く。
「こちらにはそういうのはないのかな?家ではなく、店の中の席で食べる事、外で食べるから外食と言います。
ジュースは果実水や合成飲料と言えばわかるかなぁ……炭酸水や水に砂糖や着色料や果肉、果汁、乳製品などを使って作る飲み物ですね」
恵理奈がそう説明するとカッシーナは感心した様に呟いた。
「サトゥー様がいらした国は凄い国なんですね……。レンドール様がサトゥー様はかなりの知識人だろうと仰ってました」
言われていた事に納得する様にカッシーナは頷く。
「んー。私の知識なんて、所詮学生。国立の医学部……医者になる為の大学なんだけど、そこを目指す人なら普通なんじゃないかな?
この辺りはもしかして移動は馬車?」
女官だけでなく警備の騎士も騒めく。
聞こえてくる感じから『国立大学』『医者』この単語に周りがかなり驚愕しているようだ。
国立大学や医者はこっちの世界でも凄いのかなぁ……と恵理奈はその辺りは共通認識を持てた。
「鉄道もあるにはありますが、やはり馬車ですね」
やはりか……。
予想通りの答えに恵理奈は自身の頭の中で世界観を構築していく。
「私のいた世界では普通に鉄の塊が人を100人ぐらい乗せて空を飛ぶし、列車は速いし、馬車はなく鉄の塊が道路を馬車の何倍の速さで走ります」
「て、鉄の塊が空を⁇」
「そうですよねー。そう思いますよね。ただし、向こうには魔法がありません。宗教的な儀式はある所はありますが、魔力なんて無いですね。その代わり、化学が発達しました」
「魔法がなく…かがく……」
目をパチクリさせながら復唱するカッシーナに苦笑した。
「このように、私がいた世界とこちらは全く違います。きっとカッシーナさんからすれば私の短い髪やこの服装。特に丈の短いスカートは有り得ないんじゃないのですか?」
衣装から中世辺りとするならばそうだろう。
恵理奈は当たりをつけて聞いてみる。
面食らう様に話を聞いていたカッシーナは表情を引き締めた。
「私達に対する敬称は不要です。貴方様は私達の主人ですから」
「………慣れる様努めます」
思わず年上に向かって……と言いかけたが、仕事ならば例え年上でも呼び捨てにする事は無きにしもあらず。
言いづらいが慣れるしかないのかと思い直した。
「服装や髪型は、昨日の話を私達も聞いておりました。かなりの差異を感じました」
昨日のシャースリーンの言動から、こちらの人にとって恵理奈は奇抜な格好なのだろうとは分かっていた。
中世辺りならば尚更だろう。
「気にしないので、はっきりと教えて下さい。こちらの服装と髪型を」
戯けた様に目を開き、小さく首を傾げて肩をすくめる。
部屋の中に居る分には制服のままでも良いが、外を出歩くには悪目立ちし、良くないだろう。
だから知る必要があった。
「女性は髪は長く伸ばします。貴族だけでなく平民もそれは同じです。夜会などでは既婚者は髪を結い上げ、未婚者は髪を下ろして参加します。多少アレンジで一部結ったりは大丈夫ですが完全に上げるのはマナー違反になります。既婚者でも自宅では軽く括って下ろす事は可能です。……夜会は分かりますか?」
おずおずと聞いてくる様子に恵理奈はにっこり口角を上げる。
「舞踏会とか晩餐会とか?」
「その通りです」
「髪はそんな感じ?」
「はい。大凡は」
カッシーナの返事に恵理奈は遠い眼差しになった。
うわぁー。他にもなんか色々ありそう。
詳しくはゆっくり知っていけば良いと判断する。
「じゃあ次は服装規定をどうぞ」
思わず手で指し示す。
「はい。まず、夜会では別ですが既婚者、未婚を問わず脚の露出は余りありません」
「スカートの丈はどれぐらいの長さを着てるの?」
「平民でも膝下。十歳ぐらいの幼い子では膝上もありますが、それを過ぎますと膝下。デビュタントを過ぎれば貴族の子女や商家の娘などは殆ど足首や床スレスレになりますね」
ワァーイ。私は十歳以下ですねー。
恵理奈は苦笑を浮かべた。
「ズボン…パンツ?スラックス?要は男性が履く様な形の物。そんなのは女性は履かない?」
「ズボン、パンツ、スラックス、どれも分かりますよ。ただ、パンツは下着を指しますが。男性が履くズボン。これは全体を指します。スラックスは執事や騎士、殿下などもよく履きますね。
女性はスカートのみです。サトゥー様の国では女性もズボンを?」
「はい。私が今着ているのは高校の制服ですね。この防寒着は違いますけど……。
普段は動き易いズボン系を好んで履いてます。女性のズボン着用は意外と多いですよ?
あと、これは好みによるけど、足の付け根ぐらいまでの長さしかないホットパンツとか」
「なっ、そ、そんな短いのまで!」
「私はさすがにそれはムリかな?」
「どうかそれはおやめくださいますよう。重ねてお願い申し上げます」
深々と頭を下げて言われ、恵理奈は手を振った。
「大丈夫!大丈夫だから。そんなの着ないし、持って来てないよ?
じゃあ図書館に行けても、この髪とこの格好じゃムリかな?」
部屋から出れないならば、探しに行けない。
こんな奇抜な格好ならば町に出た瞬間見つかる。
図書館さえ行けなければ話にならない。
少し気落ちして聞くと、カッシーナは頬に手を当てた。
「そうですねぇ……。敢えて少年の格好をするか、付け毛をされる。でも目と髪色が珍しいので……。殿下に相談しましょう」
何とかなりますよ。そうカッシーナに言われ、恵理奈はにっこりと笑った。
「よろしくお願いします」
こうして、恵理奈は食事を済ませ、カッシーナは恵理奈が食後のデザートを食べている間に早速アレクの元へと向かったのだった。