聖女召喚
明るい室内にぽぅと小さく青い光が浮かび上がる。
その光は益々強く輝き、それは線を描く。
また小さな青い光が灯り、徐々に輝きを増していき、またあちらこちらに小さな青い光が灯る。
それらは時差を発生させながらも次いで輝きを増し、円を描き、複雑な文字の様な物や模様を絵描き始める。
その幻想的な光景に、邪魔にならない様、端の壁際にいた人々が息を飲む。
光の集合体が複雑な模様を描き終えると、それは天へ向かって光の柱と化した。
眩い光が辺りを包み、人々は目を覆った。
光が落ち着いた時人々はゆっくりと目を開く。すると魔法陣が浮かび上がった中心に、一人の人間が横たわっていた。
「おぉ……」
誰とはなく声が震え、感嘆の溜め息やどよめきが起こる。
「聖女様の召喚に成功したぞー!」
鬨の声が上がる。
歓声が辺りを取り巻く。
「流石です!」
「さすがです王子!」
魔法陣の端で前に手を突き出し、片膝をついて項垂れる若者に何人かが駆け寄る。
彼の後ろには色違いで長いローブを身に纏った三人の男達が肩で息をし、大量の汗をかいてフラフラと壁際に行き、蹲った。
「大丈夫ですか?ラディク様」
駆け付けた者に男は小さく頷くのが精一杯だった。
「さすがです団長!成功おめでとうございます!」
同じく駆け寄り、褒めそやし、騒がしく囃し立てる者達に男は一瞥し、荒々しく繰り返される呼吸を整える為に目を閉じ、落ち着こうと試みた。
彼ら三人の後ろにはそれぞれローブを纏った人達が倒れており、介抱に走る救助隊など辺りはバタバタと忙しなく動く。
「聖女様を、部屋に……」
肩を貸されてどうにか立ち上がった王子と呼ばれた男は部屋の中央で意識を失って倒れ込んでいる人を見遣り、ぼやく。
「わかっています。丁重に扱います。ですから殿下もどうかお休み下さい!」
魔力切れだけでなく、体力もかなり削がれたのだろう。
頭の奥が痺れた様に痛む。
上手く力が入らず、中央で倒れている人が気になるのに行けない。
もどかしく、我知らずそちらに向かって進んでいた。
「殿下!まずは回復を。今の殿下では聖女様を担げませんし、これからが大変なのですよ?」
事実を突きつけてくる馴染みに、怨みがましい目で見返す。
「そうだが……。シャス、レン、頼んだぞ」
幼馴染みであり腹心でもある2人からそばに来た侍従に肩を借り、王子は言う。
「もちろん」
「目を覚ませたら直ぐに知らせに行く」
「あぁ。頼む」
2人の返事に金味を帯びた緑色の目を細めてふわりと笑い、王子は力無く頷くと侍従に連れられて行く。
その後ろ姿を見つめ、残された2人は互いに顔を見合わせ頷く。
「さて、こっからが大変だな」
この国の軍服を身に纏った男は中央でビクともしない人を見遣る。
「あぁ。こんだけ派手な召喚になっちまったから今更隠し切れないだろう。シャス、守り切れよ?」
「王太子ならまだしも問題は王妃だよな」
「だなぁ……。しかし」
中央で気を失っている召喚された人の元へ行き、シャスは顎に手をあて唸る。
「聖女様?だよな。エライ髪が短いが男じゃないよな?」
「確かに髪は短いですが、剥き出しの脚からも男には見えませんね。格好も見たことが無い衣装ですから聖女様には違いないと思いますよ?」
気を失っている人の傍に膝をつくと、背中に背負っていたリュックを外し、一緒にいるレンに渡した。そして、自身のマントを外し、それを掛けてから抱き上げる。
「こっちじゃこんな短いのは娼館のヤツでも着ないぞ?」
「んー……。じゃあ寝ている所を召喚された?」
「こんな荷物背負ってか?」
シャスが立ち上がるとバサッという音と共に分厚い本が床に落ちる。
「聖女様の本……か?」
レンは何気に拾い上げた。
聖女の、この国…否、むしろこの世界とは異なる世界の本に興味が惹かれてふと目を落とし、何気なくページをめくった。
文字は、読めなかった。
どこの国とも異なる言語がそこには連なっていた。
しかし、書かれた数字や記号は身に覚えのあるもので、もしそれと同じならば……。
「こ、コレは………」
レンの目は見る見る見開かれていき、ページをめくる手が震える。
「どうした?」
レンの様子に怪訝そうに顔をしかめ、シャスが手元を覗き込む。
数式とレン達が使う言語とは異なる文字列が並ぶのが見てとれる。
「ん?……ゲ。なんだよ。数学っぽいな?」
露骨に嫌悪感を顕にシャスが顔をしかめた。
「ぽいじゃなくてそうなんだよ。……コレは………コレは大学府とかで習う筈の専門的な数式なんだ」
「は?じゃあなんでお前が知ってるんだ」
憑かれたように本を凝視し、ページをめくりながら言うレンをシャスは眺めた。
「兄貴が大学府で数学を専攻してるからな。俺は趣味でやってたけど……コレは大学府で本格的に学ぶ内容だぞ。もしかしたら、それ以上もある?いや、俺にはそこまでは分からない。分からない
が………」
ザッと目を走らせる。
どのページにも手書きで赤や青、緑などの色ペンで書き込まれたり、鮮やかなインクで太く線が引かれたりしており、見易く何事か書かれている。
ピラピラとした小さなメモも貼られ、そこに補足だろうか。何らかの文字らしきものや数式が書き込まれていた。
書かれた文字も整っており、その人の几帳面さや丁寧さが見受けられる。
憑かれたように最後までページをめくり、ゆっくり本を閉じ、レンは大きく息を吐きと目を閉じて両手でその本を胸に抱き締めた。
「聖女様は学者か何かだろうか。…………シャス、何があってもこの方をあのバカ達に合わせてはいけないかもしれない。この方に失礼があってはならないぞ」
しばらく感慨にふけった後、レンは鋭くシャスを一瞥した。
「は?急にどうしたんだよ?たかが数式だろ⁇」
急変したレンの態度にシャスが首を傾げる。
「この方は、実は凄い方なのかもしれない。きちんと学を修めた学者とか。……もし、そうならばあのバカ達と話が合うわけがない。あの典型的な腐った王族の見本市に会ってみろ。俺たちが同族と思われるだろう。ならば後は悲劇しかないぞ」
聖女に与えられた王子宮へ急ぎ足で向かいながら2人は話す。
「ちょっ、レン!すまん、話が見えん!」
潔いまでにシャスはキッパリと言い放つ。
「……オマエらしいっちゃらしいんだが、少しは頭を使えよ」
胡乱な目で見て小さく息を吐き、シャスはムッと小さく口を尖らせる。
「でも俺はシャスみたいに剣はできない。俺はお前と違ってそこそこ頭は回る。適材適所でいいんだろうが、お前も貴族だ。少しは頭を使うことに慣れておかないと喰われるぞ」
「ハイハイ。分かりました分かりましたよ。
取り敢えず、警護に着くわ。着替えさせた方が良いか?」
2人は半ば駆け足で広い宮殿を通り過ぎる。
最短距離で目的地に着くために、広い庭を突っ切って王子に充てられた宮へと向かう。
「そうだな……。いや、目が覚めて勝手に服が変わっていたら驚くか。そのままにしておこう」
「分かった。後の事は任せる」
「警備体制もきちんと用意していただろう」
「それは配置済みだ」
目的の王子宮に着き、警備の者がレンとシャスに気付くと素早く扉を開ける。
広い廊下を進み、充てがわれた部屋へ入ると待機していた女官が寝室への扉を開く。
シャス達が入るとベッド側に待機していた女官が布団を開き、直ぐに寝れるように整えた。
レンは他の女官や警備の者達に指示を出し、シャスはマントに包んだ人をベッドへ寝かせる。
側に待機していた女官がナイトガウンなどを手にやって来たのでシャスは首を振り、そのまま丁寧な仕草で布団を掛けた。
肩の辺りまでしかない短い漆黒の髪が顔にかかっていたので優しくそれを払い除ける。
青白さを帯びた白い滑らかな肌に少年の様な短い髪。しっかりと閉じられた目蓋から伸びる睫毛も黒。
少しシャープな印象を与えるきりりとした眉。
スッキリとしたフェイスラインに艶やかな唇。
どこか凛とした雰囲気がするその人は女性らしい丸みも見られず、どちらかと言うと美少年であった。
「シャースリーン様。姫君と伺っておりましたが、男性でしたか?ならば直ぐに男性用の召し替えをご用意させていただきますが」
別の女官がベッドで眠る人を見て言うとシャスは手を上げて静止した。
「いや、姫でいいらしいぞ。ただ、着替えはしなくていい」
ベッドの側にサイドテーブルを寄せ、そこにリュックや本を置いたレンが続けて口を開く。
「丁重に扱うように」
「分かりました。変わった御衣装ですが、せめてその厚い上着ぐらいは御脱がせして宜しいですか?」
言われてシャスとレンははたりと気付く。
気を失っているこの人がかなり厚い上着を着ている事に。
「そうだな。私達は外にいるので頼む。脱がせた服はその方の目に入る様にそのテーブルの荷物と一緒に置いておいてくれ」
「畏まりました」
「目が覚めたら直ぐに知らせてくれ。外に居るから」
「畏まりました」
深々とお辞儀をし、女官は淡々と返事をする。
それに目もくれず2人は部屋を出ると扉を閉めた。