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Act-8 『エピローグ』

 おめでとう、合格だ―― 。

 帰還したあたしに、いかついオジサンの姿をした、テレビドラマに出たらぜったい悪役以外はさせてもらえないだろうという面構えの天使が言った最初の言葉がそれだった。

 あの河原で、貝原さんに死神の脅威が去ったことを告げたあと、すぐにあたしはあの世に戻った。もちろん、マンションの部屋のテレビから。

 このまま現世にいつづけたらどうなるのかと、ちょっぴり冒険心にかられたけれど、それはやめておいた。この体は一時的に使える仮のものだったから、普通の人間のように生きてはいけないわけだし、十日の約束をやぶってなんらかのペナルティをかせられたらイヤだった。それに、そもそもあたしはすでに死んでいるんだから、素直に戻って当初の目的を果たしたかった。

 周囲が白い靄のかかったような空間に久しぶりに帰ってきて天使に迎えられたあたしは、正面きってほめられて少し照れくさかった。

「苦労しましたよ」

「あの訓練に意味はあったろう」

 天使は、初めて会ったときと同じスーツ姿で、なんでこれが『天使』なのかなーと、初対面のときの疑問に首をかしげつつも、あたしは言った。

「死神があんなに強いなんて、想像以上だったわ」

 いま思い返すと戦慄すら覚える。十日間も戦いつづけられたなんて奇蹟のようだ。死神が最初から全力であたしを殺す気でいたなら、たぶん一日目でこの任務は終わっていたに違いない。デッドエンド。運がよかった、ともいえる。

 しかも、と天使は言う。

「死神候補者を救った。この功績は立派だ」

 そう――。あたしもこの点については貝原さん次第ということもあって、どう転ぶか不安だった、ある意味死神との戦い以上に。

 でも、なんとかクリアした。これも奇蹟といえるだろう。

「ま、最後に細工をしたとはいえ」

 と天使はつけ加えた。

 あ、やっぱりバレてました? とあたしはチラッと舌を出した。

 だって、あのまま放置して、貝原さんに自力でどうにかできそうな見込みがあるとは、どうしても思えなかったし……。

 貝原さんを死なせる方法は、どんな方法でもあたしの思う通りにできた。それだけが唯一のあたしに与えられた魔法といえた。

 だからそれを使って、多少不自然なシチュエーションになってしまったけれど、手を回すことができたのだった。(貝原さんはなにも気がつかず、ぜんぶ自分の意思で行動したと思っているだろうけれども。)それで、なんとかなったわけだし、結果オーライってことで。

 さて、と天使は咳払い。

「見事、任務を完遂したので、褒美をとらせる。そなたの望みである、『健康で天寿を全うできる生まれ変わり』であったな」

 あたしがもし犬だったら、きっとシッポを振って、舌舐めずりしていることだろう。

 ここまでの苦労のすべては、まさしくこのためだった。イヤになるほどの訓練も、死神との死闘も。

「では、こちらへ入りたまえ」

 天使が指し示したのは、テレビだった。

 白一色の、なんにもない、ある意味殺風景な世界にあって、異様な存在感を放っているのが、百インチほどの大きさのテレビだった。あのへんてこな町からここ――天使のところへ来たときもテレビをくぐった。してみると、この世界においては、テレビが重要なアイテムになっているようだな、と感じた。

「それで、生まれ変わる」

 と、天使は実にあっさりと言った。

「えっ? それで生まれ変わっちゃうんですか?」

 思わず聞き返さずにはいられなかった。大袈裟な儀式も煩雑な手続きもなく?

「いかにも。テレビ画面の向こうへ行けばそれでそなたは生まれ変わる。簡単でよかろう」

 あたしの気持ちを見透かしたように、そう言う。

「はあ……たしかに」

 拍子抜けしたけれども、ともかくちゃんと望みを叶えてもらえるなら、それでいいわ。

 と、そこであたしは思い出した。

 喫茶「カボチャの馬車」のマスターと、そこの常連客になっていたおじいさん……。ここで生まれ変わって、あの町に戻らないとなると、あたしの挑戦がどうなったか伝えられなくなってしまう……。

 いろいろアドバイスももらったし、その結果を知らせておきたかった。あたしやったよ、って。あたしのことなんか気にもとめてないかもしれないし、あたしの決意のことも忘れてしまっているかもしれないけれど……それでも。

 そんなことをあれこれ思って、あたしはさっとテレビに飛び込まなかった。

「あっ、そうそう」

 天使が思い出したように言った。

 テレビのフレームに手をかけていたあたしは天使を振り向く。

「テレビの向こう側に行って生まれ変わったとき、それがいつの時代なのかは、わしにもわからん」

「えっ、それって……?」

「十年後の世界か、五十年後の世界か、はたまた百年後か――このテレビの向こうが何年後の世界になっているか……」

 あたしはテレビの入ろうとして、体を止めた。

 いま、この瞬間に生まれ変わると思っていたのに、なにを言い出す?

 それって、最後にちょこっとつけ加えるというレベルの情報じゃないでしょ。たとえば二十二世紀に生まれ変わって、ネコ型ロボットのベビーシッターに可愛がられるなんてことになるかもしれないわけ?

「これから生まれる命に割り当てられる魂は、ずっと先まで決まってるのだ。空きがある未来まで待たなくてはならないのだから仕方なかろう」

 天使は理由を説明した。

 ――歯医者の予約か。一応、理屈は通っているけれども。

「どうしたね?」

 まだテレビに入っていかないでいると、天使が促した。

 ――ま、それでもいいか。

 あたしは肩をすくめた。いつの時代だろうと、それはどうでもいいのかもしれない。

 フレームを両手でつかみ、

「えいやっ」

 と、あたしはテレビに入った。




☆ ☆ ☆




 白く塗られたドアが開き、カウベルが軽やかな音で鳴った。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの向こうで、青い蝶ネクタイのマスターが微笑む。

「やぁ」

 と軽く右手を上げ、老人は迷うことなくカウンターの奥から三番目のスツールに腰を落ち着ける。常連客である老人のいつもの席だった。

「エスプレッソをもらおうか」

「はい」

 マスターは客に背を向け、棚のデミタスカップを手に取る。エスプレッソマシンを操作すると、大きな音とともに濃い液体が泡立ちながら小さなカップに注がれた。

「お客さん、増えたね」

 マスターの背中に向かって、老人は年に似合わない張りのある声で言った。

 マスターはカップを老人の前におきながら、

「おかげさまで」

 カネをとるわけでもなく、ただ淹れたてのおいしいコーヒーを味わったときの笑顔だけが報酬という究極の経営。

「近くに、ここ以外の喫茶店もできたようだけど、それでもここへ来てくれる人が多いのはうれしいですよ」

「わしもその一人だな」

 老人は湯気の立つデミタスカップを取り上げ、すっと半分ほども飲んで、

「しばらく前に――」

 と言った。

 時間のないこの世界においては、日も沈まず、昨日や今日という概念もなかった。しばらく前、という言い方になってしまっても、感覚的には何日か前だ。

「あの女の子を見かけたと言ったろ。すっかり戦い慣れしたような、超人的なバトルを繰り広げていたって」

「ああ、あの生まれ変わるために死神と戦うとか、言ってましたね。そういえば、最近、ここへみえませんけど……してみると、訓練が終わって、いよいよ死神との戦いに赴いた……ということですか」

 老人はうなずいて、

「それでさっき、思い出して、テレビにたずねてみたんだ」

 どこのテレビでも、なんらかの情報が得られるというのは、すでにこの町では常識となっていた。たいがいのことは教えてくれた。もっとも、のれんに腕押しのように、肝心なことはぼかされたりして、あやうく禅問答のようになりかけることもあった。

「わかったんですか?」

「そうなんじゃよ」

 老人は言った。

「無事に任務を果たしたらしい」

「そうだったんですか」

「ここへ来て、そのことを話してくれてもよさそうなのにな……」

「なにか、事情があるんじゃないですか」

 そのとき、店の外から大きな音が響き渡った。爆発でもあったのかと思うほどに大きな音だった。

 老人は、意外に身軽な動きでスツールを降り、店の外へと出て行った。

 マスターも、カウンターを回って外へ出た。

 同じように、大きな音に驚いて、家から出てきた人たちが道路にいて、皆、同じ方向を見ている。

 老人とマスターは並んで、その方を見る。

 高いビルがそびえ立っていた。徐々に高くなっていくそのビルは、今やこの町のどこからでも見え、いったいどこまで高くなるのだろうとこの町の人たちの間で噂になっていた。なにかに使うために建てられているわけではなく、神に挑戦するかのように高く高く建てられているビルは、建てるということだけが目的だった。

 その最上部が崩れかけていた。クレーンが傾き、今も構造材がひとつふたつと落下していった。

「これは……」

 映画のようなスペクタクルな光景に、さすがに声を失う。

「あんなに高いと、やはり技術的にむずかしいんじゃないんですか? 専門知識を持った技術者も足りないでしょうに……」

 小手をかざしていたマスターがつぶやくように言った。

「そうではありますまい」

 それに対して、老人は言った。

「たぶん、あの高さが、この町の範囲なんじゃろう」

「どうしたって、あれ以上は高くできないということですか」

「この町は箱庭のように囲まれていて、脱出できないようになってる。それは平面ばかりじゃなく、高さ方向にもいえるんじゃろうて」

「見えない壁、というか、天井があるってわけですか」

「高くしようとしても、ああして崩されてしまう。神か天使か、だれの仕業か知らぬがの」

「神の怒りに触れて……まさに、バベルの塔ですな」

 マスターはつぶやいた。

 二人は、しばらくその場でそのビルを眺めていた。見ている間にも、外壁パネルがまた一枚、落下していった。




☆ ☆ ☆




 仕事中に電話をもらい、おれは定時後、まっすぐ病院へ向かった。

 女の子だと産婦人科医から聞いていた。どんな赤ちゃんなのかすごく楽しみだった。

 結婚して三年、おれはもう四十七になろうとしていた。自分が父親になろうとは――いや、どころか、結婚すること――いや、女性と親しくなることすら、以前のおれには考えられなかった。

 それだけじゃない。ストリートミュージシャンとしてなかなか日の目を見ないおれだったが、妻の勧めでボーカロイドを使って動画サイトにアップしたら、おれの歌が最近注目され、アクセス数がのびてきているのだ。パソコンの操作がおぼつかないおれにとっては、革命的な出来事だった。メジャーデビューという話はなかなかならないだろうが、大勢の人に聞いてもらっていることで、それも近づいてきているんじゃないかと思える……のかな?

 冷静に顧みて、信じられないほどの変化だった。

 だから今こうしていることが、誰かが仕組んだよくできた夢のようで、突然目が覚めると元の孤独な自分に戻ってしまうのではないか、あるいは、ある日なんの予告もなく妻が出て行ってしまうのではないかという不安にときどきかられたりしていた。

 四人部屋の病室に入ると、奥の一角に妻の里奈がベッドに横たわっていた。眠ってはいなかった。

「体調はどう?」

 出産後で体力を使い切ったのか、脱け殻のように元気がない。しかし、表情は晴々としていた。

 おれが来たので、もそもそと大義そうに上半身を起こした。

「赤ちゃんは新生児室よ」

「ああ、そうなんだ……」

「見に行ってあげて」

「うん。どんなだった?」

 女の子なら、なおさらおれに似てほしくなかった。

「じっくり見てる間もなく新生児室に連れてかれちゃったわ」

 里奈は苦笑した。

「わたしはくたくたで、ちょっと抱いてあげるのがやっと。まだ母乳も出ないし。そこを出て右に行った突き当たりにあるわ」

 おれは行こうとして、足をとめる。

「よくがんばったね。ありがとう」

 そう言ってから病室を出た。右に行くと、突き当たりにガラス張りの部屋があり、たくさんの新生児用ベッドが並んでいた。

 おれの娘はどこだろうかと探していると、通りかかったナースが声をかけてくれた。

「お父さんですか?」

「はい。貝原です」

「今日、生まれた赤ちゃんですね。一番左のベッドですよ」

 おれは窓を左へと移動し、ガラスにへばりつくようにして見つめた。

 貝原里奈、と母親の名札のかかったアクリルのベッドには、白い産着を着せられたまだ名前のない小さな命がいた。赤ちゃん、というだけあって、顔が赤い。

 どっちに似ているかなと、じっと見つめていると、まだ首がすわっていないのに、目もそれほど見えないはずなのに、おれの顔をまっすぐに見返し、うぶ笑いして、ペロッと舌を出した。

 その仕草になにかを思い出しかけた。ハテ、どこかで見たような……。

 が、一瞬後にはそんなことは忘れ、ただ無垢な笑顔におれの顔はほころんでいくのだった。

 はじめまして。きみのパパだよ。



〈完〉

「魔法使いになれなくて」、最後までお読みいただき、ありがとうございます。

あとがきでございます。


本作品は、当初貝原のパートだけしか書いていませんでした。

絶望的なほどダメ男のイタい話を書こうと思い、その過程は楽しく、完全に自己満足でした。

とりわけ恋愛に不自由な男を出すことによって、「自分はこいつよりはまだマシだ」と、ハードルの低い優越感に浸りたかったというのもありました。

書いていたときは、野和田が何者かというのは設定せずにいて、それでも問題ないように感じており、自分自身それで完結したと思っておりました。

ところが、読んでもらった近しい人に、「ラストがいい加減」「野和田は誰なの?」と内心気にしていたところをあっさり指摘され、勢いだけじゃダメだな、読者が求めるだろうと思うことはちゃんと書こう、と野和田のパートを加筆することに……。貝原パートだけだと原稿用紙150枚という中途半端な長さになっているというのも少し気になっていましたし。

(野和田が何者なのかわからなくてもいい、という意見もあり、好みの分かれるとこなのかな?)

でも、きちんと考えていなかった野和田のエピソードを貝原のパートに矛盾なく盛り込むためにはどうしたらよいだろうと、しばらく考えるハメに。

(これはちょうど、続編を想定していなかったのに書くことになってしまった状況に似ています)

で、野和田にも試練を与えることにしました。どうしても貝原を死神から護らなくてはならない理由と、その動機、そしてそれを行なうには野和田がどんな立場だと整合性がとれるのか……。

うんうんうなりつつ、なんとか辻褄の合う設定にたどりつき、ストーリーを積み上げていると、貝原のパートと同じぐらいの分量になり、このような二重ストーリー(別名宮部みゆきスタイル)として完成しました。

大きく手を入れたことで格段に良くなり、これなら公開してもいいレベルだな、と思えました。

(公開する前に読みなおして文章を整えてたりしたので、公開にやや時間がかかりましたが)

ラストまでお読みいただいて、いかがでございましょうか。


そして、ご縁がありましたら、別の作品でお会いしましょう。


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