Act-6 『死神とのバトルとおれの故郷』
電話を切ったとき、お母さんの声が泣いていた。
これまでの感謝を伝えたくて電話をかけたんだけど、もしかしたら、それは残酷なことだったかもしれない。
最初に電話に出てくれたお父さんやおお兄ちゃんとちい兄ちゃんは、あたしの話を理解して納得してくれたけど、お母さんははじめから取り乱していた。今から行くからどこにいるの、としつこく問われて困ってしまった。
あたしだって本当は会いたい。直接会って、話したかった。
この町の場所がどこか調べ、生前に住んでいた町の距離を計算したりもした。すると、一日で往復できそうもなかった。あたしには任務以外のことをしている時間がなかったし、一人でそんな距離を移動したこともなかったから、どうしていいのかという不安もあった。
けれども、それ以上にあたしの足を遠のかせたのは、そのあとが問題だと思ったから。あたしはまた「あの世」に戻らなくてはならない。そんなの、あたしは良くても両親が納得しないだろう。あたし自身も、会ってどういう心境になるか想像できず、それが怖かった。
電話でさえ、勇気が要った。
でも、電話してよかった。
気持ちは伝えられた。
「よし」
あたしは、まだ頭に残るお母さんの叫ぶような声を振り払うように一人気合いを入れるように言うと、これからの試練に立ち向かう覚悟を新たにした。
あたし、がんばるよ――。
翌朝――。
町工場の社長は、人のよさそうな七十歳ぐらいのおじいさんだった。面接は簡単で、プライベートなことはほとんど訊かれなかった。あたしの用意してきたデタラメの履歴書の提出すら求めず、じゃあ明日の朝から来てください、と言う。工場の中を案内されて、仕事の説明をほんの少し聞いて半日で解放されたあたしは、こんなにも簡単でいいのかと、肩すかしを食らわされた。
初めてのアルバイトでやや緊張していたあたしは、面接が終わってホッとしたと同時にひどく空腹を覚えていた。家に帰る途中でスーパーに立ち寄り、昨日コンビニで買い込んだ食べ物の残りがまだ冷蔵庫に冷えているというのに、たくさんの食材を仕入れてしまった。
両手にレジ袋を下げてマンションに戻ると、冷蔵庫に残しておいたデザートを平らげて、改めて食事の用意をしだした。
昨日は、とりあえずコンビニ弁当を食べたけれど、今日は料理をしたかった。
料理が好きというのもあったけど、生前、感じたことない、この異常な空腹感をなんとかせねばと思ったから。たぶんあたしの体が普通ではないから、多くのカロリーを必要とするのだろうと、肥ることは気にしなかった。何ヵ月も現世にこの体でいられるわけでなし、それに、この食欲は体を維持するに必要なのだろうと思った。
関西風お好み焼きを作ることにした。母に教えてもらいつつ、いっしょに作ったことをなんとか思い出して。
キャベツと青ネギを刻み、水で溶いた小麦粉に山芋の粉を入れ、出汁の素を少々振って、山芋の粉を混ぜ材料を用意。小さなボウルに玉子を割って、材料を適当に入れ、むきえびを加えてよくかき混ぜ生地をつくった。
油をひいたフライパンに豚バラ肉を乗せ、その上へ生地をひろげる。とろ火でじっくり時間をかけて焼いていく。火が強すぎると焦げてしまうのだ。
軽く焦げ目がついたらテコでひっくり返した。この感覚も久しぶりだ。両面焼けると、皿に移し、トンカツソースとマヨネーズをかけた。青のりの袋をあけたら、いい香りがして、思わず深呼吸。鰹節粉をかけると、できあがり。
でもすぐには食べず、二枚目のお好み焼きをフライパンに乗せた。食べている間に焼き上がるという寸法だ。
おもむろに席に着き、手を合わせて――いただきます。箸で切り分けると、湯気のたつひと切れを、舌をヤケドしないように注意しながら口に入れた。
美味い! ふわふわの生地とキャベツの甘味がマッチし、青ネギの香りが口いっぱいに広がり、トンカツソースとマヨネーズのハーモニーが絶妙。
我ながら、よく出来た! 誉めてつかわす。
あたしはテレビを見つつ、お好み焼きを食べ続けた。八枚焼いて五枚をたいらげた。大満足である。あとの三枚は夜食べよう。
「はじめまして、野和田といいます」
「あ……ども……」
あたしが工場に勤めだした次の日に出勤してきた貝原俊武さんは、死んだ魚のような眼で、あたしをチラリと見た。陰気な感じなのは、母親を亡くしたばかりだからなのかもしれない。
この人が死神に狙われているわけか――。
仕事の合間、ときどき作業している貝原さんの背中を見つつ、この人は自分の身に迫っている危機にまったく気がついていないのだろうな……と思った。だからといって、いきなり真実を話すわけにもいかない。
ともかく、なんとしても、貝原さんを護らなければならない。まずはそこが第一のポイントだ。死神が現れたら即戦闘開始。いつ現れるかわからない死神に対処するためには、なるべく貝原さんの近くにいる必要があるのだろうけれども、それでストーカーだと不審がられるのも心外だ。
そこで翌日、仕事が終わってから、貝原さんの家に行って、さりげなく近くにいても不自然でないように挨拶することにした。
あたしのマンションから近いそのアパートは、薄汚れた外壁の、ちょっと大きな地震で倒れてしまいそうな二階建てだった。
錆びた階段を上り、表札を確かめながら、貝原さんの部屋にたどり着いた。呼び鈴を鳴らす。
開いたドアの向こうに立つ貝原さんは、人相がかわるほど驚いていた。
「こんばんは」
と挨拶し、
「びっくりしました?」
「なんでおれの家を知ってるんだ?」
「あたし、この近くに住んでるんです」
天使から住所と地図はあらかじめ知らされていた。本当に近かった。
「入ってもいいですか?」
玄関前で立ち話もなんだし。というか、工場では夫婦二人暮らしだということで通っているらしいけれど、調べはちゃんとついてるんだということを確かめようと思った。
「えっ? いや、ちょっと散らかってるし」
貝原さんはものすごくあわてだした。
「あれ? 奥さん、お留守なんですか?」
そのあわてぶりが可笑しくて、あたしはちょっと意地悪な気を起こした。
「ああっと、実はそうなんだ。今、実家に帰ってて」
あたしは笑いがこみあげてくるのを必死でこらえた。やっぱり、結婚しているなんて、嘘。さすが天使の調査は完璧だ。
「そうですか。それじゃ、今日はここで。おじゃましました」
これ以上ねばるのも気の毒な気がしたので引き下がることにした。
帰ろうと階段をおりかけて、ふと足を止めた。ここで死神のことを言うべきだろうか……いや、死神なんて話、信じてくれるわけがない。でも危機感もなく、呑気に生活していては……一応、警告だけでもしておこうか……。
「あの……」
「え? なに?」
とはいえ、どう言えばいい? 漠然と気をつけよと言っても理解してもらえないだろうし。
あたしは迷った。
「いえ、いいんです。それじゃ、おやすみなさい」
言えなかった……。
マンションへ帰る道すがら、あたしは、どう説明したものか、と腕組みをして思案した。
土曜日、工場は出勤日だった。工場へ出てくる貝原さんに特にかわった様子はない。
ここまで死神は現れていない。現れる兆しがあれば「感じられる」らしいんだけど……。
定時で仕事を終えると、今日はあたしの歓迎会だという。ひと月も勤められないのに、申し訳ない気がしてならないけれど、まさかホントのことを言うわけにもいかない。罪な女である。
工場の全員――といっても、たった八人――そろって近くの中華料理屋に入った。
えっ、ここで歓迎会をするの?
中華料理屋といっても、いわゆるテーブルに回転する台がついているような、店構えからして偉そうな高級中華料理店ではなく、住宅街に似合う薄汚い、土建屋のオジサンが昼休みにごはんを食べに来るような大衆向けのチープな中華料理屋だった。
店のグレードに期待してはいなかったけれど、ここで歓迎会なんかできるのかな?
店内に入ると、予想に反して座敷があり長卓が置かれていた。二つを寄せれば、八人席の出来上がり。
なにも言ってないのに目の前のグラスにビールが注がれた。そういえば、ビールなんて生まれて初めてだ。
社長が乾杯の音頭をとる。
「えー、このたび、当社に珍しく若い女性が入ってくれました。そのおかげで、工場も明るくなるでしょう。野和田さんのこれからの働きに期待して、乾杯」
みんながあたしのグラスにあわせてくれた。社長も期待してくれてるんだな、と思うと、顔では笑っていても、一口ふくんだビールの味が心にも苦かった。
料理が運ばれてくる。餃子やらチャーハンやら唐揚げやら――それを銘々が取り皿にとっていく。
あたしは猛烈な食欲を満たすために、わき目もふらず胃に詰め込みたかったけれど、若い男たちがあたしを囲んで質問ぜめにするので、忙しかった。
趣味とか好みのタイプとか好きなテレビとか、エビチリや枝豆をつまみにビールばかり飲んであたしに話しかけてくるのは若い男だけで、高齢の社長や貝原さんは輪に入ってこなかった。
適当に受け答えして、表面上和んだ雰囲気にひたりつつも、のんびり話す社長の相手をしている貝原さんをときどき盗み見る。貝原さんのプロフィールやプライベート情報は前もってある程度つかんでいたけれど、どうも貝原さんは工場のだれにも、そういったことは話してないらしい。
「ねぇ、野和田ちゃん、なにか一発芸やってみせてよ」
そう言ってきたのは、杉岡という、あたしより少し歳上かと思うお兄さんだった。耳のピアスにリングが光っていた。
そうねえ……とあたしは考え、
「じゃ、心理テストをしまーす」
と手をあげて宣言するように言った。以前どこかで聞いて覚えていたやつを披露することに。
場が静まるのを待って、息を吸い込んだ。
「アナタは今、池のほとりにいます。池をそっとのぞき込むと、魚が寄ってきました。さて、その魚はどれぐらいの大きさで、何匹でしょう」
みんなが先を争うように答えていく。大きな魚や小さな魚、一匹いたり五匹いたり……。
「貝原さんは?」
一通り回答を聞いて、はやく結果を聞きたい空気がわかっていたけど、あたしは訊いた。貝原さんは、訊かれると思っていなかった様子で、
「ええと……」と口のなかでつぶやき、
「小さなメダカの群かな……」
とこたえた。
あたしは、ふうっ、と浅くため息をついた。
気をとりなおし、
「それでは発表しまーす。魚の数は、現在好きな人の数です。そして魚の大きさは、その人への愛情の大きさです」
つまり貝原さんには、気になる異性もいない、ということで、あたしは落胆した。片想いの相手でもいれば、これからエンジンを全開にして挑めば、あるいは試練を乗り切れる可能性も見えるだろうに、ゼロからのスタートでは……。たとえ十日間、死神の手から護り通せても、あたしがこの手で貝原さんをあの世に送らなくちゃならなくなってしまいそう。そうならないことを祈るばかりだったが、道は険しい。しかも、これほど切羽つまった状況であるのにかかわらず、本人はまったくなにも知らずに平和をむさぼっている。今日と同じ明日が必ず来ると疑いもせず……。
――これではいけない。でもどう話せばいいだろう……。
宴は続き、だれもが陽気に語らっているなか、あたしも笑顔を絶やさないよう気をつかいつつも、心は焦燥にかられていた。
歓迎会が終わった。
カラオケの誘いを、遅くなるから、と断って、同じ方向に帰る貝原さんら何人かといっしょに歩きだした。
「お疲れさま~」と一人ずつ帰っていき、最後は貝原さんと二人きりになった。
「貝原さん」
あたしは今がチャンスとばかりに話しかけた。
「貝原さんは、ホントは奥さん、いないんでしょ?」
貝原さんの酔って眠そうな目が、あたしをぼんやり見つめ返した。
「さっきの心理テストのことか? あれは遊びだろうが」
と苦笑い。
あたしはズバリと言った。
「いいえ。貝原さんは独身で、恋人も家族もいない」
「なにを根拠に」
それは……と言いかけて、あたしはぐっと言葉をつまらせた。
――そうじゃない。あたしの言わなくちゃならないことは、そういうことじゃなくて……。
ああ、どう言えばいいんだろ。
そう、死神だ――。
あたしは貝原さんがなにか言う前に言った。
「危険が迫ってます。だから気をつけてください。あたしも貝原さんを護ります」
早口になってしまった。
「お疲れさまでした」
とペコリとお辞儀をすると、四辻からマンションの方角へと駆け出した。
またもちゃんと説明できなかった……。
走りながら、今の貝原さんになにを言っても理解してもらえないだろうと、自分が歯痒かった。
でも、時間は冷酷に過ぎていく。死神が現れるのも、もうすぐだろう。なにしろ天使があたしを遣わしたのだから――。
死神が出現したそのときから、いよいよカウントダウンの数字が動きはじめる。試練の十日間がスタートするのだ。
運動会の百メートル走のスタート順番を待っているときのような落ち着かない気持ちでいると、翌日、ついに現れた。
貝原さんが休日の昼間、ターミナル駅に隣接するデパートの横で路上ライブをやっているのは、事前に情報を得て知っていた。
駅とデパートをつなぐ歩道橋から、その様子をぼんやりと眺めていると、ときどき歌声が都会の喧騒の合間にかすかに耳に届いた。
もし死神が現れたら、多少離れていてもすぐにわかるはずだと天使は言った。本当かな、と思いつつ待つが一向に姿を見せないまま夜になってしまった。
ギターケースを抱えながら駅から自宅へ歩いて帰る貝原さんの、どことなく影を引きずっているような後ろ姿を見送り、あたしは駅前のコンビニで食料を仕入れる。まったくもってこの大食らいはなんとかならないものだろうかと呆れながら、おでんをじっくり選んでいたりする。
今日も死神は出現しませんでした、とつぶやいてレジ袋を下げてコンビニの自動ドアを出たとき、強烈な気配を感じた。邪悪な、殺気を含んだ、すごくイヤな感じ。
あたしは買ったばかりの食べ物を投げ棄て、貝原さんのアパートへと至る道を一目散に走りだした。
深夜というわけでもないのに人通りのない住宅街を、すごい速さで駆け抜ける。さすがに強化人間だけあって、競走馬のようなスピードの全速力でもへたばらない。
あっという間に追いついた。
貝原さんの前に立ちふさがるように立つ死神は、これまであたしが訓練で対戦してきたような、人を小馬鹿にしたような容姿ではなく、いかにも死神らしい古典的な外見をしていて、あたしはすごくうれしくなった。
――もらったあっ!
渾身の力をこめて、飛び蹴りを見舞った。訓練を重ねてきたせいか、本物の死神に対しても恐怖心がおきなかった。
蹴りがボディにヒット!
たしかな手応えを感じつつ、地面に着地する。死神は、あたしの攻撃をまったく予想していなかったようで、もろに食らってひっくり返っている。
「うぬ、おまえは……。邪魔をするか!」
死神が立ち上がろうとした。そこをすかさず回し蹴り。よろよろと片膝をつく死神。
「逃げて! 早く!」
あたしは、目が点になっている貝原さんに叫んだ。死神が反撃してくる前に逃げてもらわなければ。
あたしの必死さが通じたのか、貝原さんは立ち上がると、ギターケースを抱え、走りだした。
それを見送るあたしの背中に強い衝撃。
うっ、とうめいて、つんのめった。電柱に頭をぶつけた。こぶができても不思議じゃないのに、痛みはそれほど感じない。振り返ると、首切り鎌の柄が伸びて背中を突いたのがわかった。
あれだけの訓練を繰り返してきたのだから、簡単に負けるわけがない――そう、思った。
ジャンプする。三メートル以上はありそうな死神のその上へ達する。落下する勢いで、死神の頭部をエルボードロップ。頭をつかみ、全体重をかけて引きずり倒した。どすん、と音をたてて死神が倒れた。死神が倒れる寸前にジャンプして、地面に着地。
これでどうだ! と振り返ると、死神が起き上がろうとしていた。
しぶとい。さすが死神、やはり簡単には引き下がってはくれない。こうやっているうちに、こちらにダメージを負ってしまうのか――。
ならば――。
あたしは地面を蹴り、死神に向かって走り出す。
死神が首切り鎌を振り上げた。振り下ろされる首切り鎌をよけられると思ったけれど、意外と速かった。
突然、死神の姿が見えなくなったのだ。
気配を背後に感じたときには、首切り鎌があたしに振り下ろされていた。
衝撃。直撃した。かわしきれなかった。
地面に転がり、住宅の塀に激突した。
天使からは「死神を斃すのは無理だろう」と言われていたから、かなり手強いのだろうと思っていたけれど、実際に対戦してみると、たしかにそのとおりだ。
左腕に少し痛みが走った。見ると、カーディガンが切り裂かれて、ブラウスに血が滲んできていた。きわどく急所をはずせたが、つぎはヤバイ。
迫る死神。よけず、あたしは死神に向かっていった。
上方へジャンプするかと予想していたらしい死神の首切り鎌を刃をすり抜けて、柄を蹴った。
その勢いで、死神の首に拳をたたきこんだ。
「ごぼっ」
という、死神のうめき声。
あたしはうまく着地できず、アスファルトに頭から落下した。
あわてて立ち上がって振り返ると、たららを踏んだ死神の首が違う方向へと折れ曲がっていた。
「おのれ……。今は引くが、つぎは邪魔はさせぬぞ」
そう言い残し、死神は消えていった。
――追っ払ったのか。
あたしはやや呆然としながら、その場にすわりこんでいた。ざらざらしたアスファルトの感触が尻に痛いのも気にならず。
第一回戦は、どうやら勝利を収めたようだ。その事実がじわじわと胸にこみ上げてきた。やったぞ……。
そうだ、貝原さんだ。
あたしは立ち上がり、貝原さんを追った。
すぐに追いついた。もうすぐアパートというところで、よろよろとまるで重い石でも背負っているかのような、おぼつかない足取りで歩いていた。
「貝原さん」
背後から声をかけたら、雷にでも打たれたかのようにびくっと跳ね上がった。
恐る恐る振り向いた貝原さんに、あたしは言った。
「死神は逃げたわ。とりあえず大丈夫」
「大丈夫って……」
貝原さんは薄暗い街灯の下でもわかるあたしの戦傷に気づいて、
「きみが大丈夫じゃないだろう?」
たしかに、普通、こんな怪我をしていたら驚くだろう。さっきの戦いは、貝原さんにはどう見えたことだろう。
いや、そんなことより、真相をきちんと話さなくてはならない。今なら、どんなことを言っても信じてくれそうだ。警告しないといけない。
「安心はしないで。とうとう死神が現れました。貝原さんは死神に狙われているんです。死神はあきらめません、必ずまた現れて、貝原さんを死神にしようとします」
「やっつけたんじゃないのか?」
「それは無理。あたしの力では死神を斃すなんてできない。せいぜい、その行動を妨害する程度よ」
「じゃあ、おれは、こ、この先もずっと死神に、つけねらわれつづけるわけか?」
「残念ながらその通りです」
「なぜだ? なぜ、よりにもよってこのおれが、死神に狙われるんだ? だいたい、あれは本物の死神なのか?」
「死神は、人のイメージを視覚化するから、そのように見えたの。貝原さんが死神の標的された理由は、貝原さんが孤独だからです」
あたしは説明した。
貝原さんが、今、どういう状況にあるのか。そしてこれからどうすべきなのかを――。
到底信じられるようなことではなかったけれども、実際に死神に襲われたあとでは、それは信じないわけにはいかなかいだろう。
落胆して帰って行く貝原さんの後ろ姿が、やけに小さく見えた。
☆ ☆ ☆
月曜日の朝――。
泣いても笑っても、おれの命はあと二日である――奇蹟でも起きない限りは。
工場に電話し、今日は体調を崩してしまったので休むと言った。
労働に時間を費やしている場合ではない。奇蹟を求めて行動しなければならないのだ。
だが、ここに至ってもなお、具体的になにをすればいいのかわからなかった。
おれは家を出ると駅に向かった。駅前の銀行ATMで全財産を引き出すと、電車に乗った。
故郷に戻るつもりだった。
奇蹟を信じて努力するか、あきらめて残りの二日を自分のために使うか、どちらかを選択しなければならないのだが、おれはこの期に及んでまだ判断できないでいた。
奇蹟なんか起きる確率はどうしようもなく低く、それを期待するのはばかげていた。とはいえ、好き放題に羽目をはずせるほどの金も根性もなかった。
金がなければ消費者金融から借りまくって遊べばいいのだが、もしもなにかの間違いで死なずにすんだなら、その借金を返すアテがない。というか、そもそも大金で遊んだことなどないものだから、なにをすれば楽しいのかわからない。骨の髄まで貧乏性。
動きがとれないなかで、おれは故郷へ戻ることを思いついた。べつに戻ったところで、親の墓しか行くところはないのだが……。
新幹線と特急を乗り継いで三時間――単線のローカル線駅からバスに乗ること三十分(バスの待ち時間は一時間だった)、ようやく故郷の町についた。
バスを降りると、国道の両側にはほんの数軒しか店が建っていない、商店街とも呼べない商店街が、寂しそうにたたずんでいた。
どの店も、おれの子供の頃から営業していて、新しい店舗なんか一軒もない。コンビニさえなかった。店構えはどんどん古くなって、看板は何度も塗りなおしたのに陽に当たってすっかり色が落ち、錆びたホーローの広告板が昭和時代の匂いを放っていた。
開店しているのかどうかわかりにくい店のガラスドアを開け、なにを売っているのか雑然と商品の並べられている店舗の奥に向かって、
「すみませーん」
と五回ほど呼びかけると、耳の遠そうな老婆がのそのそと現れた。
本気で商売をする気があるのかどうか怪しいその店で、おれはお墓に供える線香を買った。以前もここで線香を買った。
それから共同墓地へと歩きだした。クルマがないと暮らしにくい場所だ。
国道をはずれ、農道のような細い道を二キロほど歩いて墓地についた。つい先日訪れたところである。一ヶ月とたっていない。
バケツに水をくみ、墓の前までやってくると、埋葬のときに供えた花が枯れて、片づけられていなかった。
おれは柄杓で墓石に丁寧に水をかけていった。
「おやじ、おふくろ。本当は正月に来る予定だったんだが、早めに来ることになった」
おれは買ってきていた線香に火をつけて立てながら、だれにも言えない胸のうちを墓前で語りかけた。
「早く来たからって、喜んでくれるな。実はおれ、もうすぐそっちへ行かなきゃならなくなるかもしれないんだ」
合掌し、面を下げた。
「ごめんな……、親不孝な息子で。孫の顔を見せるどころか、結婚すらできず、挙げ句の果てに早死にするなんて」
両親の顔を思い浮かんだ。その途端、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、涙があふれた。
おれは犯罪者でもなければ、他人に迷惑もかけていないし、真面目に人生を生きてきた。ただ、どうしうもなく女性に縁がなかったというだけだ。それがこんな結末を招くことになろうとは……。人生なにが起こるかわからないというが、確かにそのとおりだ。
おれの人生は、意味がなかったのだろうか。生きる値打ちがないというのか。
あまりに理不尽な仕打ちだ。
しかも、死神がかかわっているなんて。いったい、どこのだれに相談できる? こんな非現実的な最期なんて、信じてもらえるわけがない。
死神なんて空想上の神に対抗するには、魔法でも使わないと。四十をすぎて童貞なら魔法使いになれるという冗談が本当なら、どんなに助かるか。
おれは号泣しながら、謝りつづけた。ただただ、申し訳なくて。
一時間ほど墓前にいた。
――帰ろう。
そう思った。
ここは故郷の村だったが、すでにおれの居場所ではなくなっている。
――おれの住む町で、最期を迎えよう。逃げ回っても、捕まってしまうだろう。
そう決意した。おれの骨は、おそらくここには入るまい。
最終のバスに間に合うだろう。それに乗れば、アパートに着く頃には深夜になっているだろうが、今日のうちに帰れる。
おれは来た道を戻る。
稲刈りを終えた田んぼの横を通り、国道に出た。
バス停のある商店街まで歩く。国道を行き交うのは、地元のナンバーをつけたクルマより、県外のトラックが多かった。砂煙を巻き上げて通過するトラックには、なにが積まれているのだろう……。
おれを追い越した軽自動車が、急ブレーキを踏んでテールランプを光らせて止まった。
運転席から降りた男がサングラスをはずした。
「貝原じゃないか!」
「あ……」
日焼けしたその顔に昔の面影が残っていた。
「玉井……?」
遠い昔の高校時代が突然鮮やかに甦った。すっかり老けてしまっていたが、間違いない、同級生だ。
それほど親しかったわけではなかったが、覚えていた。
「そうだよ、玉井だ。おまえ、帰ってたのか?」
「墓参りさ」
「彼岸でもないのに?」
玉井には、つい先日母が亡くなったことは知らせていないから、ずっと都会へ出たっきりだと思っているのだ。会うのは二十五年ぶりだ。
「まぁね。命日だから……」
テキトーなことを言った。本当のことは言えない。言ったところで……。
「そうか。で、実家に帰るところかい?」
「いや、バスに乗って駅へ行くんだ。実家には帰らない」
帰るもなにも、母の死後、実家は空き家になって、入れない。売ってしまいたかったが、築五十年のボロ家に買い手はつかなかった。だから相続の際に、母の遺産は放棄したのだ。
「なんだ、そうなのか――。じゃ、駅まで送ろう」
「え? それは悪いよ」
駅まではクルマで三十分はかかる。
「かまわんさ。乗ってくれ」
促す玉井の軽自動車の後部座席の窓があいて、幼い男の子が顔を出していた。
「一番下の息子さ」
そう言って、助手席のドアを開けてくれた。
――玉井はこんなに親切だったろうか。不良とまではいかないが、それに近かった印象があり、なんだか近寄り難かったのだが。
ここまでしてもらって断るわけにもいかず、おれは助手席にすわった。
「こんにちは」
と、緊張気味に後部座席の男の子に挨拶する。六歳か、七歳ぐらいだろうか……。一番下の息子ということは、玉井には他にも子供がいるのだ。
――そりゃそうだろう。四十をすぎているんだから、結婚もして、子供がいてもおかしくない。
おれは玉井のようにはなれなかった。もちろん、結婚歴のない中年男なんて、いくらでもいる。しかし、結婚の前提となるものがまったくないとなれば、そうはいないだろう。
おれの生涯で、女性と会話した時間を総合計したとして、それが三時間に達しているかどうか、正直なところ自信がない。
これまでそんなことは気にしていなかったが……いや、そうではない、気にしてこなかったのではなく、目を背けてきたのだ。路上ライブに熱を入れて、それが自分にとって重要なことで、他のどんなこともどうでもいい無価値なことだと……思い込もうとしていたのだ。
そして、その結果がこのザマである。おれの生き方が間違っていたとは思いたくなかったし、それではおれの人生そのものを否定することになるのだが、現実、こんな境遇に陥っているのは自己責任なのだと受け入れるしかない。
「こんにちは」
小さな声で挨拶を返す男の子。
シートベルトを締めると、運転席に乗り込んだ玉井がアクセルを踏み込んで、クルマが静かに動き出した。
「それにしても、久しぶりだな」
玉井は陽気にしゃべる。おれが抱えている悩みなんか知る由もなく。
おれは暗い気分を悟られまいと、心を隠し陽気な口調でこたえた。
「ああ、そうだな。卒業以来かな。高校卒業と同時に都会へ出ていったからな」
「都会暮らしはどうだい? 楽しいか? なんの仕事してるんだ?」
「小さな工場で働いているよ。うだつの上がらない一労働者さ」
「そうか。もっと出世してるかと思ったけど。髪の毛はいっちょまえに禿げてるのにな。おれは家業を継がなくちゃいけなくて地元に残ったから、都会へ出ていったやつらが羨ましかったよ」
「都会は楽しいぜ」
「いい女もいっぱいいるだろ」
「そりゃ、選り取りみどりさ」
本当だ。ただし、相手にされるかどうかは別問題だ。
「いいなぁ。おれは早く結婚してしまったけど。実はおれ、浜沢と結婚したんだ。憶えているか?」
かすかに憶えていた。だが、もちろん言葉を交わした記憶はない。クラスじゅうの女子から総スカンだったおれは、クラスメートの名前と顔を覚える気も起きず、卒業アルバムの集合写真に写っているのは、見知らぬ人間の顔ばかりだった。
でも、浜沢といえば、生徒会役員なんか、やっていたような……というかすかな記憶があった。でも顔まではわからない。
「みんなには黙ってたけど、高校ンときからつきあってたんだ。浜沢のほうからつきあってくれって言われて、それからズルズルさ。こんな田舎だと、いろんな女とつきあうなんて、むずかしいんだよな。都会へ出られた貝原はいいよなぁ。次に生まれ変わったら、貝原みたいに都会で働くよ」
「生まれ変わったら、か……」
おれは苦笑した。今度生まれ変わったら、男前に生まれたいものだ。顔が良ければ、恋人ぐらい、いくらでもできるだろう。
恋人がいる、というのはどんな気分なのだろうと、おれは想像すらできなかった。同性の遊び仲間とは違うのだろう。
当時はまったく気づかなかったが、高校時代、校内でつき合っている生徒は何人もいたのだろうと想像した。おれはその外側を、まるで冥王星のように回っていたのだ。
「どんな美人と結婚したんだ?」
と、玉井は話の流れで訊いてきた。
「ん……ああ、まぁ、そこそこな」
「本当かよ。その顔で。おまえが結婚しているなんて、想像もできないけどな」
「言ってくれるぜ。その気になれば、なんだってできるさ」
「そっか……うまいことやりやがって!」
玉井は笑う。どこまで信じているかはわからなかったが、おれの嘘がばれることはないだろうと思った。たぶん玉井は、本気で調べるつもりはないだろうし、どのみちおれは明日、おそらく死ぬ。死んだ後のことなぞ、知ったものか。
だったらせいぜい羨ましがらせてやる。
それから駅に着くまでの三〇分、昔話に花が咲いた。
未来のないおれにぴったりの話題だった。
駅に着いた。木造の小さな待合室が、単線のホームにぽつんと建っていた。駅員のいない無人駅である。
玉井は、ベンチだけのバス停にクルマを停めてくれた。
「ありがとう、助かったよ」
シートベルトをはずし、礼を言った。
「今度帰ってくるときは、連絡をくれよな」
「ああ、そうするよ」
玉井のクルマはUターンし、去っていった。
コンクリートの階段でホームへ上がり、列車の時刻表を見ようと待合室へ回り込んだとき、おれはそこにいた人影を認めて足を止めた。
「野和田……!」
おれは驚いたが、考えてみると驚くには値しないかもしれないと思いなおした。
ペンキの剥げたベンチから野和田は立ち上がる。
「死神はどこまでも追いかけていくわ」
野和田の怪我は、まだ治りきってはいなかった。服の上からだと体は見えないが、顔の腫れがさほどひいていないところを見ると、そう思えた。
「死神もダメージを受けているから、今日は現れないと思うけど……」
「だったらなんでここへ来たんだ。――そうか、おれが逃げないよう監視しているわけか」
「傷が癒えたら、死神はどこだろうと現れる。そのときあたしがいなければ、死神を撃退できない」
「そんな体で戦えるのか?」
「もし撃退できないとなれば、貝原さんが死神になってしまう。そうなる前に、貝原さんを殺すことになるかもしれない」
「なんだ、やっぱり監視してるんじゃないか」
おれは大きく息を吐き、覚悟を決めた。
「わかった! いっそここで殺してくれ。明日まで待つことに意味はない。両親の墓にも告げてきた」
その場に腰を下ろし、胡座をかいた。
「さ、ひとおもいに殺ってくれ。ま、希望を言わせてもらうなら、できるだけ痛くないように、一瞬でな」
「それは使命に反します。条件がそろわないと、貝原さんを殺せないんです」
「いい加減にしてくれ!」
おれは苛立ちを抑えられなかった。
「おれはずっと、おまえに振り回されっぱなしだ。それでなにか変わったか? たった十日でなにが変わる。こうなったら、おれは死神にでもなんでもなってやろうじゃないか! おーい、死神。おれはここにいるぞう!」
「貝原さん、落ち着いてください」
「うるせってんだ」
野和田は、初めてすまなそうな顔をした。
そこへ、一時間に一本のレールバスがやってきた。古いディーゼル車だ。国鉄時代の車両を内装だけリニューアルして、外側はおんぼろのまま第三セクターに引き継がれた。
停車してドアが開いても降りる客はおらず、おれは入り口で機械から整理券をとり、がらがらの車内の長イスにどっかと腰を下ろした。
すぐ隣に野和田がすわったが、おれは口をきかなかった。アパートに帰るまでずっと――。




