Act-4 『天使の言葉とお見合いパーティー』
視界が真っ暗だったのは一瞬だった。黒いのれんをくぐったように、すぐに明るくなった。
町の外のように、霧でも立ち込めているのか、一面乳白色の世界だった。
目の前に男の人が立っていた。四十歳ぐらい? 口髭をたくわえ、頭髪は短く刈り込んで、見た目は厳つい。ダブルスーツの下のワイシャツは紫色。どう見ても「いい人」には見えない。闇金融の経営者のようで、思い描いていた天使のイメージとは程遠い。事実は小説より奇なりとはいえ、ここまで意外か。なんだか帰りたくなってきた。
「よくぞ決心した」
野太い体育会系の声で天使は言った。目付きがすごく悪い。
「あなたが天使ですか?」
あたしは確認した。もしかしたら、とも思ったので、一応。
すると大きくうなずいて、
「いかにも」
い、いかにも……。そんなセリフ、リアルで聞いたのは初めてだ。
「ではさっそく説明する」
天使はゴホンと咳払い。
「こちらへ」
くるりと背中を向けて歩き出した。霧の中へ消えて見失わないうちに後を追おうとしたら、百インチぐらいのテレビが天使のそばに現れた。
「現世で死神と戦うわけであるから、そなたには一時的に生き返ってもらう」
なにっ?
今さらりとすごいことを言ったぞ。
現世の人間を護るわけだから、現世に行かなくてはならない。にしたって、生き返るって?
あたしは家族の顔を思い浮かべた。生き返ったら、また会えるじゃないか――。
しかし――。
再会を喜びあうのは無理かと思った。だって、現世に行く目的はべつにあり、その任務に専念していては、家族に会いに行く時間なんかとれないだろう。いろいろと伝えたい気持ちはあるんだけれど――。それに――。
再び別れるのが、余計につらくなる気がする。あたしが良くとも、とりわけ両親は……。それを思うと軽々しく会いに行くのも考えものだ。
天使は説明を続けている。あたしは余計な思考を振り払い、意識を集中する。
「さらに、普通の人間では死神とは戦えないので、それに必要な特別な能力も授けよう」
テレビが明るくなった。パワーポイントで作成したような表示が現れた。
○死神への攻撃は、肉弾戦による直接攻撃のみ。従ってそれを可能にする筋力を五十倍に強化する。
○死神との戦闘による痛覚や負荷は、通常の十分の一に緩和される。
○肉体の損傷は不可避であるが、その治癒能力は、百倍に設定される。
ざっと読んであたしは驚き、天使が説明する前に質問した。
「もしかして、素手で戦うんですか!」
「武器は用意できない。我は天使ゆえ」
「でもあたし、格闘技なんかしたことないし」
「そのために筋力を強化する。もちろん訓練期間も設ける」
悪と戦う改造人間……なんだそれ、マジ?
決意がゆらぐのを感じた。ここへ来てよかったんだろうか。
さらに続く。
◯死神から人間を守護する期間は十日間。それ以上は現世にとどまれない。
○死神に選ばれた人間との接触および状況の説明は、これを許可する。
○死神に選ばれる人間は、現世で魂の絆を持たぬ者であり、従って、かの者がそれを新たに獲得すれば、死神の脅威から解放される。十日以内に達成の際には、その時点で任務完遂となる。
○十日をもってなお死神の脅威が去らない場合、かの者の魂を現世より離脱させ、死神への転化を防止せよ。それをもって任務完遂となる。
天使は文書の捕捉説明をした。
死神になれる条件を持つ人間は天涯孤独であり、もし死んだとしても、現世において、誰一人悲しむ者がいない、過去から現在において誰からも好かれていない人間に限られる、と言った。
なるほど死神にはうってつけかもしれない。
ただし、あたしが死神の接近を防いでいる十日間の間に、誰かからの思いを受けられれば、つまり、誰かから好かれたら、無事任務完了で、晴れてあたしは五体満足で幸せに生まれ変われるわけだ。
もしそれができなかったら、その人を殺さなければならない。そうしないと、その人は死神になってしまうから。
つまり、あたしが死神からその人を護りきっても、その人には死が待っているということだ。死を免れるためには、あたしが時間をかせいでいる間に、その人も努力しなければならない。
この事実はあたしを愕然とさせた。
その人の死を回避するには、その人に頑張ってもらわなくちゃならない。でも、これってめちゃくちゃハードルが高くないか? たった十日で恋人を作れっていうのは……。
無理無理無理! 十日でダイエットというのとはわけが違う。こんな難題、どうすれば達成できる?
道を誤ったかな……と、後悔の念が押し寄せてきた。
○現世社会での必要物資および情報は、現世への出現と同時に提供される。
○現世での基本的な行動は、生前とほぼ同様であり、肉体を維持するための行為も発生する。
天使は注意事項を説明しだした。
目標の人間がどこに住んでいるのか、名前、身体的特徴、過去の経歴などはきちんと事前に教えてもらえる。
とりあえず生き返ったあたしは、生前のように寝たきりの要介護者ではなく、ちゃんと動けるわけだけど、スーパーマンとはいえ一応生きているわけだから、食事も睡眠も必要ってこと。お金もいるし、住むところもいる。それは天使が用意してくれるらしい。どんな細工をするか知らないけど、なんかへんな感じ。
一通りの説明が終わり、色々予想外の条件に驚いたり動揺したりしたけれど、一応概要が理解できたあたしは、最後にひとつ確認した。
「念のために聞くけど、死神と戦うとき、姿が変わるってことはないよね? 戦闘服を着るとかも」
「なにを言っている。そんなものはない。そうしたいのか? コスプレしたいなら、とめやしないし、それらしい衣装をしつらえてもよいが」
あたしは、ぶるんぶるんと大きく首を振って否定した。
こうして、あたしは死神との戦いに挑むこととなった。
訓練期間を設けると天使が言ったように、しばらくは死神との戦いを想定した模擬戦が行われることになり、あたしはまたあの町に戻った。町の中で死神と戦うことになるだろうからということで戻されたのだ。あたしは基本的な格闘術から指導してほしいと内心望んでいたんだけれど、実戦形式で進めると言う天使に意見できる雰囲気じゃなかった。
あからさまに死神とわかるやつが現れるから、どんな手を使っても撃退せよ、と言われた。噛みつこうが、爪で引っ掻こうが、相手は人間ではないから遠慮は無用、と。
はい、分かりました――。
でも、あからさまに死神だとわかるって……どんなのが現れるんだろ。ドクロの顔とか?
ともかく、どういう経緯になったかということを話そうと、喫茶店「カボチャの馬車」へ行ってみる。あのおじいさんはいないかもしれないけど、マスターとしゃべれたら、と思った。
自転車で乗り付けると、おじいさんはいた。同じカウンター席。もしかしたら、ずっとここでコーヒーを飲んでいたのかもしれない。なにせいくら飲んでも胃をこわす心配はないんだから。
「やあ、どうだったね」
おじいさんは陽気に声をかけてきた。隣の席はあいていたので、あたしはそこへ落ち着いた。
「ご注文は?」
あたしの前にお冷をおいて、マスターもあたしの話を聞きたそう。
お冷やを一口飲み、
「ミルクティーもらえますか。――思ってたより大変だわ」
おじいさんは沈黙して、あたしの発言を待った。マスターはあたしの前に空のティーカップをのせたソーサーを置くと、紅茶の用意を始める。
「死神と戦って勝てばいいっていう単純なことじゃなかったんです。たしかに戦っていかなきゃいけないんですけど、ミッションの成否はそこじゃなかったんです」
「ほう……というと、いくら死神と戦っても、生まれ変われない、と?」
「最終的には生まれ変われます。でも、その人の命と引き換えです」
「死神との戦いに負けたら、その人は死神にされてしまう。そういうことじゃなかったでしたっけ。――はい、ミルクティーどうぞ」
マスターが、デジャヴュと錯覚しそうな同じ動作でティーポットをカップのとなりに置いた。
「死神からその人を護衛するのは十日間なんです」
あたしはカップに紅茶を注ぐ。琥珀色がカップに満ちるのを茶漉しの間から見てポットを置く。
「でも十日間護りきっても、ある条件が成立してないと、その人を殺さなくちゃならない。でないと、あたしは生まれ変われない」
「なるほど、だから『その人の命と引き換え』なんですね」
マスターがうなずいた。
「で、その条件とは? よっぽど難しいみたいだが」
おじいさんが話の先をうながした。
「難しいってもんじゃないですよ」
あたしは熱い紅茶にふっと息を吹きかけ、波紋がおさまらないうちに一口味わうと、その困難な問題を説明した。
「そいつは無理じゃな」
あたしが説明を終えると、おじいさんは腕組みした。まったくもって、みもふたもない。けれどもあたしもそう思う。強く同意。
「ぼくはそうでもないんじゃないかって思いますよ」
マスターはしかし、勇気ある発言。
「人間、死ぬ気になれば、なんだってできるもんですよ」
喫茶店を経営するような人だから、筋金入りのロマンチストなのかもしれない。「カボチャの馬車」なんて店名だし。
十日以内に恋人ができた、なんて話、もし本当になしえたなら、それこそ出来すぎたドラマだろう。でも現実は血も涙もない。さらに難しいのは、死神に選ばれる人の資格だ。これまでまったく異性に縁がない人間だ。友人さえいないかもしれない。そんな人が十日以内に恋人をつくるなんて、最下位でたすきを受け取ったのに優勝をめざそうとする駅伝ランナーのアンカーのような途方もないハンデがある。
「だといいですけど……」
あたしはマスターの意見に反論しなかった。ここで議論しても不毛だ。
どんな手段であろうと、人を殺すのは気が重い。でも、やらなきゃいけないんだろうな、とあたしは気分が晴れなかった。
「それ以前に、死神と戦って負けたらゲームオーバーなんじゃろ? どうやって戦うね?」
「それそれ」
あたしは思い出した。
「本番前に訓練するんですって。模擬戦を重ねて、経験値を上げるわけです」
おじいさんが言ったゲームオーバーという語を受けて、あたしはRPGになぞらえた。
「へえ。模擬戦ね……。どこで戦うんですか?」
マスターの問いに、あたしは肩をすくめる。
「この町のどこか……。場所とタイミングはわかりません。実戦に近い形なんですって」
「ごくろうさま」
マスターは、いちごのショートケーキを差し出して、これでも食べて頑張りましょう、と言ってくれた。
「わあ☆ ありがとうございます!」
あたしはちょっぴり感激してしまう。
こういう嗜好品は、空腹とは関係なく楽しめる。生前、なかなか食べる機会もなかったから、余計、うれしかった。さすが喫茶店を経営するだけあって気がきくわ。
ショートケーキひとつで気分もよくなり(安い女ね)、あたしは喫茶店を出た。死神め、どこからでも来い、といった気分。
と思っていたら、いきなり死神が現れた。自転車で走るあたしの前に飛び出してきた。
急ブレーキ。危うく衝突するところだったが、直前で停止。
大きな影だったから、トラックかと思ったら、そうじゃなかった。
身長二メートル半はありそうな人型ロボットだった。胸に「死神」と漢字で大きく書いてある。明朝体で。
二十世紀のテレビアニメに登場する悪役メカのようなデザインで、あたしは笑いだしそうになった。なんてセンスよ! たしかにひと目で模擬戦の相手だとわかるけど、こんなのと真剣に戦わなきゃいけないなんて……。
なんともトホホな気分でいると、死神ロボットは鈍重な動きで拳を振り下ろしてきた。
あたしは自転車をけりたおし左へ退避した。それができるぐらい緩慢なロボットの動きだった。
が、力は強く、あたしが見ている前で自転車がぐにゃりと押し潰された。
こいつを斃せってか――。
筋力五十倍という話だったが、全然そんな感じがしていないから、どうなってんのかな、と思っていた矢先に死神(の訓練用ダミー)に出会って、本当に戦えるのかな?
ただ、動きが鈍いのは、助かる。ロボットの動きの合間をついて攻撃できるから。
とは言え、どうする? 少しも格闘技をかじっていないから、どうしたらいいかわからない。
まずは蹴ってみるか、と思った。子供のころに親しんだサッカーを思い出し、ともかくやってみよう、と決断した。
ロボットの背後に素早く回り込んだ。サッカーで相手のボールを取る要領で足を蹴ってみたらどうか――。
そう思って、ロボットが向きをかえる前に接近した。右足を振り上げた。靴の裏がロボット足にヒット。
反撃を予想して、あたしはすかさず退避し、間合いをとった。
ロボットはバランスを崩してよろめいたが、倒れるまでには至らなかった。
それでも少なからずダメージを与えられそうだと、あたしは少し自信がわいてきた。筋力五十倍というのはどうやら本物らしい。もちろん、だからといって呆気なく勝てるとは思っていなかったから、無邪気にはしゃがない。
ロボットが体勢を立て直した。
もう一度ロボットの背中に回ろうと思って、今度はジャンプしてみた。きっと棒高跳びの選手みたいに高く跳べるぞ、と期待して力いっぱい跳躍した。
「ひゃあ!」
あたしは不様にも悲鳴を上げた。
棒高跳びどころか、マリオのようなスーパージャンプだ。ロボットのはるか上空を飛び越え、道路脇に建つ二階建て住宅の屋根に着地した。黄土色の瓦が数枚、着地の衝撃で割れてしまった。
両足で上手く着地できず、したたか体を打ちつけたにもかかわらず、痛みはほとんど感じなかった。これも天使の与えてくれた能力のためか、あるいは魂だけの存在であるこの死後の世界では、感覚が鈍くなっているのか――。
落ち着いて分析している場合ではない。勾配のきつい屋根の上で、あたしは転がり落ちそうになる。必死でしがみつき、樋に足をかけたら、プラスチック製の樋がバリッとイヤな音をたてた。
――うわっ、しまった。
と、思ったけれど、この家に人は住んでいないんだ、と思い平静を保つ。
なんとか這い上がったものの、今度はどうやって下りようかと頭をかかえた。
――飛び降りるしかないか。
怪我もしていないようだし、衝撃による耐性も強化されているっていうんなら、飛び降りたって平気だろう。あとは高さへの恐怖に打ち勝つのみ。
八階の病室から見慣れていた高さよりは低い。でも飛び降りるとなると、バンジージャンプをしたことがあればべつだろうけど、なかなか勇気がいる。
ええい、行け!
屋根を蹴って空中に躍り出た。
飛び降りた勢いでロボットにキックを食らわす勇気までは持てなかった。なんだか失敗しそうで。
地上に達するまではほんの一秒ほどの時間なのに、ひどく長く感じた。
両足で着地できたけど、勢いを殺せずまえのめりに転んだ。足と、地面についた手に痛みが走った。普通なら骨が折れているところだけれど、痛みの程度からそれはなさそう。
ロボットがこっちへ向き直る前にもう一度ジャンプ。今度は軽く、高さを考えて。
ロボットの肩の上のところで手を伸ばし、首にしがみついた。振り落とされる前に這い上がり、両腕に力をこめてロボットの首を背中側へねじ曲げようとする。けれども足場が悪くて踏ん張りがきかない。
そこへ、ロボットの手があたしを排除しよう近づいてきた。でも大きなハサミのような手の動きは遅い。
あたしは捕まる前に飛び降りた。そのとき、ロボットを蹴って。あたしは水平に二十五メートルほど跳び、住宅のカーポートの上に落ちた。カーブしたカーポートから転がり落ちて、隣家の玉砂利が敷きつめられた庭先へ落下した。
一方ロボットは、あたしが蹴った反動でバランスを崩していた。
ガシャン! という大きな音がして、庭から道路へ飛び出したあたしは、ひっくり返っているロボットを目にする。
――壊れた?
製作途中の前衛芸術作品のような体勢で、ロボットはピクリとも動かない。状態を確かめたいけれども急に動き出すかもしれないのでおそるおそる近づく。
三メートルほど距離をおいて、観察する。
そんな簡単に壊れるようにはできてないだろうと推測しつつ、しばらく見ていると、ほどんど往来のない道路でも、通行人が何人か不思議そうな顔をして通りすぎてゆき、あたしは今さらながら急に恥ずかしくなってきた。
――なにをやってるんだ、あたしは。
動かないロボットを放置して、その場を離れた。
自転車がだめになってしまったので、歩いての帰宅。とりあえず落ち着ける場所といえばそこしかなかったし、テレビを通じて天使と会話もできるし。
自転車ならものの三分ほどの道のりが、こんなにも遠いとは。
走れば早く着けるけど、別に急ぐ理由がないのでのんびり歩く。今ごろになって、ずきずきと痛む足を意識した。
普通なら骨折していてもおかしくない、CGなみのアクションを繰り広げたんだ。いくら頑丈になっているとはいえ、無傷ではすまないだろう。捻挫ぐらいは覚悟すべきか。
回復力も、ゲーム並に早いと天使は言ったし、しばらくベッドで休めば治るんじゃないかしら。
家の前になにかがいた。あたしは目を凝らす。
遠目で見てなにかはわからない。あまり馴染みないカラーリングの物体。クルマにしては、シルエットが明らかに異なる。
イヤな予感がした――すごくした。
さらに家へと近づき、あと百メートルほどというとき、あたしの視力でやっとそれがなにか判別できた。そしてあたしは口をあんぐりと開け、次に盛大にため息をついた。
人間よりも一回り大きな物体が、あたしの姿を認めたのか、こちらに向き直った。ゆるキャラの着ぐるみが。
どうやらこいつも模擬戦の相手らしい。外見は、笠をかぶった切り株。パッチリおめめとニコニコの口が木の表面の描かれている。ちょろっと生えた枝の先につく緑の葉っぱがチャームポイント。いったいどこのゆるキャラなんだか。
一応、両手、両足は出ているが、動きにくそう。間違っても戦闘向きじゃない。
こんなのを相手に、どんなテンションで戦えっていうんだろ。
ゆるキャラとの距離が十メートルほどに縮まったとき、
「オイラは死神だ。さあ、戦いだ!」
女性声優が演じる少年のような声で、切り株は言った。
☆ ☆ ☆
木曜日――。
次の日、工場で野和田にお見合いパーティのことを話した。
「よかったですね」
と言った野和田は目の周りの腫れもひき、痣さえ消えかかっていた。驚異的な治癒力だ。
野和田が人間でないことは、ほぼ間違いないだろうが、かといって死神と同レベルの存在かといえば、そこまで遠いわけでもなさそうだった。
「成功を祈ってます。いい服を着て、ガンバッテください」
「え? 服って……」
「まさか普段着で行くわけにもいかないでしょ」
「あ……」
しまった、全然考えてなかった。
危なかった。もし野和田に話していなかったら、大失態を演じるところだった。顔がまずいんだから、服ぐらいどうにか取り繕わないといけないだろう。考えてみれば当然だ。しかし、気がつかなかったなぁ。
「わかったよ」
とこたえ、それにしても服か、とつぶやく。
どんな服を着ていけばいいのだろう。
ファッションにはまったく興味がなかった。ファッション雑誌の車内吊り広告には意味のわからぬカタカナが並び、買って読む気にもならない。毎日着る服を選ぶ基準は「暑いか寒いか」しかなかった。
やはりビジネスマンが着るスーツが無難だろうか……。
とにかく、今持っている服はどれもこれもだめだ。きちんとした服なんか一着もない。母親の葬儀のときに着た礼服があったが、それはちょっと違うだろう。
となれば、買いに行くか――。
こうしておれは、定時後、郊外の国道沿いに建つ大型紳士服量販店へ自転車を走らせたのだった。
しかし、店に入って早々、おれは困った。広い店内で売られている大量の服に圧倒されて立ちすくんだ。どんなものがいいのか全然わからないのだ。
うろつていると若い男性店員が近寄ってきた。
おれは緊張にしどろもどろになりながら、希望を伝えた。
「では、こういうのはいかがでしょう」
店員の言われるまま、上から下までそろえた。
細いストライプの入った黒の上下と、ネクタイは紫。いいのか悪いのか試着しても自分ではとんと判断できなかった。とにかく、こんな服装は人生で初めてだ。着なれていないから似合わないに違いないと思いつつも、ペットを買おうとしていた金をここで支払った。
もう一着買うと安くしますよ、と勧められたが、一着だけでいい、と断った。
そして次の日――。おれは覚悟を決めて会場に入った。
会場は、おれにとってこれまで足を踏み入れる縁のなかったシティホテルの一室だった。
受け付けで参加料を払い、白紙のバッジに名前を書いて左胸につけ、部屋に入る。
衝立で半分に仕切られた広い部屋には、土足では遠慮したくなるほど毛足の長い絨毯が敷き詰められ、天井には高価そうなシャンデリアがまばゆい光を放っていた。しばし惚けた。
そこに長い机とその前に並べられたイスがあり、おれは指定された場所に落ちついた。
室内にはすでに何人かいて、パーティの始まる時間を待っていた。イスの数をざっと数え、五、六十人ほどの参加者がいるとみた。
それにしても不審なのは、会場にいるのが男性ばかりだということ。老けた中年男もいれば若い青年もいたが、女性はいなかった。どいつも手持ち無沙汰で携帯電話やPSPをいじっていたり、本を読んでいたり。ただ、身なりはみんなきちんとしていて、その点、ほっとするのと同時に、もし野和田の助言がなかったら明らかに浮いたやつになってしまい、そう思うと背筋がぞっとした。危ないところだった。
それはともかく、女性の参加者が少ないのか――。
おれは嫌な予感がした。遙かな昔、生涯一度だけ参加した合コンの思い出したくない記憶が甦ってきた。それは、当時の友人が企画したもので、おれも期待して誘いに乗った。
だが会場では意外な展開が待っていた。男六人に対し女三人という取り合わせだったのである。
末席にすわらされたおれは、女の子と話をしようにも果たせず会話に加わることができなかった。やっと一言二言話しかけても、生返事。終盤、席をかわったときも、なぜかおれだけ蚊帳の外だった。
消化不良ままお開きとなった。あとで聞いたところによると、すでにおれ以外は旧知の間だったそうな。
それ以来、合コン誘われたことはない。これもあとで聞いたのだが、女の子側から「貝原はもう誘わないでくれ」と注文があったそうな。
おれがなにかしたか? 世の中の理不尽を思い知らされた一件だった。
やがて時間がきた。会場は男たちでいっぱいになっていた。長机の片側だけに並んですわるは三十人。
だまされているのではないか――。安くない参加費をとられた上、土産なしで帰されるのでは……。世間はそんなに甘くはないということか。現実は厳しい。
「みなさんお待たせしました」
突然、マイクを通した男の声が部屋に響きわたった。
頭を巡らすと、壁際に若い男がマイクをもって立っていた。
「時間になりましたので始めさせていただきます。わたくしは今回司会をつとめます、マーシー岡崎でーす」
異様にテンションが高いのは、売れてないタレントだからか、と余計なことを思う。なにがマーシーだ。本名はタケシとか、ごく普通なのに違いない。
「ではルールを説明しまーす。これから、女性陣が入場します。みなさんの目の前にすわった女性とお話できます。ただし、制限時間は二分です。二分たちますとチャイムが鳴りますので、右どなりの席に移動してください。では、女性陣の入場でーす。すべての相手と話し終わったら、立食パーティとなりますので、そのときはフリーに話せます」
――なにっ?
おれは驚いた。たった二分でなにを話せというのだ? 三十人もの女性と一対一で話ができるというのは、願ってもないチャンスだが、たった二分というのは短すぎる。しかしそれでも合計六十分もかかるわけだから、それもやむをえぬか……。
広い部屋を仕切っていた衝立が開いて、女性たちの列が部屋に入ってきた。女性は衝立の向こう側に待機していたのだ。BGMの流れるなか、男たちの前のあいた席へとすわってゆく。
おれの心臓が激しく鼓動しだした。手にも汗をかき、喉が渇く。自分でもはっきりとわかる緊張状態に陥っていた。
ほどなくして全員が着席すると、BGMがストップし、
「では、スタート!」
司会者マーシー岡崎が叫んだ。
おれの前にすわった女は、三十五歳ぐらいだろうか。しっかり化粧をして、耳のピアスが光っていた。
「は、初めまして」
おれは、心臓の激しい鼓動を悟られまいと表情を変えずに言った。
「よろしくお願いします。貝原さん、ですか」
と、おれの胸のバッジを一瞥し、彼女は言った。
「ど、ども。こっちこそ……いや、その……」
二分の時間制限という焦りから、言葉が出てこない。それでなくても、女性としゃべる機会の少ないおれは、なにを質問すべきか頭がパニックになり、まっすぐ顔を見ることさえできない。
なにか言わなければ、と思えば思うほど、
「ええっと……あ、あの……」
と、なかなか次に進めなかった。
こんなことなら、あらかじめもっと会話を考えておくんだった。準備不足を後悔し、ほかの参加者はおそらくあらかじめシナリオを書いてきているのだろうと地団太を踏んだ。まったくもって、うかつであった。
ポロロン、ポロロン、と軽快なチャイムが鳴った。
――しまった、もう時間がきたのか。
マーシー岡崎が言った。
「それでは二分たちましたので、男性のみなさん、起立して右隣の席へと移動してくださーい。端っこのかたは、テーブルを回って、もう一方の端についてください」
おれはろくすっぽ会話できず、すごすごとあいた右隣の席にすわりなおした。
――これではいけない。なんとかしなければ、六十分なんかあっという間にすぎてしまう。
会話をしなければ……。
そう焦っている間にも時計の針はどんどんすすんでいく。
ふと前を見ると、ショートヘアの知的な三十歳ぐらいの女性は、こっちを見ていなかった。正面にすわるおれではなく、おれの左隣――つぎに話す順番の巡ってくる男に視線をそそいでいたのだ。
おれなんかと話すのは無駄だ、という態度があからさまだった。
視線を追って隣を見ると、きりっとした顔のイケメンがすわっていた。着慣れたスーツは似合っていて、こんなパーティに会費を払ってわざわざ参加せずとも女が寄ってきそうな気がした。
このパーティでは、いっぺんに三十人もの異性と巡り会える。ということは、選り好みができるわけである。これは、と思う相手とだけ会話するというのもアリだろう。
「あの……」
とおれは声をしぼりだした。女性から無視されることは過去頻繁にあったから、それは慣れているのだが、今日はいつものように引き下がっていられない。なんとしてでも話しかけなければ。
彼女はそれでやっとおれを見た。がすぐに視線を離し、言った。
「悪いけど、ハゲてる人はいやなんです。ごめんなさい」
身も蓋もない一言であった。
ポロロン、ポロロン、とチャイムが鳴った。
三人目にチェンジした。
――そうだ、とにかく、なにかアピールしよう。
そう考えて、ようやく結論がでた。
三人目の女性は、二十代後半に見えた。美人である。ラメの入った前髪が印象的だ。
おれのアピールと言えば決まっている。歌だ。そうと決まれば、しゃべりやすい。
「あの、おれ――ぼくは、ギターを弾けるんです」
「はっ?」
「曲を作って、路上ライブをやってるんです」
「あ……そうなんですか」
「毎週日曜日の午後に、デパートの横の歩道で……もう百曲以上作りました。メジャーデビューするのが夢で――」
「あの、……おいくつですか?」
「えっ?」
マシンガンのようにしゃべっていたおれに、女性が質問してきて、おれはその質問の意味がすぐにはわからなかった。そして、数瞬の間のあと、年齢を訊かれたのだと理解した。
「四十四です」
「そうですか。……がんばってくださいね」
励まされて、おれは有頂天になった。
――いいぞ。この調子だ。
女性の目が困っているのにも気づかず、おれはしゃべりつづけた。
「雨の日なんか、軒下でも濡れてしまうから大変なんですけどね。でももう二十年以上もやってるから慣れましたよ。先週も新曲をたずさえて、歌いました」
すいすいと言葉がでた。やはり得意分野をもっていれば助かる。沈黙が怖かったから、しゃべりつづけていたというのもあったろう。
「お金ですか? たいしてもらえませんよ、半日歌いっぱなしでも、千円かそこらですね。え? そうじゃなくて、年収ですか? そうですねぇ、二百万ぐらいです」
チャイムが鳴った。
――よしっ。
おれは拳を握りしめ、小さくガッツポーズした。たしかな手応えを感じた。この調子なら、いける。
自信がついた。
右隣の席に移り、新たな女性と話すたびに、おれはアピールを展開した。
そして六十分がすぎ、お見合いタイムが終了した。
「参加者のみなさま、お疲れさまでした。これより、パーティタイムにうつります。立食形式ですので、おいしいお食事を召し上がりながらフリーに会話をお楽しみください」
マーシー岡崎が言うと、衝立が取り払われた。始まる前、女性陣が待機していた部屋のもう半分のスペースには、白いクロスをかけられたテーブルがいくつも配され、プレートに載せられた料理や飲み物のびんが整然と置かれていた。
参加者たちがぞろぞろとそちらへ移動した。
「各自飲み物をおとりください。みなさんの未来を祝して乾杯をいたします」
おれはグラスをとり、ビールを注ぐ。そして、周囲を見て、ほかの男性参加者が女性にお酌をしているのを知って、しまった、と思ったが、出遅れを取り返すことはできず、ビールのびんをテーブルに戻す。
「みなさん、飲み物はいきわたりましたでしょうか」
司会者マーシー岡崎が宣言するように言った。
「では、このパーティが成功しますように……乾杯!」
おれはビールを飲む。しゃべりすぎたか、喉が渇いていた。一気にグラスを干すと、まだ渇きは癒えずやはりミネラルウォーターがいいかな、と辺りを見回し、エビアンのペットボトルを見つけ、ビールのあとも気にせずグラスに注いでやっと息をつく。
お腹もすいていたので、なにか食べようとして、手近の皿をとって料理を物色した。ピラフやら唐揚げやらポテトサラダやらをどんどん胃につめこんでいく。
おれはここになにをしに来たのかを、束の間失念していた。気がつくと、すでにいくつもの男女のグループができあがっていて、おれはその会話のなかに入っていけなかった。ここでも出遅れてしまった。
おれは漏れ聞こえてくる会話に耳をすましつつ、あちこちのグループの周囲を巡りながらチャンスを待ったが、どのグループにもくちばしを入れることができなかった。
しかし、おれはこうも思っていた。
――あれだけ自分をアピールしたのだから、だれか印象に残っている女性がいるだろう。話しかけてくるかもしれない。
これは、ずっと未来になってから知ったことなのだが、お見合いパーティに参加する女性は、「より条件のいい結婚相手を見つけるため」に参加しているのだ。それなりに恋愛を経験し、人生を楽しんで、いよいよ結婚を考えたとき、ともに生活するパートナーとしてふさわしい相手を探す――。だから、男性への質問には「趣味」や「価値観」のほかに、「年収」「勤め先」が重要な項目としてあげられる。それをおれは知らなかった。正直にこたえていたおれが、女性に相手にされないのも当然だった。
パーティの終了時間が迫ってきた。さすがにおれは焦りだした。しかし、どうすればいいのかわからない。一対一で話したときのようにはいかず、おれはまごまごとうろつくばかりだった。
今思えば特定の相手にしぼっておけばよかったのかもしれない。
おれはなんとかしゃべろうとして、相手のことをなにも訊いていなかったことに気づいた。その女性の嗜好をきいて、話しかけるキッカケをつかむためのお見合いタイムだったのだ。そのことを、おれはこのとき全然理解していなかった。
同時に、どうしてだれもおれに話しかけてこないのかと不思議に思っていたのだ。頑張ってくださいね、とみんな言ってくれたのに。
お愛想で言ってくれていただけだということにも、思いの及ばないおれだった。
ところが……。
「あの……、ストリートライブをされてるかたですよね、たしか」
背後から声がかかり、おれは振り返った。
髪の長い、薄桃色のスーツ姿の背の高い女性だった。
「あ、はい……」
おれは相好を崩した。
――やったっ! ついに来たー!
おれは心のなかで小踊りした。
「ええ、日曜の午後に――」
と、胸の名札をちらと読む。「仙田」とあった。初対面ではないのだが、記憶になかったのだ。
「私のこともいろいろ聞いてほしいので、今度会ってくださいますか?」
え?
意外な展開に驚きつつも、おれはもちろん承知した。
「うれしいですわ。あさっての日曜、お時間いただけます?」
「はい、いいですとも。あ、でも……ライブの時間が……そうだ、おれのライブ、ついでに聴いてってください」
「ええ、それは楽しみですわ」
おおっ!
こんなことがあるとは!
携帯電話の番号を交換し、日曜の午後二時に、ターミナル駅の改札口で待ち合わせる約束まで交わした。
パーティ時間の終わる、わずか二分前だった。
マーシー岡崎が陽気な司会ぶりでパーティを閉めると、参加者たちは悲喜こもごもで会場を後にした。
おれは、ここ数年感じたことのなかった充実感に満たされていた。おれは、死神との勝負に勝利したのだ。
シティホテルの自動ドアを出て、歩道まで歩いてきたとき、所在なく立っていた野和田を認めて、おれは立ち止まった。
「どうでした?」
「野和田……。どうしてここに……」
「言ったでしょ、あたしは貝原さんを護るって。今夜も死神がやってくるかもしれないから。それより、お見合いパーティはどうでした?」
おれは満面の笑みを浮かべてVサインを突き出した。
「デートの約束を取り付けたぜ。あさっての日曜日に」
「それはよかったですね!」
「これでもう死神に狙われる心配もなくなったわけだ。野和田さんも任務完遂だ」
両手を腰にあて、わはは、と笑う。勝者の高笑いだった。
「でも、相手が本気になってくれるまで、油断できないですよ」
「いや、脈はある」
仙田さんの明るい笑顔を思い出し、おれは確信した。あとひと押しすれば、心は必ず傾くはずだ。ライブでとびきりの歌を聴かせて、彼女の心を鷲掴みにするのだ。――そうだ、明日の土曜は仕事が休みだから、新曲を作ろう。今のおれのすべてをそそぎこんだ、最高のラヴソングを。
「さぁ、帰ろう」
おれは大手を振って歩きだした。ネオンきらめく夜の町が、これまでより明るく感じた。
土曜日――。
明日のデートをひかえ、おれは朝からねじり鉢巻で曲作りに没頭していた。
ギターを抱え、ぶつぶつと考えた詩をつぶやきながら、弦を弾く。
おれの歌の作り方は、作詞と作曲が同時だった。先に歌詞を作りあとで曲を作るとか、あるいはその逆という作り方はしない。
言葉を紡ぎだし、それに合った旋律を試行錯誤で生み出す。また、指が弾き出したメロディに合ったフレーズを探し出す、という作業を繰り返していくのである。
一小節一小節、気に入るまで立ち止まり、吟味して作っていくので根気がいる。どうしても出来に納得できなくて、完成まで至らず途中で放り出した曲もかなりあった。
だが今回はいつもより力が入っていた。作りかけでやめるわけにはいかないのだ。
おれは食事をする時間も惜しんで、曲作りに取り組んだ。
詩が思い浮かばなければうんうん唸り、メロディがでてこなければ部屋のなかを歩き回った。
五線譜の印刷されたノートに、音符とコードと歌詞を書いては消して、じりじりと這うようなスピードで。
何度も休憩をはさみ、気分転換のために体操をしたり、CDを鳴らしたりした。
こうして一日奮闘して、おれはついに一曲を書き上げた。窓の外は夕焼けが鮮やかだ。
おれは思いを込めて、できあがったばかりの歌を歌った。
都会のかたすみ
ちっぽけなおれは
すべてをかけて
彼女を想う
ラララ
強い気持ちがあれば
なんとかなるものさ
必ず伝わる だから大丈夫
台風のような 抵抗があっても
乗り越えられる 強い根性
心の筋肉 鍛えてさ
ララララ……
――よおし、完璧だ!




