表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

Act-3 『喫茶店での決意と愛される方法』

 二階のあたしの部屋。――だったけれど、それは見た目だけで、机の引き出しは開かないし、本棚の本は接着剤で固めているみたいに、取りだそうとしてもびくともしなかった。

 表面的には再現されているようでも、中身は空っぽ。

 でも、そうなっていても、そんなもんでしょう、と意外とも思わなかった。

 生前、病状がすすんだために部屋に入れられた介護用ベッドに大の字になって、あたしは思案する。

 テレビ画面に現れたメッセージを吟味して、どうすべきかと考えていたが、頭は冴えず、決心がつかなかった。

 窓にかかったカーテンの向こうの明るさに目を向けたり、ベッドサイドの目覚まし時計(電池が切れているのか針は動いていない。というか、この世界ではそもそも時間に意味がない)を手にとったりして、悶々とする。

 あたしは勢いをつけてベッドから起き上がった。

 シャワーでも浴びようと思った。汗をかいたわけじゃなかったから、肌もべとついていない。でも、入院中はできなかったから退院したらまずやろう、と決めていたことだった――ということを、今思い出した。

 部屋を出て階下へ行くとバスルームをのぞいた。

 以前のままだった。お湯は出るのだろうかとコックをひねると、湯気を立ち上らせて勢いよく出てきた。水道も出るんだと感動。

 バスタブに湯を満たしている間、脱衣室に据えられた洗面台の鏡に写る顔を見る。死人のようには見えなかった。さらに服を脱いで体を点検する。

 暑いとか寒いとかを全然感じなかった。

 やっぱり魂だけの存在になってしまっているからか……。

 自分の体の質感が弱い。皮膚の下にある肉や骨の感覚が感じられないようで、なんだか気持ち悪かった。

 湯船につかってもシャワーをあびても、ちっともすっきりしなかった。リラックスした気分でこれからのことを検討しようと思っていたけれど、あたしは早々にバスルームを出た。

 気分が晴れない。

 外へ出てみようと思った。ここで一人思案していても、どうにも結論が出ない。時間ならたっぷりあるわけだし、気分を変えよう、と思いついた。

 玄関を出て、習慣的に施錠しようとして、鍵がない。が、空き巣を心配するなんて、ばかげていた。

 ガレージに停めてある自転車を引っ張り出した。久しぶりに乗ってみよう。何年ぶりだろう。

 ちゃんと乗れるかな、とやや不安になりながらもペダルをこぐと、自転車は軽快に走り出した。

 どこへ行くという目的はない。でもこの町の中ならたぶん自由に行けるだろうから、いっそ町の果てまで行ってみるか。

 車道にクルマは走っていなかった。どころか、歩いている人の姿もない。

 あたしといっしょに町へ入った人たちはどこへ行ってしまったのだろう。町の大きさのわりに、人間の数が少ないのかもしれない。あたしたちが来る前は無人だったようだし――確信はないけど。

 どこまで行っても住宅街だった。学校もコンビニも公園もない。自動販売機すら見かけない。もっとも、お金を持ってないから、なにも買えないし、喉も渇いていないから飲み物も欲しくなかった。

 風を切って走るのは爽快だった。町を探険する気分。

 お腹もすかないわけだから、このままずっと遠くまで行けるような気がした。幼いころ、自転車で隣町まで出かけた記憶が蘇った。大冒険をしたような気でいたっけ。

 両側に大きな街路樹を有する広めの車道を、颯爽と走り抜ける。ここが死後の世界だなんて思えない。

 久しぶりのサイクリングに、あたしのテンションは上がった。町の果てなんてあるのかな、と静かな町の風景の平凡さに、そんな疑問さえ生まれた……。

 だが果ては唐突に出現した。道は行き止まりで、高いブロック塀が無愛想にそそりたち、これより先は行くなと強く主張していた。

 他の道へも回ってみたが、どこも同じだった。探せばどこかに脱出口があるんじゃないか、というテレビゲームのような設定にはなってないだろうと、あたしは早々にあきらめた。もちろん、塀をよじ登ってその向こう側をのぞこうなんてことも。塀はそんな気を起こさせないほど高かったし、たぶん、苦労して登りきったところで、深い霧が見えるだけだろう。

 となると――。

 この町には住宅しかない? こんなところで、なにができるんだろ。なにをすれば、早く生まれ変われるっていうんだろ。

 帰り道、一台のクルマとすれ違った。どこかへ脱出しようというつもりか、かなりのスピードだった。他に、町を歩く人を何人か見かけた。

 でも、だれもこの町からは出られない。あのテレビのいったことを実践して、自分なりに得心しない限りは――。

 誰かに相談できたらな。そうは思っても、だれに? 思い浮かんだのは、あのおじいさんだけだった。でも、今どこにいるのかわからない。

 自転車でさがしまわったりしていても見つからないだろうし、帰り道がわからなくなっても困る。もっとも、あの家に帰る必要があるかというと、どうかな?って感じ。眠らなくちゃならないわけでもなさそうだし。

 適当に走ってみようと四辻を曲がったとき、喫茶店が目に入った。

 住宅地にポツンとある、小さな喫茶店。花で飾られた大きな出窓、ドアの上の赤くひかえめなテント。

 丸いレタリングで掲げられた店名は『カボチャの馬車』。

 ここは本物か?――と疑った。喫茶店の格好をしているだけの中身のない書き割りじゃないか? どこか外国の町を模したテーマパークとかにある、アレ。

 でも、一応のぞいてみよう。

 自転車を横付けすると、レンガのステップを踏んで白く塗られたドアに取り付けられた真鍮製レバーをつかんだ。

 軽く引いただけでドアが開いた。カウベルが軽やかに鳴った。

 コーヒーの香りがほのかに鼻腔に届いた。

 本物の喫茶店だった。白いスツールが並ぶカウンターの向こうに、蝶ネクタイをしたワイシャツ姿のマスターがコーヒーを淹れているところだった。

 テーブル席は四つ。

「いらっしゃいませ」

 と、マスター。

 何人かの客がいて、カウンター席に知っている顔があった。

「よお、一人かい? ここ、あいとるよ」

 あのおじいさんだった。

 あたしは驚きつつも、おじいさんの手招きに応じ、素直に隣のスツールにすわった。

「偶然ですね」

 とあたしが言うと、

「偶然か……そうかな?」

 おじいさんは意味深なことを言った。

「ご注文はお決まりですか?」

 磨き上げられて天井の照明が映る白いカウンターにお冷をおいたマスターが、おだやかな声音で言い、あたしたちの会話がさえぎられた。

 あたしはハッと思い出した。無一文だった。うっかり入店してしまったけれど、どうしよう。せっかくおじいさんを見つけたのに、相談しようと思ったのに。

 メニューも見ずに、あたしが黙っていると――

「お金なら、いりませんよ」

 マスターが微笑んで、

「この町でお金を持ってる人なんていないでしょ」

「じゃ……ミルクティーを、ホットで」

 ほとんどなにも考えず反射的に注文してから、いろんな疑問が怒濤のように押し寄せて、なにから訊いていいやら……。

「喫茶店があるなんて驚きだわ」

 まずは、なんでこの世界に喫茶店なんかが存在するのか――。死んでから、疲れもしないし、食欲も感じない。休憩の必要がなければ喫茶店の存在意味は?

「ぼくは生前、喫茶店を経営していてね――」

 マスターが紅茶の用意をしながら語りだした。

「好きでやってたから、ここでもやっぱりやりたくなったというわけなんですよ。商売抜きでね」

「でもコーヒー豆とか紅茶葉とかの仕入れはどうするんですか?」

 あたしの部屋は張りぼてだった。中身はなにもない。

「それがね、手に入るんですよ、どういうわけか。過去の品々は無理でも、新しくなにかしようと思えば、この世界では簡単にできそうですよ」

「マスターも、テレビのメッセージを見たんですか」

「いいえ。メッセージのことはその人から聞きましたけど――」

 マスターはおじいさんにチラリと視線を送り、

「たまたま僕は自分のやりたいことがみなさんより早くできてるってことだけで。――はい、ミルクティーどうぞ」

 目の前に置かれたソーサに乗ったティーカップにはバラの花が描かれていた。ティーポットを手にとり、茶漉しの上から注ぐと、湯気とともに甘い香りが立ちのぼった。ミルクを少し垂らして、スプーンで軽くかき混ぜる。

「ところで、なにをするか決まったかね?」

 スティックシュガーを入れていると、おじいさんが言った。

 そうだった。それを相談したかったんだっけ。

 あたしはなにから言おうかと考えつつ、ティーカップを口につける。ミルクティーの柔らかい甘みが舌の上にひろがって、この世界で魂だけになっていても味覚は感じられるんだとちょっと感動した次の瞬間、もうなんの味もしなくなった。もう一口飲んでみたけど、味がわかるのは一瞬だけのようで、でもそれも仕方ないか――。

 カップを置き、あたしは言った。

「生まれ変わるって、みんなが望むことなんでしょうか? だって、生まれ変わってしまったら、もう自分じゃなくなってしまうんでしょ」

 生まれ変わる、ということを、他の人はどれほど具体的にイメージしているのか知りたかった。生まれ変わりによって自我が消滅してしまう、いってみれば、再度死ぬということで、そして今度の死は正真正銘の死だ。

 それを望むのか――?

「それで、なにをしたらいいか、というより、そもそもテレビのメッセージのいうことを素直にきくべきなのかどうか、迷ってるんじゃな」

 と、おじいさんがうなずく。

 すると、マスターが、

「一度死んでこの世界へ来てしまった以上、生まれ変わるのは避けられないとして、たとえそのために自我が失われても、なにもせずにじっと過ごすなんてこと、人間らしくないと思いますよ。それじゃ草木といっしょです」

 そう言って微笑む。

「その心配はもっともじゃが、実は生まれ変わっても自我は残るんじゃよ」

 おじいさんのセリフはあたしの意表をついた。

 あたしは目を円くしておじいさんの顔をまじまじと見てしまう。どこでそんな情報を得たのだろう。

「新しい体の意識下に残るんじゃよ。生きている人間にはその存在は感じられないけれども、同じように人生を体験しているんじゃ」

「あたしの意識の中にも、前世の魂はいるの?」

「そう。そしてその人間が天寿を全うすれば、その人間の魂といっしょに天国へ行ける。残念ながら死神に死を迎えさせられたら、またここへ来るというわけじゃ。だから安心してなすべきことをなせばよろしい」

 おじいさんはニコニコしている。

「そうだったのか……」

 あたしはつぶやいた。

 となれば――。

 積極的に生まれ変わるために行動しようというもの。でもせっかく生まれ変わっても、また死神にとりつかれてしまう可能性もあるわけだ。

 二十年の人生の半分近くが不自由な闘病生活だったあたしとしては、二度とあんな体に生まれたくはなかった。それがべつの人格をもった生まれ変わりであっても。

 だから……。

 あたしは説明した――死神の話を。

 人間が死神になるのを阻止できれば、希望どおりの来世が叶う。しかし失敗すれば人の命を奪うことに……。

「それは興味深いですね」

 マスターがホットコーヒーを淹れながら言った。

「あのテレビがそんなことを……ふうむ……」

 おじいさんが腕組みした。

「やるべきかしら?」

 あたしは水を向けた。

 マスターは、客の待つテーブル席へとコーヒーを運び、またカウンターの中へと戻った。

「やるべきでしょう」

「死神相手にケンカして人間風情に勝てるとは思えん」

「勝つ必要はないと言ってました。追い払えばいいと」

「同じことじゃ。死神が引き下がるほどのダメージを与えるわけなんじゃから」

 おじいさんに言われて、あたしは「あっ、そうか」と気づいた。とにかく体を使った戦いなんて経験がないから全然ピンとこない。だから自分にできるのかという不安がまず先に立つ。もちろん、軽くあしらわれてしまうようでは話にならないから、天使もそれなりに支援してくれるのだろうと思うけど。まさか丸腰で戦うわけはなかろう。

「それでも死神にとりつかれて早死にするわしらのような人間を増やさないためなら、やる値打ちはある」

「おじいさんはやりませんか?」

 同志がいれば心強い、とあたしは思った。

「この話は若いおまえさんに来たんじゃ。天使もおまえさんならできると見込んだんじゃろう。誰でもいいというわけじゃなかろう。普通の人間では死神には勝てんだろうが、おまえさんなら何か手立てがあるのかもしれん」

 なるほど、とあたしはうなずいた。会話の流れで成り行き上、この話が出たんだと思っていたけれど、天使が考えなしにこんな話を持ちかけるのも、考えてみればヘンだ。

「失敗して、その人を殺さなければならないとはいえ、天使なら残酷な殺し方はさせんじゃろうて」

 けれども恨まれるんじゃないかと気がすすまなかった。大勢の人間を救うためという大義名分があっても、いい感じはしない。でも自分が天使によって選ばれたとなれば、その使命の重さは違ってくる。それに、生まれ変わった自分を知ることができるなら、失敗を考えるより成功を望もう。

「わかったわ。あたし、やる! やってみる」

「その意気じゃ」

 おじいさんは大きくうなずいた。

「今すぐ戻ってテレビに決意を伝えるわ」

 あたしはスツールを降りる。

「マスター、紅茶、ごちそうさま。おいしかったです。それじゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい。成功を祈ってますよ」

「もしまた迷ったら相談に来るといい。たぶん、会えるじゃろう」

 店を出ようとしたあたしは立ち止まる。

「おじいさん……ここで会ったのは偶然じゃなかったんですか?」

「わしは、おまえさんが来るだろうと思っとったよ。どういうわけだかな……」

 もしかしたら、とあたしは想像した。ここでの行動は、当然自分の意志でもって動いていると思っているが、実は巧みに誘導されていたりして。ありえない、と断定できないし。

 でも、たとえそうであったとしてもいいじゃない。

 あたしは手を振って、

「がんばります。それじゃ」

 喫茶店を出た。



 〝家〟に帰った。

 リビングでテレビの電源を入れると、あたしは言った。

「やるわ。あたし、死神と戦う」

 テレビの前で仁王立ち。

 すぐにテロップが現れた。

『よろしい。ではこのテレビに入りたまえ。詳細はそこで伝える』

 えっ? この黒い画面の中へ入れっていうの?

 あたしはおそるおそるテレビに近づく。テレビに入ったりテレビから出てきたりする話は昔からいくらでもあったけれども、まさかリアルに体験するとは……。ま、これがリアルかどうかは意見が分かれるかもしれないが。

 手を伸ばして画面に触れた。ガラスやプラスチックの感覚はなく、すっと指先が沈み込んだ。

 反射的に手を引っ込めた。まったく手応えがなく、そのくせ墨汁のなかに入れたように指先が見えなくなった。向こう側がどうなっているかわからないから不気味だ。

 でもたじろいでいてはいけない。あたしに与えられた機会なのだから。

 テレビのフレームをつかみ、三十七インチの画面のなかへそっと足を入れた。つま先が水平で固い板かなにかに触れた。そこに体重を移すと、ゆっくりと体を画面の中へと運んだ。

 こうしてあたしは、死者の町から別の世界へとやって来たのだった。




☆ ☆ ☆




 火曜日――。

 酒が入ったおかげでぐっすり眠れた次の日、おれは所持金のすべてを握りしめ、定時後の工場をあとにした。なんかいいことでもあったんですか、と杉岡に訊かれたが、まあね、と含み笑いを残して。

 駅前にペットショップがあることは知っていた。おれは初めてその店の前に立ち止まった。ペットなんか、これまでまったく飼おうと思ったことがなかった。飼うことに不安がないこともなかったが、人間、本気になればどうにかなるだろうと、おれは決心した。

 さて、どの犬にするか……。

 犬の種類なんかよく知らないし、とくに好みがあるわけじゃないからなんでもいいのだが、小型犬が飼い易いだろうと思って、ショーウインドーから品定めした。

 ショーウインドーごしに何匹もの子犬がおり、実に愛くるしい。これなら可愛がってやれて、子犬のほうもなついてくれそうな気がした。

 が――。

 ケージの端に張り付けてある値段を見て、おれは愕然となった。かくんと落ちた顎が地面についてしまいそうだった。

 たっ、高額たかい……。

 こんなにするなんて……。

 一番安い犬でも、おれのポケットにある金の五倍はした。

 おれは自分の金銭感覚の差異に驚くとともに激しく落胆した。

 全然、足りない。

 だが、家にはもうお金がなかった。わずかな蓄えが銀行の預金通帳にあるにはあったが、それは今月生きていくのに必要ななけなしの貯金だったし、それを使っては犬にエサもあげられなくなってしまう。

 おれは打ち拉がれ、その場にくずおれそうになり、ショーウインドーに両手を押しつけ、体を支えた。その姿勢のまま、しばらく動けなかった。動く気力さえわきおこらなかった。ゆうべの元気はすっかり消え去った。希望は潰えてしまい、おれの命の灯火は、再び消えようと揺らぎだした。

「なにをしているんですか?」

 ふいに声がかかり、おれは幽霊のような顔で振り向いた。

「あっ……」

 野和田だった。背中に両手を回し、おれの右側に一歩ひいて立っていた。上体をやや前かがみにして、チラッと舌をのぞかして、おれをのぞき込むように。

「わぁ、かわいい子犬!」

 野和田は、ショーウインドーのなかでこっちを見ている一匹の白い子犬に目を奪われる。

 野和田の視線を追って、おれは再び子犬を見やった。虚ろな目で。

「犬を飼おうと思ったんだ……」

 ぼそっと、質問にこたえた。ペットショップの前でしていることといえば、見ているか飼おうとしているか、のどちらかである。

「愛情をそそいで犬を飼えば、犬から必要だと思われるだろ」

 野和田はおれを見た。

「なるほどね……」

 とうなずく。

「で? どれにするの?」

 おれは弱々しくかぶりを振った。

「だめだ。犬を買う金が足りない」

「借りるあては?」

 おれははっと背筋をのばした。

「そうか! 金が足りないきゃ、借りればいいんだ。消費者金融なら、借りられるぞ」

 借りたことはなかったが、大丈夫だろう。

「でも、貝原さんはアパート暮らしでしょ? ペット禁止じゃなかったの?」

「おお、そういえば、そうだった!」

 おれは頭を抱えた。結局、だめなのか――。

 それにさ、と野和田は付け加えた。まるで、なんでもないことのように。

「人間以外じゃ、だめですよ。死神は犬の情なんか認めない」

「えっ?」

 おれは、とうとうその場に膝をついた。

 そんなおれに、野和田は残念そうに言った。

「今日の貝原さん、すごく機嫌がよかったから、てっきり問題は解決したのかと思って期待して後を追ってきたのに」

「おれだって、解決したつもりだったさ……」

 よく考えてみれば、畜生なんかでごまかそうなんて、考えが甘すぎた。冷静になってその手が通じると思えなかったのは、おれがいかに追いつめられていたかということだ。

 おれは立ち上がり、とぼとぼと足取りも重く歩きだした。野和田を残して。

 その夜、おれは寝込むように、眠りについた。



 水曜日――。

 残る日数は、七日。

 食欲もなく、朝食も食べずに工場に出た。

 野和田は出勤していて作業を始めている。

 小悪魔的な女という言葉があるが、おれを殺すと堂々と宣言した野和田は死神よりタチの悪い悪魔のようだった。

 仕事が手につかないまま昼休みとなった。

 今日は、弁当を作ってこなかったので(作る気力もなかったのだ)、近くのコンビニに行くといって、いったん工場を出た。

 しかし食欲はなく、ジュースかなにか飲んで、それだけにしておこうと思った。

 昼休み時間のコンビニは混雑していた。おれは奥のコーナーで、野菜ジュースの三五〇ミリリットルのペットボトルを一本だけ買って、店の外のごみ箱近くに立ち、そこでキャップをあけた。

 小春日和。秋の日差しを受けて、おれはほっと息をつく。

 ――仕事、辞めようか。

 生きる希望がなくなったのに、残りわずかな人生を切り売りしてどうする。仕事で得られたお金を使うことはできないわけだし。貯金を全部引き出して、遊んでもいいじゃないか。食べたいものを食べ、行きたい場所に行く。自棄なことをしたって、だれも責めやしない。できるだけ未練のないよう行動する。幸い重病人ではないのだから、行動になんの制限もない。突然の退職に工場の社長は不審がるだろうが、理由を話すことはできない。ただ頭を下げるだけだ。

 ふと、陽がかげって見上げると、そこには、この世ならざるものが浮かんでいた。

 一昨日の夜、おれの前に初めて現れた黒衣の姿――死神。

 おれは驚いた。人通りの絶えた夜の道なら現れても不思議じゃないが、こんな真っ昼間、しかも大勢の人の目のあるコンビニの前に堂々と出現するなんて、大胆すぎて。

 陽光の下、前回は暗くてよく見えなかった顔がはっきり目に映った。頭髪はなく、瞳のない眼、耳まで裂けた口という人間離れした造形は、死神だという主張を納得させるに十分といえた。おれのイメージを視覚化したと野和田は言ったが、おれは心の底でこんな造形を思い描いていたのか。

「前回は邪魔が入ったが、今度は逃がさぬ」

「いっ……!」

 おれはさっと身を翻すと、コンビニの店内に、自動ドアが開くのももどかしく駆け込んだ。

 が、人の多いレジの上に、なに食わぬ顔で死神が宙に浮いていた。

 あの夜と同じだ。瞬間移動した。

 ――人間ひとの目が気にならないのか!

 というより、三メートルもある巨体が天井から威圧しているにもかかわらず、だれひとり気にしている様子がないところを見ると、おれ以外にはやつの姿は見えないらしい。

「汝、死神となれ」

 首切り鎌が黒衣のなかから現れた。こんな狭い店内で、あんなものを振り回せるのか?

 それを確認する前に、おれは回れ右をするとコンビニの外へ出た。

 歩道で左右のどちらへ走りだそうかとして、もはやどこへ逃げようと無駄ではないかと思った。

 野和田に殺されるぐらいなら、いっそ死神になってもいいんじゃないか、と。人間の魂を集め回って三千年もすごすのと、死ぬのと、どんな違いがあろう。

 野和田の言う通り、おれには死んでも悲しむ人間はいない。心残りといえば、メジャーデビューという夢がかなわなかったこと。しかしそれとて一生かかったって、かなわないかもしれないわけだし。

 おれはコンビニの前で立ち止まる。目の前には、当然のように死神が立っていた。

 首切り鎌を振りあげた死神の手に、なにかが衝突した。

 衝撃は強く、その勢いで転倒する死神。

「よかった、間にあった」

 野和田のライダーキックだった。まさしく正義の味方の登場シーンそのままで、あまりの黄金パターンに不謹慎にも笑ってしまいそう。着地して振り返った野和田の頬にごはん粒がついているところを見ると、大急ぎで弁当をかきこんできた様子である。

「また邪魔をするか」

 死神は立ち上がり、野和田に飛びかかった。

 野和田は、振り下ろされた首切り鎌の刃をかわすと、長い柄をつかんだ。が、死神に蹴りを入れられた。

 野和田の体は車道を越えてふっとばされ、対面のビルの閉じたシャッターに激突する。グワッシャーン! と大音を響かせて、シャッターがへこんだ。

 地面に倒れる野和田に向かって高速で空中を移動する死神は、首切り鎌を振りかぶった。

 野和田はさっと起き上がり、死神の顔面にタックルした。

 顔を押さえてうずくまる死神。死神でも痛がるのか……とおれはギャラリーの気分で思った。

 野和田は車道に着地する。そこへトラックが通りかかった。

 あっ、まずい、と叫びそうになった。いくら死神とタイマン張れる強靱な体とはいえ、クルマにひかれて平気ではいられないだろう。

 思わず目を閉じた。

 が、衝突の音は聞こえなかった。

 おそるおそる目をあけると、目の前に野和田が立っていた。

 目の周りが蒼く腫れあがって、可愛い顔がお岩さんのようになっていた。女の子で、この顔はやばいだろうと思って、しかし野和田は、この姿が本当の姿なのだろうかと疑った。あの人間離れした動き、CGを駆使したハリウッド映画のような格闘戦を目の当たりにして、実は人間の娘に変身しているだけで、本来はモンスターなのかもしれない。

 そういえば、死神は?

「よかった、無事で……」

「あ……ああ……」

 なんて返事していいか、おれは声がのどにつまった。

「死神はおっ払ったわ」

「その顔……。痛くないのか?」

「痛いわよ。でも貝原さんを守るため、全力を出すのがあたしの役目。だから貝原さん――」

 野和田は、じっとおれの目を見つめた。

「自棄になっちゃだめですよ。絶対にあきらめないで下さい」

 おれは呆気にとられた。なぜここまで頑張れるのかと信じられない思い。

 あきらめるな。しっかりした野和田の口調に、おれは反射的にうなずいていた。



 戻った野和田の顔を見て、工場は一時騒然となったが、転んだと主張する野和田に、みんなは懐疑心を抱きながらも根掘り葉掘り訊くのをやめ、代わりにいっしょに帰ってきたおれを激しく怪しいと睨み質問責めにした。だがおれも本当のことを言うのはためらわれた。第一、信じてもらえないだろうから言葉を濁すしかなく、みんなからはそれでさらに怪しまれた。

 それでも、野和田と貝原の間にはなにかある、ということでなんとなく治まった。しかしその「なにか」は、みんなが想像するものと著しく違うものだろうな、とおれは苦笑した。

 それはともかく――。

 おれは次の行動を考えなければならなかった。野和田があれだけ必死で体を張っているのに、おれが頭を抱えているだけでなにもしないでいるというのは、死神との激闘を知った今ではやはり申し訳ないような気がした。

 とは言うものの、今までしたことのないことに、ノウハウもないのに挑戦するというのは、いかにもむずかしい。対象それが、以前から興味をもっていた事ならまだ困難も楽しめるのだろうが、そうでないから余計辛かった。

 命がかかっているというのに、おれのやる気はなかなか前向きに動かなかった。

 他人に自分を想ってもらうのが、これほどまでに容易でないとは。恋愛なんて、みんなよくそんなことやっているよなぁ、と工場をひけて家路につく途中ですれ違った談笑している高校生カップルを振り返り、なぜおれにはそれができなかったのだろうと、情けなくもあり不思議でもあり。

 もう一度宝沢に相談しようと思ったが、昨日の今日では、なんとなく呼び出しづらかった。

 立ち寄ったコンビニで情報を仕入れようと思った。

 今まで避けてきた「恋愛」というものに正面から取り組むには、系統だった知識が要るだろうと考えたのだ。

 出会い系サイトという手もあったが、それは過去に失敗していたので断念していた。

 一度登録したら次々と個人情報を訊ねてくるメールが舞い込み、女性を紹介してくれることは一度もなかった。

 たまたま悪質なサイトを使ってしまったのかと、他のサイトを使ってみたが、どれもこれも同じだった。五カ所目にして、おれはあきらめた。大量の迷惑メールに辟易してアドレスを変更したが、徒労感だけが残って虚しかった。

 結婚相談所は、多額の費用がネックになって、利用したことはなし、今はそれを使っている時間がない。

 雑誌のコーナーの前で品定めする。雑誌なんてほとんど買ったことがなかったから、なにを手に取ればいいか見当もつかなかった。

 立ち読みしている客の間から雑誌のタイトルを読んで吟味していると、タウン誌にたどり着いた。これならなにか載っているかもしれない。

 ラックから引き抜き、なかをあける。なにかヒントはないかと探した。目をさらのようにしてページをめくっていると、お見合いパーティの広告が目に入った。

 これだ!

「おしゃれなパーティで、新しい恋を見つけませんか」とあった。

 外見には全然自信はないが、とにかく行動してみよう。結果はどうあれ、動かなくては。

 雑誌を買い、さっそく申し込んだ。定期的に開かれており、明後日の金曜日の夜にキャンセルの空きがあるということだった。

 おれはそれに決めた。

 電話を切ると、おれはほっとしたのと変な高揚感とでハイな精神状態となって、なかなか寝付けなかった。

 これまでの人生になかった、一世一代の冒険だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ