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Act-2 『ニセモノの町と死神の襲撃』

 その後、道は何度も合流した。その度に人数は増え、今や団体ツアーのようになってしまった。途中までは人数を数えていたのだけれど、面倒になって、もう何人かわからない。だいたい五十人ほどかな。そして、見事に誰も知らなかった――ここはいったいどこなのか。

 とはいえ、ここが死後の世界であるというのが大方の意見として支持されていた。

 あたしたちのうち、六割ほどが高齢者であるというのが、その大きな理由だった。六割というのは、死者全体の割合からすれば少ないような気もするが、それでも説得力はあり、おそらくここはあの世なのだろうと、想像していたのとは違っていても、ほぼみんながそれで納得していた。なにしろみんな死ぬのは初めてなのだ、想像上の「あの世」と違っていて当たり前で、むしろ想像どおりだと反って胡散臭い。

 それより問題は、この道がいったいどこへ至っているかということだが……。

 ほとんどの人が、この先には閻魔さまがいて、天国行きと地獄行きに振り分けられるのだといった。

 ありそうでもあり、そうでないようでもあり。閻魔さまがいるかどうかはさておき、なんらかの分岐はあるような気がする。たとえば、生まれ変わる魂と、そうでない魂とか。

 今は正に五里霧中で、先がどうなるか全然予測できない。でも、いつかははっきりするときがくる。確証はまったくないけれども、あたしはそう思ったし、そう思いたかった。きっとみんなもそう希望しているだろう。

 でも、いつだろう……。

 やがて、みんなが、自分は天国へ行けるだろうかと不安な足どりで歩んでいるうちに――。

 ついに視界が開けた。

 けれども――。

 そこには誰もが想像していなかった光景が広がっていた。

 霧が晴れたその向こうには、どういうわけか、町があったのだ。



 その光景に、どよめきが起こった。

 しかもその町は、よく知っている町のようでもあり、見知らぬ町のようでもあり、実に不思議な印象を与えた。

 誰もがしばし呆然とするも、一人、また一人と、その町へと、花に誘われるミツバチのように吸い込まれていった。

 一本道はその町へと通じており、どうしたって町へ入るしかなかった。

 あたしもぞろぞろと一団に混じって町へと踏み込んだ。霧は嘘のようにすっかり晴れ、静かな住宅街を貫く道路は遠くまで見通せた。

 町へ入ると同時に散ってゆく人々。みんな、それぞれ思うところがあるのだろう。

「これからどうするね」

 そう訊ねてきたのは、最初に出会ったおじいさんだった。

「えっ、どうすると言われても……」

 なにをしていいかわからないし、どこへ行っていいのか、どこへ行きたいのかというのもなかった。回りを見ると、あたしと同じように、困惑げにたたずんでいる人がなん人もいた。

「おじいさんは?」

 あたしは問い返した。

「この町は、いったいどこなんじゃろうな」

 おじいさんはあたしの質問にこたえるかわりに、町並みを見回しながらそう言った。

 あたしは肩をすくめた。浮き世に存在する、どこかの町というのではなさそう。それはそうだろう、なにせ黄泉の国のなのだから。

「だが、わからないからと言って、いつまでもここに突っ立っているわけにもいかんだろう。神様がなんらかの意図をもってこの町を出現せしめたとして、我々がどう行動するか、我々を試しているのかもしれん」

 神様がいるなんて、あたしは思っていない。でも、人智をこえる何者かがこの町をつくったのは間違いない。それは神か?

 ともかく、おじいさんの言うとおり、ここでカカシのように突っ立っていても仕方がない。なにか行動しなければ、とあたしは思案した。たぶん、この町でなにをするかによって、その後の身の振り方が変わっていくのだろう。この町は、そのために用意されたとみた。それ以外に意味を見い出せない。この町をつくった何者か(神様なのかな?)がどこかでモニタして、人々を評価しようとしている。

 そうはいっても、じゃあ、いったいなにをしろっていうのさ。

 空腹も疲労も眠気も感じない、およそ人間の体について回る生理現象がまったく感じられないので、ここでの活動は生存に関わらない純粋なものに限られてくるだろう。だから行動は評価に直結しそうだった。

 でも――と、あたしは成り行き上、おじいさんといっしょにあてもなく町を歩きつつ、こうも思った。

 そういう行動なら生前のものでもいいわけで、なにもわざわざこんな町を用意して、あらためて挙動を観察せずともよさそうなものだと思うんだけど……。

 歩きながら道路の左右の住宅街をながめ、答えの出ない疑問を吟味していると、ふと、これらの家に人は住んでいるのだろうかという疑問が湧いてでた。真新しい家ではなく、建てられて何年もたったような薄汚れた壁。鉢植えやクルマがあり、表札までかけられて、明らかに生活感があふれている。いかにも誰かが住んでいそうな佇まい。

 だけど――とあたしは予想した。たぶん誰も住んじゃいないだろう、と。呼び鈴を押してわざわざ確かめはしなかったが……。

「!!」

 突然、あたしは雷に打たれたような衝撃を覚えた。

 いきなり立ち止まったあたしに、おじいさんが声をかける。

「どうかした?」

「ここ、……あたしの家なの!」

 間違いない。建て売りで、同じような家はいくらでもあるだろうけど、瓦の色、壊れかけた樋、カーポートの屋根の形、頑丈に施錠した自転車――間違いなかった。



 けれども――と、あたしは入るのを躊躇った。自分の家なら堂々と玄関をくぐればよいのに、すぐにそれができなかった。

 得体の知れない薄気味悪さを感じていた。

 この家は、見てくれは確かに自分の家だけど、決して生まれ育った生家ではない。何者かが模してつくったものだ。本物じゃない。

 無人かもしれないが、そうじゃないかもしれない。そうじゃないとして、じゃあ、誰がいる?

 見知らぬだれか? それとも家族?

 ここが死後の世界なら、この家にいるのは死者ということになるが、そうとばかりもいえないような……。

 いろんな想像がかけめぐり、あたしが一歩も踏み出せないでいると、

「どうした、入らんのかね?」

 おじいさんが背後から声をかけてきて、あたしは振り返った。

「あの……、いっしょに入ってくれませんか」

 この家は、外観は「家」だが、内部はどうなっているかわからない。突然、これは家に擬態した怪物で、入った人間を食ってしまう、という突飛な想像が思い浮かんだ。

「いいとも」

 おじいさんはうなずいた。あたしがなにを思ってもたもたしているか、わかったようだった。

 意を決してステンレス製の玄関ドアを開けた。鍵はかかっていなかった。

 縦型の棒ノブを引く重さを手に感じつつ、ドアを大きく開いた。

 電灯の消えた見慣れた上がり口は薄暗い。左側に作り付けのくつばこ。右側に二階へとつづくやや傾斜のきつい階段。廊下が奥へのびている。ところどころにシミの浮いたクロスも見覚えがあって、内部も見事に再現されていた。くつばこに入れずに散乱しているサンダルも。

 あたしは壁のスイッチに手をのばす。パチン。天井のLED電球がやたらと明るい。へえ、電気はつくんだ、とちょっと驚き。

 誰かがいるような気配はなかった。あたしは靴を脱いで上がると、おじいさんを手招きして、廊下の奥へとそろりそろりと足音をしのばして進んだ。

 奥にリビングがあるはずだった。この家で一番広い部屋。まずそこへ入ることにした。

 ガラスのはめこまれたドアを開けると、二十畳のリビングダイニング。左側にアイランド型の広々としたシステムキッチンがなにげに散らかっていて、ついさっきまで誰かがいたような生活感が漂っていた。

 なつかしさと家族と別れた寂しさが急にこみあげてきて、涙があふれてきた。元気に走り回っていたころの思い出が奔流となって、頭の中をかけめぐった。

 あたしの後からおじいさんが入ってきて、ちょっぴり恥ずかしい気持ちになって涙をぬぐった。

「あれは映るんじゃろうか」

 そんなあたしの様子に気づかずに(あるいは気づかないフリをして)おじいさんが訊いた。

 部屋の隅には三十七インチのテレビ。ダイニングテーブルにはそのリモコンがおいてある。あたしはリモコンを手にとり、電源ボタンを押した。

 テレビのインジケータが緑に変わって、とりあえず作動した。でもどこかの放送を受信するとは思えなかった。

 あんのじょう、画面は暗いままだ。

「なにも映らないわ」

 チャンネルを変えながら、あたしは言った。電気がきているのも不思議だが、まだこの町の特異性だと納得できないこともない。けれども放送となると、さすがに神様も用意できまいと思う。もちろんインターネットもつながらないだろう。

 あきらめて電源を切ろうとしたときだった。黒い画面に白い文字が表示された。

『この町にようこそ』

 文字高さは画面の三分の一ほどで、なにかのCMでも始まったのかと思うような。あたしとおじいさんはその文字に釘付けになった。

 これまでまったく情報が与えられず、誰もが困惑の中での行動を余儀なくされていた。この町をつくった何者かの意図がまったくわからなかった。ここが死後の世界だというのも、状況を積み重ねた上の推測であり、決定的な証拠があってのことじゃない。

 そうしたなかで、はじめてなんらかの意志が伝えられようとしていた。

 あたしとおじいさんはテレビ画面を注視した。

 すると、画面の文字が横にスクロールしだした。ゆっくりと。

『ここへ来た者は、全員死神にとりつかれ、寿命を迎える前に死んだ』

 あたしの顔がひきゆがんだ。

 ――死神だって? 難病にかかったのは死神のせいだっていうつもり?

「死神がわしらをここへつれてきたというのか?」

 おじいさんは、テレビ画面に向かって言った。テレビと話ができるわけがないという常識にとらわれていたあたしは、おじいさんの言動を笑えなかった。通じるかもしれない。

 すると、新たなテロップ。

『そのとおりだ。ここまでの道で幾度か風を感じたろう、それが死神だ』

「姿は見えずか。ということは、おまえさんも死神か?」

 おじいさんは落ち着いた口調で重ねて訊いた。

『否。我は天使なり』

 あたしは目をしばたたいた。マジな話なのか? 死神とか天使とか、ちょっとついていけるかどうか自信がない。

「天使ってイメージじゃないな」

 と、おじいさんは苦笑し、

「死神の役目はここへ死者を連れてくることなら、天使の役目はなんなんじゃ?」

 おじいさんは、このツッコミどころ満載の会話を平然と続けている。あたしはちょっぴり感心してしまう。

『天使の役目は、死んだ魂を生まれ変わらせることである』

「なるほど。わしらは生まれ変われるわけか。ってことは、ここは天国か?」

『ここは天国ではない。天国には人生を全うした魂だけが行ける。ここは、死神によって死んだ者のみがやって来る町だ』

 天国ってのは、いわゆる極楽浄土で、なんの苦しみのない世界ということで、魂の行き着くゴール地点ということらしい。でもあたしたちはまだそこへは行けない。死神によってここへと来さされたあたしたちは、生まれ変わって人生をやりなおさなければならない――というさだめらしい。

「なるほど……。で、わしらはここで生まれ変わるのを待てばいいのか」

 おじいさんはニヤリと笑った。その笑みにどんな意味が含まれているんだろ。

『この町でなにをするかによって、いつ生まれ変われるかが決まる。なにもしなければいつまでたっても生まれ変わることはないであろう』

「左様か。では早く生まれ変わりたいなら、なにをすればよいんじゃ?」

『それは各自が考えるがよい』

 あっさりとした答えだった。けれどもそれでは結局なにをしたらいいかわからない。なにかひとつヒントぐらい欲しい。

 おじいさんも思いは同じだ。

「この町で宝探しをしろというわけじゃないのか……。だが答えが漠然としすぎじゃ。それじゃなにをしたらいいか、さっぱりわからん。生まれ変わらせるのが仕事というには、ずいぶんと手を抜くじゃないか、え? 天使さんよ」

 おじいさんの声音には凄味があった。生前、なにをしていた人なんだろう、マル暴の人だったりして。

『この町で生前と同じように暮らすがよい。各自、なにかの目標をもってすごす。満足ゆく達成感を得たなら、生まれ変わることができよう』

「満足? 達成感?」

 おじいさんは鼻で笑った。

「そんなものに関心なく、無益にここですごすほうが楽じゃないか。人生をやりなおしたくないやつはどうなる?」

 まるで斬り込むような質問だ。

『いつまでもこの町が存在するわけではない。いつかは消滅する。そのとき、残っていた魂も消えてなくなる』

 部屋の空気が一気に冷えたように感じた。

 あたしたちは、テロップが流れたあとの真っ黒になった画面を見つめ、しばし彫像にのように無言だった。

 やがて、おじいさんは言った。

「わかった」

 そしてあたしを振り返ると、

「ま、消えるとはいっても、すぐってわけじゃなさそうだ。余裕はあるようじゃから、ゆっくり考えようじゃないか」

 笑みを浮かべ、それじゃな、とくるりと背中を向けた。

「どこへ行くんですか?」

 さっさと出てゆこうとするおじいさんを呼び止めた。おじいさんは振り返り、

「わしも探すんじゃよ、やるべきことをな。そのテレビの言ったことはおそらく本当で、信じてもよかろう。それに、なにもしないでいる、というのも退屈だしな。それじゃ」

 リビングのドアがバタンと閉じて、あたしは一人残された。



 静かになった空間で、あたしはダイニングテーブルの椅子を引いて腰かけた。

 喉も渇かないし疲れも感じなかった。ただ呆然とするばかり。

 深く考えようとしても、頭がぼんやりしてしまって思考が定まらない。肉体がなく、魂だけの存在となっているからか……。

 あたしはどうしたいのだろう……。

 病院のベッドに拘束されていたとき、いろいろやりたいことがあった。

 スポーツをやりたかった。とりわけ子供時代にやっていたサッカーを。

 旅行に行きたかった。国内でも海外でも、どこでも。

 学校に通いたかった。勉強したり、友達とたわいない話で盛り上がったり。

 とにかく普通の生活がしたかった。普通に生きていられたら、なんでもできるはずだから――。なんでも……。

 だから今度生まれ変わったら……。

 あたしはハッとして、つけっぱなしだったテレビを見た。画面はずっと真っ黒のままで、なにも表示されていない。

 もし、生まれ変わったとして、そのときあたしは、健康な体なのだろうか――。

 大きな問題だった。生まれ変わるわけだから、当然自分とは別人となって生まれてくるだろうけれども、それでもまた難病にかからない、とはいいきれないのではないか。

 あたしはテレビに向かって問うた。

「次に生まれ変わったら、今度こそ天寿を全うできるの? 健康な体に生まれついて」

 反応は早かった。すぐにテロップが現れた。

『それは保証できない。ここでどんな行動をしようとも来世には反映されない』

 あたしは愕然とした。それでは生まれ変わろうとするモチベーションが全然上がらないじゃないか。なんのために努力する?

『ただし、天使の仕事を担うなら、望み通りの来世を約束しよう』

 なに? どういうこと?

 あたしは少し興味をもった。望み通りの、という言葉の響きがひどく魅力的だった。

「どんな仕事なの?」

 あたしは食いついた。簡単な仕事ではないだろうけど、聞くだけきいておこう。

『死神の増加を阻止するのである。死神は、人間を死神に取り立て、勢力の拡大を図っている。天使としては、死神の増加により、天寿を全うできない魂が増加するのをよしとしない』

「そんなことできるの?」

『現世に戻り、死神が狙う人間に近づき、これを守護する』

 あたしは眉をひそめた。

「死神と戦うの?」

 あたしにできる? どうもイメージがわかない。

『簡単なことではない』

「もし失敗したら?」

 死神から護れなかったら……。戦って、あたしが負けて、死神の企てを許してしまったら?

『そなたはまたこの町に戻る。死神には勝てない。ただその者を護るのみ。護りきれなかったなら、その者が死神になる前に、この町に魂を来させなければならない』

「この町って来させるって……それは殺すってことじゃないの」

『死神になってしまっても、現世にはいられない。死神が増えれば、死者のための町をそのたびに作らなければならず、天使の負荷が増大する。だから死神になってしまう前に死を与える。それはやむを得ない』

「人を殺すなんて、あたしにはできない……」

『死が、生の終わりではないとわかった今、なお死は恐れるべきものか?』

「自分の来世のために、人が死ぬというなら、あたしは……」

 あたしの来世にそれほどの値打ちがあるとは思えない。

『死神が増えれば、死ぬ人間はもっと増える』

 天使は正論を述べた。

 しかし難しい選択だった。

「ちょっと考えさせて」

『機会は何度でも与えられる。いつやめてもよい。よく考えるがよい』

 あたしはリモコンをとりあげるとテレビの電源を切った。

 知らなくていいことを知ってしまったようで、なんだか心が重かった。 




☆ ☆ ☆




 土曜日。

 いつものように仕事が終わる。

 今日は野和田の歓迎会ということで、昼間から工場の仲間たちは浮かれていた。

 久しぶりの宴会だ。もっとも、普段から飲み屋に通い詰めのやつにとっては、久々でもないのだが。

 五時半になり、機械油にまみれた作業着からすっきりした私服へ着替え、工場の従業員が門の前に集まりだした。

 歓迎会の会場は、すぐ近くの中華料理店だ。いつも利用する店で、昨年の忘年会もここだった。

 全員そろったところで、ぞろぞろと歩き始めた。沈もうとする夕日が町を赤く照らし、歩く人の影を長くのばしていた。

 この近辺は町工場と住宅が密集する地域だった。機械油の臭う一角を通り過ぎると、夕飯のカレーを作る匂いが漂ってきたりした。

 好景気とか不況とか、いくつもの大波をくぐり抜けてなお、この町はさほど様子を変えずに存在していた。二十世紀から時がとまっているかのよう。

 カラスがカァカァと鳴きながら何羽も上空を通り過ぎていった。

 それぞれ雑談しながら、歩くのが遅い高齢の社長に歩調を合わせて約十五分――目的地に着いた。

 昔から佇まいを変えていない中華料理屋は、おれがこの町に流れ着いたころにはもうあった。二十六年たつが、メニューはかわっていない。

 総勢八人でどやどやと店内に入る。中華料理屋なのに広い座敷があって、そこの長卓に全員がついた。静かだった店内が、急ににぎやかしくなった。

 生ビールが行き渡って、社長が挨拶する。

「えー、このたび、当社に珍しく若い女性が入ってくれました。そのおかげで、工場も明るくなるでしょう。野和田さんのこれからの働きに期待して、乾杯」

 と仰々しく音頭をとると、銘々はグラスを合わせた。

 壁に貼られたメニューを適当に頼むと、驚くほどすぐに次々と料理が運ばれてきた。それぞれ好き勝手に取り分けていき、ピラニアのようにがつがつと平らげていく。

 話題の中心は野和田である。独身の若い男たちの質問攻め。

「どこに住んでるの?」「学校はどこだった?」「どんなタレントが好きなの?」「彼氏、いるの?」「あとでカラオケでも行かない?」

 まったくもって、飢えた野獣のようだ。

 離れたところでビールをなめるようにちびちび飲みながら、めげずに笑顔でこたえる野和田を見つつ、おれは大皿に残っている冷めた八宝菜の残骸を全部取り皿にあけてかきこんだ。

「じゃ、心理テストをしまーす」

 と野和田のよく通る声が耳に届いた。

 なにか余興をやれとでも言われたのだろう。

「アナタは今、池のほとりにいます。池をそっとのぞき込むと、魚が寄ってきました。さて、その魚はどれぐらいの大きさで、何匹でしょう」

 はいはいはいはい! と勢いよく手をあげる杉岡。

「オレ、ごれぐらいの魚が二匹」

 手で大きさを表して。

 ひとりずつ、各自のイメージを発表した。

「貝原さんは?」

 若い連中どうしで盛り上がっていたから、おれが訊かれるとは思っていなかった。

 中身が半分に減ったビールグラスを取り皿だらけのテーブルの隙間におき、

「ええっと……」

 と、おれは瞬間的に浮かんできた場面を口に出した。

「小さなメダカの群が来た……かな?」

 小さな魚は群になって泳ぐ。そんな絵だ。

「それでは発表しまーす」

 野和田が高らかに宣言した。一同、黙って聞き耳をたてる。

「魚の数は、現在好きな人の数です。そして魚の大きさは、その人への愛情の大きさです」

 なるほど! と答えがわかって、その場が騒ぐ。それぞれの心理が暴露されて、照れるやらごまかすやら。ふたまたはまずいよ、と杉岡が言われている。

 となると、おれは……深い愛情をそそいでいる女はいない、その代わり不特定多数の女に小さな好意を抱く――街ですれ違った女やテレビに映るタレントに対して「美人だな」などと思う程度、ということか。まったく、その通りだ。

「貝原さん、奥さんを大事にしなきゃだめですよ」

 野和田に言われ、おれはどきっとする。

「ああ、そうだな」

 さりげなくとりつくろった。

「ま、お遊びだしな」

 宴はその後も盛り上がり、店の主人が閉店を告げるまでつづいた。長テーブルにはビールの空き瓶が林のように立ち並び、大皿には中途半端に残った料理がだれも手をつけなくなって冷たくなっていた。

 飲み過ぎて呂律の回らなくなった社長による締めの挨拶がすみ、各自工場の従業員たちが、暖簾のしまわれた引き戸からどやどやと吐き出される。

「それじゃお疲れさま~」

 みんな近所から出勤してくる地元民なので、中華料理店を出た途端、ちりぢりに帰っていった。工場においた自転車を取りに行った者もいた。酒気帯び運転で事故を起こさなきゃいいが。最近はクルマばかりじゃなく、自転車でも逮捕されてしまうから。

 帰る方向が同じ何人かとつるんでおれも歩きだした。途中で、一人減り二人減りと少なくなって、とうとう野和田と二人きりになった。

 おれはややほろ酔い気分。顔も赤くなっていることだろう。しかも少しの時間あいだとはいえ、若い女と二人きりで夜を歩くのだから、気分がいい。

「貝原さん」

 と話しかけてきたのは野和田のほうからだった。

 あと五分ぐらいでアパートにつく。酔いさましにはちょうどいい距離だ。

「貝原さんは、ホントは奥さんいないんでしょ?」

 酒が入っているせいか、まともな会話ができにくい。いま、野和田はなんて言った?

「さっきの心理テストのことか? あれは遊びだろうが」

 いっぺんに酔いがさめてしまいそうだった。嘘を見破られないよう、遊び、ということで押し通そうとした。

「いいえ。貝原さんは独身で、恋人も家族もいない」

「なにを根拠に」

 おれが孤独な寂しい男だと言いたいのか。大きなお世話だってんだ。なんでそんなことを言われにゃならんのだ。

 おれは憤慨したが、あからさまに怒ると図星だと認めているようなものだったので、涼しい顔で否定しようとした。

 が、おれがなにか言う前に、野和田は早口で言った。

「危険が迫ってます。だから気をつけてください。あたしも貝原さんを護ります」

 そう言うと、さっと離れ、

「お疲れさまでした」

 と頭を下げると、四辻から去っていった。

 口をはさむ間もなかった。

 野和田も酔っているのかな。そう無理矢理納得して、おれはアパートへと帰った。



 翌日は日曜日。

 昨夜の酒のせいかぐっすりと熟睡してしまった。布団からもぞもぞと這い出て、セットしていなかった目覚まし時計を手に取ると、もう十時をすぎていた。いかん、寝すぎた。

 とはいっても、急いでしなければならないこともなかったから、とりあえず朝メシを食うことに。

 冷蔵庫から食パン一枚、チューブ式マーガリン、玉子をひとつ取り出した。食パンをトースターに入れると、ガスコンロに乗せた小さいフライパンにサラダ油をひいて、玉子を落として目玉焼きにする。

 粉末スープをマグカップにあけ、つけっぱなしの電気ポットのお湯で溶かしているとトーストが焼き上がった。

 いただきます。

 独り暮らしだから、平日できない家事を休日に集中して片づけてしまうのが日曜日の日中の過ごし方だった。遅い朝食をとりながら、なにを順番にやっていこうかと考える。危険が迫っている――昨日、別れ際に野和田に言われたことなどきれいに忘れて、おれは日常の雑務のなかにいた。

 旧式の洗濯機に一週間分の洗濯物を放り込み、窓枠に布団を干して掃除機をかけると、もう正午。洗い上がった洗濯物を手早く干すと、買い物に出かけた。

 自転車で国道にでてしばらく行くと、三年前に工場跡地にオープンしたイオンについた。

 日曜日とあって、広い駐車場はいっぱいだ。家族づれが多い。

 ダイレクトメールの裏にポールペンで走り書きしたメモにしたがって、食料品や日用品をカートに入れていく。五キロの米袋を買ったせいで、いつもより重い荷物となった。

 大きなエコバッグに全部いれて、フードコートに落ち着いた。イスとテーブルの置かれた広々とした一郭を取り囲むように飲食店のスタンドが配され、大勢の買い物客がひと休みしている。

 カレー専門店で野菜カレーを買い、適当に空いた席で独り食べていた。朝起きるのが遅かったせいで時刻はもう二時になろうとしていた。

 お昼どきからはずれていたが、フードコートに客は多かった。なにかのキャンペーンで子供たちへと配られた風船がフードコートのそこここで揺れるのを眺めながら、おれはこれからの予定を思う。

 家に帰って洗濯物を取り込むと、電車に乗ってライブに出るのだ。夜まで二時間ってところだ。今日は新曲が二曲ある。

 おれは帰ろうと立ち上がり、ふと視線を感じた。反射的にきょろきょろと目を転じたが、すぐに気のせいだと思い直す。だいたい、だれがわざわざおれを見るというのだ。知り合い? だったら声をかけるだろう。

 生まれ育った町ではなかったし、懐かしさに頬が緩むような人はいないのである。

 だが、それが気のせいなんかではなかったのだと、後で知ることになるのだった。



 ギターケースをもってアパートを出て、歩いて十五分ほどのところにある私鉄のもより駅から快速に乗ってさらに二十分、ターミナル駅に着いた。

 ここには私鉄系デパートが出店し、JRの駅も乗り換えられるということで、そこそこ人通りが多かった。

 おれは、駅構内の外、デパートのはずれの歩道に面したいつもの場所でギターを抱える。

 おれはシンガーソングライターを目指しているから、歌うのはすべてオリジナルだ。たまに見ている客からリクエストをもらうが、ほとんど応えられず罵声をあびることもあった。しかし、めげない。おれには夢があるから。

 譜面台を立て、演奏を始める。

 ほとんどの人が忙しそうに足早に目の前を通り過ぎてしまうのだが、たまに立ち止まって聴いてくれる人もいた。おひねりをくれることもあった。しかし特定のファンはいなかった。

 この駅周辺には、おれのようなストリートライブを行っている人が何人かいた。皆おれよりはるかに若い。今日もそれぞれの場所で歌っている。

 おれは新曲「後ろ向きのバラード」を披露した。



  見上げる空は 蒼く高い

  だれもが同じ 空なのに

  おれには曇って 見えるのさ

  沈む気持ちで don't crying


  もしもあのときに戻れたのなら

  今度こそ伝えるさ この気持ち


  Oh My Love 後悔は先にたたず

  Oh Your Heart きみはいまどこに


  失敗の連続さ

  おれは愚か者



 夜七時でライブは終了する。

 デパート側とそういう約束になっているからだ。

 ギターと譜面台をしまい、帰り支度をする。聴衆の反応は、今日も、いつもと代わりばえしなかった。だれもいない空間に向かって歌った時間のほう長かった。

 千円に満たなかったおひねりを財布に入れ、晩飯を食うため、駅の近くの吉野家に入った。ライブのあとはいつもここで晩飯をとるようになったのは、この店がオープンした十年前から変わらない。無言で牛丼をかきこむ。出されたお茶が熱いのを知って、もう秋か、と感じる。

 新曲をひっさげてといっても、偶然通りかかった人にとってみれば、おれの歌はどれも聴いたことのない歌ばかりで、わざわざ足を止めて聴こうなんて思わないのだろう、と聴衆の心理を思った。

 さっさと食べ終え、改札口へと向かった。回数券カードを自動改札機に通してホームに上がると、さほど待つことなく快速電車が来た。

 乗り込むと、七分の混み具合。座席は空いていなくて、おれはドアによりかかった。ギターケースが倒れないよう、しっかりと持つ。

 四十をすぎてストリートライブなんてなにをやってんだと言われるから、工場の人には秘密にしている。秘密が多い男なのだ。人間、長く生きていれば、世間体や面子を気にするのは当然だ。ただ、だからといって、夢をあきらめるのは違うと思うのだ。往生際が悪い? 言っておけ。

 窓の外を流れる夜の景色を眺めたり、車内の吊り広告の女性週刊誌の見出しを隅から隅まで読んだりしているうちに最寄り駅に着いた。

 駅からは歩きだ。大きなギターケースを抱えて自転車を運転するのは危険だから。それに、十五分ほどだし。

 人通りのほとんどない住宅街をとぼとぼと歩く。

 ふと、視線を感じて後ろを振り返った。路上強盗? 最近、この辺りも物騒になってきた。先日も、ひったくり事件があったときいた。

 ――さっさと帰ろう。

 そう思って前へ向き直ったとき、見慣れないモノが道をふさいでいた。クルマでも人でもない。

 それは黒い、靄のようだった。

 ――なんだ?

 靄は不定形で、風もないのに動いていた。しかもその動きは、生き物のように揺れて、霧散することない。

 ただの自然現象ではないような気がして、べつの道を回って帰ろうかと思い始めたとき、その靄は人間の形をとりだした。しかしその大きさときたら、ゆうに三メートルはあり、ヒグマと遭遇したかのよう。

 おれは身の危険を感じて、後ずさった。

「そこの者よ」

 すると、天から声がした。

 背中を向けて走り出そうとしたおれは、腹に響くその声に思わず立ち止まる。

 ――だれだ?

 少なくとも路上強盗の類ではなさそうだ。

 恐怖と好奇心の入り交じった複雑な気持ちで巨大な人型と対峙した。

 人型は、ただの靄からはっきりとした形と色を持ち始め、いまや明確な物体として存在していた。

 ローブのような全身を覆う黒衣の巨人。その上に乗った顔は人間……のように見えた。ただ、その登場の仕方が異常だったから、先入感から不気味な亜人間のモンスターに見えた。

 しかし同時にこれはなにかの幻覚ではないか、あるいは何者かが仕掛けた手の込んだイタズラではないか、とも思っていた。この世にお化けなんかいない。

 ここで逃げたら笑い者だ。

 おれは正体を見極めてやろうと、やつを睨みつけた。

「我は死神なり。汝、貝原俊武に命ずる」

 やつが、そう言った。

「死神……! おれの命が欲しいってか?」

 おれはあまりのストレートなパターンに笑い飛ばしてやった。外見までステレオタイプで、あまりの陳腐さに笑ってしまいそうだ。

「否。汝に、我のえきを授ける」

「は?」

 意味がわからん。死神といったら、人の魂を奪う冥界の魔神ではなかったか――?

「我は三千年の間、死神としてのえきを務めてきた。その間、多くの人間に我の役を務めさせてきた。汝も死神となり、我のように人を黄泉に送れ」

「おれに死神になれっていうのか? 死神を増やす意味がわからん」

「我にも身を引くべきときが来ようとしている。我が滅びる前に、死神を絶やさぬ策を図らねばならないのだ」

 死神だと名乗ったそいつが、ローブの下から目を見張るほど大きな首切り鎌を取り出した。頭上に振りかぶるより早くおれはギターケースを抱えて走りだした。

 黙って立っていたら首を切り落とされるというより、相手になんかしていられない思った。もしそいつの言うとおり、本物の死神だとしたら、そんな超自然的な存在から逃げきれるわけがないが、あいにくおれは信じていない。追いかけてきたら通行人に警察へ通報してもらう。通り魔です、と。

 万が一にも――あり得ないが――本物の死神だとしても、通行人がいたら姿を消すだろう。なぜかって? 昔から無関係な人間の前では現れない、と相場が決まっているからだ。

 が、おれのさまざまな思考はそこで中断させられた。

 目の前に、自称死神が立っていたからだ。もう一人いたのか――いや、さっきのやつだ。しかし、いつの間に。おれを追い越して回り込んだわけではない。とすると……瞬間移動した?

「逃がさぬ」

 おれはギターケースを振り回した。が、たしかにやつの体にヒットしたはずなのに、まったく手ごたえがなかった。

 おれは後ずさる。もう一度きびすを返して走り出した。

 と、いくらも走らないうちに、またも前方をふさがれた。

「くだらん手品なんか使いやがって」

 おれはそうわめいたものの、内心では、こいつは本物ではと、死神ではないかもしれないが、常識を超えるなにかであるのは間違いないと感じていた。

 こいつは、おれの名前を知っていた。そのことからも、普通の人間ではないぞ、と。おれの名前を知っているのは、たぶん、知人だけだ。こいつは知人ではない。

 首切り鎌は、街灯の光を受けて刃を冷たく浮かび上がらせた。

 おれはとっさにギターケースを盾のように持ち上げた。強い衝撃を予測して腕に力をこめ足をふんばった。

 ドスッという鈍い音がしたが、衝撃はなかった。おかしいな、と思っていると、

「今よ、逃げて」

 女の声が命じた。

 ギターケースを下ろし、おれはなにが起きたのか見て、驚愕した。

 地面にひっくり返っている死神と、その側に立っておれを見ているのは、なんと、野和田だった。今の鈍い音は、野和田が死神をノックアウトした音だったというのか――信じ難い。なにかの冗談? 身長差一メートル半はあるぞ。それとも死神は見かけ倒しなのか?

 死神が上体を起こした。

「うぬ、おまえは……。邪魔をするか!」

 野和田は死神に立ち上がる隙を与えなかった。回し蹴りを食らわせた。

 立ち上がろうとしていた死神は、その一撃で後方へとよろめく。

「逃げて! 早く!」

 野和田が叫んだ。

 目の前で展開される非常識な光景に呆然としていたおれは、その言葉でやっと状況に対応した。すなわち我に返り、背中を向けて駆け出したのだ。ギターケースを抱えてなので、全力で走ってもそれほど速くは走れないのだが。

 その場を離れる直前、死神の突き出した首切り鎌が、孫悟空の持つ如意棒のように伸び、野和田を突き飛ばしたのが視界の隅に写ったが、振り返ることなく逃走した。いつまでも得体の知れないものにつきあってはいられない。

 野和田のことは心配だったが、逃げろと言ったのは彼女なのだし、あとになにがあっても知るものか。

 立ち止まることなくアパートまで帰りつきたかったが、おれの体力がそれを拒んだ。情けない話だが、百メートルも走らないうちに息がきれ、足がもつれた。重いギターケースを抱えていたということもあるが、それにしたって。日頃の運動不足と、よる年なみは、如何ともし難い。

 よろめきながら、アパートまでの距離が絶望的なほど遠くに感じた。力を振り絞り、一歩一歩、進んでいくことに集中した。目がかすんだ。

 だから後ろから足音が近づいてくるのにも気づかなかった。

「貝原さん」

 びっくぅ!

 体が跳ねた。心臓が凍りつくかと思った。

「野和田……?」

 声に振り返ると、野和田が立っていた。しかし、カーディガンは破れ、額から血の雫が垂れていた。

「死神は逃げたわ。とりあえず大丈夫」

「だ、大丈夫って……。き、きみが大丈夫じゃないだろう?」

 死神を駆逐したその代償は高くついたように見えた。というより、よく勝てたものだ。

 今さらながら、あの一連の出来事を受け入れて、そう思った。

 おれの心配をよそに、野和田は言った。

「でも安心はしないで。あたしの思ったとおり、死神が現れた以上、また貝原さんは狙われる。死神は決してあきらめない」

「やっつけたんじゃないのか?」

「それは無理。あたしの力では死神を斃すなんてできない。せいぜい、その行動を妨害する程度よ」

「じゃあ、おれは、こ、この先もずっと死神に、つけねらわれつづけるわけか?」

「残念ながらその通りです」

「なぜだ? なぜ、よりにもよってこのおれが、死神に狙われるんだ? だいたい、あれは本物の死神なのか?」

「死神は、人のイメージを視覚化するから、そのように見えたの。貝原さんが死神の標的された理由は、貝原さんが孤独だからよ」

 そして野和田は、にわかには信じがたい話を語ったのだった。



「孤独って、ど、どういうことさ?」

 おれは訊いた。

「貝原さんは両親を亡くして、兄弟もいない。家族がいないで、ずっと独り暮らしだった」

「待てよ。おれには――」

 と言いかけて、ここにきて、もはやごまかしはきかないだろうと悟った。工場では結婚していることになっていたが、野和田が歓迎会の帰りに指摘した通り、たしかにおれは独り暮らしの独身男だ。逃げも隠れもせず断言しよう。田舎の家を出てからの生活はまったく変化したことがない。結婚も、同棲したことすら一度もない。

「し、しかし、そんなやつは、他にいくらでもいるだろ」

 おれと同じ境遇のやつなんかごまんといる。そのなかから、たまたまおれが選ばれた、というのか。

「死神が、自分の代わりを務められる人間の候補としてあげるのは、この世に魂をつなぎ止める「思い」のない人なの」

「は? なんだかわからん」

「つまり、貝原さんは、この世に生きているだれからも『生きていてほしい』と思われてないっていうことなの」

「うっ……」

 今の一言は、心に効いた。両親を亡くして、考えてみればそれは当然なのだろうが、正面きって言われるとグサリと突き刺さるものがある。

「しかし」

 と、おれは食い下がった。

「そ、そんなやつもごまんといるだろう?」

「ほんの少しも、貝原さんにはないのよ。過去に遡っても、そういう思いを抱いた人が皆無なの。過去に、たった一人でも、ほんの少しでも、貝原さんを思う人がいたら、その意識が残っているのに。これまではお母さんのおかげで死神は接近してこなかったけど、亡くなってしまった。そして貝原さん自身も、メダカ程度にしか愛する人がいない……それが、死神にスカウトされる理由なのよ」

 おれは絶句した。そんなことを言われても……。

「でも、あたしは死神の好きにはさせない。貝原さんを護ります」

 きっぱりと言った野和田が実に頼もしく見えた。しかしそれは一瞬のことだった。そのあとの野和田の台詞は、おれを地獄へたたきおとした。

「でも、限界があります。いつまでも護りつづけられない。――十日間。それ以上は無理です。それまでの間に、家族を作って下さい。家族までいかなくとも、せめて貝原さんをこの世にとどめる思いを持つ恋人を作って下さい。もしできなければ……死神になる前に、あたしが貝原さんを殺します」

「!……」

 おれは、さっき死神と対峙したときのような薄気味悪さを感じた。

「おれを殺すって? じょ、冗談だろ」

 声が裏返った。そして、気になっていた質問を口走っていた。

「きみは、いったい何者なんだ?」

「あたし? 正義の味方よ」

 と、野和田は平然と言うのだった。



 アパートの部屋で、おれは激しく落ち込んだ。

 おれの命が、あと十日……。気がつくと、野和田に殺されるのと、死神になって三千年も人間の魂を集めて回るのと、どちらがマシだろうかと、究極の選択をしている自分がいた。

 おれにふりかかった災厄を回避するのに野和田が出した条件は、おれにとってあまりにも高すぎるハードルだからだ。そびえるヒマラヤの山々のようでもあり、とてもではないが越えられそうにない。

 野和田が言ったとおり、おれはこれまで四十四年間生きてきて、恋人と呼べるような女がいたことは、ただの一度もなかった。それどころか、ガールフレンド、いや、知り合いさえいなかった。

 恋人がほしい、と思ったことは、あった。しかし、いろいろと試みるも失敗の連続で、いまや、そんな気持ちもなくなってきた。

 できない原因はおれも承知している。とにかく容姿が不細工だ。歯並びは悪い、目つきが悪い、目鼻の配置が悪い。過去に福笑いかと言われたこともある。たぶん、原因は顔だけではないのだろうが、それだけでも十分である。

 若い頃、ガラにもなくナンパをしようとして、警察を呼ばれてしまったこともあった。それも三度も。

 そんなおれに、十日以内に恋人を作れ? ブタに木登りさせるほうがよっぽど簡単だ。「美女と野獣」という話があるが、制限時間があるだけ、おれのほうがより困難な状況だ。

 どう考えても希望はなかった。恋人を作るのに、永遠の時間があれば、あるいはできるかもしれない――それでも無理ではないかという気もする。だからたった十日ではまったくもって不可能だ、と断言できた。これはおれがそう思うだけでなく、おれを知るすべての人間がそういう結論を出すであろうと自信をもって言えた。

 おれの命は、あと十日だ。

 その夜は、ろくすっぽ眠れず、翌朝寝不足で工場へ出た。

 野和田はすでに出勤していて、なに食わぬ顔で業務についていた。野和田がここへ務めだしたのは、死神に襲われるおれを監視するためだったのだ。

 野和田はおれの心中などおかまいなしで、仕事をつづけている。十日後におれを殺して工場を去るというのに、どういうつもりか働いている。

 おれは一日、心ここにあらずといった状態で仕事をこなしていった。食欲もなく、昼食も抜いた。

 だが定時ごろになって、ようやく落ちついてきたおれは、なにかいい方法はないかと前向きに考えるようになっていた。

 仕事を終え、アパートへは帰らず工場の門を出たところでケータイをかけた。

 宝沢という男だった。

 以前、この工場に勤めていたが、一年ほど前に突然辞めた。しかしその後もつきあいがあり、三ヶ月前にも会っていた。

 おれよりずっと若いが、頼りになる男だ。無遠慮にものを言う性格なので、いい解決策を提示してくれるだろうと期待した。

「やぁ、久しぶり」

 と宝沢は電話口で陽気だった。

「今夜、飲みに行かないか?」

 おれはいきなり切り出した。

「唐突だな」

 宝沢は突然の電話に驚いた様子で、

「いまからか?――ああ、いいよ。どこへ行く?」

「駅前の「きらく屋」で待ってる」

「おお、そうか。わかった。じゃ、あとでな」

「ああ」

 宝沢はおれの急な誘いに、なにかを感じ取った様子だった。なにも聞きただすことなくあっさり受けてくれた。

 おれはケータイをしまい、駅前へ行く道を歩きだした。

 宝沢の年は、実はよく知らない。外見からおれより若いだろうと判断できるだけだ。三十歳以下とみていた。しかし、年齢など、おれにはどうでもよかった。タメ口も気にならない。

 工場から歩いて十数分のところにある駅の周囲には、小さな商店街があって、地元の人が利用する居酒屋と立ち飲み屋が四軒、店を開いていた。きらく屋はその一軒で、いちばん高級な居酒屋だ。高級といっても知れているが、そういう滅多に行かない店を指定したことも、勘の鋭い宝沢はなにかを察したのだろう。

 紺の暖簾を分けてきらく屋に入ると、時間が早いせいか客はだれもいなかった。

 お一人様ですか、という店員に、あとでツレが来るからと、カウンターではなくテーブル席に落ちついた。

 つけだしをつまみに、生中をなめる。店内は明るく、静かな音楽が流れていた。シミひとつない壁には、安っぽいポスターなんか貼っていない。テーブルの上に置かれた醤油差しや爪楊枝入れも統一感があり、店の雰囲気を良くしていた。

 ラミネートのメニューをちらちらと眺めていたら、やつがやって来た。おれが店に入ってから十五分ほどたっていた。

「よお」

 と手をあげ、おれの向かい側にすわった。手ぶらだった。紺のブルゾンの前をあけ、プーマのトレーナーをのぞかせている。この服装だとなんの仕事についているのかわからない。印刷関係だとか本人は言っていたが、詳しくは聞いていない。

 さっと注文をききにやってきたアルバイトらしき若い女性店員に、生ビール大ね、と宝沢。

 おしぼりで手をふきながら、

「いや~遅れて悪い。急いで来たかったんだけどね」

「いや、こっちこそ、急に呼び出したりして」

 おれは言って、メニューを差し出す。

「まずは、なにか頼みなよ」

 受け取ったメニューを宝沢はしげしげと表裏とも見る。

「生ビール大です」

 さっきの店員が、紙のコースターに三分の一ほどが泡のジョッキを重そうにどすんと置いた。

 宝沢は、メニューを店員に見せつつ、

「これと、これと、これと、これと……」

 と注文する。

 なにも言ってないのに、今日の勘定がおれ持ちだと確信しているかのように、値段の張る料理を注文していた。

「最近、景気はどう?」

 おれは訊いた。

 悪いね、と宝沢。

「そんなことより、わざわざ呼び出したりしたのは、大事な話があるからじゃないのか?」

 世間話を始めようとするおれを制して本題に入ろうとする宝沢を、上目遣いで見返した。

 ――だろうな。いきなりこんなところに呼び出されたら「なにかあるに違いない」と、だれだって見当がつく。

「うん、まあな」

 と言ったが、ありのままを話すのはためらわれた。というか、そもそも信じてはくれまい。今のおれの重要課題は死神に狙われていることではない。その対応は、野和田がしてくれる。おれがやらねばならないのは、恋人を作ることだ。しかも十日……いや、野和田に言われてから一日たっているからあと九日で。

「おれさ……こないだ、おふくろを亡くしただろ。で、思ったんだ。このままではまずいと」

「なにがまずいんだ」

「ほら、死んだら、そのあとだれが面倒をみてくれるのかな、なんて」

「なにを言うかと思ったら――」

 宝沢は苦笑した。

「死後のことなんて考えるには早いぜ。無一文で死んだって、行政が供養してくれるさ」

「あ……。いや、そうじゃなくて」

 うまく切り出せない。おれの頭はフル回転して言葉をつむぎ出そうとするが、空回りして言葉が出てこない。

「おまえさ、友達多いかい?」

「は?」

 唐突な質問に、宝沢は一瞬眉をひそめ、

「まぁ、多いっちゃあ、多いかもな。友達と呼べるかどうか怪しいやつもいるけどな」

「そうか。おれは、あんまり友達いないからさ」

 あんまりというか、宝沢ぐらいしかいない。

「少しは交友関係を広げたいかなぁ、なんて思って。集まる機会があったら、おれも参加できっかなー、とか」

「おまえ……、ひょっとしてカノジョが欲しいのかい?」

「うっ……」

 おれは言葉につまった。そのとき、おれはどんな顔をしていたのだろう。宝沢にすべてを見透かされるほど、油断した間抜け面だったろうか。

「おまたせしました。お刺身盛り合わせ、串カツ盛り合わせです」

 店員が抜群のタイミングで料理を持ってきた。大きな皿をテーブルの真ん中に置いて立ち去るまでの数秒間、おれはへんに取り繕うのはやめてストレートに話す決心を固められた。

「実はそういうわけなんだ」

 と言った。

 宝沢はふっと息をつき、なにを納得したのか何度かうなずくと、

「貝原、あんた、女の子に『好き』って言われたことないんじゃないか?」

「え?」

 いきなりやつにそう言われて、おれは虚を衝かれた。そして思い返す。

 今まで、全然意識したことがなかったが、そういえば、たしかに、おれは四十四年間、一度も女の子に好きだと言われたことはない。そしておそらく、今後も、そんなことは言われないだろう、ということも同時に思った。

 外見は客観的に見て最悪。中年になった今はさらに磨きがかかったようで。そんな男は、天地がひっくり返ってもモテるはずはなく、モテないまでも、そんな男が好みだという女がこの世にたった一人でもいると想像するのさえ困難だ。おれが女だとしてもあまり近寄りたくはない。満員電車に乗り合わせた女たちからどんどん距離をあけられていった、なんてことは、しょっちゅうだ。

 だからといって、外観をどうにかしようなどという気はさらさらなかった。なぜ女に媚びなければならないのかというへんな矜恃があった。そんなにまでしてモテたくはないのだ。

 と、つい先週までは思っていた。しかし、そうも言ってはいられないから、今日こうして動いているのである。

 それはともかく、ここで、「そういうおまえは?」という質問はまずいのだろうか。だれでもそんな経験が普通にあるのか? どんな男でも一度や二度、女の子に「好き」だと言われた経験があるのだろうか。――いやいや、そんなことはあるまい。言われたことのないやつだっているだろう、おれ以外にも。しかし……。

 おれは心臓をばくばくさせ、冷や汗を垂らしながら言った。

「なにをばかな。そんなわけないだろうが」

「そうだよな。そんなやついないよな」

「そうとも」

 いるよ、おまえの目の前に。おれだよ、おれ。

「そんなやついたら、特別天然記念物だよな」

 悪かったな、特別天然記念物で。おれはオオサンショウウオか。

 おれは動揺を悟られまいと、すみやかに会話を軌道修正しようとした。

「で、なんかツテはあるかい?」

 宝沢は喉をならしてビールを飲み、ごとん、とジョッキをおく。唇についた泡をなめとり、ゲップ。

「要は、女の子を紹介しろ、と、こういうわけだな」

 なんか、いつにも増して態度がでかくなっている。

「ま、紹介できんこともない。しかしなぁ……ま、来週には……」

「来週じゃ、遅いんだ」

 おれの声が大きくて、宝沢は目を見開く。

 ちらほらと入っている他の客の視線を気にして、おれは声を落とした。

「明日か明後日、ってわけにはいかないか?」

 なにしろあと九日しかない。ひとめぼれでもない限り、ステディな気持ちが芽生えるには時間がかかる。一週間も待っていたら、タイムリミットまで三日となくなる。その時点から好意をもってもらおうとしても間に合わない。ひとめぼれを期待するのは、ばかげていた。

 宝沢は戸惑いの表情を浮かべ、突然呼び出された理由に思い至った。

「それはまたどういうことだ? そんなに急がなくちゃならんなんて」

「それは……」

 おれは言葉を探した。死神云々などという戯言ではなく、もっと現実的な理由をでっちあげようと懸命に考えた。

 黙ったおれを気遣って、宝沢は、とにかく、と言い、それ以上は追及しなかった。

「明日や明後日、ってのはむずかしいな。相手の都合もあるしな」

 もっともである。おれの注文のほうが、そもそも無茶というもの。

「それは重々承知している。でも……あと九日しかないんだ」

 おれは肩を落とした。

「…………」

 宝沢はそんなおれを見つめ、しばらく黙した。

「なぜ、カノジョ、なんだ? おまえが求めているのは、カノジョなのか?」

 宝沢は、おれの台詞と態度を分析し、深いところに切り込んできた。野和田はこうも言っていた――だれかから愛されなさい。それは普通恋人のことを指すだろう。しかしもちろん、恋人でなくてもいいが、それ以外の存在なぞ、思いもつかない。

 おれがそう言うと、宝沢はにっこり微笑んだ。

「だったら、ひとつ手がある」

 冷めかけた串カツをソースにひたし、安心だと言わんばかりにことさらゆっくりと口に運び、三十回以上咀嚼して、飲み込んだ。

「おまえに全幅の愛を捧げてくれる存在は、簡単に手に入るぞ」

「なに?」

 おれは思わず身を乗り出した。そんなことがあり得るのか? 簡単だと? それが本当なら、なんの心配もない。すべて解決だ。

 宝沢の笑みを、おれは確信があってのことと受け取った。

「どうするんだ?」

「おまえを生涯慕ってくれる存在……それは……」

 宝沢はもったついけた。

「それは……?」

 おれは我慢強く待った。

「ペットだ。子犬を飼え。そしてめちゃくちゃ可愛がるんだ。三日とたたずになつくさ。それでどうだ」

「!――」

 目からウロコだった。

「なるほど、そんな手があったか!」

 子犬ならペットショップで買える。少々値が張るかもしれないが、命と引き替えなら安いものである。

 おれは宝沢の手を感謝の念をこめて握りしめた。

「ありがとう。相談してよかったよ」

 さすがにこんな方法があるとは、一人では思いつかなかった。愛情を示してくれるのなら、なにも人間でなくてはならないことはないんだ。

 犬ならたしかに飼い主に忠実だ。明日から飼い始めたら、残り八日。十分な時間だ。

 つぎつぎに運ばれてくる料理をどんどん宝沢にすすめた。酒もたっぷり飲ました。おれもうれしくて、酒がすすんだ。

 その夜は、最近記憶にないぐらいに気分がよかった。

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