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第二章 第三節「100億円以上の価値」

「わかった」


如月創きさらぎ そう前島麗華まえじま れいかの提案を受け入れて、笑顔で返した。精神だけだった頃は感じなかった楽しさみたいなものが体の奥底から湧いてくる。18歳の人間の肉体がもたらす効果なのだろうと冷静に考えることもできた。が、悪くもない。如月創は人間としての感覚を楽しむことにした。


 如月創はワザと用のなくなった推定100億円の炭素の塊をプールへと投げ入れた。


ドボン。


一粒のダイヤが作り出したものとは思えない大きな音と水しぶきを上げて、こぶし大のダイヤがプールの中に沈んでいく。


 前島麗華は一瞬、声をあげそうになるが喉元で何とか押しとどめた。ここで少しでも残念そうな態度を示したら私の負け。私には100億円なんて足元に及ばない価値があることを、彼に示す必要がある。彼女は自分自身に言い聞かせた。


「じゃあ、始めましょう」


 前島麗華は如月創の目の前で着ていた服を脱ぎ始める。下着もすべて取り去って全裸のまま、一人でプールサイドまで歩いていく。女性らしさを強調するような丸みを帯びたラインと、ぜい肉をそぎ取った均整の取れたプロポーション。どんな芸術家でもため息をもらして、自分が制作した女神像や絵画を破壊したくなるような美しさだった。若い筋肉が躍動する様は神々への挑戦とまで世界中の評論家に言わしめた肉体がそこにあった。


 が、如月創はもともと人間ではなかった。人間の姿になったのはほんの数日前で、まだ人間の持つ美的センスや価値観は持ち合わせていなかった。同じ価値基準で言うなら、伸びやかな動きと俊敏な変化を合わせ持つ若い女ヒョウと同程度。可愛らしさならゲストルームに追いやられた黒猫が優っていた。そもそも、羽毛やうろこ、体毛などの体を保護する機能のない動物は、地球上では異質な存在だった。


 如月創は彼女にならって衣服をすべて脱ぎ捨てて彼女の後に続いた。少女のようなあまいマスクとは裏腹に、彼の肉体は創造者に相応しく完成していた。中性的でありながら男性としての理想と若さをつかさどるその肉体は、古代ローマ神々が現代によみがえったかのようであった。


 彼はゆっくりと歩き、プールサイトで待つ前島麗華と向かい合った。夕日が二人の肌を染め上げてく。そのあまりの美しさに彼女は目をみはらずにいられなかった。


「美しい人」


先に声をもらしたのは前島麗華だった。不覚にも感動で彼女の瞳からは決して人には見せたことのない涙が伝い落ちる。彼女は涙をぬぐうことも、まばたきする瞬間さえ忘れて彼の姿に見惚れるしかなかった。泳ぐ前から完敗だった。


「泳ごう」


如月創の言葉に前島麗華は素直に従った。二人は並んでプールに飛び込んだ。


 前島麗華のコンディションは最高潮だった。彼女は世界記録を上回るペースで泳いだ。水中をすべって進むような無駄のない動きは、まるで人魚を思わせた。それでも如月創に追いつかない。彼はやすやすと男子の世界記録を上回るペースで泳ぐのだった。4回ターンをして100mを泳ぎ切る頃には大差がついていた。


 前島財閥の一人娘として生まれ、18年間、だれにも負けずに過ごしてきた記憶が目の前を通り過ぎてゆく。虚勢を張り、隠れて偽りを現実に変えるために努力してきた孤独な時間。彼女に言い寄るものは山のようにいたが、友達と呼べるような人は一人もいなかった。いいなずけの候補は次から次と現れるが、彼女の前でひれ伏すばかりで孤独からすくい上げてくれるものはいなかった。


 プールの上から如月創が手を差し出す。彼女はその手を握ってプールからあがった。不思議と悔しさがわいてこない。むしろ清々しい。こんな気持ちになるのははじめてだった。

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