第二章 第二節「ペントハウス」
ペントハウスには20人程度のゲストが招けるダイニングとシェフが出張して料理を作るに十分なキッチンがあった。バースタンドとワインセラーも設置されている。横には150インチのワイドスクリーンとオーディオセットを備えたリビングルーム。奥にはメインのベッドルームが一つと5つのゲストルーム。各部屋にはジェットバス付きの豪勢なサニタリールームが備え付けてあった。
「レディーファーストだからメインのベッドルームは私が使うわ。残りのベッドルームは自由に使って」
部屋と呼ぶには余りにも巨大なペントハウスに入って前島麗華は如月創に告げた。
「部屋は余っているからこの子にも一部屋あげるわ」
そう言うや否や近くのゲストルームの扉を開けて、抱いていた黒猫を、縫ぐるみでも扱うかのように無造作に投げ入れた。どうやら動物愛護は公共の場だけらしい。如月創は地上での退屈さを紛らわせるには丁度いいと感じた。
彼は前島麗華の後を追ってリビングルームを抜けて、屋上プールへとつながるリビングの前まで行く。良くあるおまけ程度のプールではなく、25mのコースが3本とれる立派なプールがあった。プールの水面は水中ライトで照らし出されている。ワシントンDCの気候は肌寒かったが、温水プールから立ち上る湯気が青白く光って夕焼けをバックにゆれていた。彼女がガラス戸に触れると音もなく窓が順に開いていく。プールとリビングが一つにつながった。と同時にエアカーテンが作動して、冷たい外気をはじき返した。
「この街は埃っぽくて嫌い。少し汗もかいたし、キミも泳ぐ?」
前島麗華はそこで初めて振り返って如月創の顔を見た。言葉は質問形式だったが断るはずはないと言う自信に満ちた言いっぷりだった。
「ああ。そうするなか」
如月創は彼女の横に立って答えた。
普通の男の子ならペントハウスに入った時点で格の違いを意識しオロオロとしだすものだが、余裕でついてくるだけのことはあると彼女は感じた。6万ドルの現金をカジノのチップに変えても動じないだけのことはある。面白い。
「そうだ。競走でもする?掛けは。んーん。いくらでも現金が出てくるそのスーツかな」
前島麗華はそう言って如月創の顔を見上げた。彼女の身長は彼女と同世代の18歳の日本人の平均比べて割りと高い方だった。しかし、並んで立つと如月創は頭半分以上高かった。女の子のような顔が彼を小さく見せていた。
「かまわないけど。これはただの上着だから。物を創り出す力は僕自身なのであげられない。代わりにこんなものでどう」
如月創は両手を重ねて開く。そこにはきちんとラウンドブリリアントカットを施されたこぶし大のダイヤがのっていた。
世界最大のダイヤですら原石でテニスボールサイズだった。取引価格は確か約5300万ドル。日本円にして約53億円。現在、発見されているどんなダイヤモンドより明らかに大きかった。カラー、クラリティ、カット、カラット。ダイヤモンド価値を決める4Cのクオリティーも最上級だった。前島麗華は推定100億円とその価値を見込んだ。
「下品な大きさね。大きすぎて指輪にもネックレスにもならないわ。置物を愛でるおじさん趣味はないの。宝石は女の子を引き立ててこそ価値があるのよ」
その一言で彼女は如月創の作り出したダイヤを否定し、彼との関係をフラットに引き戻した。それでも彼女の中には悔しさが残る。創造者に対して対等であろうとすること自体が無謀と言えたが、生まれて初めて味わった屈辱が彼女のプライドに火をつけた。
「キミの能力はわかったわ。純粋にレースを楽しみましょう。これでも私、100メートル女子の世界記録保持者なのよ」
彼女の言う「これでも」の意味は「こんなにかわいくて美しくても」の意味だった。