第六章 第二節「天使」
おばあちゃんを感看病する高木彩佳を残して、吉澤栞里と天乃解は集中治療室(ICU)を出た。二人並んで総合病院の廊下を歩く。
「おばあちゃん。元気になるかな?」
「体力が戻れば正常な細胞が体の中に広がっていきます」
天乃解が答えた時、患者衣に身を包んだ小学校低学年くらいの男の子が、病室から飛び出してきた。吉澤栞里にぶつかって尻もちをつく。
「いたっ。どこ見て歩いてんだよ!」
男の子は吉澤栞里をにらみつける。天乃解は腰を落として男の子に手を差し伸べる。
「・・・」
天乃解の動作が一瞬、止まった。彼は直ぐに我にかえって、男の子の手を取って立ち上がらせる。頭をなでてやる。
「ごめんなさい」
小さな男の子にも天乃解は丁寧に接した。
「こら。待ちなさい。検査の時間に遅れるわよ」
美容室からメガネを掛けたいかにもきつそうな看護師が、目を吊り上げて追いかけてくる。立ち上がって走り立とうとする男の子の腕を、天乃解はしっかりと握りしめる。
「大丈夫。検査は今日でおしまいだよ」
男の子は目を輝かせて彼を見つめた。
「勝手なことを言わないでくれます。変な期待は、かえってこの子を傷つけます」
看護師は吊り上がった目をさらに吊り上げて天乃解をにらんだ。天乃解は男の子の腕を握ったまま、彼女に引き渡した。嫌がる男の子を引っ張って看護師は検査室へと向かった。天乃解と吉澤栞里が廊下に取り残される。
「どおしてあんなことを言ったの?」
「男の子の頭の中に大きな腫瘍が二つありました。でも大丈夫。もう消しました」
二人が待合室に座って缶コーヒーを飲みながら休んでいると、廊下の奥から先ほどの看護師が走ってくる。
「キミ達、ちょっと待ちなさい」
二人に向けて声を上げる。吉澤栞里は呆気に取られて固まった。看護師は息を切らしながら二人の前までやってくる。
「キミ達、あの子に何をしたの?」
天乃解が答える。
「脳の中にあった二つの腫瘍を消しました」
「あの子の腫瘍は手術でも取り出せないようなものだったのよ」
「どうやったらそんなことができるの?」
「頭をなでました」
「はあっ?何言ってるのかさっぱりわからないわ」
看護師はらちが明かないという顔で吉澤栞里に向き直る。
「ねえ、彼は何者なの?」
「天使です」
看護師は再び天乃解の顔を見る。女の子のような起伏の少ないすらっとした顔立ちは美少年と言えたが、羽根の生えた子供の天使には程遠い姿だった。
「天使?」
天乃解は左手で看護師の右手を取った。大きな赤いアザが手首から二の腕にかけて広がっていた。看護師は生まれた時からあるこのアザがコンプレックスだったので、反射的に手を引っ込めようとする。しかし、天乃解は指に力を込めて離さなかった。
天乃解が右手をサッと看護師のアザにかざす。手を離すと、赤いアザは綺麗に消えていた。彼女は自分の腕を持ち上げて、手首を回しながら見つめる。奇跡を目の当たりにして、瞳がまんまるに見開かれている。
「・・・。何をしたの?」
看護師の声が感動で震えている。
「皮膚細胞の中にある色素を分解しました」
吉澤栞里は一連の流れを二人の横で、ただ茫然と見つめていた。
「本当に天使さんなんだ」
小さくつぶやいた。




