第六章 第一節「治療」
街に一つしかない総合病院の集中治療室(ICU)のベッドの上に高木彩佳のおばあちゃんは眠っていた。アルコールの臭いに混じって、饐えたような臭いが辺りに漂っていた。死がおばあちゃんの体をむしばんでいる。
天乃解が毛布の上から手をかざしている。胃、肝臓、腎臓。ガンは体中に転移していた。これでは現代の医学ではどんな治療をしてもお手上げだろう。手術をしようにも彼女の体はやせ細り、体力がもつとは思えなかった。
「おばあちゃん、彩佳だよ。わかる?」
高木彩佳が彼女の手を握って話しかけた。骨と皮だけで、できるているようなしわくちゃな細い腕。血管に刺し込まれた点滴の針が痛々しかった。肉親を知らない吉澤栞里には、テレビドラマのように実感が欠落した光景だった。
「今日は学校のお友達を連れてきたよ」
おばあちゃんのくぼんだ瞳が微かに開いた。高木彩佳の方に向けてゆっくりと首を動かす。微かな微笑みを浮かべる。高木彩佳は、今にも泣き出しそうだ。吉澤栞里の目にも熱いものが込み上げてくる。
「こんにちは。吉澤栞里です」
吉澤栞里は涙がこぼれるのを必死てこらえながら、笑顔をつくった。
「解君、お願い。おばあちゃんを助けて」
天乃解はゆっくりと頷くと、かざした手に力を込めた。彼の目には布団の下にあるおばあちゃんの体の中がクッキリと見えていた。彼女の体の中で活発に増殖するガン細胞が黒い雲のように広がっている。
正常な細胞を傷つけないように、胃にできたガン細胞を構成するアミノ酸分子を解き放つ。ほんの一秒足らずで黒い影が消えていく。次は肝臓。そして腎臓。あっという間に治療が終わった。
高木彩佳のおばあちゃんの顔色がみるみる良くなっていく。血の気を失った浅黒い皮膚がほんのりピンク色に変わった。おばあちゃんが天乃解の方を見つめる。
「おやおや。死神かと思ったら天使さんが迎えにきたよ」
彼女は一言、言ってまぶたを閉じた。規則正しく上下して寝息がこぼれる。
「終わったの?」
高木彩佳が尋ねた。
「うん。もう大丈夫」
天乃解。分子を解き放ち、消し去る力を持つ男の子。女の子のような優しい顔とスラリとしたきれいな手。吉澤栞里は彼を見つめた。おばあちゃんが言った『天使』と言う言葉が頭の中を廻る。もちろん彼の背中に翼はない。どこにでもいそうなちょっと可愛い男の子。
吉澤栞里は天乃解の顔を見る。彼と目が合う。心臓の鼓動が速まる。あっ。やっぱり私、彼にときめいている。生まれて初めていだいた幸せな気持ち。ほほがピンク色に染まっていく。彼女は恥ずかしくなってうつむいた。




