第四章 第一節「もう一つの光」
舗装すらされてない山道を天乃解は奥に向かって歩いていた。激しい雨が彼を打ち付けている。雨水が小川となって斜面を下っていく。
もうとっくに夜が明けた時刻なのに、うっそうとした木々に囲まれて辺りは夜のように暗かった。
「まったく、貧弱な体だ。人間と言うものは」
天乃解は小さく呟いた。黒いスーツが水を吸って体にピッチリと貼りつく。動きを鈍くし、容赦なく体温を奪い去っていく。
ようやく前方に民家が見えてきたころには、立っていることさへ危うくなりつつあった。顔は血色を失い、唇が紫色になっている。
明菱高等学校の制服に身を包んだ吉澤栞里は玄関に向かった。玄関のガラス窓の格子の向こうは真っ暗だった。地面を叩く激しい雨音が響いてくる。
レインブーツに足を差し入れて、鞄と傘をつかむ。彼女は家の奥に向かって言った。
「行ってきます。叔父さん」
吉澤栞里が玄関の引き戸を引いた瞬間、外から黒い影が倒れ込んできた。彼女は鞄と傘を投げ捨てて、かろうじてそれを受け止めた。
「なに、なに。なんなの。男の子?」
彼女に寄り掛かるようにして、黒いスーツに身を包んだずぶ濡れの男の子が震えていた。男の子の頭が彼女の肩にのり、雨に濡れた黒髪が彼女の頬に触れた。体温をまるで感じない。
「叔父さん。大変、男の子が!」
「どうした!栞里」
廊下の奥から中年の男の声が返ってくる。バタバタとスリッパで走る音が廊下に響いた。
男の子の体重を支え切れずに、彼女が玄関に彼を寝かそうとした時だった。星崎大貴のがっしりとした腕が彼を受け止めた。星崎大貴は男の子の様子を一目見て叫んだ。
「まずいな。低体温症だ。栞里、毛布だ。毛布を持ってこい!」
吉澤栞里は慌ててレインブーツを脱ごうとするが、なかなか足が抜けない。彼女は玄関でオタオタしている。
「バカ。長靴なんてどうでもいい!」
吉澤栞里は廊下の奥の自分の部屋に向かって土足のまま走った。
部屋に入ってベッドにのっている毛布を引き上げる。北欧でデザインされたかわいらしい動物柄がプリントされていた。通販でようやく手に入れたお気に入りの毛布だった。まだ、朝抜け出したときのぬくもりが残っている。
「・・・。しょうがない」
吉澤栞里は意を決して毛布を抱え、玄関へと走って戻った。
星崎大貴に毛布を渡した後、彼女はただ茫然と事の成り行きを見守るしかなかった。男の子は血の気を失い、呼吸も弱まりつつあった。まるで死人のようだ。人の死に目に立ち会ったことのない吉澤栞里はパニックにおちいりオロオロする。
「なにしている。風呂だ。風呂を沸かしてくれ!」
星崎大貴の怒鳴り声で彼女は我に返る。慌ててお風呂場へと向かって廊下を引き返した。
お風呂のスイッチを入れて玄関まで戻る。星崎大貴が男の子のスーツを脱がし、毛布を掛けてさすりながらワイシャツのボタンをはずしていた。男の子はブルブルと震えている。
「栞里。靴と靴下を脱がしてくれ」
吉澤栞里は男の子の足元に向かい、革靴を脱がしにかかる。革ひもが雨で縮み脱がしにくい。ようやく靴と靴下を脱がすとスラリとした足が現れた。彼女は叔父さんがするのを真似て、片足ずつ毛布に包んでさすった。
女の子とは違う筋肉質で少しゴツゴツした感覚。血液が少しずつ戻ってほんのりピンク色になっていく様を見つめながら、きれいな足だなと思った。
「よし。大丈夫だ。そろそろ風呂が沸くころだ。脚を持て。このまま連れていく」
言われるまま吉澤栞里が足を持ち、星崎大貴が上半身をかかえてお風呂場へと運ぶ。
「よーし。俺が抱えているからズボンを脱がしてくれ」
「えっ。私が?」
「バカ。なに、赤くなっている。緊急事態だ」
彼女が恐るおそるベルトに手をかけていると、
「早くしろ。下着もだぞ」
と星崎大貴が付け足した。