5
ヘビの戦い方は・・
「……はぁ、はぁ、はぁ、どうだ? まいたか?」
「ぜぇ、ぜぇ、はぁ、はぁあ……! お、追っては来ない、みたい」
ひと気のない路地でようやく止まったふたり。半ばしゃがみこんで荒い呼吸に胸をあえがせる。
ひとまずホッとしつつも、
「ケルスティンたちのほうはどうだったかな。うまく逃げられてればいいけど」
「だいじょうぶよ、きっと、ケルスティンなら。それに、ジーベはケガをしているけど、フィーネもついているし」
「それにしても、驚いたな」
「なにが?」
「ジーベはともかく、フィーネまであんな、剣の腕を持ってるなんて」
感心したように言う衝太郎。アイオリアは、
「そうね、フィーネはやさしすぎて、たよりないように見えるかもしれないけれど、わたしの侍女で護衛でもあるの。訓練は受けているし、才能だって」
「そうか。そうだな。アイオリアの側につねにはべっているわけだしな。ただの、身の回りの世話だけじゃないってわけだ。……とすると」
(やっぱり、このメンバーじゃオレが最弱ってことか。アイオリアも剣や馬術の腕はたしかだし)
ちょっと落ち込む衝太郎。
「どうしたの?」
「あ、いや。やっぱり役に立たないな、オレ、って。アイオリアがハイドラにつかまったときも、なにもできなかったし、な」
ため息が出る。
「なによ、衝太郎らしくないわね。いつもは、オレこそが異世界から来た救世主! って自信満々のくせに」
「自信なんかないよ。できるのは料理くらいだしな。このあいだの戦いは、出たとこ勝負でなんとか勝てたけど」
この間の戦い、とは、ケルスティンが率いたドルギア軍との、東の砦をめぐる戦いのことだ。
衝太郎の考えた兵の配置と指揮で、大きな勝利を収めた。敵将だったケルスティンを捕えることまで。
「そんなことない! 衝太郎がいなかったらケルスティンには勝てなかったし、そのあと襲ってきたハイドラの軍にもリュギアの街を攻め落とされていたわ! ……いまごろわたしは、奴隷にされるか、殺されていたかも」
「そう、か」
「そうよ! 最初に会ったときだって、衝太郎はわたしの命を救ってくれた。アイオリアの命の恩人なんだから! それに、衝太郎の料理だって、すっごく美味しいし、お料理って、食べること、食事をいただくことがこんなにステキで楽しくて、尊いことなんだって! 衝太郎が教えてくれたから! そ、その……!」
切羽詰まって、目を潤ませるアイオリア。
「お、おう。わかった。うん。オレがいまから剣や格闘術の達人になれるわけないし、得意分野でがんばるよ」
衝太郎が応えると、
「そ、そうよ。でも、馬くらいにはひとりで乗れないとね。いつもアイオリアの馬にいっしょだなんて、ちょっとみっともないかもしれないんだから!」
なぜか、みるみる顔を赤らめるアイオリア。
口を尖らせて、言う。
「ああ。がんばってみるよ。ぅん? どうした」
そんなアイオリアに気付いた衝太郎。顔を覗き込んで、
「熱でもあるのか。耳まで真っ赤だぞ」
「あ、あの……そろそろ」
「そろそろ?」
うながしてまだアイオリアは、顔を真っ赤にしたまま黙ってうつむいている。しかしとうとう、
「い、い、いつまで繋いでるのよ! 手、手よ! ずっとアイオリアの手を、握ったまま……!」
「手? ……ぉおお! わ、悪い!」
言われて気付く衝太郎。あわてて手を離す。
レストランを飛び出たところからずっと、アイオリアの手をにぎったままだったのだ。
「べ、別に、いいけど」
「すっごく強く握ってた気がするからさ。痛くなかったか。どれ……ぅわ、赤くなってるぞ、ごめん!」
アイオリアの手を改めて取って、衝太郎。
たしかに、ずっと強く握られ、引っ張られ続けていたアイオリアの手は赤く、火照っていた。
「だ、だから、もうだいじょうぶって。あやまらなくたって……衝太郎が、ずっと手を引いててくれたから、うれしかった、し……」
「は?」
「だから、その、うれし、く、て」
「声が小さくて聞こえないって。いままでみたいにデカイ声で言ってくれないと」
「誰がデカイ声よ! ……ぅう、だから! もういいっていうの!」
勢いよく手を引き離して、アイオリア、
「ほら! 行くわよ!」
「あ、うん。……なに怒ってんだ」
ひとりでずんずん行ってしまうアイオリアを衝太郎が追いかけようとした、そのときだ。
「見ぃぃぃつけたぁあああ! でありんす!」
ドッ! とつじょ、水柱が上がる。
衝太郎たちが歩いていたのは小道に沿って流れる水路。そこからハイドラが不意に姿を現したのだ。
ラヴェニスのたいていの道は水路に面している。
道に水路が沿っている、というか、水路がメインで道が付属している、とも言えるほどの水上都市だ。
ハイドラは水路を通って迅速に移動することで、自分の侍女たちよりも先に衝太郎たちを探し当てたのだ。
「うわっ! ハイドラ!」
「もう逃がさないでありんす! おとなしく捕まるなら、悪いようにはせんでありんすよ。そう、ひと呑みで、決着をつけてやりんす」
ペロッ、と長い舌でこれみよがしに唇をなめあげるハイドラ。
「う、ウソでしょ」
「とにかく……逃げろ、だ!」
ハイドラに背を向けると、ふたたび衝太郎は駆け出す。断ることもなく、もうアイオリアの手を握っていた。
「ぁ……」
アイオリアもまた、自分から握り返す。全速力で走った。
「無駄でありんす!」
ハイドラがその長大な尻尾を向けて来る。
「うわっ!」
間一髪、滑り込むように地面に伏せてやり過ごす。なんとかアイオリアをかばって、衝太郎のほうが下敷きになる。
「だいじょうぶか、アイオリア!」
「だ、だ、だいじょうぶ、よ……それより!」
ほとんど衝太郎に抱きしめられている、そっちの事実に動転するアイオリアだが、次のハイドラの攻撃を避けるために行動する意思は健在だった。
「ああ。水路のないほうへ逃げるぞ! 水より陸の上ならこっちのほうが速い! ……はず」
「そうね、わかったわ!」
かくして、水路が側を通っていない、より狭い路地へと。しかし、
「甘い甘い! 甘いでありんす! 水の中でなくとも、あちきの速さを知るでありんすよ、ほら、ほらぁ!」
すごい勢いで路上でも追いかけて来る。
ハイドラの太く、みなぎったヘビの身体が、右へ左へくねり、「S」字を描いて移動する速さは、大人が全力で走るのとそん色ない。
「ひぇっ、速い!」
「どんどん近付いて来るわ!」
道の上にあるものを勢いよく払い除け、ときにはそこにいた市民も跳ね飛ばして、ハイドラが迫る。
「いいかげんにあきらめでありんす! この街はあちきが庭。どんな狭い路地でも水路でも、知らぬものはないでありなすよ!」
どうやらその言葉はウソではないようで、少し離したと思うと、走った先の辻からハイドラが現れることもたびたびだ。
「マジかよ……くそ!」
「どうするの!?」
そのたびに方向を変えながら、衝太郎は考える。
(なんだかさっき、気付いた感じがしたんだ。なんだった? 思い出せ、思い出すんだよ、オレのアタマ!)
走りながら思い浮かべる。
(あれは……)
それはハイドラが陸の上を走っ=猛スピードで這いずって来るのを見たときの感じだ。
「そうか、わかったぞ!」
「なにがわかったのよ、もう、すぐ後ろに!」
「止まれというのが、わからぬならもう容赦せぬでありんす。皮を剥ぎ、手も脚も引っこ抜いて、なめし斬りにするでありんすよ!」
言われて衝太郎、ハイドラの言葉に反応したわけではないが、急に止まった。
「ぁん!」
アイオリアが思わずのめりそうになる急制動だ。
衝太郎はハイドラに向き直ると、
「悪趣味だな! キモいのは顔だけにしとけよ!」
言い放つ。
急に立ち止まり、向かって来るかに見えた衝太郎に対し、ハイドラも止まる。警戒し、二メートルほど離れて、
「なにを言うかと思えば、美しいあちきの顔になんたる冒涜。許しませんえ! それにもう、道はない、行き止まりではありんせんか」
ようすをうかがう態だ。
ハイドラの言うとおり、路地はそこだけ窪みのようになっていて、完全な袋小路ではないものの、すでに眼前に立ちはだかっているハイドラを突破しなくては、もう衝太郎たちに進路も退路もない。
「ああ。そうだな。だが! おまえもここで、行き止まりだ、ハイドラ!」
衝太郎は素早くふところに手を突っ込むと、中のものを握り、間髪入れずにハイドラへ投げつけた。
だが、
「なんでありんすか、こんなもの」
ハイドラはなんなく、眼前で打ち払う。
衝太郎の投げたのはちょうど野球の球ほどの大きさのボールだった。ハイドラは武器を持たないが、両手の爪は長く硬く、人の身体などはもちろん、石壁にも容易に傷をつけられるほど。
払われたボールは、石畳に落ちて壊れ、ボッ! と爆発する。もうもうたる煙を噴き上げた。
「煙玉! そんなもの持って来てたんなら、早く使いなさいよぉ、衝太郎!」
「ああ。技がない分、ギミックで勝負、って用意してきたけど、タイミング的に不発だったみたいだな」
笑うが、衝太郎のこめかみを汗が伝い落ちる。
「進退きわまったようでありんすなぁ。どうせ大人しく降参する気もないようやし、ふたりともまとめてひと思いにやってあげるでありんす」
ペロペロッ、長い舌を無意識に出し入れしながら、ハイドラの顔がゾッとするような笑顔を作る。
長く伸びたヘビの胴が完全に路地を塞いで、衝太郎たちにもう、どこにも逃げ場がないと思われた。
「でも、あるんだな、これが!」
「えっ、ぁ……きゃあ!」
またも衝太郎に手を引かれ、アイオリアが声を上げる。だがまた走るのではない。引っ張り込まれる、というのが近い。それは、
「こっちだ!」
ほとんど人の肩幅ほどしかない、建物と建物の間の隙間。強引に入り込んで、身体を壁に擦り付けながら奥へと衝太郎が進む。
「こ、こんなところに入って、ほんとうの袋のネズミじゃない! ハイドラが入ってきたら!」
奥行は二十メートルほどだろうか。最奥は少しだけ広く、地面には下水が流れ落ちる樋があって、悪臭を放っていた。
「だいじょうぶだ。ハイドラは入ってこられない」
「でも! このくらいなら、ヘビの身体もなんとか通る幅よ!」
「それが、だ!」
衝太郎がアイオリアに向く。少し広いといっても、ふたりだとぴったり身体を密着させていないとならない程度だ。
ともすると、鼻の頭どうしがくっつきそうな近さに、
「近い! 近いわよ! ……で、なんでハイドラは」
「ごめん、えっとだな、つまりハイドラの歩きかた、っていうのか移動のしかただ。こう、ヘビみたいに、ってヘビだけど、あの胴体を左右に大きく振って、それで前へ進んでるだろ?」
「ぁっ」
アイオリアも納得する。
たしかに、壁と壁の間のごく狭い幅では、ヘビの胴を横へ広げるようにくねらせて進むのは不可能だ。
「でも、ヘビって真っすぐにも進めるはずよ」
続けてアイオリア。
そのとおりで、長い胴を伸ばしたり縮めたりすることで真っすぐも進める。それなら、横方向のスペースの余裕がなくても問題ない。
つまり衝太郎たちは単に、こんどこそ逃げ場のない狭い袋小路に押し込まれてしまったことになる。
「それならだいじょうぶだ」
「なにがだいじょうぶなのよ。もう本当に逃げ場がないのよ」
「逃げない。そのときは戦えばいい」
「あのハイドラ相手に、こんな狭い場所で!?」
驚くアイオリアに、衝太郎。
「狭いからいいんだ。狭い場所だから、ハイドラが入って来るにはさっきの、ヘビの身体を縮めたり伸ばしたり、だろ? とても素早くなんて動けない。そのうえ、間違いなく、ここへ来るってことだ」
ここ、とは、衝太郎とアイオリアの目の前。そこへ、ヘビ体を伸縮させながらノロノロ進んでくるとしたら。
「そうしたら……」
「攻撃すればいい。アイオリアだって、そのくらい持っているだろ」
と衝太郎。
お忍び、というより潜入モードのアイオリアも、身を守るための短剣くらいは携帯している。
「そうね、わかった!」
うなずくと、スカートの中に隠した短剣を握りしめるアイオリア。
衝太郎も、もう一個ある煙玉をポケットの中で確かめながら、
(さあて、これで五分や十分は時間をかせげるとして、そのあとは……)
ひとまずはハイドラを防いだとしても、彼女が配下の兵を呼び寄せればそれで終わりだ。さっきの侍女たちが追いついてくるのでも。
衝太郎とアイオリアは、壁の隙間から出られる望みが絶たれるどころか、いずれ押し込まれ、狩り出されるだろう。
むしろ、
「がまんのできないハイドラの性格が……おっ!」
衝太郎の読みがあたった。
部下を待たず、自ら手を下す攻撃性、積極さ、それに残忍さも。
「ホ~ホホホ! いつまで隠れているつもりでありんす。周りを囲んで火責めにするのもかんたんやけど、ここまで来たら、あちきが最後まで相手してあげるでありんすよ! ホホホホ!」
言うが早いか、ズルッ……不気味な音とともに壁の隙間にハイドラが入って来た。
「ほんとに来るとはな。だが」
衝太郎がポケットから煙玉を出す。
アイオリアも短剣をかまえる。そこへ、
「ホォホ! 自分から逃げ場のない行き止まりに入るとは。なにをたくらんでいるかは知りゃんせんが、後悔するがいいでありんす!」
ズルッ! ハイドラのヘビの身体が地面を這う音が響く。人の部分でも肩幅に足りない隙間だから、ハイドラは上体を斜めに傾けている。
「来るぞ!」
「ええ……はい!」
「無駄でありんす!」
ハイドラの身体が、いっきに伸びた。
むろん伸びたのはヘビの部分で、まだ十メートルは向こうにあったハイドラの上体が、いっきに衝太郎たちの間近へ迫る。
じつはハイドラ、尾を支点にして、縮めたヘビ部分をいっせいに前へと伸ばしたのだ。
実際のヘビもそうで、種類によってはそうして身体を伸ばしたあと、頭を地面につけて身体を巻き取るように縮める。
そんなふうにシャクトリムシのように進めるのは、身体の下の腹板と呼ばれる部分が地面を爪のようにつかむことができるからだ。
「うっ!」
「のそのそしか進めんと思ったら大間違いでありんすよ、ほうら! どうするどうする、どうするでありんす!」
たちまちハイドラの身体が伸びてくる。その硬く長い爪が、衝太郎たちを切り裂こうと振り下ろされる。
バトル、もうちょっと続きます