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ふつうの男子高校生・笹錦衝太郎が異世界に転生して、三か月ほどが経っていた。
その間、リュギアス王国の王女アイオリアに専属料理人に任じられ、隣国ドルギアとの戦争でリュギアスを勝利に導く。
なにを言っているのかわからないだろうが、筆者もなにを書いているのか……ともあれ、料理人・ときどき軍師となった衝太郎、宿敵ドルギア軍の指揮官、ケンタウロス族のケルスティンを料理の力で仲間に迎え入れ、これでとうぶんリュギアスの国境は万全、と思ったら、湖を超えて、フィレンツァが攻めて来た。
水軍で有名なフィレンツァ軍を率いるのは、ラミアー族のハイドラ。海棲の王族だが下半身は魚ではなくウミヘビだ。
あわや首都リュギア陥落か、と思われたとき……ここのところの詳細は、前作を読んでもらうとして、なんとかハイドラとフィレンツァ軍を退けた衝太郎は、今日も料理の腕をアイオリアたちにふるうのだった。それでいいのか。いや、まあ料理人ですし。正式には、ね。
リュギアの街の雰囲気もじょじょに変わりつつある。
といっても、アイオリアが急に美食に目覚めて、街の飲食店を増やしたりしたわけではない。だいいち、店は民間のものなのだから、そんなことは直接できない。
飲食関係に補助金を出したり税を優遇したりしたわけでもなかった。
ではなにをしたのか。
街の市場を整理拡充した。そして広げた部分には飲食の店を募って入れた。
これだけで、食材と食が繋がり、市民にとって買い物と飲食が連続した事柄になった。
人が集まるとそこでまた別の商売を始めようとする者が出て、さらに市場が賑わう。広がる。
市場は好評を博し、別の場所にもいままた、大きな市場スペースを造成している。郊外だが、きっと人が集まるだろう。もとから交通の要衝で、人が行き交う街だったリュギアは、さらなる繁栄の兆しを見せ始めていた。
そんなころ……。
「フィレンツァに偵察に行く? 正気なの、衝太郎!」
アイオリアが声を上げたのも無理はない。
だがケルスティンは、
「偵察か。それはいい。敵をよく知ることは、戦の心得の第一か条だ」
納得して身を乗り出した。
「だろ? だと思うんだ、オレも。なにしろこの間は、気が付いたらもう王宮を囲まれてた。市街もフィレンツァ軍に占領されていたんだからな。湖から敵が船で来るってのは想定外だったとしても、二度と許しちゃいけないことだ」
「それはわかってるわ。だからいま、城壁を作ったり、衝太郎の指示で防備を固めているんじゃない」
衝太郎に反論するアイオリア。
その言葉のとおり、リュギアの街はいま、ちょっとした工事ラッシュだった。
全市を取り囲む低い城壁はこれまでもあったが、湖に面した港部分は無防備。そこで、港への入り口にあたる突堤に城門塔を築く。
城の城門塔と異なり、門を閉めることはできないが、湾口の左右に築かれた門塔のおかげで出入りする船ににらみを利かせられる。
もちろん攻撃にも有利だ。
ほかにも、突堤ごと壁を築いたり、遠くまでも見通せる高い塔を築いたり。
また、敵に港に入り込まれても、陸から攻撃できる拠点。さらには上陸を許したとしても、兵がこもって戦うトーチカや、それらを指揮する高台の指揮所。敵をはばむ障害物なども。
「それはもちろん重要だし、進めてほしい。けど、防御ばかりじゃダメだ。攻撃は最大の防御って、な」
「最大の防御って、まさか攻撃するつもり!? フィレンツァを」
「同感だ。手をこまねいて、敵が来るのを待つばかりではいかにも下策」
「ケルスティン、あなたまで! どうなってるの、このリュギアスにとって大事なことよ。軽々しく他国を攻撃するなんて」
アイオリアは主張するが、
「攻撃するとは言ってない。偵察してくるだけだ。アイオリアだって、湖の向こうのフィレンツァのこと、よく知らないんだろ?」
「それは、そうだけど、でも商人たちからは聞いてるし」
「行ったこともない街のことを聞いただけでなにがわかる? どれだけ街が広いのか、栄えてるか、さびれてるのか。市民の気質は? 行けば一目瞭然だ。そのうえで聞けば、さらにわかるさ」
「でも! さっき攻撃は最大の防御って」
「あー、それはほら、言葉のアヤだ。アヤ!」
衝太郎は笑うが、
「ぅぅー、なんだかすごく納得できない。それに衝太郎ひとりじゃ、すごーく心配……し、信用できないんだからぁ!」
声を高めるアイオリアに、
「ならば、吾がともにいこう」
さらっ、とケルスティン。
「はぁ!?」
「へっ?」
「……ここがフィレンツァの都、ラヴェニスか。噂どおりの、華やかな街だな」
多くの人が行き交う大通り。
降り注ぐ陽光が、影をはっきりと刻み付ける。そんなコントラストの強い風景がよく似合う、活気ある商店街。
石造りの建物の前に、木で組まれた店先がにょきにょきと軒を伸ばしている。
その分、通りはせまくなり、人と人はきゅうくつに身体を避け合わなくてはならない。
けれど少しもイヤな感じがしない。
微笑んで挨拶し合い、笑いながら話している。
「うむ。よい街だ」
「いい街だし、いい国だな。なんだか少しイメージ違ったな。もっと……好戦的な、なんていうか、ギスギスした軍事国家みたいなのかと思ってた」
衝太郎は思うが、この世界は基本、貴族からなる騎兵を除けば、兵のほとんどは徴兵された一般人だ。
そのほかに傭兵がいるが、
(この街の平和な市場には、似合わないよなぁ)
リュギアの街もまた、東西の交易路の交差点として栄えているが、それにも劣らない賑わいだ。
衝太郎の考えが伝わったのか、横でケルスティンが同意する。
「水軍が主なのだろう。船を操るには熟練を要する。船乗りの商人たちを、臨時に徴兵しているのかもしれぬな」
その言葉のとおり、このラヴェニスは水の都と呼ばれる、海に面した河口に築かれた街だ。
もともとは、中須の小さな集落から始まり、埋め立てによって街を拡大していった。そのため、あらかじめ船の通れる水路が街の縦横に、無数に走っている。
道路を歩くより、小船で水路を行ったほうがよほど移動が早い。
「フィレンツァの他の街と、ヴェネト川の水運で結ばれてるんだな。そのうえ、最近できた水路でもって」
「ファーレン湖とも繋がった。その水路を通って、あの水軍がやって来たんだな」
リュギアの街が面する広大な湖、ファーレン湖からフィレンツァの船が押し寄せて来たからくりが、ようやくわかった。
「うむ。それがわかっただけでも来たかいがあったというものだ」
ケルスティンもうなずく。
これだけなら、ただの観光もどきだが、もちろん「敵情の視察」も衝太郎たちは怠らない。
国境を越えてからここまで、フィレンツァの情報は細大もらさず記録してある。
防御施設の数、規模、駐屯する兵の数、市門や塀の高さや厚み……。観察しながら、どこが街の弱点か、どう攻めればよいかなど、もともと騎士のケルスティンはもとより、衝太郎もつねに考えていた。
「……ときに、衝太郎」
「ん? なんだ、ケルスティン」
「吾のこの、かっこうだが、ほんとうにこれでいいのだろうか」
ケルスティンの顔が曇る。それまでの騎士然とした毅然とした表情から、半分頬を染め、その半分じつに残念そうな、がっかり感もただよう。
「平気平気、誰も気づいてないよ。こういう大きな街では、人もそれだけ多いから、いちいち他の人のことなんか、たいして気にしないのさ」
衝太郎は言うが、その言葉が終わらないうちに、
「よーお、ねえちゃん! ずいぶん背が高いな。そっちの男は彼氏かい!」
「なに運んでるんだ。オレが持ってやろうか。遠慮するなって!」
「うまいお茶を出す店があるんだ。少し休んでいかないか。はたらき過ぎはよくないぜ!」
次々と男たちが声をかけて来る。
これにも半ば閉口しながら、
「い、いや、けっこう……重くないからだいじょうぶだ。まだ喉は乾いてない。い、いらないと言っているだろう!」
ひとつひとつ断っていたが、とうとう、
「衝太郎! や、やはり吾の姿が、人目を惹いているとしか思えぬぞ!」
訴える。
そんなケルスティンの姿とは。
ケンタウロス族のケルスティンは、いうまでもなく人馬一体。上半身が人で、下半身がほぼ馬だ。
こんな姿では、誰がどう見ても目だってしまう。
リュギアの街でもそうなのだから、初めて行く街、しかも敵の首都では致命的だ。いきなりつかまる、攻撃される恐れはもちろん、物見だかりができてしまって、街を見て回ることすらできないだろう。
そこで衝太郎が考えた「変装」策。
『この長いスカートで、腰から下を覆うんだ。前脚に靴を履いて、いかにも女の人が立っているように見せかける』
『なるほど。それはよいな。だが、後ろはどうする』
衝太郎の案で馬体の前三分の一部ほどは隠せたが、後ろは馬のまま残ってしまっている。
『この布をかぶせる。それからこの荷車の、床を取り払ったものを……』
『……おお! これは』
かくして完成したのが、いまのケルスティンの出で立ちだ。
ようするにそれは、人が荷車を引いている姿。
床を外した荷車は、引き手をケルスティンが持ち、そこから伸びたアームで左右の車輪を保持している。
車輪は馬体の後部に位置し、ケルスティンの後ろ脚を隠してくれていた。もちろん、何か運んでいるよう、荷の部分にはシートがかぶせてある。
「な、完璧だろ!」
衝太郎は言うが、控えめに見てもそうそう、かなり、その姿は奇妙で、人目を惹くものだ。
なにしろ背が高い。
頭の頂まで、二メートル以上はある。ケンタウロスの場合、身長はほぼ、人が馬に跨っている、その高さに近いのだから、とうぜんだ。
そんな長身の女が荷車を引く姿は、往来の中でも頭ひとつ、いやふたつは抜けているし、荷馬車の幅も取る。
衝太郎といっしょにいると、まるで衝太郎の従者だ。
「オレがケルスティンの従者って感じの変装でいきたかったんだが、悪いな。そこんところは我慢してくれ」
「いや、だから」
「あ、怒ってる? やっぱりか。王族のケルスティンが従者じゃ、気に入らないのはわかるんだ。でもごめん!」
「そうではない! そうではないが……なん、とも」
「ひょーお! 背の高い美人さん! キリッとしててなんともいいねえ! どうだい、オレとデート!」
そうするうちにも、他の男に声をかけられる。
といって、しつこく食い下がるわけではない。たいていは、衝太郎を見ると、笑って手を振り、行ってしまう。
しかしケルスティンには、こんなふうに男たちに次々声をかけられること自体、初めてのことであり、その原因が自分の奇妙な仮装のせいでは、と疑っているのだ。
「それにしても、フレンドリーっていうのか、ナンパが多い街だな。男はみんなナンパ師なのかよ」
「なんぱ……? 船がどうかしたのか」
「ぁ、いや、その難破じゃなくて。いまみたいに、見知らぬ女の子に街で声をかけて、えーっと、お近づきになろうってすることさ」
と説明するのもなかなか難しい。
しかし女性に声をかけること自体なら、衝太郎の現代でなくとも、ずっと昔から行われてきたことだろう。
それがケルスティンには、初めての体験でも。
(アイオリアだって、そうなったろうな、ここにいたら。リュギアスじゃ姫殿下をナンパする命知らずなんて、いないだろうが)
衝太郎は思い出す。
フィレンツァへ偵察へ行こうと提案して、アイオリアの激しい反対にあった。そのうえケルスティンまで同行しようと言いだすに及んで、
『な、な、な! なんで! なぜケルスティンまで行くのよ! おかしいでしょお!? 衝太郎だって、わざわざ行かなくたって、誰かを偵察に行かせるだけで』
『それじゃダメだ。ひとが見聞きして来た話じゃなくて、自分の肌で感じないと、って言ったろ。それが生きた情報ってもんさ』
『同感だ。指揮官たるもの、つねに自らの目で見、耳で聞く。戦場とは生きもの。自らの駆け回り……』
『戦場の話じゃない! 街を見に行くんでしょう。だったら』
『そう。戦場じゃないから、安心だろ? オレもケルスティンがいてくれるなら心強いしな』
『そなたひとりの護衛くらい、お安いものだ』
『だったら決まりだな』
『ちょっとぉー! なに決めてるのよ! この国の責任者はわたしよ! アイオリアよ! なんでふたりで勝手に……!!!』
ほとんど、なぜか涙目で訴えるアイオリアだったが、もはや流れは覆らず、翌々日の早朝、衝太郎とケルスティンのふたりはフィレンツァへ向けて出発。
湖を船で渡り、翌日の朝にはこのラヴェニスへ着いたというわけだ。
「アイオリア、いまごろなにしてるだろうな。帰ったら、またうまいメシを作って食べさせてやり、た……ぃ!?」
そう思って衝太郎。視線を動かした端に、なにかが動いた。
衝太郎をじっと見つめている。いや、フードを目深にかぶっているので顔のほとんどは見えないが、強い視線を感じる。そしてそれは、
「ぅん?」
目が合う(?)と、そのフードの人物は、サッと身をひるがえして雑踏にまぎれてしまった。
だがまたしばらくして、視線を感じて振り向くと、物陰からジッと見ている。
「ははぁ」
「どうした、衝太郎」
まだケルスティンは気がついていないようだ。
つねに隙のないケルスティンだが、ナンパ続きで少々感覚が鈍ったのか。
「ちょっとの間、ここにいてくれ、ケルスティン」
「よいが、どうするのだ」
「オレはちょっと……」
そこまで言うと、衝太郎もまた足早に動いて雑踏へ身を隠す。と、案の定フードの人物も後を追って動きだした。
だがすぐに、衝太郎を見失ったのか、往来の真中で立ち往生。しきりに周りを見回しているところへ、
「ほい、そこまでだ」
真後ろから近づいた衝太郎が、フードの人物の腕を取る。半ばねじりあげると、
「ぅうう!」
「なんでオレを見失ったのかって、考えてるだろ。この外套、裏表別の色と柄になってるのさ。リバーシブルってこと。あと内側にはフードもついてる」
なんのことはない。雑踏に隠れるや、衝太郎はすぐに自分の外套を脱いで裏返し、フードまでかぶって外見を変えたのだ。
ちょっとした、いや立派な変装である。
このせいでくだんのフードの人物は衝太郎をあっという間に見失った。
「フードで顔を隠すのは、自分だけだって思ったか。ははっ! いつからオレたちを追けてたんだ。フィレンツァの、ハイドラの手の者か。正直に言わないと……」
フードの人物の背中に、衝太郎が手にした物を付きつける。
と、背中が小さく震えだし、
(なんだ、震えてるのか。それに小柄だし、女の子みたい、な……)
「きゃぁああああ!!」
思っていた衝太郎が驚くような、耳をつんざく悲鳴が迸る。思わず手を緩めた衝太郎。フードの人物が逃れようと振り払う。
「おっと、逃がす、か! ……ぉ、お!?」
こんどははがい締めにしようと、思い切り抱きついた衝太郎は、手のひらに伝わるなんともやわらかい、適度な大きさのふたつの固まりをつかんでしまっていた。
瞬間、さっきなど較べものにならない悲鳴が迸ると思った。もう、女の、それも若い少女なのは間違いないと思ったが、
「ぅぅぅう……」
こんどはフードの人物=女は、震えてへたりこんでしまう。
とりあえずつかまえたか、と思う衝太郎だったが、
「そこまでです」
さっきの自分のセリフがそっくり返って来た。
衝太郎の喉笛に、冷たい感触が押し付けられる。
(しまった、仲間がいたのか……)
が、続いて、
「お手をお放しください、衝太郎さま」
名前を言われ、聞きなれた声だと気付く。振り返って、
「ジーベ!?」
間違いない、侍女のジーベだ。やはりフードをかぶっているが、端正な顔立ちや、メガネの奥の冷静な眼差しは隠せない。
「はい。衝太郎さま」
「ジーベがなんでここに。……てことは、こいつ、この感触、は」
衝太郎がいまいちど、確かめるように手を動かす。そんなふうに胸をつかまれたフードの人物、いや少女は、
「……ぃ、ぃ、いつまでさわってるのよぉお! バカぁぁああ!!」
振り返りざま、平手が襲ってきた。
それはかろうじて避けられた衝太郎だったが、
「ぁ、あ、アイオリア!?」
少女の顔は、まさしくアイオリア。
ジーベ、それにアイオリア、さらに、
「衝太郎! 無事か!」
パカッ、パカッ、パカッ……ガラガラガラガラ!
異変を感じてケルスティンが駆け付ける。馬体の並み足に加え、ダミーの荷車を引っ張ってのじつに騒々しい、目立つ姿。
「なんでアイオリアとジーベが、ここに」
「なに? アイオリアなのか。どういうことだ」
ケルスティンの問いに、まだ衝撃から醒めない衝太郎だが、
「いけません、人だかりが。いったん、逃げます」
とジーベ。それでなくとも悲鳴やら、ケルスティンの姿やらで、たちまち通りには衝太郎たちを取り巻いて人垣ができている。
「こっちです!」
そう言って手を振るのは、
「フィーネ! フィーネもいるのか。どうなってる。ええい、とにかく!」
この場は逃げるが得策。
人ごみを蹴散らし、かきわけて退散する一行だった。