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さて衝太郎が作っている料理とは・・
「だいじょうぶなの? 衝太郎」
グルゴーニュ宮殿の厨房。
いくつもあるそのうちのひとつを借り切った衝太郎が、早朝からずっと忙しく立ち働いていた。
「やるしかないだろ? てか、すっごいやる気だぜ。超楽しい、ウキウキしてるところだからさ。少しも苦にならないよ。なんたって、あのリーリアが、オレの料理を食べるんだから!」
ボウルの中の卵をかき混ぜ器でさかんにかましながら言う。
『そう。ときに衝太郎。リーリアに料理を作って欲しいのです』
女王ブーリエがとうとつにそう言ったは、リーリアが三歳、と自ら告げてからだ。そのうえ、
『衝太郎がすばらしい料理を作ることは、伝え聞いていました』
『えっ、じゃあ衝太郎のこと、まえから存じてらしたのですか?』
『ええ。じつは、リュギアスの館にすばらしい、美味しい料理を作る料理人がいる、というのを、出入りの商人たちの噂で聞きつけたのです』
『なんてこと。じゃあ、女王陛下は、ほんとうは衝太郎が目当てで……ぁ、でも、最初は衝太郎に、謁見の許可が』
『そうですね。少し試したところがありました。ごめんなさい。アイオリア。あなたが、どれだけ衝太郎のことを大事に、重要に思っているか。それを見届けて、確信が湧いたのです。ぁ、言っておきますけれど、アイオリアのリュギアス大公女などの叙任は、ほんとうですよ。必要なことでした』
胸を張る女王。
しかし、それを口実に料理人を呼び寄せるなど、どことなく、
(ポンコツ感が……い、いやいやいや)
『じゃあ、オレがなにか料理を作るって、それでいいのか?」
気を取り直し、発言する衝太郎。
しかしじつはなかなかに、いや、かなり、うれしい。
なにしろこの大陸を二分するうちのひとつ、大国グレナグラ=ビラの女王じきじきに、料理を依頼されたのだから。
(こりゃあ、次は女王陛下の専属料理人か? や、待てよ、それじゃアイオリアが……)
つい笑いがこみ上げながら、視線でアイオリアを見ると、
『で、でも女王陛下! 衝太郎はリュギアスの、わたしの料理人で……』
『わかっています。衝太郎を取り上げるつもりはありませんよ。ただ、食べてみたいのです。美味しい料理を』
これまで見たことのないほど必死なアイオリアに、さとすようにブーリエ。そしてまた衝太郎に向き直ると、
『このグレナグラ=ビラでもなかなか美味しい料理はありません。料理人たちは、肉を焼き、野菜を茹で、煮込み、ソースを作ります。が、どれも代わり映えのしないものばかり。かといって、商人たちの異国風の料理も、辛かったり、ピリピリするような……』
『わかるよ。って、わかります。スパイス使い過ぎなんだ』
(西洋でいうところの出汁、ブイヨンやフォン・ド・ヴォーもないだろうし)
『引き受けた! 料理ならこっちも願ったりかなったり。自分から、女王陛下にお願いしようかと思ってたところだ。きっとブーリエ女王陛下が美味しいって思える料理、作ってみせます!』
ところが、
『いえ、わたしも確かに食べたいのですが……じつはこのリーリアに、料理を作ってほしいのです』
『リーリア……このちんこいの、じゃない次期女王に』
『そうです。じつはリーリア、なんど言っても野菜を食べないので。衝太郎なら、リーリアが食べられる野菜の料理を、作ってくれるのではと』
なんと、野菜嫌いの子どものために、なんとか野菜を食べさせようという母親のリクエストだったのだ。
『野菜……子どもに』
衝太郎が見ると、当のりーりえ。
『……ぃーーーーーーだ! ふんっ!』
思い切り口を横に引っ張り伸ばし、さらには、ぷいっ! と横を向いた。けど、薄目の横目で衝太郎をチラッ。
『ふぁー……』
そしていまに至る。
ブーリエ女王の料理依頼の、今日は翌々日だ。
「それで……だいじょうぶなの、衝太郎」
忙しくはたらく衝太郎を見ながら、アイオリア。不安そうでもあり、どこか不満そうでもある。
だがそれに気付いているのか、衝太郎、
「野菜嫌いの子どもに食べさせるレシピ、なんてのは、オレのいた世界じゃ定番中の定番さ。もうあの手この手で、いろいろ考えられてる」
「そう。だったら、いいんだけど」
「ああ、任しとけ」
ふだんなら、ここで厨房を出て行くアイオリアだが、
「ねぇ、なにか手伝えること、ない?」
「アイオリアが? いやいや、だっておまえ……じゃない、大公女殿下じゃないか。いつもだって、厨房には冷やかしか視察に来るだけで、手伝いなんて。させられるわけないじゃないって、アイオリアに」
リュギアス国の大公女にして、グレナグラ=ビラ王国の王位継承者でもある。
万が一、現女王や、その後継者にもしものことがあれば、
(この大王国の女王になるかもしれないんだもんな)
ブーリエ女王との謁見のあと、形式的で複雑な序列、というのを衝太郎は確認したところ。
『もちろん、ブーリエ女王がいちばんよ。次はリーリア王女殿下。グレナグラ=ビラ王国の次期女王だもの、とうぜんよね。次はわたし、って言いたいところだけど、ケルスティンが王国の正騎士に任命されたから、難しいわね。女王から見ると、わたしもケルスティンも、等しく臣下、ってことになるのかしら。正式には、ケルスティンはグレナグラ=ビラ王国からリュギアスに遣わされて来ている、となるの。あ、でもわたしはいちおう女王陛下の妹の孫で……』
そういうのを、又姪というらしい。
『つまりブーリエ女王の親族なんだよな。てことは』
『だからほんと、いちおうはグレナグラ=ビラ王国の王位継承権もちょっとあるってことで、あっ、ほんと形だけみたいなものよ。女王陛下にも御兄弟はいらっしゃるし、甥や姪もいらして、そういう方々が順番に継承権があって、そのずーっと後ろにわたしが……』
『ということは、一朝ことがあれば、アイオリアがこのデカイ王国の女王になる可能性だってあるって、ことか!』
「……すげえよな、やっぱりアイオリアは、世が世ならほんものの女王陛下に、って……ん、え?」
衝太郎の言葉が途切れる。
ボウルの卵をかき混ぜていた手も止まる。
アイオリアが背後から、そっと身を寄せたのだ。抱きついた、のとも違う、ソフトな感触。
「アイオリア?」
「衝太郎は、この国の、女王陛下の料理人がいいの?」
「えっ」
衝太郎の背中に、アイオリアがひたいを押しつけている。アイオリアの声が背中の中から聞こえて来るようだ。
「なに、言ってんだ」
「だから、わたしの料理人より、もっと、ブーリエ女王とか、リーリアのほうがいいの? そんな顔したじゃない」
アイオリアは見ていたのだ。
ブーリエに料理を頼まれたとき。
遠くグレナグラ=ビラまで聞こえているという衝太郎の料理人としての腕を、ブーリエが評価し、興味を抱いて、招き寄せたと聞いたとき。
衝太郎のその、得意げな顔。つい漏らした軽々しい声、など。
(そうか。オレ、みっともなかったな)
この世界に来て、なんの取り柄もチートな能力もなくて、のっけから死にそうな目に何度もあって、それでも居場所をくれたのがアイオリアだったというのに。
「どこにも行かないよ」
「ぇ、ほんとう?」
「ああ」
衝太郎がアイオリアに向き直る。
「オレはアイオリアの専属料理人だ。そうだろ?」
「そう、だけど。でもブーリエ女王の料理人になれば、もっともっといろんな料理を作ったり、いろんな人に……」
「そんなの、リュギアスでだってできる。誰に食べさせるなんて、別に興味ない。王侯貴族でも、庶民でも、オレの料理をうまいって食べてくれる人なら身分なんて関係ないし、もっともっとうまいものを食べさせたい、そのためにがんばって勉強したり試したり、それにグレナグラ=ビラのだってリュギアスだって、変わらないだろ?」
「ほんとうに、いいの? だって、女王陛下の料理人になれるチャンスかもしれないのよ。次にブーリエ女王が所望すれば」
「断る」
「ええ! ダメよ、そんなの」
驚くアイオリア。
「なんで。強制されてやるもんじゃないだろ。それに、女王陛下の思し召しだから、とか命令だからありがたがれ、ってんなら、もうオレはリュギアスの王女の……正式には大公女殿下だってか、その専属料理人だぜ。じゅうぶん間に合ってる」
「そんな、わたしなんかと女王ではぜんぜん」
「違わないさ。そっから先の偉さはオレにはいっしょだよ。そんなに言うなら、アイオリアが女王になればいい」
「はぇえ!?」
あまりに衝太郎の言葉が突飛だったのか、アイオリアから変な声が出た。あわてて、
「だ、ダメよダメ! そんなのありえない。言ってもダメなのに」
「ああ、冗談さ。マジにアイオリアが、ブーリエさんとか、その次のリーリアに取って代われ、なんて思ってるわけじゃない。でもなんだって可能性はあるんだろ」
「それはそうだけど、でもぜったいダメなことで」
「うんうん、わかってる。だからさっきも言ったことで、大公女殿下も女王陛下もオレの中じゃ同じ。呼び名の称号の違いだけだから、アイオリアがオレの中の女王陛下で、なんの問題もナシ、さ」
「え、えぇぇ、どういうことなの。さっぱりわからない。ううん、理屈はわかるけど、そんなこ言う衝太郎の頭の中が、もぉ、さっぱりわかんないのぉ!」
拳をギュッ、と握って首を振るアイオリア。
「おいおい、なにがわかんないって……ぉ、っと!」
思わずその肩をつかもうとして振り上げた片手が、まだかき混ぜ器を持っていたのに気づいたときには、その先にたっぷりついていた卵液が衝太郎の頬に点々と飛び散ってしまった。
「悪ぃ! ドレスにかからなかったか?」
気遣う衝太郎。
一昨日の、謁見のときの豪華なドレスではもちろんないが、白を基調のワンピースドレスだから、卵がついたら大変だ、と思う。
「平気よ。それより、顔にほら、ついちゃってるじゃない」
ハンカチを手に、アイオリアが迫る。
「あ、うん」
きれいな刺繍のついた、かわいいハンカチだな、と衝太郎が思った、その刹那、
「んっ」
ぺろっ。頬を、あたたかいものがなめ上げた。
「ほぁっ!?」
こんど、変な声を上げたのは衝太郎だ。そしてアイオリア。
「へへーん、お返しよ!」
ペロッ、と舌を出す。
もちろん、衝太郎の頬についた卵をなめあげたのだ。
「お返しって、なんだ」
「お返しはお返し、びっくりしたでしょ! フフフ! ね、衝太郎、もう一回してあげようか」
顔を突き出すアイオリア。
「もう一回って」
「まだ卵、ついてるわよ。ほら、その、唇のとこに」
「唇? オレの」
「あっ! さわっちゃダメ! さわらないで……んっ」
「お、おい」
アイオリアの顔がきょくげんまで近づく。鼻と鼻が触れ合うほどの近さで、アイオリアも目をつむっている。
そしてとうとう、
「買ってきました」
「衝太郎さま、牛乳とトマトと……」
とつぜん開く厨房の扉。
そこには籠いっぱいの食材を抱えたジーベとフィーネが。しかしふたりとも、中の光景を目に、言葉を失う。
「これは」
「し、し、し、失礼、しました、ごめんなさいぃぃい!」
じっと見つめるジーベ。フィーネは、もう、食材を置いて逃げ出している。で、肝心の衝太郎は、
「お、おう! ごくろうさん、ありが、と……うぁ!」
どんっ! 突き飛ばされた。とうぜん、アイオリアに、
「なによ! なんでこんなときに帰って来るのよ、ふたりとも! 衝太郎もよ! もうやってあげないんだから! こんどは衝太郎が……衝太郎から、アイオリアになさい! わかった!?」
怒ったように言うと、踵を返す。
乱暴に出て行った。
その後姿を見送りながら、衝太郎。
「こんどはオレから? 卵をなめろって?」
「たぶん、そうではないと思います」
次回、その料理で3歳児はどう反応?