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女王からいったいどんな話が?
「それでつまり……」
「アイオリアを正式にリュギアスの王として認める。その認証を行うからグレナグラ=ビラ王国の都、フラマーヌまで来られたし、か」
「そうよ! で、なんでケルスティンまでついてくるの? わたしは衝太郎とふたりで行こうって、思ったのに!」
風が通り抜ける船上。
高くて青い空に、白いカモメがくるくる、回るように乱舞する。
「いや~、いい天気だな。波もなくて、じつにいい航海びよりだよな」
「衝太郎! 衝太郎もなんか言って!」
アイオリアは尖った声を上げるが、
「吾がいないと、いざというとき困るであろう。この間の、フィレンツァのラヴェニスのときのようにな」
「姫さまと衝太郎さま、ふたりだけで行かせるなど、安全のためにもできませんので」
「い、いろんな意味で、無理、みたいです」
いっこうに気にしていない、あるいは職務と割り切る、ケルスティン、それにジーベとフィーネだ。
つまり、いつものメンバーがそのまま、リュギアの街からギード大街道を馬車で一日、パプアの港から船に乗り換え、そこからまた一日。
そして三日目、ついにグレナグラ=ビラ王国の首都、フラマーヌへたどり着こうとしていた。
すでに湾内に入り、波も静かに、船の揺れはなく、滑るように走っている。
帆が折りたたまれる。
「そろそろ、だな」
「あれを」
衝太郎の言葉に、ジーベが指さす。
湾内の最奥、さらに港が切れ込み、その向こうに、
「グルゴーニュ宮殿!」
声を放ったのはアイオリア、ケルスティン、同時だった。
天高を衝く尖塔群。
豪壮なゴシック建築が連なり、ひとつの宮殿を形成している。
金を塗った円柱。気の遠くなるほど精緻な装飾。想像上の動物や、人物の彫刻、石造もまた多く壁面を飾っていた。
やがて船は、王宮専用の船着き場へと誘導される。
桟橋に船が横付けされると、
「ほぉ、楽隊か」
ずらりと並んだ軍楽隊が音楽を奏でる。リュギアスの歌、それにグレナグラ=ビラ王国の国家だ。
「すごいな。さすがの歓迎ぶり。アイオリアって、ちゃんとした王女だったんだな」
「ちゃんとした、ってなによ! さぁ、行くわよ!」
衝太郎の憎まれ口に反発するアイオリアだが、胸は高鳴っている。隠しきれずに表情に出ていた。
「お待ちしておりました、アイオリア王女殿下」
迎えの宮廷執事が挨拶し、そのまま先導する。
数百名の近衛兵が両脇で剣をかざす、その間の道を通って、一行はグルゴーニュ宮殿へと吸い込まれていった。
「ここが控室?」
「はい。ブーリエ女王陛下が謁見をお許しになられるまで待つように、とのことです。着替えなどもこちらで済ませるように、と」
「着替えって言っても、オレはこれしかないしなぁ」
と、衝太郎。いつもの黒い学生服だ。
じつはこの世界に来てからというもの、さまざまな服を普段着に着ている。とはいえ、衝太郎の正装はやはり、
(この学生服、だな)
何度もの戦いに勝ってきた、縁起のいい服でもある。
「それにしても、デカイな!」
部屋が、である。この場合、広い、というべきだが、天井が高く、壁、天井ともに多くの装飾画が施されていて、ちょっとした大広間、パーティー会場くらいじゅうぶんつとめられそうだ。
(それが、ただの控室だもんな)
謁見の間などはどれほど広く、豪華なのだろう、と思わせる。
「それにしても」
また、同じ言葉を発しながら衝太郎が後ろを、いくつかある大きなドアを見つめるのは、理由があった。
「姫さまなら、もうすぐ」
「ってもう、一時間は経つんじゃないか。ケルスティンも。これじゃ、女王陛下に会うまえに、アイオリアたちを待って日が暮れて……」
「お待たせ!」
軽やかな声とともにドアが開き、
「アイオリア!? ケルスティンも!」
「待たせたようだ」
アイオリア、続けてケルスティンが、入って来る。
その華やかさ、
「わぁっ! すごいです、ステキですぅ!」
フィーネが感激して、声を上げる。胸の前で両手を握りしめ、瞳など潤んでいた。
「おきれいです」
ジーベも静かに言う。
それほど確かに、ふたりの衣装はいつもと異なり、特別なものだった。
アイオリアの、少女らしさを残しつつも、ときに大胆に肌を見せるなど艶やかなドレス。昼間の太陽のようなシャンパンゴールドが美しい。
打って変ってケルスティンの、黒かと思うほど濃い紺のドレス。意外なほどぴっちりと身を包み、戦闘隊長のシックで禁欲的な装いが際立つ。
「へぇー、すごいな。馬子にも衣装って、ほんとだったんだな。ぁ、いや、馬子なら、ケルスティンのほう、か」
目をぱちぱち、しばたきながら、衝太郎。
「なによ衝太郎、どういう意味? ほらぁ、もっと見なさいよ。背中なんて、こーんなに空いてるんだから!」
ぐいっ、押しつけるように身を寄せるアイオリア。
髪も、いつもと違ってアップにセットされ、金の髪留めも豪華だ。
「お、お。なんか、すごいな。ここから手が入りそうだ」
腰の上まで切れ込んだドレスから覗く、アイオリアの白い肌を思わず指で突いて、
「きゃあっ! なにするのよ、衝太郎のエッチ!」
「ぐぅっ! ……なんだよ、見ろって言ったの、アイオリアだろ」
ひじ打ちされる衝太郎。
(この世界でも、エッチ、って言うんだ……)
「んんっ! 吾のドレスも、だな、その、どうだろう、か」
他愛のない発見。
ケルスティンもまた、視線をチラチラ、衝太郎に送って来る。
「どうって……ぉお、もとから美人だけど、なんかもっと美女ぶりが上がったっていうか」
「ほんとうか! ぅ、うれしい、ぞ」
頬を染めながら、胸を張る。蹄の音がカッ、カツッ! リズミカルに鳴った。
アイオリアも髪をアップにしているが、ケルスティンのはもっと、三段に盛り上げられている。
腰から下は、馬の部分にいたるまで、重厚なドレープが何層にも重なるロングスカートだ。
そして忘れてはならないのは、ふたりともに、肩から腰に掛けて下げている大綬=サッシュだ。
アイオリアは鮮やかな薄青。ケルスティンは輝く白。胸のあたりに、凝った刺繍の飾りがある。
じつはアイオリアはリュギアスの楓、ケルスティンはドルギアの剣と盾を図案化した紋章なのだ。
サッシュはそれ自体が勲章のようなもので、王族の礼装、儀礼の徴とも言えるものである。
(選挙のときに候補者がかけてる、名前を大書きしたタスキみたいなもんだと思ってたけど)
そんなものとは似ても似つかない。衝太郎も納得する。
「おふたりとも、ステキです! もぉお、ステキすぎますぅう!」
もうフィーネは、さっきからずっと涙を流している。
「そうか、これが王族の正装ってやつか。たしかに」
(アイオリアもケルスティンも、きれいだな……ほんと)
衝太郎も本気で見とれてしまいそうになる。
そんな気配を察したのか、
「ほらほらぁ、もっと見なさいよ、衝太郎。わたしを、アイオリアをずーっと、じーっと見て! 目に焼き付けておきなさいよね!」
「吾も、やぶさかではない。見られるのはあまり好きではないが、いまだけは、見てもらっても、よい。よいのだぞ、いや、見て、くれ」
ずい、ずいっ! ふたりして迫る。
「ま、待て! 待ってくれ。いま見てる。よーく見てるよ。だから」
「だから?」
「どうなのだ」
「え、っと……ちょっと聞きたいんだが」、」
「なに? なんでも聞きなさいよ、ほら! なに?」
「いや、アイオリアはリュギアスの王女だろ? グレナグラ=ビラも王国で女王がいて、アイオリアは王女で、だったら、アイオリアもリュギアスの女王になるのか? そうしたらグレナグラ=ビラの女王とはどういう関係になる?」
基本的なところだった。確認せずにはいられない。
「なんだ、そんなこと」
あきらかに、落胆、不満そうなアイオリア。しかし、
「そうね、いい機会だから説明しておいてあげる。グレナグラ=ビラ王国はリュギアスなんかよりずっと大きくて、ざっと国土で三十倍ってところね」
「三十倍! そりゃまた差つけられたな」
「というより、もともとリュギアスはグレナグラ=ビラ王国の一部だったのよ。単に、リュギアス公領として。けれど、わたしの先祖……三代まえの、つまり曾祖父ね」
「ひい祖父さんか」
「ええ。ガンティオキアとの闘いで大功を上げて、領国の永続的な支配を任されたの。呼び名も"リュギアス大公"になったわけ。だから正式には、リュギアス大公国、なんだけれど、そうした例外的な扱いから、一般的にはリュギアス王国、リュギアス王、呼ばれてるわ」
「ふむふむ。中世ヨーロッパなんかじゃ、よくある話だな。ぁ、こっちのことだから、スルーしてくれ」
「よーろ、ぱ? まぁいいけど。それで、その次代の大公の、つまり私の祖父の奥さん、だからわたしの祖母が、グレナグラ=ビラの王家から嫁いで来たの。だからいまのブーリエ女王は、わたしの大叔母さまにあたるわけ」
「はぁー。有力な部下と婚姻で関係を強化する、これもよくある。日本の戦国~江戸時代でもな。あ、同様にスルーで」
「なによ。……で、今回は、わたしを女性の大公=大公女、として正式に拝命するために招かれた、っていうわけ。けど、亡くなった父はリュギアス王と呼ばれていたけれど、わたしが女王じゃブーリエ女王と紛らわしいし、いちいち大公女、て呼ばれるのもなんだか大げさだし、いままでの、リュギアス王女でいいと思っているわ」
アイオリアの説明は、わかりやすく衝太郎の腑に落ちた。
「なるほど。よーくわかった。ケルスティンは」
「吾は、ドルギアの領主である。あった、というべきだがな。称号はドルギア王だから、女王と言ってもよい。ガンティオキア帝国にはドルギア同様、いくつもの王国がある。それより小さい、公国、公領、などもあり、そのすべての上に立つのが、王の中の王、ガンティオキア皇帝だ」
なぜか、皇帝と口に出すとき、ケルスティンの表情が曇った。
「そうか、こっちもわかったよ。つまりどっちも、アイオリアはリュギアスの王女だし、ケルスティンは元、とはいえドルギアの王で領主。華やかなできれいな衣装が似合うはずだ、うん」
「華やかできれいな、衣装?」
「衣装だけ、だと」
「あ、いや、衣装はもちろん! 中身も、ってことで」
「中身も、どうなの? どうなのよ! もっと言いなさいよ、もっとなにか!」
「言ってもいいのだ。いや、言うがよい!」
さっきの続き、とばかり、またも迫る、アイオリアとケルスティン。どうもここをうやむやにはできないようす。
「いや、そういうことじゃなくて、だな」
「そういうことじゃないって!」
「どういうことだ!」
「あ、あの……女王陛下が、謁を賜りくださいますので、その」
「いま忙しいの!」
「あとにせよ!」
思わず振り返り、怒鳴るふたり。
しかしそこにいたのは、アイオリアたちを呼びに来た女王の執事だった。
「あ……」
リュギアスは自治を認められたグレナグラ=ビラ王国の中の公国。アイオリアは正式には公女、だけど慣例的に「王女」と呼ばれている、ということですね