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異世界で料理人を命じられたオレが女王陛下の軍師に成り上がる!2  作者: すずきあきら
第二章 蒸留酒はアルコール度数が高いだけ、じゃない?
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8

戦いは戦わずして勝つのがいちばんいい、たしかに

「……あちきがおぼえているいちばん昔の景色は、水の中から見た、皇帝陛下のお姿でありんした」

 コポコポ……。

 ときおり立ち上る泡が裸身をくすぐる。

 ハイドラはまだ幼さの残る身体を丸めるように、両膝をかかえながら水の中にたゆとうていた。

 水はあたたかく、波も渦もない。動きがない代わりに、つねに循環し、清潔に保たれていた。

 ただの水ではなく、さまざまな薬物が含まれているのは知らなかったが、呼吸するようにこの水を取り込み、また無意識に排出するだけで、ほぼ生きて行くだけの栄養素やエネルギーが摂れることは、ずっと水槽にいて、そこから出たことがない幼いハイドラも本能的に気付いていた。

 他にも水槽はいくつもあって、ハイドラからも見えた。その中に何かがいて、ハイドラのように動いているのも。

 不思議と怖くはなかった。

 きっと自分と同じような、友だちのようなものだと思った。

 友だちと話したり、遊んだりできないのが残念だった。

 ときおり、ゆらりと近づいて来る影が、特別なものだというのもわかった。

 それはハイドラを覗き込み、話しかけて来た。

 一日に何度も。何回も。

『ハイドラ、元気に育つ我が子、我が娘よ。大きくなって、強くおなり。強くなって、わたしのために戦っておくれ。わたしの分身、ハイドラ、わたしの手脚となって、わたしのために、はたらいておくれ。わたしのために、生きて、わたしのために死んでおくれ。ねえ、ハイドラ……』

 繰り返し、投げかけられる言葉。

 それはハイドラの胸に、脳裏に、地層のように積り、刻まれていった。

 動かすことのできない確固たる核となった。

 それからしばらく、ハイドラの記憶は途切れる。

「気がついたら、あちきはフィレンツァの国に、ラヴェニスの街におりんした。ラヴェニスの城の奥深くに、多くの侍女や衛兵や将軍たちにかしずかれて、市民たちに歓呼で迎えられて、それが当然のように、そこにいたのでありんす」

 衝太郎やアイオリアは、顔を見合わせ、うなずく。

 ケルスティンのときと、ほぼ同じだからだ。

 いまでは仲間のケルスティンだが、それ以前、ドルギア国を率いる王だったころは、何度もリュギアスに挑んできた。

 そのケルスティンが敗れたのち、同じようなことを衝太郎たちに話していた。

(やっぱり、あれは洗脳みたいなものだったんだ)

 ハイドラの話で、確信に変わる。

 そしてその洗脳を解いたのは……。

「なんでなのか、いまではわかりんせん。こんなふうに昔のこと、皇帝陛下のことを口にするのも、以前には考えられないことでありんした。それが、どうして。あの酒……いんや、あの料理、卵の……ううんまかさ、オムレツを食べてあちきが夢のような心地から醒めただなんて」

「そうよ! いいえ、そうなの! 衝太郎の料理には、すっごい力があるんだから! 変な呪縛とか拘束とか、衝太郎の料理を食べて、美味しいって感激して! そうしたら、解けちゃってた、ってこと、ほんとにあると思うから!」

 息せき切ってアイオリア。

 ちょっと驚いたように、しかしハイドラも、

「そうかもしれんでありんすなぁ。あれだけこのリュギアスを、リュギアを落とさなくては、そんな猛りがウソのよう。いまはそれでも、たとえ戦が負けであっても、こんな得体のしれないあちきでも慕ってくれた、つき従ってくれた兵たちの民たちのために、せめて無傷で帰してやりたい、家族のもとへ届けたいでありんす。ただ……」

「ただ?」

「あちきはあの湖を長く泳いで、思ったでありんす。船が多く、無秩序で、ときに積み荷を大量に投げ捨てたり、ゴミまで」

「商人たちの船ね。たしかに、問題にもなっているわね。船どうしでケンカしたり、ときに何隻かで戦争まがいなことも」

 アイオリアが同意する。

「底引き網で根こそぎ魚を採って、湖の底をめちゃくちゃにしたり、網を捨てたり……そういうこともあちきは糺したかったのかもしれないで……」

「そうね。いずれ対応しなくてはと思っていたのよ。でも戦い続きで、つい先延ばしに……」

「やればいいじゃないか」

 衝太郎の言葉に、驚くふたり。続けて、

「商人たちの乱暴も、乱獲やゴミの不正投棄も、ほおっておいたらこの街や、リュギアスの発展の障害になる。真面目な商人たちが迷惑して、ほかへ行ってしまうだろ。資源の乱獲も問題だ」

「そうは言っても、まだ戦いの決着も」

「戦いは、終わったでありんす……」

「だからさ。戦いは終わった。リュギアスとフィレンツァの戦争は終わったんだ。条約を結ぶんだよ、お互い正式に」

「条約?」

「ああ。湖のこっちと向こうで、条約を結んで決まりを守らせれば、不正を行う商船を締めだせるだろ。そうだ。これを講和の条件とする!」

 衝太郎が言った。

「講和の」

「条件に、でありんすか」

 こんどはアイオリアとハイドラが顔を見合わせる。しかしどこにも拒否する理由がない。そう思えると、自然とうなずいていた。

「決まりだな! 講和条件、成立だ!」

 これこそ、リュギアスとフィレンツァ、どちらにも不利のない、どころか、どちらにも益のある講和だった。

 懲罰や、相手を辱める、貶めるのではない。

 リュギアスはもう戦争が起こらなければそれでいい。フィレンツァから賠償を求めることもない。

 今後フィレンツァが協力して、湖の平穏や秩序が守られるなら、リュギアスにとっても大きな利益となる。

 同時に実感する。

(戦いが、終わったんだ)

 フィレンツァ戦役は、もっとも納得のいく形で終わりを告げたのだと。

「衝太郎! やっぱり衝太郎はすごい! こんなふうに戦いを治めてくれるなんて、想像もしなかった。言われたとおりに準備をして、きっとだいじょうぶだって思ってたけど、でもやっぱり不安で」

「ま、まあ、な」

「わたしが人質に、って言われたときには、無事で戻ったらぜったい仕返ししてやる! いじめてやる、って、思ったのに」

「おいおい」

「でもあんなにお酒を作って、料理を作って、ハイドラの」

「ええ、あちきの気持ちの芯までも、変えてしまった……変えてくれたでありんす。笹錦衝太郎、不思議な男でありんす」

 ハイドラが手を伸ばす。

 衝太郎の頬に手で触れ、軽く撫でる。

「ちょ! っと、なにさわってるのよ! 講和条件にそんなの、入ってないんだから、ね!」

 激するアイオリアに、涼しい顔でハイドラ、

「あちきは忘れない、忘れられない男になったでありんすよ、衝太郎」

「お、おう」

 いっしゅん退く衝太郎だが、持ち直して(気を取り直して?)、

「ハイドラもな。いい女だぜ」

「! 衝太郎!!??」

 こんどこそ、驚きのあまり言葉を失うアイオリア。輝く金髪が逆立ち、目は見開いたまま震え、涙までがこぼれて来そうだ、

「あちきを、いい女と」

「そうさ。いい女ってのは、酒の呑みっぷりがいい女だ。それと頭がよくて決断力がある。大きなことのまえには、小さなことは気にしない。結果、いちばん大きな利益を得る。どうだ。ハイドラがいい女だから、オレたちも交渉をまとめられた」

「衝太郎……」

「な、なぁんだ。そういうこと、いい女って……もう、驚かせないでよね、ふぅぅ」

 と、こっちは胸の動悸を抑えきれないアイオリア。

「アイオリアもいい女だぞ」

「ええっ! わ、わたし」

「アイオリアじゃなかったら、リュギアスは守れなかった。国を治める者として最高だよ。最高の王女だ。オレが最高に好きな……」

「ふぇえ!? も、もうやめて! 急にそんな、好き、だなんて、こんなところ、で……無理無理! け、結婚なんて……」

「は? オレの最高に好きな国を守ってくれてって、そういうことで」

 だが衝太郎の言葉は、真っ赤に発熱したアイオリアにはどうやら聞こえていないらしく、膝からくずれてしゃがみ込んだまま、頬に手を当てて首を振っている。

 そしてハイドラ。

「衝太郎、いずれまた会うでありんす」

 そう言うと、きびすを返す。侍女たちが前後を守るように取り囲む。

 広間を出ようというところで振り返り、

「それから、ひとつだけ言っておきたいことがありんす」

「なんだ」

「なによ、まだいるの? 早く行きなさいよー」

「あちきは年増じゃありんせん。まだ十九でありんす」

 それだけ言うと、かぶりを振る。濃緑色の、長いウエービーヘアが揺れ乱れ、大きくたなびく。

 いったん離れる、と見せて、

「衝太郎!」

 いっきに衝太郎に近づくハイドラ。ヘビの腹鱗を使った、素早い移動の技だ。衝太郎の手を取って、

「あっ! こらぁ! 離れて!」

 例によってアイオリアが憤るが、

「な、なんだ、ハイドラ。まさかまた」

「そんなんじゃありんせん。もう戦は終わったと言ったはず。それより……あちきの水軍、衝太郎、あんたに預けるでありんす」

 それを制してハイドラ。しかしその口から出た言葉は意外を通り越していた。

「あずけるって……」

「ガンティオキアの水軍を担う我がフィレンツァ水軍、どこの水軍にも引けを取るものではありんせん。この水軍、あんたに采配してもらいたいでありんす」

「だが、オレは水軍なんて」

「見事に打ち破ったではありんせんか。それも、ひとりも殺さずケガもさせず、一網打尽に。そんな衝太郎、あんたなら、どんなふうに我が水軍を動かすか、傍で見て見たいでありんす」

「ハイドラ……」

「楽しみにしているでありんすよ。ふふふ……ホホホホ!」

 それだけ言うと手を話す。

 ハイドラは笑いながら、こんどこそきびすを返し、腹鱗を使ってまっすぐに、ゆっくりと遠ざかって行った。

 残された衝太郎とアイオリア。

「……驚いた、な」

「あれで十九。あたしよりふたつ年上なだけだなんて」

「そっちかよ!」

 たしかに今日、いちばんの驚きだったかもしれない。


「……戦は終わりか。ふむ。吾の剣も、今回は出番がなかったようだ。もっとも、そのほうがよいのだが、な」

「はい」

 埠頭のケルスティンとジーベ。

 封鎖の解かれた港の出入り口から、次々出て行くフィレンツァの船を見送っている。いちおう、おかしな動きをするものがあれば、すぐに対処する手はずだ。

 しかしそれもなく、最後の船が出て行くころ。

「姫さまが! 衝太郎さまも!」

 フィーネが声を上げて、指さす。

 すでに朝日が昇っていた。

 まぶしい光の中、アイオリアと衝太郎が手を振っている。

 笑顔が見えた。


 ハイドラ「攻略」のために衝太郎が作った何種類もの蒸留酒は、そのレシピが民間に下げ渡されて、多くの新しい酒が店に並ぶもととなった。

 しかしもっとも大きかったのは、純度の極めて高いアルコールが消毒の役に立つことが知らされたことだ。

 衝太郎はアルコールを消毒用として医療に現場に積極的に広めた。それは軍の医療部隊の充実ともなって、リュギアス軍を側面から強化した。

「そんなの、使わないに越したことはないけどな。大きな戦いが起こらない、起こさないように……オレたちががんばる役目はそこなんだ」


純度の高いアルコールは消毒にも役立ちますよね

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