乙女かっ
「乙女かっ」
吐き捨てるようなエドガーの突っ込みが入った。しかし、ハイになったネコタは聞いていない。危機的状況に変な方向へスイッチが入ったようだ。勇者というよりただの子供である。
テンションが高くなったネコタとは裏腹に、周りの反応はいまひとつだった。
「シュウガクリョコウっていうのが良く分からないけど……恋バナ……恋の話ってこと?」
「恋ねぇ。まぁ俺は別に構わんが。この歳で恋愛語るってのも気恥ずかしいもんがあるな」
「くだらねぇ。それだったら今までの死闘について語った方がよっぽど楽しいぜ」
「それ違う意味でドキドキする話じゃねぇか」
色気のないジーナに呆れつつ、しかしなぁとエドガーはため息を吐く。
「こんなとこで恋バナかよ。恋バナといったら旅館の布団で枕を寄せ合って、夜の就寝の時間に見回りの教師を警戒しつつ、ヒソヒソと真実と虚偽を混ぜて自分の情報はなるべく明かさず、他人の秘密を握るワクワクドキドキのイベントだろ。話そうにも話す気にならないっての」
「そ、それはちょっと穿ちすぎな意見かと思いますけど。しょうがないじゃないですか、布団なんてないんですから。…………ん? エドガーさん、やけに詳し――」
「よし、そんじゃ責任とってネコタ君から行ってみようか」
「えっ、僕からですか!?」
ネコタはぎょっと目を剥く。
囃し立てるように、ラッシュとジーナが言った。
「おっ、そりゃいいな。見本を見せてもらおうぜ、見本」
「言い出しっぺだしな。責任とれよ、責任」
「しょ、しょうがないですね。それじゃあ……」
照れつつも乗り気なネコタだったが、数秒ほど考え込んだ後、ズンッと重い空気を出し始めた。
「おい、どうした? なんでいきなりそうなる?」
「い、いえ、言いだしておいて本当申し訳ないんですけど、思い返せば僕ってそういう話にとんと縁がなくて。そういえば聞き役中心だったなと」
「はぁ? いきなり“俺、そういう相手いないから~”的な分かり切った隠蔽かよ。駆け引きの手段としてはありだけどよ、一番手でしかも言い出しっぺがそれってどうなのよ。冷めるわ」
エドガーは軽蔑した目を向ける。恥ずかしいといえど、場のノリを考えない空気を読めない男は、彼が最も嫌う人種の一つであった。
「いや、誤解しないでください! 僕だってこんなこと言うのはいやですけど、本当に縁がなかったんですって」
「はぁ? この期に及んでまだ……」
「まぁ待てよ。そうは言ってもネコタ、まったく無いってわけじゃないんだろ?
城に居た時だってメイドはもちろん、令嬢に熱い目で見られていたじゃないか。城では訓練に集中していたからそれどころじゃなかっただろうが、故郷では浮いた話の一つや二つあったんじゃないのか?」
一見優しげな笑みを浮かべながら、ラッシュは言う。気遣うふりをして、根こそぎ引き出してやろうという魂胆が丸見えだった。
しかし、ネコタはアセアセと両手を振る。
「いえ、本当にないんですよ。どうも女性と縁が無いのか、いつも上手くはいかないというか……」
「嘘つけよ。ナヨナヨしたところはあるが見方によっては優しい性格ともとれるし、顔はいいんだから自分から行かなくても女の方から寄ってくるだろうが」
「確かに何度か、その、好意を向けられてるなと思ったことはありますけど……なんというかどの人もグイグイ来て、そういう人って怖いからちょっと苦手なんですよね」
心から憂鬱そうに、ネコタは目を伏せた。
その仕草に、男二人はイラッとしたものを覚えた。こいつ、舐めてんのか?
「ああ〜、じゃあ自分から声をかけたことはねぇのかよ? 今まで惚れた相手の一人や二人ぐらいは居るだろ?」
「ええ、それはもちろん居ますけど……。でも、何故かいつも好きになった相手と上手くいった試しがないんですよね」
「あん? そりゃまたどうしてだよ?」
「それが本当に僕にも分からなくて。僕って何故か、好きになった相手全員に嫌われるんですよね。話しかけて途中までは上手くいってるような気がしても、いつの間にか怒って顔を真っ赤にして、不機嫌そうに目を逸らしブヘアァアア!?」
エドガーの跳び蹴りがネコタの顔面に決まった。エドガーは蹴った反動でクルリと宙返りをし、また元の場所に戻る。額に筋を浮かばせながら、チッ! と強く舌を鳴らした。
同じく不機嫌そうにしながらも、ラッシュがエドガーを褒める。
「よくやったエドガー。手間が省けたぜ」
「ああ。だがまだスッキリしねぇな。もう二、三発蹴っておくか?」
「——ぐっ、ぐふっ! ちょっと! いきなり何をするんですか!? 首がもげるかと思いましたよ!」
「うるせぇ! その程度で済んでよかったと思え! なんなら俺が殴り飛ばしてやろうか!?」
「この糞鈍感野郎が! ラブコメの主人公かお前! テメェみたいな行動が許されるのは漫画やラノベの中だけなんだよ!」
「な、なんだコイツら……」
ネコタはドン引きした。キチガイに常識は通じない。納得はいかないが、素直に下がることが賢明だと思った。
「あ〜、ムカつくぜ。言い出しっぺのくせにまともな恋バナの一つも出来ねぇとはな」
「むぐっ!? そ、そう言うからにはエドガーさんはちゃんと出来るんでしょうね!?」
「ふっ、当たり前だろ。この可愛らしい外見と男らしい性格で一体何人の女を口説き落として来たことか。旅の道中で起きたロマンスは一つや二つじゃきかねぇぜ」
「ほぅ、言うじゃないか。それじゃあ最後の大トリはエドガーにやってもらおうか」
「ああ、任せな。場が冷めても俺が暖めてやるよ」
二度も美人局にあってるくせに、と思ったものの、ネコタは口にしなかった。また蹴られては敵わない。
「さて、ネコタは話にならないし、俺は最後だから――」
エドガーは周りを見回す。ジーナと目が合い、スルーした。
「——よし、そんじゃあ次は」
「待て。おいこら糞ウサギ。今あたしを無視したのはどういう意味だ?」
ヒクリ、と口元をひくつかせるジーナ。
ポカンとした顔で、エドガーは言った。
「えっ? いや、だってお前、恋バナとか出来んの? 出来ないだろ?」
「聞いてもいないで勝手に決めつけてんじゃねえよ!」
「じゃあ聞くけど、お前恋愛経験とかあるの?」
「…………ねぇけどよ」
「ほら見ろ。聞くだけ無駄じゃねぇか」
ぬぐぐっと、ジーナは唸り声をあげる。
ふふっ、と。ラッシュが不敵に笑った。
「どいつもこいつもお子様ばかりだな。どれ、ここは一つ大人の恋ってやつを。……あれは俺がまだ十代の頃で――」
「はい、ありがとうございました。次いこ〜」
「待てや! なんで俺まで飛ばそうとするんだよ! このガキ共と違って俺は経験豊富だっての!」
不満そうにするネコタとジーナを指差し、ラッシュは抗議した。
エドガーはあっさりと答える。
「いや、別にお前が嘘を言ってるとは思わないんだけどよ。そもそも、中年オヤジの恋バナとかまったく興味無いんだよね」
「ああ、それは確かに。オッサンの恋愛事情とか正直どうでもいいな」
「お前ら……いくらなんでも酷すぎだろ……」
「そ、そんなに落ち込まないでくださいよ! 僕は少しは興味ありますよっ!」
少しだけか、と肩を落として落ち込むラッシュを、ネコタが慰める。
それを気にもせず、エドガーは次へと目を移した。
「この二人もダメとなると、次はもちろん……」
「……私?」
「おう。よくよく考えればこの中で興味あるのってアメリアのことぐらいだわ。良ければ聞かせてほしいな」
「別にいいけど、私だってネコタとそう変わらないよ?」
アメリアは困ったように眉を寄せる。それに、ネコタは意外そうな顔をした。
「そうなんですか? アメリアさんって美人ですし、男の人にモテそうですけど」
「確かに城に引き取られてから、王族や貴族から何度も求婚されたけど、あれは私じゃなくて、【賢者】を取り込もうとするのが目的だったし」
「いや、それだけが原因とも思えないですけど……」
【賢者】であることを抜きにしても、この美貌だけでも十分求婚するに値するだろう。かく言うネコタも、改めてアメリアの顔を見て頬を赤くしていた。
「まぁ、あんなクズ共に求められてもそりゃ断るわな。あたしでもそうするわ」
「安心しろ。誰もお前に求婚なんかしねぇから」
——ジーナは無言で襲いかかった。
——しかしエドガーは殴られる前に逃げ出した。
二人の争いを背に、三人は話を続ける。
「腹立たしいことに、最初は王家で私の婚姻相手を決めようとしていたらしいんだよね。私の断りもなしに」
「ああ、お前が城に引き取られたのはまだ小さい頃だったか。そりゃ子供の意思なんか無視するわな」
「えっ? なんですかそれ、いくらなんでも酷くないですか?」
「【天職】は遺伝するもんだから、権力者は昔から【天職】持ちをそうやって確保して血を取り入れようとするんだよ。貴族に逆らえず、【天職】持ちの平民が泣きを見ることは結構ある話なんだぜ」
「それが高貴なる者の責務なのだ、とかふざけたこと言ってたよ。
引き取られたばかりの頃は私も大人しく従ってたけど、それを聞いて吹っ切れたんだよね。そして全力で脅して撤回させたの。
それからはだいぶその手の話が減ったけど、それでも勘違いしてる奴らはしつこく来てさ。まぁ、その話を持って来たこと後悔させてあげたけど」
怪しく笑うアメリアに、ネコタはブルリと震えた。一体どんな目に合わせたというのか。
「ははははっ、流石に賢者を従えることは王家だろうと出来なかったってことだな。だがよ、それでも中にはこれはと思った奴の一人や二人は居たんじゃないか? そういう奴らと結婚してもいいかな、とは思わなかったのか?」
「居るわけないよ、そんな奴ら。どいつもこいつも自分の思い通りになって当たり前って考えてる気持ち悪い奴らだよ? そんなのと結婚するとかありえないよ。そもそも、私は好きな人が居たし」
「えっ!? そうなんですか!」
ネコタは意外そうな声を上げた。普段はクールなアメリアにも、好きな人が居た時期があったとは。ようやくまともな恋バナになるとワクワクしてきた。
「なに!? アメリアに好きな人だと!?」
「マジかよ、どんな奴だ?」
耳聡く話を聞きつけ、エドガーとジーナまで興味津々でアメリアを囲んだ。特にエドガーの鼻息が荒い。よっぽど気合が入っているのか、目が血走っていた。
アメリアは照れくさそうに笑いながら答えた。
「私と同じ村で育った幼馴染で、トトって言ってね。とっても優しくてカッコ良かったんだ」
「——サーッ!」
「なんでお前がガッツポーズしてんだ?」
ジーナの声なんか聞こえていなかった。
エドガーはこの世の全てを掴んだ気がした。
エドガーの奇行はいつものことと無視して、ネコタがワクワクしながら聞く。
「へぇ、幼馴染ですか! アメリアさんにもそんな人が居たんですね!」
「初恋が幼馴染か。定番ではあるが、いい話じゃないか。それで、どんな奴だったんだ?」
「うん、そうだね……」
アメリアは大切な記憶を思い出しながら、ゆっくりと語る。
「トトはよくいる茶髪の男の子でね、それ自体はあまり変わらないけど、村人にしては綺麗好きだったんだよね。
寒くても頭と体を洗うことは欠かさなくて、そのおかげかいつも清潔でフワッとした髪質で、触ってて気持ちよかったんだよね。
それから、カッコいい顔つきだったんだけど、笑うと柔らかくなって可愛くも見えたの。ギャップがあって凄く好きだったなぁ。
それだけでも個性的だったけど、一番特徴的なのは外見じゃなくて中身だね。私と同い年の男の子なのに、いつも冷静で他の男の子に絡まれても笑って許してあげたり、すっごい心が広かったんだよ。本当に、大人と言われても納得するぐらい、トトは大人っぽかったな。
あたしがどれだけ我儘を言っても、しょうがないなって言いつつ、なんだかんだ叶えてくれたんだ。それがたまらなく特別な感じがして、私もあえて我儘を言ったっけ。
それから――」
アメリアの思い出語りはとどまることを知らなかった。
予想以上の語り具合に、皆が引いた顔を見せる。熱心な語り草だが、聞いているだけでもいくつか矛盾が見受けられた。明らかに思い出補正が入り込んでいる。それほど好きだったということなのだろうが、これは……。
「アメリアさんって、意外と怖いところがあるんですね……」
「いや、まぁ、小さい頃の印象ってのがあるからな。そのまま引きずったらこうなっても仕方ない……いや、それにしたって酷いな」
「何言ってんだ。それだけそのトトってのが良い男だったってことだろ。へへっ」
「なんでお前が嬉しそうにしてんだ?」
ヒソヒソと話合う四人に気づかず、アメリアは語り続けた。
いつまでも続くのかと思われたが、ようやく語り終えたのか、満足そうにアメリは息を吐く。
「とまぁ、こんなとこかな。とにかく、トトはカッコ良くて優しくて頼りになる男の子だったよ」
「へ、へぇ。そんな男の子がいるもんなんですね。でも、アメリアさんは本当にそのトト君が好きだったんですねっ」
「うん、好きだったよ。でも、そんなトトと、私は喧嘩別れしちゃったの……」
一転して、アメリアは寂し気に笑う。
ネコタは目をパチパチとさせた。
「それはまたどうしてそんなことに? 仲は良かったんでしょう?」
「……私が【賢者】だって知られた時、村から離されて、貴族の屋敷でこれからの話をされたんだよね。王都で賢者としての教育を受けなくちゃいけないから、もう村には帰れないって。
私、それが悲しかったから、最後に一度村に帰れないなら、絶対に王都に行かないって言い張ったの」
当時の事を振り返り、胸にチクリとしたものを感じつつ、アメリアは続けた。
「それで騎士の護衛付きだけど、なんとか村に帰ることが許されたんだ。馬車の中でお父さんとお母さんと一緒だったけど、騎士が周りを囲んでて、凄く怖かったっけ。どうせすぐに王都に行くって思うと、不安だった。でも、村でトトの顔を見たら、そんな気持ちも忘れるほど嬉しかったな」
その時の光景を思い出したのか、アメリアは笑った。
「トトったら、私と目があった時、泣きそうになりながら笑ってくれたんだよね。嬉しくて私も笑ってたけど、トトでもそんな顔をするんだってビックリしたな」
「……きっと、もう二度と会えねぇかもしれないって思ってたんじゃねぇかな。だから、そんぐらい嬉しかったんだろうさ」
「うん、私と同じ気持ちなんだって思って、凄く嬉しかった」
アメリアは本当に嬉しそうに頷く。
エドガーは小さく笑っていた。
「それから、トトの家で離ればなれになってからのことを話したんだよね。なんでもない話でも、トトは大事に聞いてくれて。それだけで、私はホッとしたな。だけど、そのせいであたしも甘えちゃったんだ。王都なんかに行きたくないって、トトに無理を言っちゃったんだよね」
「……そりゃあ、ガキに話してもどうしようもねぇな」
難しい顔をしながらジーナは言う。
アメリアは肯定した。
「うん、そうだね。だけど、それでもトトは投げ出さないで、上手く私を説得してくれたんだ。やり方はちょっと意地悪だったけど……」
「へぇ、そりゃ子供なのに大したもんだな。そこでちゃんとお前を説得したのは正解だろうぜ。下手すりゃ村を人質にしてでもお前を連れていっただろうし、そうなりゃ後で揉めることになる」
「うん、トトは全部分かっていたから、私を納得させて送り出してくれようとしてたんだと思う。でも、私はそんなことも分かってなかったんだ」
アメリアはそれまでの楽しそうな顔が嘘のような、後悔を滲ませた暗い表情になった。
「トトに説得されて、私も王都に行く覚悟を決めた。そこで、私はトトにお願いしたの。離れても王都で頑張るから、私が帰って来るまで待っててねって。
いつも私の御願いはなんでも聞いてくれたから、私はその時もきっと待ってくれるって信じてた。だけど、その時だけは違ったんだよね……」
今にも泣きそうな表情で、アメリアは続けた。
「無理だ、それだけは出来ないって。
私、トトの言葉が信じられなくて、どうしてって問い詰めたの。だけど、トトは無理なものは無理なんだって……大人ぽかったトトが、子供と同じように喚いて、怒って……理由も話してくれないから、私もムキになって家から飛び出して、それっきり……」
膝を抱え小さくなって、アメリアは悔やむような声で言う。
「あの時の私は、何も知らなかったから訳が分からなかった。だけど、トトはきっと全部分かってたんだよね。だからあんなに怒ったんだと思う」
「その、それってつまり……アメリアさんが、貴族の人と一緒に……」
「たぶんね。いくら好きあった者同士でも、村人だもん。貴族の命令には逆らえないよ。それを知っていて、私と同じ気持ちでいてくれたからこそ、あんなに怒ったんだ。私はそれを知らずに、自分だけ傷ついてるって思い込んで……それ以上に、トトを傷つけちゃった」
自嘲するように、アメリアは呟いた。
「それっきり、私はトトに会えなかった。きっと、トトもあれで私のことを嫌いになったと思う。それだけのことをしちゃったと思うし、しょうがないとは思うけど、やっぱりちょっと悲しいかな」
「……そんなことはねぇさ」
口を出しづらい、しんみりとした空気の中で、エドガーはやんわりと言った。
「そのトトってのは、絶対アメリアを嫌いになったりなんかしねぇ。
アメリアと離れたくなくて、でも、説明するとアメリアを傷つけるって分かっていて……だからこそ、感情を抑えられなくて喚くしかなかったんだ。
きっと、本当にアメリアのことが好きだったんだよ。そんな奴が、アメリアになんか言われたからって嫌いになったりなんかしねぇだろ。そいつがもし思うことがあるとすれば……」
パチパチと鳴る焚き火を、遠いところを見るような目で見つめ、エドガーは言った。
「――どうしてアメリアを泣かせてしまったのか。嘘でもいいから、アメリアを笑顔で旅立たせるべきだった。そんな後悔だろうさ」
「……そうかな? トトも、本当にそう思ってくれたかな?」
不安そうに尋ねるアメリアに、エドガーはニッと笑みを浮かべる。
「ああ。きっとそうだ。信じてやれよ。お前が好きだったトトってガキは、理不尽な理由でお前を嫌いになったりするような奴じゃなかったんだろ?」
「……うん、トトは本当に優しくてカッコいい子だったもん」
「ウサギ、お前たまには良いこと言うじゃねぇか。あたしもちょいと感動したぞ」
「その優しさをもう少し周りに分けてくれよ。そうすりゃあもっと人から好かれる奴になれるだろうに」
「アホか。なんで俺が雌ゴリラや加齢臭漂うオヤジに優しくしてやんなきゃいけねぇんだよ。俺が優しいのは素直な子供と美女美少女だけだっての」
エドガーをからかい、ひねくれた返事が返ってくる。いつも通りのやり取りに、明るさが戻ってきた。
調子を取り戻したネコタが、感心したように言う。
「しかし、そのトト君って凄いですね。そんな小さい頃から、そこまで考えられたなんて。僕が同じ歳の頃はそんなこと考えられませんでしたよ」
「確かにな。村人だったのがもったいないくらいだ。ちゃんと教育さえ受けていれば何か大きなことをやっていたかもしれないな」
「あたしはそんな子供とは思えないガキは好きになれそうにねぇな。ガキは難しいことを考えずにバカっぽいくらいでちょうどいいんだよ」
「確かにな子供らしくはないですよね。案外、本当に中身は大人だったりして」
「……くっ、くく、くだらねぇこと言ってんじゃねぇよっ。んなことある訳ねぇだろうがっ」
「そうですよね、あははははは!」
ネコタがのんきに笑う隣で、エドガーはダラダラと冷や汗をかいていた。正直、気が気でなかった。偶然とはなんと恐ろしい……。
「でも、それじゃあアメリアさんも頑張らないといけませんね!」
「……? どういうこと?」
「決まってるじゃないですか! トト君との仲直りですよ! そのためには一日でも早く魔王を倒さないと。世界を救って、賢者の使命を全部終わらせれば、大手を振って故郷の村に帰れるでしょ? そうすればきっとトト君だって褒めてくれますし、きっとまた昔のように仲良くなれますよ!」
「……ううん、それは無理だよ」
「そんなことないですよ! きっとトト君だって待って――」
自信を持って否定するネコタを遮るように、アメリアは静かに首を振った。
そして、小さく苦笑する。
「無理だよ。だって、トトはもう死んじゃったから」
「————ッ!」
ネコタは喉を引きつらせた。
「————ッ!」
ラッシュは苦虫を噛み潰したような表情をした。
「————ッ!」
ジーナは不機嫌な顔で唇を噛み締めた。
「————あぇぇぇえ?」
そしてエドガーはあんぐりと口を開けた。
予想外の答えに頭が纏まらず、ネコタは考えなしに聞き返した。
「あっ……え……? その、なんで……」
「……私もだいぶ後になって知ったんだけど、私が村を去った日から、トトは村から居なくなっちゃったんだって。
トトのお父さんがその日のうちに探したんだけど……村の外れでトトが着ていた服が見つかっただけで、トトの姿はどこにも見当たらなかったらしいの。
その後も、村の人達が総出になって探したけど、それでも……」
「……魔物か獣にでも襲われたか」
「うん、そういうことなんだろうね。
お母さん達も私に伝えるかどうか悩んで、しばらくはそのことを隠していたの。
だけど私が手紙でずっとトトのことを書いていたから……それで、苦渋の決断で教えてくれたんだけど……やっぱり、それを知った時はショックだったな。
目の前が真っ暗になって、本当にどうすればいいのか分からなくなったっけ」
また膝を抱えて、囁くようにアメリアは続ける。
「あの時はまだ私も子供だったから、たぶん、お母さんもボカして伝えてくれたんだと思う。服だけ綺麗に残ってるなんてあり得ないよ。
服だけじゃなくて、もっとハッキリした……変わり果てた姿のトトを見つけたんじゃないかな。居なくなったっていうのは、私を傷つけないようにするためのお母さん達の優しさだよ」
アメリアは俯き、長い息を吐く。
重苦しい空気が辺りに満ちた。ネコタは震え、怯えた声で言う。
「あのっ、すいませんっ! 僕、何も知らないで、酷いことを……」
「いいよ別に。嫌な話だけど、もう昔のことだし、私も受け入れてるから」
「……そんなことないんじゃないか?」
労わるような声で、ラッシュは言った。
「受け入れているとは言ったが、本当はまだ納得しきれていないんじゃないのか?
貴族に碌な奴は居ないとは言ったし、俺もそれには同意するが、それでも多くの者から求婚されても断っているのは、まだお前の心にトトのことが残っているからだろ?
だから、新しい恋をする気もないんだ。違うか?」
「そんなこと……いや、うん……もしかしたら、そうなのかもね」
アメリアは自嘲するように笑った。
「もう死んでるって分かっているつもりだけど、本当はどこかで生きてるんだって、心のどこかで思っているのかも。
最近ふとした時、すぐ側にトトが居るような気がして、それが勘違いとは分かっているけど、でも、そうなってほしいって思っている私が居て……ああ、うん、やっぱりそうだね。
私、今でもトトが好きなんだ。だから、そんな風に思い込んだりして……バカだね、私」
アメリアは笑いながら泣いた。アメリアの瞳から、細い筋の涙が溢れる。
「……別におかしくないさ」
ラッシュは、優しい笑みを浮かべていた。
「それだけ好きだったんだから、忘れられなくて当然だ。その想いが大事だったからこそ、自分でも気づかない胸の奥で消えないでいたんだろ。それは恥ずかしいことじゃない。むしろ、とても大事な物だ。だから、自分で自分を卑下する必要なんかない」
「……そうなのかな?」
「ああ、もちろんだ。だけど、その思い出を大事にするのはいいが、過去に縋り付くのは良くないな」
弱くなった火に、枯れ木を放り込む。焚き火を弄りつつ、なんでもないような口調でラッシュは続けた。
「いくら大切な思い出だろうと、それが足枷となって今の自分を引っ張るのは良くないことだ。
過去はどうあっても戻らないし、それよりも素敵な未来が待っているかもしれない。
だから、少しずつでもいい。
少しずつ自分の中で折り合いをつけて、現在と未来に目を向かないとな。
なに、とは言っても別に急ぐ必要はない。自覚すれさえすりゃ、自然とその気持ちも落ち着いてくるだろうさ。そのうちトトよりもいい男に出会って、そいつと恋をすることも――」
「——【ラビットアロウ】!!」
ドカリ、と。ラッシュの横腹にエドガーの助走付きの飛び蹴りが突き刺さった。ラッシュは何回転もして茂みに倒れ込んだ。あまりの勢いに、皆が絶句する。
しばらく、無音の時間が続いた。まさか死んだのでは、と思うような時間が経って、ラッシュが茂みから立ち上がった。
ユラリ、とダメージで体を揺らしているが、その表情は激怒していた。ネコタは震え上がった。
「エドガー、テメェどういうつもりだ!? ことと次第によっちゃただじゃ――」
「このクズ野郎が! 勝手なこと言ってんじゃねぇぞゴラア!」
「えっ? ちょっ、なんで――」
エドガーはラッシュに飛びかかった。
思ってもみなかったエドガーの動きに、ラッシュは反応することすらできなかった。
待て、おかしい、どういうことだ。俺とお前、普通逆じゃ……動揺している間にエドガーに胸ぐらを掴まれ、飛びかかった勢いでそのままマウントを取られる。
エドガーはそのまま容赦なくラッシュを殴り始めた。
「このクズ! クズ! クズがぁ! 死ねっ! ここで死ね!」
「おっ、ぶへっ!? おまっ、ま、マジで止めっ――助けてぇぇえええ!」
「エドガーさん、いくらなんでも!」
「お、おいウサギ、さすがにそれは……」
慌てて止めようとするが、あまりの迫力にネコタはもちろん、ジーナですら割って入ることを躊躇われた。先ほどのラッシュの怒りなど比べ物にならない。エドガーの表情には鬼気迫るものがあった。
一体何がこいつをそこまで掻き立てるのか……エドガーの激しさに二人は恐怖を感じた。
ラッシュの顔をパンパンに膨らませてようやく、エドガーは拳を止めた。フーッ、フーッ、と息を荒げ、胸ぐらを掴み上げて罵倒する。
「外野が親切心ふかして勝手なこと言ってんじゃねぇぞこらあ!
思い出を大事にするならするで別にいいだろうがぁ!
昔好きだった男がまだ生きていると信じることの何が悪りぃんだ!?
アメリアの幸せはアメリア自身が決めることだろうが!
浅はかな一般論を押し付けようとしやがって!
アメリアがあれだけ信じてるんだからトトだって生きてるに決まってんだろうが!
なのに勝手に死んだなんて決めつけてんじゃねぇ! 聞いてんのかコラァ!?」
「べっ、別に俺はそんなつもりじゃ……ただ、少しでもアメリアの力になれればと……」
「まだ言うかこのお節介オヤジがぁ! 死んで目を覚まさせてやらぁ!」
「おいバカ! それ以上はマジで死ぬだろうが!」
「エドガーさんっ! 死んだら二度と目覚めませんって!」
トドメを刺そうとする姿にハッとなり、ようやく二人は止めに入った。
暴れまわるエドガーを二人掛かりで羽交い締めにする。二人が止めている間にアメリアが治療をし、ラッシュは一命をとりとめた。
エドガーが大人しくなったのを見て、二人はラッシュの方に近寄る。エドガーは不貞腐れたように背を向け、その場にとどまっていた。
「ったく、酷い目にあった。本気で殺されるかと思ったぜ……」
「ああ、災難だったな。あれは流石に同情するわ」
「良かったですよ本当に。ほら、エドガーさん! ラッシュに謝らないと!」
エドガーはチラリと目をやり、フンとまた背を向ける。
「やだ。俺は悪くねぇし。別に許されたいとも思ってねぇし」
「なんて野郎だ。人を殺しかけておいて!」
「エドガーさん、いくらなんでもそれはないんじゃないですかね?」
ラッシュとネコタが睨み付けるも、エドガーはツンとそっぽを向いていた。褒められない態度に、剣呑な空気が流れる。
しかし、アメリアは小さく笑うと、エドガーの傍に近寄る。
「エドガー。こっち向いてよ」
「……なんだよ。いくらアメリアだって俺は謝らないぞ」
「うん、べつにいいよ。それより、ごめんね。私の為に怒ってくれたんだよね?」
ピクリ、とエドガーは反応した。
フルフルと体を震せながら、ムキになったような声で言う。
「は、はぁ? 何言ってんだお前。そんなわけないだろ。ただ俺が気に食わなかったから殴っただけだし」
「ふふっ、そっか。じゃあそういうことにしておいてあげるよ」
「そういうことも何も、それ以外に意味なんてねぇから」
「ありがとうね。私、凄く嬉しかったよ。きっとトトも、エドガーが生きてるって信じてくれて、喜んでくれていると思う」
「……ちげぇよ。そんなんじゃねぇよ」
「意地っ張りだね。でも、私はそんなエドガーの良いところをいっぱい知ってるからね。ありがとう、大好きだよ、エドガー」
「本当に違うんだよぉ……!」
抱き締められ、エドガーはアメリアの胸の中でオンオンと泣いた。アメリアは優しく微笑みながら、エドガーの頭を撫で続ける。
そんな光景を目にし、ラッシュは言った。
「えっ、なにこの茶番。なんでアイツが慰められてるの? 結局俺には謝罪もなしでただの殴られ損?」
「まぁ、あれを邪魔するとアメリアさんが怒りそうですし……」
「今回は事故に会ったと思って諦めろ。あたしらだけは同情してやるよ」
そりゃねぇだろ、とラッシュは天を見上げた。
殴られた頬の痛みが、ジンジンといつまでも響いた。




