あれを見てなんとも思わんのか?
客室に案内された五人は、伯爵直々にもてなしを受けていた。
予想とは違う丁寧な応対に、五人は戸惑った様子を見せる。
「お味はどうですかな? お口に合えばよろしいのですが」
「お、おう。まぁ悪くないぜ……」
代表して、エドガーがぎこちなく感想を言った。
実際、出された茶の味は悪くない。上等な茶葉を使ってるのだろう。出涸らしや飲み物とも呼べないものを出された経験もあるエドガーとしては信じられない思いだった。
歓迎ムードに威勢が削がれる。おかしい、この人、かなり良い人なんじゃないだろうか? 当初抱いていたイメージは早くも崩れかけていた。
エドガーの言葉に、トランク伯爵は頬をほころばせた。
「そうですか、お口に合ったのならば良かった。茶は私の数少ない趣味の一つでしてな。この茶葉もわざわざ東の地方から取り寄せた貴重品なのですよ」
「──! ほう、なるほど。どおりで……」
エドガーの目がギラリと光る。
今のこの領の現状で、このような嗜好品に金を掛けるとは。善良な領主のやることとは思えない。
危うく騙されるところだった。思えば、コイツはあの豚宰相の派閥の人間。やはりその本性は悪に違いない。この態度はやはり演技だ。きっとこの茶も領民の血税を搾り取って仕入れたのだろう。そう思うと、急に茶も不味くなったように感じた。
チラリ、とエドガーはラッシュに目配せする。どうやら同感だったらしい。分かっているというように小さく頷いた。
「お代わりはいかがですか? 足りなければご用意しますので、遠慮なく」
「……ありがとう。それじゃあ、貰おうかな」
「あっ、僕もお願いします!」
「あたしは茶より酒が良いんだが……」
――この馬鹿どもが……!
すっかりと騙されている三人にウサギは歯ぎしりした。
純粋無垢なアメリアは仕方ないとして、領主自らに茶を注がれた程度ですっかりと心を許すネコタの甘さには反吐が出る! ジーナに至っては論外だ! 敵地で酒とは何事だ、貴様それでも【格闘家】か!
こいつらは頼りにならない。やはり俺たちがしっかりとしなければ。
エドガーとラッシュは目で頷きあった。
「気に入ってくださったようで何よりです。私などが皆様を応対できるか不安でしたもので。ところで、皆様は何故、我が屋敷にいらっしゃったのでしょうか?
こうして尋ねてこられたのは光栄なことではありますが、皆様の事情を考えると少々不可解なのですが……」
──来たっ!
ラッシュとウサギは心で嗤った。
こちらの隙を見て探りに来たのであろうが、好都合だ。その化の皮を剥いでやる!
ゴホンッ、と咳払いを一つ入れ、言いづらそうな顔を作るラッシュ。その仕草を見るだけで、ウサギは笑いを堪えるので大変だった。本当は楽しくて仕方がないくせに!
「あ〜、実は伯爵にとあるお願いがありまして、こうして尋ねさせて頂きました」
「私にですか? ええ、私に出来ることなら喜んで力になりましょう。ですが、それは一体なんでしょうか? 私でも力になれることなのでしょうか?」
「大変申し上げにくいのですが……旅の資金を援助して頂けないかとおもいまして」
心苦しそうに、ラッシュは言った。
その顔やめろお前っ! まったくそんな気ないくせにっ!
ウサギは腹がよじ切れそうになった。声を出さないだけで精一杯だ。顔は大口を開けて完全に笑っており、ヒューヒューと息を漏らしている。笑いすぎて涙が出そうだ。
「資金の援助、ですか?」
思ってもいない申し出だったのか、伯爵は目を点にする。それから慌てて続けた。
「あっ、いえ、それは構わないのですが……皆様には旅に出る際、あらかじめ十分な資金を渡されている筈では?」
口では感心なことを言っているが、顔からは苦みが隠しきれていない。そっちが本音だろう。探りを入れて逃げようとしているのだろうが、そうはいかない。
「ええ、出発前に軍資金を頂き、残りは各地の冒険者ギルドで受け取る予定でした。金銭面において困ることは絶対にない。その筈でした」
「……でした、というからには、何かあったのですね?」
「どうやら宰相は俺がお嫌いらしくてね。予定された金額どころか、旅の食料にも困る有様だ。一応、教会経由で嫌がらせを止めるよう手を打ったが、この先のギルドで資金を受け取れるかも分からない。そこで、伯爵様に援助して貰おうと思った訳さ」
「なんと……」
引き継いだエドガーの言葉に、伯爵は呆然としていた様子だった。
さぁ、ここからどう返してくるか。二人はニヤニヤと伯爵の出方を伺う。
大人しく差し出すか、それとも自分には関係がないと突っぱねるか。出来れば暴力に訴えて拒否してくれた方がいい。そうすれば暴れた上で根こそぎ奪える。
「けしからん!」
しかし、伯爵の反応は誰もが予想していないものだった。
五人はポカンとして立ち上がった伯爵を見上げる。伯爵は顔を真っ赤にして怒っていた。
「元から権力に塗れた方だとは思っていたが、そこまで腐っているとは! 世界を救おうという者に対して何という仕打ち! いくら宰相といえど許されることではない!」
「いや、あの、伯爵?」
「宰相という地位をなんだと思っているのだ! 自分の欲望を満たすことだけしか頭にないクズめ! これは国家に……いや、人類種に対する裏切りだ! 世界が滅びたらどう責任を取るつもりなのだ!」
「は、伯爵。落ち着いて、どうか落ち着いて……」
人が変わったかのように怒り狂う伯爵を、ラッシュはおそるおそると宥める。
それで冷静さを取り戻したのか、伯爵はハッとなって椅子に座り直した。
「申し訳ございません。つい熱くなってしまい……」
「い、いえ、そうやって怒りを覚えてくださることに嬉しく思います。てっきり、伯爵にもご理解を頂けないかと思っていましたので」
「何を言いますか! あなた方は世界を守るべく動いている英雄なのですぞ! そのような方達の足を引っ張るような真似をするなどありえません! これは当然の反応です!」
あれ、おかしい。この人、めっちゃ良い人だ。
悪党二人組は戸惑った。先ほどの怒りも、未来を憂いての義憤に見える。とても宰相の同類には見えない。いや、しかし、そんな筈は……。
「お話しはよく分かりました。出来る限りの協力はさせていただきます。ただ、その……申し訳ございません。資金の援助という話になりますと、私では十分な力になれそうにありません」
そらきた! だよね、やっぱりそう来るよね!
遠回しな拒否だというのに、二人はほっとした。
ほれ見たことか、やはりさっきのは演技だったのだろう。全てはこの時の為、体良く援助を少額で済ませる為の布石だ。馬鹿め、その手には乗るか。貴様の思惑はお見通しだ。その善人の皮を剥いでやる。
「へぇ。それは山賊のせいで余裕がないから、かな?」
嫌みったらしい笑みを浮かべ、エドガーは言った。
伯爵は小さく目を開くと、力なく笑う。
「ああ、やはり分かっておいででしたか……」
「まぁな。ここへ来る途中、幾つかの村に寄って話を聞いてきた。大体のことは理解しているつもりだ。村人の状況、この領の現状、そしてその裏に隠された真実もな」
「……流石ですね。やはりSランク冒険者、ということでしょうか?」
「なに、他人より経験を積んできたってだけさ。こっちには賊に詳しい奴も居るしな」
「あんまり自慢出来たことではないですけどね。だけど、隠そうとしても無駄ですよ。ぼんやりとではありますが、大体のことは予想できますから」
お前がやっていることもな、と。見透かすようにラッシュは見る。
その目を見て全てを悟ったのか、伯爵は諦めたように笑いながら、何度か頷いた。
「どうやらそのようですね。出来れば隠しておきたかったのですが……」
「それは無理と言うものです。どんな話でも、たとえどれほど気をつけていても、必ずどこかから漏れるものだ」
「ええ、まったくその通りです。あまりに情けない話ですから、誰にも知られたくなかった。ですが、最も恥ずべきはこの後に及んで見栄を張ろうとする私自身なのでしょうな。
いやはや、本当にお恥ずかしい。エドガー殿、そしてラッシュ殿が思っている通りです。私の力が及ばず、当家は現在、没落の危機に瀕しています」
「「えっ」」
なにやら驚いたような声が聞こえた気がした。不思議に思い、伯爵は顔を上げる。変わらず、厳しい表情の二人と目が合った。どうやら勘違いだったらしい。
ラッシュは一度エドガーと目を合わせると、咳払いをして頷く。
「なるほど、やはりそうでしたか。ですが、私たちの予想も細かい所で間違っているかもしれません。言い辛いでしょうが、詳しく話してくれませんか?」
「そうですね。己の無能を晒すようで恥ずかしい話ですが……ことは数年前、この領に山賊が住み着いたのが切っ掛けです」
「確か、領のちょうど中央部分にある、廃坑となった山に拠点を作っているとか?」
「ええ、その通りです。ほら、そこの窓からも見えます」
言われ、窓の外を覗く。
距離は遠いが、確かに立派な山が見えた。あんな場所に入り込み要塞化でもされれば、攻略は難しいだろう。
「その山賊達はあの山に拠点を作ると、周辺の村を襲い始めました。被害が出た時点で、私も兵を差し向けて討伐しようとしたのですが……」
「返り討ちにされた、と」
エドガーの言葉に、伯爵は力なく頷く。
「始めはすぐに殲滅出来ると、舐めてかかっていたのは認めます。ですが、一度撃退された時点で認識を見直し、二度目の討伐では当家で出せる全戦力で当たったのです。その中には冒険者でいうところのCランク相当の家臣も居たのですが……」
「……殺られたのか?」
「いえ、一命は取り留めました。とはいえ、全治数ヶ月の大怪我を負っていましたが。ですが、その者が身体を張ってくれたお陰で死者が出なかったのは幸いでした。彼が居なければ……あるいは、撤退の判断が遅ければ当家の兵も壊滅していたでしょう。そう考えるとぞっとしますね」
Cランクといえば、冒険者としてはベテラン以上、信頼のおけるランクだ。高望みしなければ士官も楽に出来る。
それほどの者がやられたことに、エドガーは内心驚いていた。その山賊に対する脅威度を上げる。
「戦った兵達の報告によれば、賊の中には人間だけではなく、獣人が混じっていたそうです。幹部と頭目も獣人だったとか」
「それは本当だったのか。確かに獣人が混じって拠点を作られているとなると、戦力的に討伐するのは難しくなりますね」
獣人は人間とは違い、【天職】こそ持たないが、その必要が無いほど身体能力に恵まれている種族だ。単純な戦力という意味では、そこいらの【天職】持ちの人間より遥かに強い。
それでは返り討ちにされても仕方ないと、ラッシュは顎を撫でながら納得した。
「しかし、よりにもよってこんな所で獣人の賊か。伯爵様も運が悪いな」
「それを獣人のお前が言うなっ。もう少しデリカシーっていうのを持て!」
エドガーを窘めているが、ラッシュも同感だった。
これまでの道中で見たとおり、この辺りは獣人が疎まれる地域だ。そんなところに好き好んで寄ってくる獣人はいない。なのに、伯爵はその獣人に襲われている。災難としか言いようがない。
伯爵は苦笑しながら言った。
「確かに、自分でも運が悪いと思いました。ですが、それを嘆いても仕方ありません。嘆く暇があるならば、やるべきことをやらねば」
「ああ、その方が建設的だと思うぜ。それで? 伯爵様の兵隊がやられたあとはどうしたんだ? まさかそのまま諦めたっていうことはないんだろ?」
「もちろんです。とはいえ、やれることは限られていますがね。自力ではなんとも出来ない以上、他から戦力を持ってくるしかありません。ギルドに依頼して、Bランクの冒険者を複数派遣してもらったのですよ」
「ほぉ、Bランクか。それなら……ん? いや、今も山賊被害は止まっていないということは……」
「はい。そのBランク冒険者でも駄目でした。挑んだものの、結局怪我を負ってしまいまして、申し訳なさそうに謝って帰られました」
「はぁ!? Bランクの冒険者で駄目だったのか!?」
Bランクにもなると、戦闘用の【天職】を持っている中でも、更に才能と努力が求められるレベルになってくる。そのレベルの者が集まっても討伐できない山賊となると、相当な規模、実力を持つことになる。これはギルドも警戒の対象になるだろう。
だが、エドガーはそこに違和感を覚えた。
「……その依頼はどこのギルドに出したんだ?」
「え? ええ。この領にはギルドがありませんので、一番近いオルトに依頼しましたが」
「え? オルトって――」
ネコタが口にしかけて、息を飲む。エドガーがじっと自分を睨んでいた。
何も言うなと、その目が語っていた。
「しかし、いくら駄目だったとしても諦めるわけにはいきませんでした。そこで更に実力のある冒険者を要請したのですが、撃退された冒険者以上の者は居ないと言われ、手を打つことが出来ませんでした」
「まぁ、さすがにAランク以上は少ないからなぁ。もっと厄介な依頼を回されているだろうし」
「はい。手が空き次第こちらに派遣するとギルドと契約し、それから数年が経ちますが、まだ来ていません。その間、あの山賊には好き勝手されています」
沈痛な表情で、伯爵は言う。
「私に出来るのは、兵に定期的な巡回をさせ、見つけたら追い払うだけ。ですが、いくらやっても意味がありません。深追いすれば返り討ちにされると分かっているので、見逃すしかない。それを領民に責められる始末です。助けを求める領民を救うことが出来ぬようでは、貴族である資格はありません」
「ですが、伯爵はやるべきことをやっているでしょう。最高ではないかもしれませんが、最適な判断だと思います」
「そう言って頂けるとありがたいですな。しかし、領民が苦しんでいるのには変わらないのです。それを解決できていない以上、領主失格と言われても仕方がありません」
どんな言葉も慰めにはならないらしい。領主、貴族としての責任感が伯爵にそう思わせるのだろう。
高貴なるものの義務とは言うが、それを実行している貴族をエドガーは始めて見た。
「せめて領民が苦しまないようにと、数年前から徴税を取り止め、襲われた村に援助をしていますが、領民は一刻も早く山賊の討伐を望んでおります。なんとかしたいとは思っていますが、歯がゆいばかりです」
「援助までしてるのぉ……?」
震えたか細い声でエドガーは言った。あまりの衝撃に思考が吹き飛びそうだった。
「はい。しかし、それも既に限界を迎えようとしています。なんとか騙し騙しやってきましたが、とうに資金は尽き、私財を売り払ってなんとか乗り切っている状況です」
「それで没落の危機だと……」
ラッシュの言葉に伯爵は重々しく頷いた。
とても空気が重い。実際、それほど追い込まれているのだろう。一刻も早く手を打たなければ、本当に手遅れになってしまうほどに。
「あたしは良く分からないんだが、ギルドで駄目なら他の貴族に助けを求めることはできなかったのかよ?」
「そ、そうですよっ! 同じ貴族なら力を貸してくれるんじゃないですか!?」
ジーナの意見に、ネコタが賛同する。
伯爵は微笑ましい物を見たような笑みを浮かべた。
「ははっ、確かに助け合いが出来たらそれが一番良いのですがね。
ですが、貴族の世界は助け合いではなく、貸し借りの押し付け合いなのですよ。それが出来るのは、相当な縁で結ばれている信用の置ける者同士だけです。
同じ派閥の貴族でも、一度借りを作ってしまえばどれほどの要求をされるか分かりません。ましてや、宰相の派閥の者にこれだけの窮地を救ってもらうほどの借りを作っては……」
それはもう、この領は支配下に置かれるも同然だろう。どちらにせよ搾取されるのは間違いない。山賊によって滅びるか、緩やかに絞られ続けて衰退していくかの違いでしかない。
それに全員が気づき、気まずい沈黙が訪れる。
遠慮がちに、アメリアは小さな声を出した。
「伯爵みたいな人が……その……なんで宰相の……派閥に……」
「……確かに私はあの宰相に心から従っている訳ではありません。ですが、家と領民の為にはどんな苦渋の決断でもしなければなりません。周辺の領が全て宰相の派閥の人間で固まっていては、たとえ本意ではなくとも、それに従わないという訳にもいかず」
痛いほどに、伯爵の気持ちが伝わった。
全てを理解した瞬間、半端じゃない罪悪感が勇者パーティーを襲った。何しに此処にやってきたのかと、恥ずかしささえ覚えた。どう考えても金を吐き出させるような相手ではない。むしろ、助けなきゃいけないのはこの人なのではないだろうか。
気まずい空気を払うように、伯爵は気を張った声を出した。
「いや、申し訳ありませんな。このような話をしてしまって。ですがご安心ください。確かに余裕があるとは言えませんし、潤沢な資金提供もできませんが、それでも皆様がしばらく凌げる程度の金額は渡せます。何も心配はいりません。皆様は魔王討伐に集中して――」
「どれくらいだ」
「は?」
「私財まで売り払ってんだろ? 実際のところ、どれだけの資金が残ってるんだ?」
伯爵は笑って誤魔化そうとするが、じっと見つめてくるエドガーに負け、ため息を吐く。
「……帳簿では赤字続きです。資金的な余裕はありません。残りの私財も……そうですね、これは見てもらったほうが早いでしょう。どうぞこちらへ」
トランク伯爵の後を、五人は神妙な顔をして追いかける。
数分ほど歩き、とある部屋の前で伯爵は歩みを止めた。
「こちらが我が伯爵家の宝物庫になります。さぁ、どうぞ中へ」
促され、五人は中に入る。客室よりも一回りほど狭い部屋。宝物庫というからには、絵画や調度品、宝石などといった貴重品がぎっしり詰められていると想像する。
ところがどうだ……。
「あの、まさかあれだけなんですか……?」
震えた指先で、ネコタは部屋の隅にポツンと置かれた貴重品を指す。だが、ここにあるのはそれだけだ。宝物庫というわりにはあまりに寂しい。はっきり言って浮いている。
「当家も伯爵家ですから、私財を売り払う前はこの宝物庫にも見渡す限りの貴重品が置かれていました。残りはもうあれだけです。しかし、金目の物は先に売ってしまったので、あそこにある物では大した金額にはならないでしょう。ですがご安心ください。先ほども言いましたとおり、当座を凌ぐ程度の資金は……」
「伯爵、伯爵」
「あっ、はい。なんでしょうか、エドガー殿」
「タイム。作戦タイム」
「はっ? あっ、いえ、はい。どうぞ」
キョトンとしながら、伯爵は手で促す。
エドガーは頷くと、五人で伯爵から離れる。そして部屋の隅で円を作るなり、声を潜めつつ悲鳴を上げた。
「──無理ぃ! 無理よぉ! 彼からお金を取るなんてあたしには出来ないわぁ!」
「安心しろ。誰もあの人からたかろうだなんて思っちゃいねぇよ」
ダラダラと嫌な汗を流しながら、ラッシュはエドガーを宥める。エドガーの変貌に突っ込む気もなかった。ラッシュも同じく余裕を失っていた。
「おう、どうなってんだよ。話が違いすぎるぞ」
「うん……伯爵であんな良い人初めて見たよ。本当に貴族?」
「加害者どころか、むしろ被害者じゃないですか。一体どうなってるんですか?」
「待て待て、そんなにいっぺんに言うな。俺だって焦ってるんだから」
捲したてる三人をラッシュが宥める。
神妙な顔で、ネコタは言った。
「というか、結局のところどういうことなんですか? 伯爵の話にも、いろいろと引っかかるところがあるんですけど……」
「とりあえずハッキリしているところをざっくり纏めるぞ。
1、山賊が住み着いて好き勝手やっているというのは事実だった。
2、しかし、領民側の伯爵が助けてくれないという証言は嘘。伯爵はむしろ被害者。身銭を切って領民を守ろうとする良い人だった。
3、あの村長いつかぶっ殺す。
──こんなところだな」
「お前纏める気ねぇだろ。ざっくりにもほどがあるわ」
ラッシュは呆れた目を向ける。
エドガーはそれを無視して続けた。
「だが、これであの村長が言っていた話が嘘だってのはハッキリした。なぁにがこのままでは先が危ういだ。納税免除でなおかつ援助有りなんて特例を受けておいて危ない訳があるか! あのジジイ、いつかぶち殺してやる!」
「この調子だと、俺の予想も当たっていそうだな。俺たちを利用して山賊どもの財産を奪おうとするとは、随分と厚かましい村長だ。今からでも戻って痛めつけてやろうか?」
「いくらなんでも二人とも殺意に溢れすぎでしょ。少しは落ち着いてくださいよ」
ラッシュとエドガーにネコタが窘める。放っておくとこのまま殺しに行きそうで怖い。
「あの、村長さんが嘘をついていたっていうのも大事ですが、伯爵の話で気にかかることがあるんですけど」
「ああ、ギルドのことだろ?」
「はい。エドガーさんに目で止められたから口にはしませんでしたけど……ギルドから派遣された高ランクの冒険者が撃退されるって、よっぽどの事件なんですよね? なのに僕達がオルトに居た時、ギルド長からそんな話が全く出なかったのっておかしくないですか?」
「Sランク冒険者の俺がこの領地に向かうって聞いて、どうして依頼をされなかったのかってことだろ?」
「はい。もしかしたら僕達の邪魔をしないように気をかけてくれたのかもしれませんけど、それでも世間話にも出てこないのはちょっと……」
うむ、とエドガーは頷く。
「お前はどう思う? ギルド長が失点を知られたくないから黙っていた? もしくは、ギルドに依頼したのが伯爵の嘘だった? どうだ、他に何か思いつくか?」
「あのギルド長は良い人だったよ。私のお願いも聞いてくれたし。そういうことをする人じゃないと思う」
「勘だが、あの伯爵も嘘を吐いてるようには見えねぇな。王都で見たような腹の中が真っ黒な貴族共とはそもそも雰囲気が違いすぎるぜ」
「いや、それは僕もそう思いますけど、でも……」
女性二人の意見に、ネコタはたじたじとなる。しかし、どうにもしっくりこない。確かに二人の言う通り、伯爵もギルド長も善人だと思う。だが、それにしては辻妻が合わないと感じる。
「すいません、分かりません。どうか教えてください」
「俺も確信はねぇが……たぶん、二人とも隠したり嘘を言ったりはしてねぇんじゃねぇかな?」
「え? あの、すいません、ますます分からなくなったんですけど……」
「ギルド長は、おそらくこの話を知らない。伯爵は、ギルドに依頼したと思い込んでいる。こんなとこじゃねぇかなと俺は思う」
「……なるほど。それが一番ありえそうだな」
「えっ!? あの、どういうことですか?」
つまりだ――と、ラッシュはエドガーに代わり続けた。
「例えばだが……伯爵が依頼を出してやってきた冒険者達は、冒険者のふりをした山賊の一味だったとしたらどうだ?
山賊と戦ったふりをして、負けたと報告する。自分の兵よりも強い冒険者が負けた以上、伯爵には出来ることはない。だから次の高ランク冒険者を待つしかないんだが、そもそもそんなものは来ない。
何故なら、伯爵はギルドに依頼を出したつもりでいるが、依頼がギルドには届いていないから。これなら伯爵とギルド長、両方とも嘘を吐いていないっていうことになる」
「……いや、話は分かりましたけど、そもそも依頼が届いてないってどういうことですか?」
「そこだ。この予想が正しかった場合、伯爵にとって最悪な事実が判明する」
「な、なんですかそれは……」
怖がるような顔をするネコタに、エドガーは言った。
「分からねえのか? 伯爵が依頼を出したのに、ギルドには届いていないんだぞ。ってことは、伯爵の手下の誰かが、依頼を出したフリをしたってことじゃねぇか」
「そ、それってつまり……」
「買収されたか、潜り込まれたか。どちらにせよ、伯爵の部下に山賊の内通者が居るってことだ」
シン――と、空気が静まった。
気まずい空気の中、ネコタは声を絞り出した。
「あの、エドガーさんが目で僕を止めたのって」
「……こんだけ災難続きの中あれだけ頑張ってるオッサンに、これ以上の絶望を与えるような真似、いくら俺でも出来ねぇよ」
──不憫すぎるだろ伯爵っ!
同情せずにはいられない境遇だった。五人とも、思わず目元を抑えずにはいられない。一体神は何を考えてここまでの苦難を彼に与えたのか。
「いくらなんでも酷いですよ……伯爵さんが何をしたっていうんですか!」
「いや、これはあたしでもよ、さすがに同情するぜ。ここで身内の裏切りって……」
「伯爵、頑張ってるのに可哀想……あんなに優しい人なのに……」
「俺、ああいうタイプの人知ってる。その人は村長だったんだけど、やっぱりすげぇ優しくて良い人だったんだ。
だけど、優しすぎて下の人間に舐められてな。ほとんどお飾りみたいな扱いだった。
ムカついたからその時は俺が調子に乗った村人をシバいて従順にさせたけど、あのままだったらいずれ問題が起きた時に責任を取って裁かれてただろうな」
「人徳はあるが、下の奴らが付け上がってダメになるタイプか。良い人なんだが、組織の長となると威厳っていうのが必要になってくるからな。そこを山賊につけこまれた感じはあるな」
「思えば、村人には不評だったけど、門番は明らかに慕っていたからなぁ。人望は間違いなくあるんだよ。人に頼ることは出来る人なんだから、周りに人材が居たら上手く回る筈なんだ。せめて側近に優秀な人が居れば劉邦みたいな大人物になれたかもしれんのに」
「そうですね。この人を放っておけない、みたいな感じで……ん? あれ!? エドガーさん、なんで劉邦なんて知って――」
「今そんなことが重要か? あっ?」
「えっ? い、いやでも、明らかにおかし……」
「おかしいのはテメェの頭だボケ! 今は伯爵の方が大事だろうが! ぶっ飛ばすぞこら!」
「す、すいませんっ……」
「ったく、このクソガキが! あの伯爵の姿を見ろ。あれを見てなんとも思わんのか?」
言われ、皆が円陣の中から伯爵を覗き見る。
伯爵は、ポツンと一人で立ち尽くしていた。
「見ろよ、あの何も分かっていなさそうな顔……一層憐れに思わねぇか?」
「それバカにしてますよね? でも、そうですね。山賊に領を荒らされて、守る筈の村人からも利用されて……なんとかしてあげたいと心から思います」
「村人を苦しめる領主をなんとかしようとか言ってたの、一体どこの勇者さんでしたっけ?」
「アンタなんか僕以下だろ! とにかくお金をふんだくることしか考えてなかったじゃないか!」
「二人とも喧嘩するな。伯爵に気づかれるだろうが」
「で、結局のところどうすんだ? あたし達は金をせびりに来たんだろ? だけど、ここにはそんな金はねぇぞ」
「止めようよ。伯爵が可哀想だよ」
悲しげにアメリアが呟いた。
それを聞きながら、エドガーはハッキリ言う。
「いや、纏まった金はなんとしても必要だ。この先受け取れる保証はねぇからな」
「ちょっと! エドガーさん、いくらなんでも……!」
「待て、怒るな。話は最後まで聞け。別に今の伯爵から奪おうっていうんじゃない。ある所から取ってくればいいって話だ」
「えっ? それって……」
「最初からお前が望んでたことだろ? 人に迷惑をかける奴を退治するってな。今なら誰も反対しねぇよ」
言われ、ネコタは皆を見回す。
「まぁ、この状況で見ないふりをするっていうのは流石にな。金が必要っていうのもあるし」
「私も、あの伯爵なら助けたいって思うからいいよ」
「あたしは最初から賛成だったからな。むしろこれで気持ちよく暴れられるってもんだ」
「皆……ありがとうございますっ!」
「お前が礼を言うことじゃねぇだろ。まぁいい、とにかくこれで決まりだ」
エドガーはピョンピョンと跳ねて、伯爵の元に向かう。
「おう伯爵、待たせたな。無事話し合いは終わったぜ。これからどうするかも決まった」
「おお、そうですか。それでは、今すぐ資金を用意いたしますので、もうしばらく──」
「違ぇよ。タダで金を貰おうっていうんじゃねぇ。山賊退治の依頼を受けてやるって言ってんだ」
「はっ? ……いや! いやいや! それはありがたいことですが、皆様には魔王討伐がっ!」
「こんな話を聞いて見捨てるような奴ら、俺らの中にはいねぇよ。俺らに任せておきな。どんな相手だろうと蹴散らして、伯爵の財産も取り戻してやるよ」
「そんな、ですが……」
伯爵は戸惑ったようにエドガー達を見回す。誰もが笑顔で頷いていた。
「そんな……本当によろしいのでしょうか。私の不手際でこうなっているのに、勇者様達の手を煩わせてまで……」
「気にしないでください。伯爵を助けたいと思って行動するだけですから。伯爵だから、助けたいと思ったんですよ。他の人だったら見捨てていたかもしれません」
「いや、しかし……」
「それに、困っている人を助けるのが勇者の仕事ではないでしょうか? 目の前の人を助けることも出来ないで、魔王討伐なんか出来ませんよ」
本心からそう言って、笑みを見せるネコタ。
伯爵はホロリと涙を流し、その手を掴んだ。
「……ありがとうございますっ。どうか、お願いします。この領を救ってくださいっ!」
「はい、任せてください。僕たちも全力で頑張りますから」
「まっ、そんなに気にすんなよ。山賊どもから財産を取り戻したら、そこから報酬を貰うからよ。救ってやるんだから、色をつけて頼むぜ。俺たちが旅で豪遊できるくらいにな」
「エドガーさん! アンタこんな時まで……!」
「ふっ、ははは! いや、分かりました。その時は出来る限りの謝礼はお支払い致します」
エドガーを叱りつけようとしたネコタだったが、笑い出した伯爵を目にし、自分も笑みを浮かべる。
どんな言葉であれ、ずっと暗い顔をしていた人がこうして笑えているなら、それでいいと思えた。
山賊を退治して、伯爵とこの領の危機を救う。ようやく勇者らしい仕事が出来る。その事実にネコタは燃えていた。
ポンッと、気力溢れていたネコタの足に軽い感触が走る。
見ると、エドガーが膝下に手を当てていた。
そして――嗤っていた。
「──ヒッ!?」
「おやおや、どうしたんだいネコタ君。そんな声を出されると傷つくなぁ」
「あっ、いや、つい、すいません」
謝りながらも、ネコタは警戒を解かない。あの笑みはとても良くないものだと、ネコタの直感が警鐘を鳴らし続けていた。
「ど、どうしたんですかエドガーさん。そんな楽しそうに笑って……」
「いやね、これからのことを思うとワクワクして。それと、ネコタ君を祝福したくて」
「しゅ、祝福……?」
いったい何を?
そう聞く前に、エドガーはその笑みを深め、愉快そうに言った。
「良かったね、ネコタ君。次は人間が相手だよっ! 楽しみだねっ!」
「あっ…………ぁぁぁぁぁ…………っ!」
──ネコタは絶望した。




