俺にそんな隙があるわけねぇだろうが
殴り合いにまで発展しながらも、五人はその日の夕方、ようやく目指していた街、【オルト】にたどり着いた。
「やっと着いた。良かった、今日も辿り着けないかと……」
「エドガーさんが意地を張るせいですよ。なんで魔物と戦ってるわけでもないのにこんなにボロボロになってるんですか……」
「やめておけ。もう街に着いたんだ。これ以上争うこともないだろ」
「肉……酒……」
ボロボロになっている四人と、一人だけ気力に溢れているアメリア。食料の重要性が思い知らされる光景である。
「街に入ったら宿を探してすぐに飯にするぞ。異論はないな?」
「それ以外にあるわけねぇだろ。くだらねぇこと聞いてないで早くしろよ」
「あー、はいはい。分かりましたよ」
ジーナの言い草になんの反応も見せないラッシュ。まともに取り合っていないというのもあるが、それ以上にラッシュ本人も疲れ切っていた。
門番に身分証を見せ、オルトに入る。五人はまっすぐに門番から薦められた安宿を目指した。
寄り道する暇なんてないのだ。今はただ、腹に何かを入れることしか考えていない。
「ここか。へぇ、思ったよりも良い宿じゃないか」
今の手持ちでも泊まれる安宿にしては、古いながらも手入れの行き届いた宿である。
これは当たりだなと、ラッシュは教えてくれた門番に感謝した。
「お前の寸評なんぞどうでもいいわぁ! どけぇ! 飯だ! 早く食わせろ!」
わーっとはしゃぎながら、エドガーはピョンピョンと逸早く宿の中へと飛び込む。
次の瞬間、ぎゃーっと悲鳴をあげながら、宿から弾き出された。
「むぎゅう……」
「エドガー! 大丈夫!?」
アメリアが血相を変えて呻くエドガーに駆け寄る。ラッシュ達も駆け寄りこそしなかったものの、驚きの表情でエドガーを見ていた。
四人に心配されながら、エドガーは悔しげに言った。
「ちくしょう……飯が食えると思って油断したぜ……いつもなら問題なく躱せるっていうのによ」
「なんだお前、中の奴に叩き出されたのかよ。何やらかしたんだ?」
ジーナが呆れながら言う。
エドガーが答える前に、宿からヌッ巨大な影が出てきた。
「この獣人が! どっか行っちまいな! うちにはテメェにやる飯はねぇよ!」
冒険者と言っても信じられるような、ガタイの良い男だ。その胸に似合わないエプロンをしているあたり、おそらくは宿の店員、または店主なのであろう。
その男の発言から、あーっと、ラッシュとジーナが納得したような声を出す。
「なるほど、そういうことか」
「災難だったなお前」
「何のんきなこと言ってるんですか二人共! ちょっと、エドガーさんが何をしたのかは知りませんけど、いくらなんでも――」
「まぁまぁ、少し待て。ここは俺に任せろ」
ラッシュはネコタを抑え、宿屋の男と向き合う。
「よぉ、お疲れさん。あんた、この宿の店主かい?」
「そうだが……お前さんら、見ない顔だな。うちに泊まりに来たのか?」
「ああ、良い宿だって門番から話を聞いてね。長旅で疲れた体を癒すのにちょうど良いと思ってな」
「そうかい。そんな時に見苦しい物を見せちまって悪かったな。ちょいと待ってろ、すぐにその獣人を追い出すからよ」
「ああいやいや、そいつも俺たちの旅の連れなんだよ。すまないんだが、そいつも入れてやってくれねぇか?」
「そいつもか!? 冗談じゃねぇ! 俺は獣人が大っ嫌いなんだよ!」
ラッシュは苦笑いを浮かべ、店主を宥める。
「まぁまぁ、そう怒らないでくれよ。なんだ、獣人に何か恨みでもあんのか?」
「そういう訳じゃねぇが……獣人なんて信用できるか! 大それたことをやらかすのはたいてい獣人じゃねぇか!」
「ちょっと! 何もしてないのにその言い草は—―」
「いいからお前は少し黙ってろって」
怒るネコタの口をジーナが抑える。
店主の言い分に、ラッシュは納得したように頷いた。
「そうだな、それが普通だ。あんたが獣人を嫌うのも無理はねえよ」
「分かるだろう。なら――」
「だけどよ、このエドガーってのはそんな悪い奴じゃねぇんだ。少し口が悪いところはあるが、人の失敗を庇える良い奴なんだぜ。あんたがこいつをしんじられないのはしょうがない。だから、俺のことを信じてくれねぇかな? 頼むよ」
「むぅ、しかしな……」
「それに、今の手持ちで泊まれるのはこの宿くらいなんだ。ここでダメなら俺たち全員、街に入れたっていうのに泊まる場所がなくなっちまう。俺らはともかく、女どもが可哀想でな。なぁ頼むよ、助けると思って、このとおり!」
ラッシュはさりげなく女達に目をやり、深く頭を下げた。
店主はじっとそれを見たあと、エドガーに不満そうな目を向ける。
「……今回だけは入れてやる。この人に感謝するんだな」
フンと鼻を鳴らし、店主は宿の中に戻った。
ラッシュは振り返り、フッと笑う。
「ほら、許可が出たぞ。さっ、とっとと入って飯にしようぜ」
「【ラビットストレート】!」
――ドスリ。
エドガーの短い腕が、ラッシュの腹に突き刺さった。
ラッシュは悶絶しながら膝を着き、苦しげにエドガーの顔を見上げる。
「ひゅっ……ごあっ……お、お前っ……!」
「優越感に浸っているのが丸見えなんだよ。あれくらいでドヤ顔してんじゃねぇよ、ダボがっ。元はと言えばテメェのミスだろうが」
「覚えてろよ……! お前がやらかした時はここぞとばかりに責めてやるからな……!」
「アホか。お前と一緒にすんな。俺にそんな隙があるわけねぇだろうが」
――酷い。
ネコタはエドガーの所業に恐れ慄いた。
一悶着あったものの、五人は宿の中に入る。店内は外観相応に年代を感じさせながらも、隅々まで掃除が行き届いており、清潔を保っていた。安宿なら値段が安ければいいとそれ以外は杜撰な宿が多い中で、珍しく当たりの宿である。
「とりあえず人数分の飯を用意してくれ。部屋の案内はその後で頼む」
案内された席に着くなり、ラッシュは看板娘に注文を出した。
看板娘は頷き、チラリとエドガーの方に目をやった。エドガーが手を降ると、にへらっと頬を崩して手を振り返し、機嫌良く厨房へ向かう。
看板娘が去っていくのを見て、ネコタはため息を吐く。
「それにしても、ここの店主さんは酷いですね。何もあそこまでしなくても……」
「そうか? あの程度ならまだ優しい方だろ」
ネコタの言葉を適当に流し、料理より先に来た酒をグビグビと飲み始めるジーナ。ジーナの反応に、ネコタは不満そうな顔を見せた。
「あの程度って、蹴り飛ばされたんですよ? エドガーさんは何もしてないのに、獣人だからっていう理由であの扱いは酷くないですか?」
「ネコタがそう思うのも無理もないがな、この国の獣人に対する意識ってのはあんなもんだ。むしろ、偏見を持っていない俺らの方が珍しいんだよ」
「だな。頼んで入れてもらえるだけありがたいぜ」
ラッシュの言葉に、エドガーは同意する。
当の本人が全く気にしていないことに、ネコタは驚いた。
「そんな……エドガーさんはあんなことされて悔しくないんですか? 何も悪くないのに」
「まぁ思うところはあるけどな。あのおっさんの言い分も分からなくはねぇんだよ。獣人が乱暴だってのも、あながち間違いじゃないからな」
「え? そうなんですか?」
「獣人は確かに言葉を解する知性を持っているが、獣の本能も持ち合わせているからな。どうしても思考が感性や力ありきのものになる。そのへんの食い違いで、人間種と揉めることが多いんだよ。この国は宗教的に獣人蔑視の風潮があるが、他の国でも獣人を苦手とする人間は多いんだぜ」
「そ、そうなんですか……」
ネコタは意外に思った。
てっきり不当に差別されていると思っていたのに、そういった理由もあるとは。それならば確かに店主の態度も仕方がないのかもしれない。
「それにな、俺はまだマシな方だぞ。【源獣種】の獣人の中には、見た目で魔物扱いされる奴もいるからな。その点、俺は受け入れられやすいんだ。店主はあれだったが、あの看板娘はそうでもなかっただろ」
「え、ええ。それどころか喜んでましたね」
ネコタは先ほどの看板娘の態度を思い出す。ドキドキとした様子でエドガーを見て、手を振り合っていた。
ヒヒッと、自慢げにエドガーは笑う。
「俺は女受けしやすい見た目だからな。どこに行っても女にはモテるんだぜ」
「はぁ、そうなんですか」
「…………むぅ」
「ア、アメリア? めっちゃ痛いんだが……頼む、やめてくれ! 皮が千切れ……!」
アメリアはエドガーの腹に手を伸ばし、指先でつねり上げていた。ちょこんと可愛らしい仕草に見えるが、エドガーの顔には脂汗が浮き必死だ。どうやら魔法で強化しているらしい。
仲良いなぁと、じゃれ合っている二人をネコタは羨ましく思った。
「お待たせしましたー! こちらがお料理になります!」
「おおっ、来たか! 待ってたぜ!」
ジーナが歓喜の声を上げる。他の四人も、ワクワクとした様子だった。
パンにスープ、サラダに数切れのステーキ。特別なメニューではないが、空腹の今では何よりのご馳走に見える。
それが次々とテーブルに並べられた。全てを置きおえ、看板娘が再び厨房の方へ去っていく。
だが、エドガーの前には何も置かれなかった。
はしゃいでいた空気が静まる。言葉を出すのも躊躇われ、沈黙が訪れた。
気まずげに、ネコタが小さな声で。
「あの、これって……」
「言わなくていい。分かってるから、何も言うな」
エドガーはなんでもないような顔をして、じっと自分の眼の前にあるテーブルを見つめていた。
「ふっ、獣人は人として数えられねぇってか。なるほど、言葉にして罵られるよりよっぽど効くぜ」
「エドガー……その……」
「気にするなアメリア。そんなに気にしてねぇよ。ただ、空腹状態でこの仕打ちはさすがに堪えるな。ははっ、故郷の村を飛び出した日を思い出すぜ。村を出てから数ヶ月は死に物狂いだったなぁ……すまん、やっぱりちょっと泣きそうだ」
エドガーは泣きこそしなかったものの、天井を見上げてフルフルと震えていた。
アメリアは悲痛な顔を作り、キッと厨房の方を睨みつける。
「ちょっと! これどういうつも—―」
「待てアメリア! 俺が説得するから!」
賢者に堂々と文句を言わせる訳にもいかんと、ラッシュが慌てて止める。アメリアは不満そうに睨んでくるが、怒ったアメリアをこのまま向かわせる訳にもいかない。
どうやって宥めようかと思うラッシュだったが、それよりも早く看板娘が戻ってきた。
「お待たせしましたー! 遅れてすいません、こちらが残りのご飯になります!」
「――んなんだよもうっ! 驚かせやがって! 泣いちゃうかと思ったじゃねえかよっ!」
自分の分が遅れていただけと知り、エドガーは弾んだ声を出した。調子を取り戻し、アメリアが微笑ましそうに笑う。
ウキウキとしながら、エドガーは配膳を待っていた。そして、コトリと眼の前に置かれたものを目にし、真顔になる。
目の前の更には、カットすらされていない生野菜がそのまま置かれていた。
「おうこらぁああああ! これはどういうことだ!? 客舐めてんのか!?」
下げてから上げ、そしてまた落とす。さすがのエドガーさんもこれにはブチギレだった。
甘いパンを。野菜の味が染み込んだ繊細なスープを。ジューシーな肉を期待していたのである。
「まぁ待てエドガー。そんなに怒る……ぐふっ!」
「そうだぜ。ぷっ、くく……! お前野菜好きだろう……ぷぐ!」
「だからと言ってこれはねぇだろうが! おうこら! 返答次第じゃ女だろうと唯じゃすまねぇぞ!?」
ラッシュとジーナに止められるが、エドガーの怒りは収まらない。むしろ、笑いをこらえているあたりがなおさら苛立たせる。
しかし、エドガーの怒りに看板娘はオロオロとしながら、
「えっ? その、だって、ウサギさんなら生の方がいいかと……」
「……おっ、おう。そうか。そうだったのか」
「も、もしかして普通の料理で良かったんですか? ご、ごめんなさいっ。すぐに取り替えますから!」
「いっ、いや、いいんだ! ただ、差別されたのかと思って、ついな。ありがとよ、本当は生の方が好きだから、助かるぜ」
「本当ですか? 良かった、野菜のお代わりなら沢山ありますから、遠慮しないでくださいねっ」
「あっ、ああ」
看板娘は嬉しそうにしながら、また厨房の方へ戻っていった。エドガーの温かい料理は、二度と来ることはなくなった。
エドガーは泣いた。
「バカッ! 俺のバカ……!」
「ぎゃははははは! 良かったじゃねぇか! お代わりは自由だと!」
「ウサギは大喜びだな! あははははは!」
「二人共、いくらなんでも笑いすぎじゃ……ふっ、ふふふっ!」
「エドガー、泣かないで。私の料理、分けてあげるから」
小さないざこざはあったものの、五人は満足のいくまで食事を楽しみ、久しぶりにゆっくりとした夜を過ごした。




