第五話 普遍的でないのが年始
「おはよう山生女。お邪魔するわ」
地上では正月のこの日、そう言って春の館にやってきたのは理渡である。恵水は部屋にこもっているし、涼華も事象室にこもっているため暇なのだ。
尤も、理渡が自分で仕事をすればいい話なのだが、涼華のやる気がものすごいのと、冬の仕事は力技で何とかなることが多いので、理渡でなければいけない仕事は意外に少ない。
「おはようございます。お茶です」
「準備が良いわね。ありがとう」
今日も二人はほのぼのとした様子で庭の桜を眺める。
「元旦なのに、ここだけは平和ね」
「ええ、芽吹様も今日は帰ってきませんし、恵水様も最近はずっとお部屋にいますしね」
「本当に今は元旦なのか疑いたくなるわ」
「そうですね」
そういって理渡は留梨が淹れたお茶を読む。今日もいい味だ。
「「…すぅ…すぅ…」」
こうして二人が眠るのには、それほどの時間を要することはなかった。お茶は既に冷めてしまっているが、留梨も眠っているため新しく淹れられることはない。
これはこのときの平和な風景である。
場所はほぼ同じだが、ここはそのころの恵水の部屋。
「崩灰」
桜の灰は壷の半分までたまっていた。部屋はある種殺伐とした空気に満ちている。食事以外はほぼ休まずに集中し続けているため、さすがの恵水の表情にも疲労の色が濃かった。
「あと半分。さあ、次っ」
本当に疲れているらしく、自分を元気付けようと出した声もかすれてしまっている。今彼女が縁側の光景を目の当たりにしたならば、おそらく羨ましすぎて全力で攻撃を始めるのは想像に難くない。
それからまたしばらく経ち、昼時。
「今は…夜?」
自分の疲労度で時間を計るようにしている恵水だが、一年毎に鍛錬で能力が伸びているのでほとんど役に立たない。今の間の抜けた発言もその所為である。
「どっちでもいいや。おやすみ」
さすがに限界が来たらしい。恵水は最近ほとんど休んでいない。つまりしばらく寝ていないのだった。偶然にも今日は元旦、心行くまで寝ていてほしいものだ。
これもこのときの平和な風景である。
今度は冬の館。ここでは涼華が、地上の気温を下げる陣を組んで事象室で佇んでいる。正確には、理渡が組んだ陣に気力を流している。
「……」
事象室で仕事をする場合、基本的に併用するある術のせいで考え事などはできない、というか必要がない。精神そのものはいわゆる休眠状態になるからだ。
「……」
心が眠っているため、これ以上ないというほどの無表情を顔に張り付かせた涼華は、一定の気力を陣に流し続ける。
そこには寸分の狂いもなく、陣は一定の速度で、歯車のように組み合わさりながら回り続けている。
これもまたこのときの平和な風景である。
このとき、年始らしい何かをしていた人物は残念ながらいなかった。年始が慌ただしいなどというのは、ここでは都市伝説だったらしく、普遍的でないはずだった年始は至って平和である。
ともあれ、地上では身も凍るような寒い時節も、天界ではこうして緩やかな日常が流れているのであった。
さて、この時地上では、ある組織があるものを入手していた。
「これは…相当な業物だな」
「はい。南に行かせてたやつらが送ってよこしました」
「色々と見てきたが、これほど強力な霊刀は初めてだ」
彼らの目の前にあるのは、美しい漆塗りの鞘に収まった一振りの刀である。
『ああ、寝ている間に落ちてきてしまいましたか。だからあれほど蔵はいやだと言ったのに』
霊刀。それが何を意味するものであるか、一番よく知っていたのは目覚めたばかりのその刀自身であった。
『蔵にあらざらましかば、此処に来ざらまし(蔵になかったならば、ここに来ることもなかったでしょうに)』
表向きには何も言わない刀は、もうどうしようもないことをひたすら後悔していた。
元の場所に戻ることはおそらくないだろうと心のどこかで思いながら。
所有者自身はまだ気付かない。自身の愛刀がなくなっていることに。
今回は特にストーリー全体に関与しない閑話的なもので終わらせようと思ったんですが、さびしかったので謎っぽいフラグ立ててみました。回収はだいぶ後の予定です。
ではたまには次回予告を留梨にやってもらいましょう。
留梨「え?急になんですか?えっとそうですね…次回は私出てこないのでよく分かりません、以上!」