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水曜日の世界

作者: 関根櫻
掲載日:2026/10/04

もし、あなたの記憶の中に、

誰にも覚えられていない人がいたとしたら。


その人は、本当にいなかったことになるのでしょうか。


人は、忘れることで前に進むことがあります。

けれど、忘れたくないと思う人がいることもあります。


この物語は、

そんな「忘れること」と「覚えていること」の間にある、

少し不思議な一週間の話です。


水曜日にしか会えない人がいました。


どうして水曜日なのか。

彼女は誰なのか。

そして、なぜ僕の前に現れたのか。


答えを探しながら、

最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

水曜日だけ会える人


第一章 水曜日だけ会える人

その人は、水曜日にしか現れなかった。

別に、水曜日以外に学校へ来ていないわけではない。僕が見つけられないだけなのだ。

そういう人は、たぶん世の中に結構いる。毎朝同じ電車に乗っているのに、一度も顔を覚え

られない人。教室ではいつも窓際に座っているのに、卒業してから名前を思い出せない人。

彼女は、その逆だった。一度会っただけで、忘れられなくなった。

「ねえ」

最初にそう話しかけられたのも、水曜日だった。放課後の図書室。僕は誰も借りないような

古い本を探していて、彼女は僕の後ろから突然言った。

「今日、死ぬ?」

「……今日?」

「うん。今日」

彼女は笑っていた。冗談なのだろうと思った。けれど、その笑い方は、冗談を言った人のも

のではなかった。

「死なないけど」

「そっか。じゃあ、よかった」

「何が?」

「君が死なないこと」

彼女は僕の手にした本を覗き込んだ。

「それ、面白い?」

「まだ読んでない」

「じゃあ、つまらないね」

意味が分からない。でも、不思議と嫌ではなかった。

「名前は?」

「水野」

「下の名前は?」

「それは秘密。水曜日に会った人には、水曜日の名前しか教えちゃいけないの」

「何それ」

「私にもよく分からない」

そう言って、彼女は笑った。

その日から、僕は毎週水曜日に図書室へ行くようになった。別に、彼女に会いたかったから

ではない。そう言い聞かせていた。

第二章 来週の私

二回目の水曜日。彼女は窓際の机で寝ていた。机の上には、開いたままのノートがあった。

風でページがめくれた。そこに一行だけ書いてあった。

『来週の水曜日、私はここにいない』

「……起きてる?」

「起きてるよ」

「これ」

「ああ」

「読んだ?」

「読んだ」

「じゃあ消しといて。来週の私が困るから」

「意味分かんない」

「私も」

彼女は文字を黒く塗りつぶした。

「ねえ。来週も来る?」

「来るよ」

「約束?」

「うん」

彼女は少しだけ笑った。

「じゃあ、来週の私は幸せだね」

その言葉の意味を、僕はそのとき理解できなかった。

第三章 三年前の写真

三回目の水曜日。彼女はいなかった。図書室の先生に聞いても、そんな生徒は知らないと言

われた。

僕は掲示板に貼られた文化祭の集合写真を見つけた。そこに彼女がいた。

撮影日は三年前。僕がまだ中学生だった頃。写真の中の彼女は、今とまったく同じ顔で笑っ

ていた。

名前は『水野 春』。

その瞬間、背後から声がした。

「見つけた?」

振り返る。誰もいない。

写真の裏には、さっきまでなかった文字があった。

『来週は、君の番だよ』

その夜、知らない番号からメッセージが届いた。

『水曜日まで、あと五日』

僕は返信しなかった。けれど、次の水曜日までの五日間、僕の身の回りでは小さな変化が起

こり始めた。

第四章 僕を知らない人たち

月曜日、クラスメイトの佐伯が言った。

「お前、誰だっけ?」

冗談だと思った。けれど佐伯は本気だった。

母に昔の写真を見せてほしいと言った。母は不思議そうに首を傾げた。

「昔の写真って、どこにあるの?」

僕にはアルバムがあったはずだった。でも家のどこを探しても見つからない。

火曜日の夜、机の中から一通の手紙が出てきた。僕の字だった。

『もし、この手紙を読んでいるなら、もう始まっている。

水野春を探さないで。

でも、忘れないで。』

そして最後に、こう書かれていた。

『君は、三年前に一度死んでいる。』

第五章 水曜日の世界

水曜日。僕は図書室へ向かった。

扉を開けると、そこには水野春がいた。

「遅いよ」

「説明して」

「どこから?」

「全部」

彼女は窓の外を見た。校庭には誰もいない。時計の針も止まっていた。

「ここは、水曜日だけ残ってる世界なの」

「世界?」

「正確には、君が忘れた時間」

三年前、僕は事故に遭った。命は助かった。でも、意識を失った七日間があった。その七日

間の記憶が、僕の中では一つの『水曜日』として残っていた。

そして彼女は、その事故の日に僕と一緒にいた少女だった。

「私は死んだの?」

「うん」

彼女はあっさり答えた。

「でも、君が覚えてる限り、ここにはいる」

「じゃあ、僕が忘れたら?」

「私は消える」

彼女は笑った。

「だから、忘れないでって言ったの」

第六章 約束の意味

「僕は、君を忘れたくない」

そう言うと、彼女は困った顔をした。

「それは、私が一番言ってほしくなかった言葉」

「なんで」

「だって、それを言うと君はここから出られなくなる」

僕は気づいた。時計が止まっている。窓の外も、風も、何も動いていない。

ここにいる限り、彼女と話せる。でも、現実の時間は進まない。

「三年前の君も、同じことを言ったよ」

「僕が?」

「うん。『忘れない』って」

「じゃあ、どうして忘れたの?」

「生きるためだよ」

彼女は静かに言った。

「人は、全部を覚えていたら前に進めないことがあるから」

僕は何も言えなかった。

彼女は僕の手に一枚の写真を渡した。

「これを持って帰って」

「君は?」

「私は、水曜日に置いていって」

「嫌だ」

「うん。私も嫌」

それでも彼女は笑った。

第七章 最後の水曜日

「じゃあね」

「また来るよ」

「来ちゃだめ」

「なんで」

「私がいなくなるから」

僕は初めて、彼女の顔から笑顔が消えるのを見た。

「君は、生きて」

「君だって、生きたかっただろ」

彼女は少しだけ黙った。

「うん」

その一言だけで十分だった。

僕は彼女を抱きしめた。幽霊は冷たいものだと思っていた。でも彼女は、普通の人間と同じ

温度だった。

「ありがとう」

耳元で彼女が言った。

「見つけてくれて」

「僕こそ」

「約束、守ってくれて」

「何の?」

「私を忘れないっていう約束」

「忘れない」

「うん。でも、思い出し続けなくていいよ」

その言葉と同時に、時計が動き始めた。

秒針が一つ進む。

彼女の姿が薄くなる。

「水野!」

「私の名前、春だからね」

「知ってる」

「じゃあ、春になったら思い出して」

最後に彼女は笑った。

「でも、ちゃんと学校にも行くんだよ」

終章 春

目を開けると、僕は図書室の床に倒れていた。

窓の外には桜が咲いていた。

先生が慌てて駆け寄ってくる。

「大丈夫か?」

僕は起き上がった。

机の上には、一枚の写真があった。

三年前の文化祭。水野春が写っている。

僕はその写真を財布に入れた。

それから何年か経った。

僕は大学へ行き、働いて、何度か恋をして、何度か失恋した。特別じゃない人生だった。

でも、毎年春になると、あの水曜日のことを思い出した。

全部を思い出すわけじゃない。声も、顔も、少しずつ曖昧になっていった。

それでも、忘れなかった。

ある春の日、僕は桜の下で一人の女の子とすれ違った。

振り返る。

もちろん、彼女ではない。

それでも僕は笑った。

「今日、死ぬ?」

心の中でそう呟いた。

答えは決まっている。

死なない。

今日も生きる。

そして水曜日が来るたび、僕は少しだけ空を見上げる。

もしかしたら、どこかの水曜日で、彼女も空を見上げているかもしれない。

そう思えるだけで、人生は少しだけ不思議になる。

僕は歩き出した。

春の風が吹いていた。

そして、その風の中に、誰かの声が混ざった気がした。

「ちゃんと、生きてる?」

僕は答えた。

「うん」

それだけで、十分だった。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


『水曜日だけ会える人』を書こうと思ったとき、

最初に考えたのは「忘れる」ということでした。


大切な人を忘れたくないと思っていても、

時間が経てば、声や顔や話した言葉は少しずつ薄れていきます。


それは悲しいことなのかもしれません。


でも、忘れていくことと、

大切だったことまでなくなることは、

きっと同じではないのだと思います。


覚えていなくても、

その人と過ごした時間が、自分の中のどこかに残っている。


そんな物語を書きたくて、

水曜日にしか会えない少女と、

彼女を忘れてしまった少年の話を作りました。


「思い出し続けなくていいよ」


春が最後に言ったこの言葉が、

この物語で一番伝えたかったことなのかもしれません。


誰かを大切に思った時間は、

その人を一生鮮明に覚えていることで証明する必要はない。


忘れてしまう日があってもいい。

前を向いて、生きていけばいい。


それでも、ときどき思い出せたなら、

それだけで十分なのだと思います。


この物語を読み終えたあと、

あなたの中にも、ふと顔を思い出す誰かがいたなら。


その人との時間を、

ほんの少しだけ大切にしてもらえたら嬉しいです。


最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

関根櫻

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