欲しがりな妹と注文の多い婚約者
エヴァランス公爵家次女・フィリアには困った欠点がある。
「お姉様のドレス、とってもステキ! フィリアにちょうだい!」
何でもかんでも、姉であるミライラのものを欲しがるのだ。
甘え上手で天真爛漫なフィリアだが、それとこれとは話が別。姉のミライラはもちろん、両親や兄、果ては使用人までフィリアの欲しがりを矯正しようと口を酸っぱくして注意したが、一向に治らない。
フィリアの欲しがりは、ミライラの婚約者が公爵家を訪問した際にもいかんなく発揮された。
「ステキな方! お姉様の婚約者なの? なら、私の婚約者になって!」
エヴェランス公爵家中に響く声に、ミライラはつきかけたため息をこらえる。今は客人がいるのだ。瞳をキラキラと輝かせた妹の背後から、妹の侍女が慌てて駆け寄ってくる。また彼女の目を盗んで、こっそり抜け出してきたらしい。
まず客人に謝ろうとミライラが口を開きかけた時、客人が制するように手を上げた。
「殿下?」
訝しむミライラをよそに、ミライラの婚約者──ルートヴィヒは片膝をついてフィリアと視線を合わせる。
「君が、ミライラの妹か。……私の婚約者になりたいの?」
「ええ!」
「なら、注文がある」
「ちゅうもん?」
繰り返しして首を傾げたフィリアに、ルートヴィヒはにこりと笑った。
「ああ。なにせ私は、この国の王太子だからね」
「私の妻となる者は、王太子妃、ひいては王妃となる。我が国の女性の代表となる存在なんだ。立派な人でなければならない、というのは分かるね?」
ルートヴィヒの問いかけに、フィリアは頷く。よろしい、と微笑んでからルートヴィヒは指を立てた。指の本数は、一気に三本に増える。
「一つ目。まず必要なのは教養だ。最低でも3か国語の読み書きや会話ができないと話にならない。加えて、各国の文化や歴史を詳しく知っていることも重要だ。そこから話が膨らみ、友好的な雰囲気を作ることができれば、交渉が有利になるんだ。二つ目。見た目も肝心だ。ただ美しい、というだけでは不十分だよ。礼儀を身につけ内側から輝くような女性でないと。単なる美しさなら、お金を惜しまなければ手に入るけれど、気品はそうはいかない。私の婚約者になるなら、持っていて当たり前の項目だ。三つ目。細やかな配慮、とっさの判断を下せること、そしてそれらの責任が取れること。知識や品位が優れているだけでは、ただの人形と変わらないからね。活かせるような器量を見せてこそ、私の隣に立つ者として相応しい」
手を下ろしたルートヴィヒは、にこやかに微笑んだ。
「ひとまずは、この三つかな。注文はまだまだあるけれど……私の話を聞いて、無理そうだと思った?」
たずねたルートヴィヒに、フィリアは力いっぱい首を横に振った。
「いいえ! お姉様だってできたのでしょう?」
「ああ、ミライラは全て満たしているよ」
「じゃあ、私にもできるわ!」
「ははは、頼もしいね」
「私ができるようになったら、私を婚約者にしてね!」
フィリアは、ぐっと拳を握りしめて宣言する。ルートヴィヒは柔和な表情のままだが、決定的なことは口にしていない。そんな二人を、ミライラはハラハラしながら見ていた。フィリアが今にも王太子であるルートヴィヒの機嫌を損ねて罰せられないか、気が気ではない。
幸いその日の茶会は、フィリアも交えた三人で当たり障りなく終わった。フィリアは、気まぐれで甘えただ。きっと今日のやり取りはすぐ頭から抜け落ちるだろうし、仮にルートヴィヒの注文を果たそうとしてもすぐ音を上げるだろうとミライラは考えていたが──その予想は外れた。
フィリアは自分の宣言を忘れず、その日のうちに父親にねだって家庭教師をつけてもらっていた。机にかじりつき、真剣に学問に向き合い、面倒くさがっていたマナーの授業も熱心にこなしている。我が儘も減り、両親をはじめとした公爵家の人々は、この劇的な変化を喜んだ。
ミライラも、意外に思いつつも良い変化だと思っていたが──直にそれは間違いだと悟る。
我が儘ではあったものの、健康的だったフィリアの目の下にはいつからか隈が浮かぶようになっていた。ここ最近、毎日夜遅くまで勉強しているからだ。両親や兄、ミライラがそのことをやんわり指摘しても、
「殿下の婚約者になるために、勉強しなくちゃ!」
と取り合わない。
このままでは、体を壊してしまう。まさか、我が儘でいた時の方が良いと思う時がくるなんて、と思いながらミライラはとあることを決意した。
「殿下」
「どうした、ミライラ? 改まって」
後日。恒例となっている公爵家でのお茶会の席で、ミライラはルートヴィヒを見つめる。これから告げることは、ミライラにとってもエヴァランス公爵家にとっても岐路となるだろう。余りにも大きな選択に、ミライラは深呼吸してから切り出した。
「わたくしとの婚約を、解消してくださいませ」
「…………………………は?」
まさに青天の霹靂、と言った調子でルートヴィヒの目が見開かれた。いつもそつのない方だと思っていたが、こんな表情もされるのね、とどこか俯瞰した感想をミライラは持つ。
「いや、少し待ってくれ。どうしてそんなことを? 私と君との婚約は王命による政略結婚で、そうそう簡単に解消できるものではない。君もよく知っているはずだ」
「ええ。わたくしとあなたの婚約は、王家とエヴァランス公爵家との政略です」
「そうでもあるが……まさか」
ようやくミライラと同じ答えにたどり着いたのか、ルートヴィヒは驚愕の視線を向けてきた。ミライラはその眼差しをしっかりと受け止める。
「ええ、わたくしに代わってフィリアと婚約なさいませ」
「冗談か? 君らしくない」
「フィリアは本気です。本気で殿下の婚約者になりたくて、努力しております」
一心不乱に励む様は、成長を感じると共に体調を崩してしまわないか心配になるほどだ。でも、それだけフィリアはがんばっている。たとえルートヴィヒが戯れに口にしたことであっても、フィリアは真面目に取り組んでいるのだ。そして、その成果は日に日にあがっている。そのひたむきさを前にして、ミライラの心は大きく揺さぶられた。あの子の努力を、がんばりを、単なる冗談ですまされるのは姉として見過ごせない。
「王妃の器、という話ではあの子でも問題ありません。確かに、今からですと何年かはかかりますが、きっと立派な王太子妃として成長いたしますわ」
「ミライラ」
縋るようなルートヴィヒの眼差しに、揺らぎそうになった。ミライラこそ、ルートヴィヒのために努力してきた。ルートヴィヒはどうか分からないが、ミライラは王太子妃、ゆくゆくは王妃として彼を一生支えたいと今でも思っている。でも、ミライラは姉でもあるのだ。正当な努力をなかったことにされ、泣く妹を思えば──あふれてくる想いを堪えつつ、ミライラは言い切った。
「殿下、あなたの発言には責任が伴います。王族の言葉に、二言はないのですよ」
「私は、そんなつもりでは」
「ちがうのーー!!!!」
突然割り込んだ第三者の叫びに、二人の動きが止まる。直後、ボスンと音を立ててミライラのドレスに突っ込んできた影がひとつ。
「フィ、フィリア?」
「ごめんなさいーー!! わたしが、わるかったの!! けんかしないでおねがいーー!!」
近頃の淑女らしさはどこへやら。わんわん泣きながら、フィリア──今年8歳になるミライラの大切な妹はひたすら謝っていた。
フィリアにとって十歳年上の姉・ミライラは憧れだ。ミライラ自身がもちろん素敵だし、ミライラの持ち物や身に着けるもの、触れるもの全てがキラキラして見えてフィリアは欲しがった。ミライラからもらったものは、侍女に命じてひとつひとつ丁寧に保管し、眺めてはキラキラした姉を思い出してうっとりしている。それらを手に入れたフィリアもキラキラしているように思えて、両親や兄、当の姉から注意されても何が駄目なのかよく分からなかった。
だから、今回の婚約者の件も同じこと。ミライラの婚約者であるルートヴィヒも当然キラキラしていて、欲しくなった。そしたら注文があるという。姉のものをもらうのに対価を要求されるのは、初めてだった。注文を達成するためはじめた勉強は、当初は分からないことばかりだったが、ある日ひとつ腑に落ちると芋づる式に次々と理解でき、それがまた楽しくてのめり込んだ。
今日、ルートヴィヒがお茶会に来ていると聞いて注文がどこまで達成できたか意気揚々と確認しようとしたら──姉とルートヴィヒが口論していて、しかもその原因がどうやら自分らしい。以前のお茶会を垣間見た時のキラキラした雰囲気は消えていて、二人とも辛そうな表情をしている。フィリアは直感で悟った。自分が、キラキラした二人を壊してしまったことを。
ひとつ気付くと、次々と芋づる式に浮かぶものがある。姉はフィリアが欲しがると、譲ってくれた時もあったがその時──悲しい顔をしてはいなかったか。手にした欲しかった物越しにそれを目にしたはずなのに、フィリアはわざと見ていない振りをしていた。キラキラを、自分が損ねたと認めたくなかったから。
でも、今回の件で思い知った。フィリアは自分の欲のために、とんでもないことをしていた。フィリアは、大好きな姉を不幸にしていたのだ。
「だからっ、もう、婚約者にならないから!! なかなおりして!!」
泣きじゃくりながら全てを話したフィリアを膝に乗せ、ミライラその背を優しくさする。
フィリアの欲しがり癖は確かに困っていたけれど、もらったものを大切に扱っているという侍女の報告を聞いていたから、ミライラも無下にしづらかった。
「やれやれ、困ったお嬢様だ」
「殿下」
「私は君の妹にちょっとした欠点があると聞いて、無理難題を押し付ければ諦めるかなと」
「殿下」
ぐっと冷えたミライラの口調に、降参とでも言うようにルートヴィヒは両手をあげる。
「お姉様、殿下、ごめんなさい」
「いいのよ、フィリア」
「私も、少々悪ふざけが過ぎた」
「もう、お姉様のものを欲しがらないから! 今までのものも、返すわ!」
「あら……少しなら、いいのよ?」
全くなくなってしまうのも、それはそれで寂しい。複雑な姉心を抱いていたら、呆れたような声が割って入った。
「また君は……」
「殿下は黙っていてください」
「まあ、そう言うな。今回の詫びに、二人に贈り物をするよ。二人が欲しがるものを贈るから、仲良く選ぶといい」
姉妹は同じ色の瞳を丸くさせると、顔を見合わせてからよく似た笑顔を浮かべた。




