製品仕様(プロダクト・スペック)
司令室に流れる空気は、数分前までの刺すような緊張が嘘のように弛緩していた。
換気システムが吐き出す無機質な風の音が、血なまぐさい勝利を祝う凱歌のように室内に響く。
「……見たまえ。検体は完全に沈黙した。本社はこれを、人類史に残る歴史的な『収穫』と呼ぶだろう」
次第に、安堵の空気が流れ始めた。
モニターの中、高圧処理室の檻に閉じ込められた怪物は、ひしゃげた肉塊のまま動かない。
艦長は「自分の指揮で制圧した」と豪語していた。
艦長は、シェルターから持ち出した本物の豆を挽き、高価なカップに注がれた珈琲を啜り、満足げに喉を鳴らした。
その芳醇な香りが司令室に漂った瞬間、カイロの鼻腔の奥に、場違いな「焦げたような苦い香り」が蘇った。
過酷な火消し案件の最中に、リナが「内緒ですよ」と隠れて淹れてくれた、禁製品の珈琲。
――プロジェクトが終わったら……私と、本物の青い空を見に行きませんか
人生で初めての誘いに声を震わせ、緊張しながらこちらの反応を必死に伺う、彼女の指先。
「……気が向いたらな」
自分のあの素っ気ない返答が、今や遠い前世の記憶のように思えた。
鼻腔に残る幻の香りを、錆とオゾンの冷たい空気で無理やり上書きした。
カイロは点検業務と称して、司令室下の通気孔に移動した。
リナの端末を借り、廃船の「神経系」に直接プラグを差し込んでいた。
探査船の秘匿情報――司令室に直結されたバックアップ・ログにアクセスする。
それは、宇宙農園が「廃棄」された原因の血塗られた製品仕様書だった。
【製品仕様】
[名称] アシンクロナス(非同期体)
[種別] 生体有機物再利用システム(プロトタイプ)
[仕様] 周辺の有機資源(遺体・排泄物)を自律的に変換・統合し、労働力へと再構築する
[備考] 当初のプロトタイプは「大型犬」をベースとし、愛玩用および警備用として友好的な動作を基本とする
【障害報告】
[事象] 未死の人間を「資源」と誤認し、捕食・解体・統合を開始。
[原因] センサーの不具合により、生存個体の心拍(振動)を「未回収のエネルギー源」と誤認。
[対策] 現時点での最善策は、該当区画の「全資源」の焼却処分を推奨。
[備考] 極めて形状が不安定で容易に変態する。
画面の端には、宇宙農園で発生した事件現場の無惨な写真が添付されていた。
それは、かつての住人たちが、生きたまま防弾ベストや機械部品と共に「縫い合わされた」地獄図だった。
「……リサイクルか」
カイロの喉が鳴る。怪物が仲間の指やベストを縫い合わせていたのは、それが「正しい製品動作」だったからだ。
あいつは殺戮を楽しんでいるのではない。
ただ、効率的に「農園(この船)」を掃除しているだけなのだ。
さらに、カイロは暗号化されたボイスログを再生する。
ノイズの向こうで、医師と艦長の、事務的で冷酷な会話が流れた。
『……記録として残しますよ』
『……ああ、構わない。この製品の不祥事は、……私の、責任だ。
……本社にバレる前に、全てを「無かったこと」にする必要がある』
『では?』
『欠陥品(怪物)は回収する。それ以外の証拠(乗組員)は、私が隠す、全て好きにしていい。
……我々が母艦に帰還するまでの間、怪物のデータ取りにでも趣味でも好きに使っていい』
『……そういうことなら。最高の「実験場」をありがとうございますよ、艦長』
通信が切れる。
リナは静かに、確信を持って呟いた。
「はじめから、私たちは助かる予定なんて無かったのね……。……最初から、証拠隠滅のための『餌』……」
彼女の声には、もう震えはなかった。
ただ、深い深淵を覗き込んだ後のような、凍りついた平坦さがあった。
カイロは、血の付いたバールを壊れるほど強く握りしめた。
彼の瞳から、最後の一滴の人間性が蒸発し、代わりにエンジニアとしての冷徹な「殺意」が点火する。
「ああ。あいつらにとって、俺たちは人間じゃない。ただの産業廃棄物だ」
カイロは、バールの先端を壁の配線に突き立てた。
「リナ、システムを書き換えろ。……俺たちが『ゴミ』だというなら、この船ごと、あいつらを道連れに焼却処分してやる」




