優先順位(捨て駒)
『本社の「危機管理マニュアル・セクション」に基づき、排除作戦を開始する』
画面の中の艦長は、何度もハンカチを額に押し当てながら、自分自身を鼓舞するように自信ありげに胸を張った。
その不自然なほどに整えられた髪型と、脂ぎった顔のコントラストが、現場を知らぬ管理職の滑稽さを際立たせている。
『幸い、この船の各所には高出力のスピーカーが設定されている。各自が対象を威嚇し、物理的に圧迫して高圧処理室へ追い込む。
不測の事態は護衛チームによるフォロー体制を敷くものとする』
『諸君、これは全職員の安全を守るための、合理的かつ確実な作戦だ』
(……コイツ、脳がバグってるのか?)
カイロは内心で吐き捨てた。
成功の根拠がないどころか、既に失敗した護衛チームの再利用。
コイツは無能だ、何も学ばない愚か者。
「……艦長。その厚いマニュアルのページを捲る前に、現実を直視してはどうですか?
あなたの権限なら船内の状況を把握できるはずだ。まず現状の把握を」
エンジニアとして、氷のように冷徹な意見を伝える。
艦長は不快そうに顔を歪めたが、司令室に漂う重苦しい空気に耐えかねたように、渋々監視カメラの映像をメインモニターに映し出した。
ザ、ザザッ……というノイズと共に、地獄の蓋が開いた。
室内の温度管理が壊れているのか、画面越しにも熱気が伝わってくるようだった。
そこには、食材になり果てた料理長(検体12)がいた。
彼はまだ生きていた。肉を削がれ、骨を剥き出しにしながらも、コンロの前に立たされている。
その背後には、怪物が寄り添っていた。
怪物は、料理長の震える手を自身の細長い指で包み、ゆっくりとフライパンを揺すらせている。
まるで、幼子が親に料理を教わっているかのような、純粋ゆえに悍ましい模倣。
リナが口を覆って絶句する。
彼女の瞳には、楽しそうに「肉の焼き加減」を教えてくれた優しい料理長の、変わり果てた姿が映り込んでいた。
料理長の口から漏れるのは、もはや言葉ではない。
心臓が限界を超え、血管が破裂する寸前の、肺に穴が空いた笛のような呼吸音だ。
(……長くは持たないな)
カイロが冷徹に、あたかも故障した部品の寿命を測るように評価する。
「あいつは今、『生命の崩壊』というノイズを楽しんでいる。
だが、料理長が完全に『壊れれば』……遊び相手がいなくなった子供のように、即座に次の標的に向かうはずだ」
カイロは視線を隊長と、負傷した隊員に向けた。
リナが持つ端末の中、二人の心拍波形は、死刑台へ向かう罪人の足音のように激しく、不規則に跳ねている。
「隊長、あんたたちの出番だ。奴を高圧処理室へ誘い込んで下さい。
……プロだろう。一度はあいつの目の前で生還した実績もある。……適任ですよね?」
「ふざけるな。俺たちを囮にする気か」
隊員が怒鳴り、銃口をカイロに向ける。
だが、その腕は微かに震え、銃身がカタカタと乾いた音を立てていた。
『銃を下ろせ! お前たちは戦闘のスペシャリストだ。……非武装のエンジニアや飛行士に行けと言うのか? 命令だ。行け! 本社の査定に響くぞ!』
艦長が、画面の向こう側の安全圏から冷酷な決断を下した。
「……クソが」
隊長が激昂する隊員を制す。その掌は、恐怖を握り潰すかのように、銃のグリップを白くなるまで締め上げていた。
「艦長。私たちが遠隔で隔壁を操作する。……船の全権限をこちらに渡せ。
私とリナが、あんたたちの『道順』を管理する。でないと、途中で閉じ込められて共倒れだ」
『……よかろう。今、キーを転送した。無駄にするなよ』
リナの端末には、既にハッキングによって支配下にあるシステムログが流れている。
それを、今この瞬間に初めて権限を受け取ったかのように偽装し、画面上で仰々しくロード中を演出する。
「ご英断、ありがとうございます、艦長。……最高のパフォーマンスを期待していますよ、隊長」
カイロの血の通わない言葉に、護衛チームは振り返ることもなく暗い廊下へと消えていった。
彼らの足音が遠ざかるたびに、リナの端末の赤いドットが、死の領域へと近づいていく。
重厚な防熱扉が重々しい音を立てて閉まり、司令室に再び、真空の中のような不気味な静寂が訪れる。
「いい提案ですね、エンジニア」
背後から、低く、湿った腐葉土のような声がした。
医師だ。
彼は血の付いたタブレットを弄びながら、カイロのすぐ隣まで歩み寄っていた。
冷たい消毒薬のような独特の臭いがした。
「君の心拍が、一拍たりとも動いていない。既に知っていたような。……カイロ君、それも『計算』のうちですか?」
医師の瞳は、カイロが見ているリナの端末の――平坦なまでに一定なカイロの心拍グラフを、確かに捉えていた。
「何のことでしょう。私はただ、効率を考えているだけです。無駄な感情は、エンジニアリングには不要です」
「彼らは今、この船で最も『美味そうな周波数』を撒き散らしている。
……ねえ、エンジニア。君の心拍が凪いでいるのは、彼らを既に『死体』として計上したからかな?」
医師は愉しげに目を細め、カイロの正体を暴いた悦びに浸るように再び隅の暗闇へと消えていった。
「カイロさん……」
その瞳には、怪物への恐怖以上に、隣に立つ男の「正気」への疑念が浮かんでいた。
憧れていた「大人」の余裕は、ただ人間性を捨て去った果ての虚無だったのか。
「……あの方たち、死にに行くんですよね? 私たちが……背中を押して」
仕事だから、効率だから。そう自分に言い聞かせようとする唇が、情けなく震えて止まらない。
モニターの中では、護衛チームの心拍を追って、食堂の「影」がゆっくりと、そして飢えた捕食者の速度で動き始めていた。
「感情を捨てろ、リナ。次の隔壁の準備をしろ。……俺たちの『仕事』を始めるぞ」
カイロは彼女の問いに答えず、ただコンソールに向き直った。




