偽装された希望
「全区画のジャック、完了しました。……でも、変です」
リナが震える指で端末を操作しながら、掠れた声を出した。
整備室の隅、予備電源の赤い光に照らされた彼女の横顔は、幽霊のように青白い。
「変、とは?」
「不正に改竄されてます。いえ、現在進行形で『記録』が更新されてる……。
私たちの……さっきの心拍データも含めて、です」
カイロの目が鋭く細められた。
彼女のディスプレイを覗き込む。
――Subject 09:Kylo Elwick - Status: Active / Syncing
――Subject 10:Lina Ooloem - Status: Active / Syncing
「……俺達が検体?」
カイロの背中に冷たいものが走った。
監視モニタに異常はない。
だが、「見えない眼」が自分たちの血管の中まで覗き込んでいる。
――Subject 05:Tobias Reado - Status: Connection Lost
――Subject 06:Silas La Van - Status: Connection Lost
――Subject 07:Elian Thorne - Status: Connection Lost
――Subject 11:Tomas Miller - Status: Connection Lost
「……異常だ。これは仕事じゃない、屠殺場への招待状だ。降りるぞ、この案件」
護衛隊員とあの男のステータスは、文字通り「消失(Connection Lost)」していた。
肉塊すら残っていないことを、システムが冷酷に証明している。
――Subject 01:Anonymous - Status: Unknown
――Subject 02:Anonymous - Status: Unknown
――Subject 03:Robert Woods - Status: Active / Syncing
――Subject 04:Arthur River - Status: Active / Syncing
――Subject 08:Isaac Cooper - Status: Active / Syncing
――Subject 12:Marco Santoro - Status: Panic / Critical
――Subject 13:▒▒▒▒▒▒▒ - Status: ▒▒▒▒▒▒▒▒▒
この船の乗組員は、総勢13名だった。
契約書上は7名。
存在しない5名は、あの映像に移った隊員達が登録されていた。
そしてもう1名。
「検体13。名前も状態も読み取れない。……アイツだ」
『検体13』
ただそれだけ登録された、13番目のバグった搭乗者が居た。
リナが震える指でディスプレイをなぞる。
ノイズの奔流が、彼女の網膜をチカチカと不快に焼く。
「ふざけてる。乗組員の半分は事前の説明が無かった……。最初から、こいつを『飼う』ための餌を揃えていたわけか」
「あ、あの、この人……」
リナが画面を指差した。検体12――料理長の状態は、もはや生命の限界を超えようとしていた。
「緊急事態(PANIC CRITICAL)」の文字が、暗闇で断末魔のように脈動している。
創造するまでも無かった、検体13と遭遇した。
「カイロさん、彼、食堂にいます。……助けに行きますか?」
「優先順位を間違えるな。最優先は我々の命だ」
カイロは冷徹に画面を閉じた。
「……付き合ってられるか。脱出ポッドへ向かう。記録は取った、クソみたいな依頼主に高額な違約金を請求する」
ここは整備区画。
備え付けられた脱出ポッドは目の前にあった。
カイロは手早く荷物をまとめると、迷いなくポッドの起動レバーへ手をかけた。
リナは、カイロの迷いのない背中を追うように、恐怖を「合理性」という殻に押し込めて、後に続いた。
「そもそも、検体01と02だ。契約した艦長と、あの医師か……。最初から、俺たちを消耗品としか見ていなかったんだ」
脱出ハッチのロックは、あっけないほどスムーズに解錠された。
だが、その手応えにカイロの指が凍りついた。
「……なんだ、これは」
力を込めると、金属製であるはずのレバーが、安っぽい音を立てて根元から折れた。
折れたレバーの断面には、通電するはずの回路も、油圧の導管もなかった。
あるのは、安価な再生プラスチックの無機質な巣穴だけだ。
この船は、最初から「逃げる」という機能を設計段階で剥奪されている。
カイロは、自分が今まで整備してきたものが、ただの巨大な死体袋の「装飾」に過ぎなかったことを理解した。
彼は折れたレバーを床に叩きつけ、ハッチの隙間に指をねじ込んだ。
「クソッ……」
無理やりこじ開けたハッチの向こう側に、広大な宇宙は見えなかった。
そこにあるべき脱出艇の接続ダクトは、溶接すらされていない無骨な隔壁で塞がれている。
予備のポッドどころか、最初から、ポッドを繋ぐための『穴』すら、この船には設計されていなかった。
外装だけを整えた、ハリボテの救命装置。
始めから、逃げ道など存在しなかった。
この船は、外から鍵をかけられた、ただの巨大な棺桶だ。
「……嘘、でしょ」
リナの乾いた声が、行き場のない閉鎖空間に空虚に響く。
彼女は震える手で、その冷たい隔壁をなぞった。
指先に伝わるのは、鉄の感触ではなく、逃れようのない死の予感だった。
その時、沈黙を切り裂くように館内のディスプレイにノイズが走り、あの男が現れた。艦長だ。
『……諸君、緊急ブリーフィングを始める。司令室。15分後だ』




