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最悪の覗き見

「……酷いな。この船のセキュリティ、穴の空いたバケツだ」


錆びついた油の匂いと、カビの生えた空調が吐き出す生ぬるい風。

整備区画の隅に陣取ったカイロは、旧式の端末を叩きながら鼻で笑った。


今回の仕事は、捨てられた宇宙農園を曳航して資源を漁るというものだ。

実入りの良さに反して、吐き気がするほど退屈だった。

永遠に続く暗闇と、機械の単調な駆動音。

このままでは自分の精神までもが、この鉄屑と一緒に錆びついてしまう。


だから、彼は「覗き見」を始めた。

立ち入り禁止区域に隠された、この船の真の積み荷。

カイロは端末の光を、麻薬のように瞳に吸い込ませた。

彼はこの「秘密の裏取り」なしでは、一秒も正気でいられない男だった。


隣では、助手のリナが鋭い視線で、船内の「エネルギー供給状況」を精査していた。


「カイロさん……、また違約金、払いたいのですか?」


鉄錆と埃の混じった空気の中に、場違いなシトラスが淡く混ざる。

リナが動くたびに、それが静かに主張した。

彼女はカイロよりも一回り以上若いが、その指先は精密機械のように正確だ。


だが、叩き出された異常なログを見つけると、彼女の横顔は強張った。

カイロの瞳に、五つの小さな光が灯る。

それは、船の深部へと潜入した護衛隊員たちの、網膜ディスプレイ(HUD)から流出する主観映像だった。


ザラついた青白いノイズ。

その向こう側で、漆黒の戦闘服に身を包んだ五人の男たちが、一糸乱れぬ動作で進んでいた。

彼らが手にする銃器の重厚な質感が、安物の画面越しにも伝わってくる。


「……何だ、この連中。聞いてないぞ、こんな『荷物』が載ってるなんて」


カイロは背筋を走る奇妙な高揚感を覚えた。

秘密を覗いているという優越感。

だが、その喜びは、隊員たちが『ある区画』に足を踏み入れた瞬間に凍りついた。


[画面1]のライトが、通路の突き当たりを照らした。

そこに、「それ」は立っていた。


最初は、ただの映像の乱れかと思った。

そこに立っている影は、明らかにこの世界の物理法則を無視していた。

輪郭がガタガタと崩れ、まるでその空間だけが『処理落ち』を起こしているように、一秒ごとにコマが飛ぶ。


『これが、目標……?』


隊員のくぐもった声が響く。

影が、不意に首を直角に傾げた。

その動作には予備動作がない。

一瞬前まで正面を向いていた頭部が、次の瞬間には真横を向いている。




『そ、そ、そ、れ、は、何、で、す、か……?』




スピーカーから溢れ出したのは、数千人の悲鳴をすり潰して合成したような、耳障りなノイズだった。

五分割された映像のすべてが、一斉に、同期してその異形を映し出している。

カイロの背中の産毛が、一斉に逆立った。


『……司令室、未確認の個体と遭遇した。話が違うぞ』


『確保を優先しろ。生体サンプルとして回収しろ』


折れ曲がった三本の脚が、粘つくような音を立てて床を這う。


『ま、待て、来るな。……く、来るな! 撃つぞ!』


[画面3]の隊員が、恐怖に耐えかねて叫び声を上げた。

それが、終わりの合図だった。


怪物が、視覚を裏切る速度で「膨張」した。

距離を詰めたのではない。まるで空間そのものが畳まれたかのように、次の瞬間には隊員の眼前に、その巨大な質量が出現していた。

次の瞬間、[画面3]が激しく揺れた


――ブヂイィッ


若木を圧し折るような、鋭く凄絶な断裂音。悲鳴さえ遅すぎた。

怪物の細長い腕は、強化繊維の抵抗ごと、隊員の右腕を肩の付け根から『もぎ取って』いた。

残った四つの画面は、絶叫して転がり、のたうち回る隊員を鮮明に映し出した。


怪物は、もぎ取ったばかりの「右腕」を、裂けた口の前で観察している。

指を一本ずつ動かし、機械の部品を点検するように。




『こ、こ、こ、れ、何、に、使、う、ん、で、す、か?』




『おい……嘘だろ……』


『……全員、発砲許可! 司令室は無視しろ、殺せッ!』


隊長の怒号と同時に、交差する無数の火線が、画面をズタズタに引き裂いた。

だが怪物は、怪物は弾丸を浴びながら、まるで降り注ぐ雨を飲み込む水面のように平然と、獲物の四肢を一つずつ、丁寧に、外していった。


――ザザッ……ザザザッ……


[画面3]が砂嵐に変わる。


『射撃を止めろ! 回収だと言っている!』


『効いてねえ! 化け物め!』


[画面2]の視界が、めちゃくちゃに回転した。


『あ……、アッ?! ア"ッ!! ……ッ、……。』


ヘルメットごと頭部をねじ切られたのだと気づくのに、数秒を要した。


[画面2]が砂嵐に変わる。


カイロは呼吸を忘れていた。肺が灼けるような感覚に襲われ、ようやく震える息を吐き出す。

ふと、画面の隅に刻まれた時刻に目が止まった。


――22:24


手元の時計を見る。


――22:24


心臓が、早鐘を打つ。

遅延はない。これは「今」起きていることだ。

リナが異変を察し、画面を覗き込んだ。


『も、もう嫌だ! 助けてくれ!』


[画面4]が背後の闇に向かって、なりふり構わず走り出す。


『撤退だ! 船に戻るぞ!』


だが、怪物は逃がさない。

四つんばいで関節をあり得ない方向へしならせ、二人の頭上を跳躍すると、逃げ惑う隊員を背後から羽交い絞めにした。


[画面4]に粘液まみれの青白い肉壁が迫り、直後、激しいノイズと鼓膜を裂くような銃声が響き、そして絶たれた。


残されたのは、[画面1]と[画面5]のみ。


『ヤツは何かに反応している。叫ぶな、静かに。……戻るぞ』


『……クソ、了解』




『ど、ど、ど、ど、う、し、て、赤、く、な、る、ん、で、す、か?』




スピーカーから漏れる声に、カイロはまるで自分の耳元で囁かれたような錯覚に陥った。

リナが自分の口を両手で強く塞いでいた。

彼女の細い指は、折れそうなほど激しく震えていた。


カイロとリナは目を見合わせた。


乱れた映像の中では、生き残った二人の隊員が、今まさに自分たちがいる居住区へ繋がるハッチへと滑り込んでいた。


――ガシャァン!!


重厚な金属音が船内に響き渡る。

それはスピーカー越しではない。

カイロたちの背後――わずか十メートル先にある、本物のハッチが閉じる音。


「……冗談、だろ」


カイロは震える指で、ハッチの外を映す監視カメラを呼び出した。

そこには、暗闇の中に、あの「壊れた動き」をする影が立っていた。

それは、飴細工のように捻じ曲げられたハッチの隙間に、細長い指をかけようとしていた。


ミリミリ、と金属が悲鳴を上げる。

船全体が、恐怖で震えているように感じられた。


(契約違反だ、こんなの……。最低な夜だ)


カイロは、引きつった笑いを浮かべながら、端末を握りしめた。


「リナ、報告書はもういい。船の全権限だけ奪え。あいつらの居場所を特定する」


リナは弾かれたように顔を上げた。

その瞳には、恐怖を必死に論理でねじ伏せようとする凄絶な意志が宿っている。


「は、はい……、2分で、終わらせます」


壁の向こう側で。

何かが、粘つく足音を立てて、こちらへ歩き始めた。


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