オープン・オムレツ
卵料理は料理の基礎。
種類が豊富であればあるほど、作り手の料理能力が試される。不格好な目玉焼き、綺麗に剥けていないゆで卵。焦げていたり、綺麗に巻けずぐちょぐちょになっていたりする卵焼きなど目も当てられない。「趣味は料理」と断言し、歴代彼氏に「卵料理の名人」と呼ばれた私からしたらそんなもの笑止千万だ。特にオムレツには自信がある、高級ホテルのシェフのように作るところを誰かに見せたっていい。
卵を割り入れ、ぐるりとフライパンに黄色い円を広げる。フライパンを動かして火加減を調整し、具があるならばそれを綺麗に包み込みながら卵をまとめる。そうしてトントンとフライパンの中身を動かし、美しい楕円形を作り出してみせるのだ。目に鮮やかな黄色、これぞオムレツ! と言わんばかりのあっぱれな楕円形。この完成された完璧なオムレツを出せば、大概の人は「おーっ!」という感嘆の声を上げる。特に歴代の彼氏は皆、私のオムレツの虜になり周囲に私の料理上手っぷりを喧伝して回ったものだ。
それは最後の彼氏――今の夫だって同じ。
ハンバーグの上にポーチドエッグを乗せれば、子どものように喜ぶ。朝食はふわふわのスクランブルエッグ、カリカリのベーコンエッグ、ボリュームたっぷりのウインナーエッグ。帰りが遅くなったらおじややチャーハンで夫の胃の負担が減るように工夫する。もちろん、弁当でだって私の料理の腕は存分に発揮される。卵サンドにオムライス弁当、おかずでも卵をフル活用。時間がある時は夫に具材のリクエストを聞き、得意のオムレツをどーんと弁当の中央に据えたオムレツ弁当を作る。そんな私が作る弁当の見栄えに味、そしてレパートリーの豊富さは夫の勤務先でも大好評のようだ。上司も部下も同僚も、「八島さんの奥さんは料理上手で羨ましい」と褒め称えるという。
専業主婦になった私にとってその賛辞は、何にも勝る勲章と言えるものだった。
ポストに投げ入れられた、宛名の書かれていない封筒。
その時点で嫌な予感はしたが、開けずに捨てるには好奇心と不安が強かった。中に入っていた写真を目にした瞬間、ある程度は覚悟していたもののその場にへたり込む。
愛する夫が別の女と肩を組んでホテルに入っていく姿。場所や二人の服装を見るに、一日二日ではなくおそらく数週間ほどかけて撮影したものだろう。どういう意図か、ご丁寧にL判ではなくわざわざA4に引き伸ばして印刷されている。そこに込められた悪意――第三者のお節介か、写った当人からの挑戦状か、ともかく何かしら敵意の籠っているそれに自分の中の何かが割れたような気がする。だが、そこで引き下がるほど私も弱気ではない。
敵を知り己を知れば百戦危うからず――ショックから立ち直った私が最初にしたことは、問題の写真を持って興信所に飛び込み、相手の女を徹底的に調べることだった。
調査期間は数週間。その間も私は夫に気取られぬよう、毎日の食事を作り続けた。
だが以前のように腕によりをかけて、完璧な料理を作ることはできない。今まで私が作ったメニューを、老若男女問わず「美味しい」と絶賛されたそれを食べた口で夫は他の女に愛を囁いている。その現実が頭を掠めた瞬間、フライパンを持つ手が鈍る。菜箸を持つ手が震える。
「今日の弁当は卵の殻が入ってたぞ」
不貞腐れた夫の言葉を、「そう」と受け流すことしかできない。
おかしい、肉でも野菜でもあらゆる具材を魔法のように操り、卵で綺麗に包むことができる私が自分を取り繕うことはできない。どうやら私は自分の得意料理である、オムレツのように振る舞うことはできないようだ。やがて夫が弁当の中身を残すようになり、包みを解いた形跡すらもなくなる。それでもなんとか、「妻」という立場としてのプライドで弁当を作り続けたが――夫が会社の若い女に入れ込んでいて、相手は私の存在を知りながら交際しているという調査結果を聞いた瞬間に私の中の何かが弾けたような気がした。
興信所が弁護士の紹介や慰謝料請求の提案をするのを聞きながら、私は自分の中に散らばった感情を整理する。料理下手な人間が作ったオムレツのように、最初はぐちゃぐちゃで煮え切らない部分もあった。だがそれを必死にまとめ、なんとか形を作り整えると――次第に気持ちが固まってくる。
やはり私は、料理名人だ。ワンパターンではなく多種多様のオムレツを作ることができるし、それをご馳走する相手は夫だけではない。金が必要なら調理関係の仕事をすればいい、ひと段落ついたら別の相手を見つけて自慢の料理を振る舞えばいいだろう。「男は胃袋をつかめ」という、今まで付き合った相手だって大概は私の料理の腕に陥落されたのだ。ここで絶望しなくとも、私はまだまだ料理のしようがある。
夫め、今に見ていろ。たっぷり「料理」してやる。
自分で自分を奮い立たせた私は、真摯に興信所のアドバイスに耳を傾けるのだった。