0-3 決意
ふわぁっと風が吹いて彼女の綺麗な髪が揺れる。精霊? 巫女? 何を言っているんだこの子は?
あまりにも突拍子もなくてゲームや漫画の見過ぎじゃないのか。そう思いたいが、彼女の放つオーラというか、気迫、言葉にできない神聖さが何の根拠もなく空想のような話に謎の説得力を生んでいた。
しかし、いきなりそんなこと言われたところで混乱するばかりだ。訳の分からないこの状況に思考回路は追いつかない。
「ま、待ってくださいっ! いきなり精霊とか言われても何のことかさっぱり分からないですよ!」
「そのままの意味よ。私はこの世界樹の精霊でこの地を見守る者。あなたのような選ばれた子には豊穣の巫女姫として奉納の儀を行なってもらいたいの」
「奉納の儀って……バカげてる。精霊なんて存在、実在するわけ――」
「するわ」
そう一言言うとシュン――と、彼女の姿が瞬く間に消える。
「――……え?」
自分の目を疑う。最初からそこには誰もいなかったように朽ちた神社の姿しかなかった。
舞い散る桜の花、森から聞こえてくる鳥のさえずりに風の音。陽気な春光景がそこにあるだけだった。 ザァーッと強い風が吹きつける。ザワザワと木々が揺れる。一瞬の出来事で理解ができないまま立ち尽くすことしかできなかった。
「ほらね?」
「うわぁっ!?」
耳元で囁かれた声に驚き声を上げる。その声は後ろから聞こえた。あまりにも驚いてしまい腰を抜かしてしまう。ベトっとした泥と苔の気持ち悪い感触がお尻に広がりズボンを汚す。
――あり得ないこんなこと……そう想いながらゆっくりと見上げる。
「――ッ゙!?」
人間驚き過ぎると言葉が出ないと言うが本当にその通りだ。
――巨木を背にして不適な笑みを浮かべている。
髪や和服の袖を揺らして神様のようにこちらを見下ろす。ボクはそんな姿のとある一点に集中して目が離せなかった。
足だ――つま先だ……草履のつま先がどう考えても《《浮いていたのだ》》。空中に浮遊したままこちらに近づいて語りかけてくるのだ。
「これでわかったかしら?」
彼女を見上げるその表情はまるで天上にいる天女のようであり、この世のものではない存在感を感じた。
「そんな……こんなことが」
スタッと宙を滑るように降りてきて地面の上に降りる。超常的な存在が目の前にいる。その事実が世界樹や巫女といった存在を奇しくも認めざるを得なくなる。
這うようにして立ち上がると、思わず一歩、二歩と後退りしてしまう。それを見てクスクスと笑う彼女が恐ろしかった。
「怖がらないで大丈夫よ」
「そ、そんなこといわれても。いきなり精霊だとか選ばれたとか……僕が巫女に?」
「そうよ。あなたは巫女の資格がある。男の子が選ばれるなんて初めてよ」
それって巫女と言わないんじゃないか。と、無粋なツッコミを入れる暇もない。目の前のできごとをなんとか付いて行くのに精一杯だし、それに自分がよく分からないことに巻き込まれそうになってることに危機感を持ち始める。
「な、なんで僕なんですか? そんな得体のしれないものになんかなりたくないですよ!」
「別になりたくないのならそれでいいわ……でも、今回ばかりはそうも言ってられないわね」
悲しそうに空を仰ぐ。その目線の先には大きな木。さっきまでとは違い歯切れが悪く、余裕はない。悲しく遠い目をしていた。
そんな目に少しだけ頭が冷える。何やら訳がありそうだ。
「ならなかったのならどうなるんですか?」
「それなら別の人が導かれるのを待つだけよ」
「じゃあ――」
「でも、もう次の子までは持たないわ……今年の聖妖祭までなんとかしないと」
「どう……なるんですか……?」
ザァァっと木々が怪しくざわめく。カラスが倒壊した社からバサッと飛び出し、雲が太陽を隠し地に影を落とす。
「この世界樹が護る……この御神楽市が災いに飲まれ、滅んでしまう」
絶望にも悲しみにも似た色が見え隠れしている赤茶色の瞳。遠くを見つめるその目には何かを見据えている。
「ほ、滅ぶなんてそんなこと――」
「あるわ。この御神楽市は古来より世界樹に守られてきた土地。ほら、災害の多いこの国で珍しく災害、戦争、国難が訪れる度この場所だけは被害を免れてきたでしょう? それはこの世界樹が災いを寄せ付けず防いでいるからなの」
そんなことを聞かされてもピンと来ない。確かに災害は少ない土地だけど、そんなのこじつけかなにかだろうと思う。
でも、この精霊の言ってることに嘘はないと感じられた。なぜかは分からないけど不思議と嘘じゃないことが伝わってくる。
「嫌なら拒否してもいいわよ。ここで聞いたことは他の人にも言ってもいい、早く御神楽市が滅ぶ前にこの土地から去りなさい」
淡々と述べられた現実味のない事実。なんでこんなことに……故郷が滅ぶとか巫女になれとか……どうして母さ――そうだ、母さん……!
「え、えっと……せ、精霊……さま?」
「ラチカ。精霊様じゃなくて名前で呼んでちょうだい」
「えっと……ラチカ、様?」
「ラチカ」
「……ラチカさんはなんで母さんのことを……?」
「雪菜のことね。あの子は巫女だったのよ」
「え? えぇ? ええええっ!? か、母さんが!?」
「そうよ……知らなかったの? よく、同じ学校の子に自身のお菓子を振る舞って巫女の責務を果たしてたわね」
「その話はちょっと聞いたことあります。よく、学校のみんなにクッキー作ってたって……」
「くっきーが何か知らないけど、そのお菓子をよく作って振る舞ってたわね。時間はかかるけど特にちょこけーきが得意って言ってたわ」
スルスルと母さんに関するエピソードが出てくる。この子は本当に母さんのことを知ってるみたいだ。ということは、巫女も街の滅亡の話にも説得力が増してくる。
「そんな、母さんが巫女……? 街のために?」
「ホントに知らなかったのね」
母さんが巫女だったなんて初耳だ。そんな話は一度も聞いたことがない。だったらなんで教えてくれなかったんだろう……
いや、今はそのことよりもそのことで気になることがあった。一つの疑問が湧いてきた。
「母さんが巫女だったのになんで滅亡とかそんな話になっているんですか? 母さんが巫女になったのならそんな話になってないるのはおかしいです」
そう言うとラチカは少し悲しそうな表情をした後に重い口を開いた。
「それは雪菜が巫女の使命に失敗したからよ」
「失敗……?」
「巫女は人々の感謝を集める者。あなたのお母さんは奉納の儀を執り行えるほどの感謝を集めきれなかったのよ」
「…………ということは母さんは途中で諦めたってことですか?」
「違うわ、巫女は10代の身体であることが条件なのよ。雪菜はもう20歳を超えた時点で時間切れ。あの時の彼女は悔しい顔をしていたわね」
巫女には年齢制限がある。そして、母さんは役目を果たせないことを悔いていた。
……そういうことか――遺言、潰れたお店、そして……母さんの最期の姿がフラッシュバックする……
『私が死んでも泣かないで。ちゃんとご飯を食べるのよ。一人にしてごめんね……』
あの時、泣きながら謝った母さんの姿を忘れられるわけがなかった。
「母さん……」
「そういえば雪菜は元気?」
首を傾げる彼女に対して僕は俯くことしかできない。沈黙、落ち葉の上に落ちて土まみれになった花びらの残骸を見つめる。
「ごめんなさい。嫌なこと聞いたようね……そう、雪菜は空に旅立ったのね……あなたの悲しい匂いの正体が分かったわ」
「……僕は、僕は……母さんの遺言を聞いてここに来ました」
「……なるほど、納得ね。雪菜は雫に巫女の資格があることを見抜いていたのね」
「巫女の……?」
「本当にそうか分からないけどね。でも、なんで雫にすべてを伝えなかったのかは分からないわ。たぶんあの子は貴方に無念を晴らして欲しかったんじゃないのかしら?」
……無念を晴らす。そういえばこの街が好きだとよく言っていた。お店を開いたのは地域の人たちと交流を深めるため。自分のお店で作ったもので人々に笑顔を届けたいと嬉しそうに語っていた。
巫女のことをなんで黙っていたのか分からない。だけど、ラチカさんが言うには街のために立ち上がり使命を果たせずに巫女を終えた。
そして、辞めたあとも店を開いて自分なりに店を通じて街を愛していたのに、呆気なく最期を迎えてしまった。そして、愛した土地さえ滅びようとされている。
もし、それが本当ならあんまりじゃないか。正直、この子の話はよく分からない。でも、あの遺言が最後の頼みなら……自分ができなかったこの使命を僕に託したというのなら――
「……わかりました」
「え?」
「正直、まだ分からないことは多いですけどやってみます……巫女、やってみたいと思います」
「いいの? さっきまであまり信用してなかったみたいだったけど?」
ジッと真剣な眼差しを向けて話す。それに対してラチカは驚いたような表情をしていた。当然だ。さっきとは打って変わってやる気なる。急にこんなことを言い出したんだから無理もない。
「いいの?」
「――母さんの頼み、願いを継げるのならやりたいんです」
お店を守れなかった無念を巫女を継ぐという形で果たせる。大好きだった母さんに僕は報いたかった。
「分かった。じゃあ、あなたに巫女としての力を授けるわ」
「……力ってどうやって与えるんですか?」
「簡単よ。私の手に手を重ねて……何も話さないで……目を閉じて……」
言われるがままに目を閉じてラチカの手に触れる。小さく柔らかい手の感触、ひんやりとした冷たい体温を感じる。
「いい? 豊穣の巫女になったら食を振る舞い、人々の清らかな感謝の気持ちを集めて巫女としての力を高めていくの。かつて雪菜がしたように」
触れた手から何か温かいものが流れてくる。身体の芯から火照るような温もりを感じて不思議な感覚に陥る。
「それと、4つの神器を集めなさい。それは聖なる力を持つ道具よ。巫女としての役目を果たしていけば自然と導かれていくわ」
流れ込んできた熱が徐々に体に蓄積されていくのが分かるを次第に意識が遠のいて行く感覚が襲ってくる。
まるで夢から覚めるような。一気に深い眠りについていくような感覚に襲われた。
「……っ!」
フッと全身の力が抜けて倒れる。ラチカは優しく抱き寄せると抱きかかえてくれた。
「ありがとう。引き受けてくれて……またね雫」
薄れゆく意識の中で最後に見た彼女の顔はどこか儚く、美しく……飛び交う花びらを背にして微笑むその姿は天使のようだった――……
ここまで読んでくださりありがとうございます。ブクマ、評価もありがとうございます。
次回からはTS編になりますので、どうかお楽しみに!