『急募、第一王子様の身の回りの世話をしてくれる方』
「不味いですね……このままだと本当に没落です」
長テーブルを囲んで、私、セリア・アーシヴルは震えながら口にした。
座る面々――アーシヴル男爵家の面々も、全員顔面蒼白で私の報告を聞いていた。
何代にもわたり、ブドウが特産品の男爵領を統治してきたアーシヴル家が、ここ十年、流行り病や不作で傾いていた。
もはやメイドも満足に雇えない状況なので経済状況を調べたところ、このままだと半年以内に没落してしまう事が発覚したのだ。
誰が悪いというわけでもない。強いて言うなら、流行り病が蔓延したときに助け船の一つも出してくれなかった王都のお偉いさんたちだろうか。
とにかく今更誰かに責任転嫁しても意味がないので、私たちは家族会議を開いて打開策を探しているのだが、一向に糸口は見えない。
毎日のように皆で頭を悩ませる日々が続き、どんどん品数の減っていく食事に耐えていた。
私も頭を捻りながら、メイドがいないので家事を一通りこなしていた。
同い年くらいの貴族令嬢たちはデビュタントを迎える頃だろうが、生憎と私にはそんな時間はない。今日も今日とて、エプロンをして家族のための料理を作ったり、二束三文で売れるブドウの収穫をしたり、掃除をしたりと忙しいのだ。
そんなある日のことだ、交流のある貴族を伝って、とある話が届いたのは。
『急募、第一王子様の身の回りの世話をしてくれる方』そう書かれた羊皮紙には、王城で住み込みの仕事が記されていたのだ。
給金は目を疑うほどに高く、王城には部屋と着替え、その他食事から何まで用意されるという好待遇。
しかし問題なのは、この『第一王子の世話』だ。この国で、第一王子の噂を知らない者はいないだろう。
なんでも「使用人を喰い殺す恐ろしい吸血鬼」だとか「気に食わない人間はすぐ一族郎党処刑するとんでもない暴君」だとか、そういった恐ろしい話を度々耳にします。
今まで数えきれないほどの使用人が仕えてきたが、姿を消しているそうだ。
血を抜かれ食い殺されたか。あるいは怒りに触れて断頭台に送られたか。
誰もが恐れ、この仕事はどこの貴族も断ってきたそうだ。
しかし……しかしである! この仕事を逃げ出すことなく成功させられたら、アーシヴル家は持ち直せるだけではなく、王族ともつながりが持てるということになる。
もしこの第一王子を篭絡できれば、アーシヴル家は王族の仲間入りを果たせるのだ。
「そういうことだ、頼んだぞ、セリア」
内心、やっぱりそうなるかと溜息をつきながら、長女の私が第一王子の世話をするために王都へと送り出された。
いやまぁ、いいんですけどね。家事全般はできますし。そもそもあのまま家にいたらデビュタントどころか平民真っ逆さまでしたし。
没落寸前の男爵家と、どうも信憑性に欠ける噂ばかりの王子の世話でしたら、どちらを取ってもあまり変わらないように思いますし。
なにより私、これでも男爵令嬢ですから。礼節にはそこらの使用人なんかより長けている自信があります。逆境の中育ってきたので、根性もあります。
吸血鬼だろうと暴君だろうとかかってこい! くらいの気概で、出稼ぎに行くことになりました。
そういうわけで馬車に揺られながら王都に向かうと、酷い雨が降ってきました。そのせいで、到着が遅れそうです。
幸先が悪いなぁ、なんて思いながらしばらく待つと、ようやく王城へと到着しました。
ここがこれから働く場所、だなんて雨宿りしながら見上げていたら、王城の中からくたびれた様子の執事姿の男性が歩いてきました。
「あなたは、第一王子殿下の身の回りの世話に来たのでしょうか……?」
「左様です。第一王子様の身の回りの世話をするべく、アーシヴル男爵家より参りました」
面接官か何かだろうか。とにかくこの手の事は、最初が肝心だ。家に残っていた最後のドレス姿でカーテシーを見せるが、執事の男性はそれを遮った。
「いや、もう誰でもいいんです……あの王子を何とかしてください」
「えっと……面接などはないのでしょうか? それか他の使用人との顔合わせなどは? 第一王子様の世話となれば、他にも立候補者がいるはずで……」
「いません」
「えっ」
「正確には、もう帰りました……残っているのは、貴女だけです」
そりゃ雨で遅くなりましたが、半日と経っていませんよ?
そんなにとんでもない人なのか。本当に噂通りの吸血鬼か暴君だったりするのだろうか。
しかし、私だって家を背負っているんです。幼い兄弟たちの食い扶持も稼がないといけないんです。なんなら少ないですが領民の生活だってかかっているんです。
こうなったら、吸血鬼だろうと暴君だろうと、私が面倒見てやりますよ!
「では、私が働くということでいいんですね」
「むしろこちらからお願いしたい……」
ずいぶんと疲れている様子ですね。王子が吸血鬼だとしたら、腹が減ったから死なない程度に血を吸われたりしたのでょうか?
「それで、王子様はどちらに?」
執事に案内され、仰々しい扉の前に立たされる。中には件の第一王子がいるとのことで、執事は最後に、「頼みました……」と、疲れ切った様子で立ち去った。
「本当に不穏な空気……けど」
ここで臆していられない。扉をノックして失礼しますと声をかける。しかし、反応はない。首を傾げてもう一度ノックするも、反応がない。三度目は少々乱暴に叩いて声も大きくしたが、梨の礫だ。
「……三回も確認しましたからね」
こんなところで立ち止まってはいられない。勇気を出して扉を開けると、薄暗い部屋が広がっていた。
よく見えないが、水の滴る音がする。変な臭いも漂ってくる。とても人が住んでいるようには……
「誰……」
「うひゃあ!?」
部屋の中を進んでいると、突然背後から声がする。はしたない声を上げたが、振り返れば、
「えっと……第一王子様?」
「俺の部屋なんだから、そうに決まってるじゃん……聞かなきゃ分からないの?」
「いえ、聞いていた特徴とは一致していたんで、まさかと思って聞いたのですが……」
いや、当たるとは。まぁ確かに、見た目だけなら吸血鬼だ。
青白いというレベルを超えた不健康そうな真っ白な顔色。同じく真っ白な髪色。そんな中で不気味に揺らぐ真っ赤な双眸。とにかく白い顔なので、余計に赤い瞳が目立っていて、もしも吸血鬼なら血を欲しているのかとも思ったのだが、
「……新しい使用人か?」
「さ、左様です」
「……さっき来た奴らは、みんな悲鳴を上げて帰ったけど、アンタは帰らないの?」
「お金のた……仕事ですから」
「本音バレてるけど……どうせ、アンタもいなくなるんだろ。というか、変に気を遣われるの嫌だから、むしろ帰ってくれない?」
む、と私は眉を顰めた。第一王子とはいえ、仕事のために来た私の事情も知らずに帰れとは自分勝手だ。
「帰りません! 意地でも帰らないって決めてるんです!」
「なんでそんなに頑ななの……」
「私が働かないと家が潰れちゃうんですよ! アーシヴル家と領民が全員路頭に迷うんです!」
アーシヴル家と聞いて、第一王子が目を細めた。
「たしか、十年くらい前に流行り病で人がほとんどいなくなったとかいう……」
「知ってたんですか!?」
「……まぁ」
でしたら、助け船の一つくらい……! と内心我慢していたつもりが、「声に出てるよ」と言われ、思わず口を手で覆った。
「あの時は……悪い。俺というか、王家がゴタゴタしてて」
「悪いと思うなら働かせてください。どんな仕事でもこなして見せますから」
帰らないと悟ってか、第一王子は赤い瞳で私を見据え、その口を開いた。
なぜか大きく開いたので、本当に血を吸われるのかと緊張していたら、第一王子の口とお腹から間の抜けた音がした。
「ふわぁ……じゃあ腹減った」
欠伸とお腹の虫に肩透かしを食らいつつ、一応確認をとる。
「えっと、食べる……というか飲むのは血ですか?」
「なんでそんなもの飲まなきゃいけないんだよ。なに? まだ俺が吸血鬼っていう噂流れてるの?」
「噂ってことは、違うってことですよね」
「本当に吸血鬼だったら、教会の連中が銀の杭だとか持って攻め込んでくるだろ。というか……いつまで変な噂流すかなぁ……」
吸血鬼だというのは、誰かが流した噂だったようだ。正真正銘人間のようで、ご飯を欲している。
溜息を大きく吐いた第一王子は、とにかく腹が減ったと口にする。薄暗い部屋の中でボスンと座ると、食べ物を用意するように言った。
一応、ここに来る途中に調理場はあった。料理は専門の調理師が行うと聞いていたのだが、
「アイツらの作る料理は食べ飽きた。王族には相応しい料理が云々言ってるけど、もう食べたくない」
そこらから漂ってくる臭いは、全部食べ残しだそうだ。蠟燭に火をつけて見てみると、お高く留まった料理が食べかけのまま放置されている。
私からすると、とんでもない豪華料理なのだが、第一王子は飽きているらしい。吸血鬼はただの噂でも、暴君というのは多少当てはまるのかもしれない。
「ってことで、作って」
「へ?」
「使用人なんだろ? 腹減ったから美味しい料理作ってよ」
「……こんな豪華な料理に匹敵するのは、ハッキリ言って無理なんですが」
「だから豪華じゃなくていいから。美味しかったらなんでもいいから、なんか作って」
早く早くと急かすので、「分かりましたよ」と部屋を出る。
第一王子関連の噂に、食事が気に入らなければ罵倒した挙句にひっくり返して何も食べない話があるが、大丈夫だろうか?
とにかく作るしかない。男爵家の胃袋を満たしてきた料理がひっくり返されないことを祈りつつ、調理場へ。誰もいないので、潤沢すぎる食材を好きなように使える。
何か文句を言われても、「私は第一王子の使用人ですから」で済むだろう。
しかし、だ。
「私のレパートリーって、かなり庶民向けなんだけど……」
だって、七歳のころに家が傾いてから即興で身に着けたのだもの。王族のテーブルに出るような料理なんて無理だ。
とはいえ、豪華じゃなくていいのだ。どこまでが王子にとっての豪華じゃないに値するのか分からないが、とにかくここにある食材で作れるだけ作ってみよう。
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お皿を載せる用のワゴンがあったので、とりあえずできた料理を載せて王子の前へと運んだ。
(野菜のシチューと、浸して食べるパン。魚の丸焼きに木の実を添えたレシピ……)
どこの家庭でも出るような庶民向けの料理だ。流石に怒られるかと思っていたのだが、王子はシチューを一口含むと、真っ赤な瞳を輝かせた。
「味付け薄くて食べやすい!」
「さ、左様ですか……」
それは褒められているのだろうか。続けて、第一王子は魚へ視線を向けた。
「この魚も、頭から食えるなんて初めてだ!」
「あっ、はいどうも……」
本当は頭は食べられないので切り取るものだ。私は貧乏性からそのままにしてしまっていたのだが、第一王子からすると新鮮なようだ。
「やるな、お前。気に入ったぞ」
ただの庶民料理なんですけど、まさかここまで好評とは……!
「美味しく食べて頂けたのでしたらよかったです。お口に合わなければ、皿ごとひっくり返されると聞いたので、食材たちも喜んでいますよ」
それを聞き、王子の手が止まる。しばし考えこむと、溜息交じりに口にした。
「それは料理人が何度言っても同じような料理しか作らないから皿ごと返そうとしたら、落としただけだ。そんなことまで尾ひれがついてるのか……」
「尾ひれ?」
「いや、気にするな。それよりお前のこと気に入ったぞ。名前はなんだ」
「いえいえ、第一王子殿下には使用人と呼んでいただければそれで……」
言うと、王子はムッとした顔で「俺の名前は第一王子殿下じゃない」と返してきた。
「ナミト・シャルトルーズという名前がある。第一王子だ殿下だって、そういうのは堅苦しいからやめてくれ。呼ぶときはナミトでいい」
「いやいやいや! 流石に王子様を敬称もつけずに呼ぶなんてできませんよ!」
「だったら第一王子として命じる。俺の事を呼ぶときはナミトと呼べ」
反論しようとして、口答えしたら一族郎党皆殺しだと言われた。
ああ、今までのは尾ひれだとか誤解があったみたいだけど、暴君の下りにあった話は本当なんだなと理解した。
「で、ではナミト……様」
「様付け禁止」
「そうすると、他の方に聞かれたときに私が困るんですよ!」
「だったら二人の時はナミトって呼んで。外にいるときだけ様付けを許すから。で、お前の名前は?」
「はぁ……私はセリアと申します。呼ぶときはなんとでもお呼びください」
「じゃあセリア、おかわり。それと部屋の掃除と着替えの用意お願いね」
「なんか色々といきなりですね……」
こうして、私とナミト第一王……ナミトとの日々が始まった。
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半年ほど働いて、いくつか分かったことがある。
まず一に、色々聞いていた噂は大体尾ひれのついた他愛のない事や、誤解だということだ。
吸血鬼云々はナミトの容姿とワインを好むことから幼少期よりのあだ名で、食事関係も初日に判明したことがなぜか尾ひれがついて広まっただけ。
王族として放っておいていいのかと思ったのだが、国王様はナミトにあまり興味がないようなのだ。むしろ王位継承権二位の第二王子を贔屓しているらしい。
まぁ気分屋にして、なにかにつけて一族郎党皆殺しにしようとする第一王子より、会ったことはないがしっかり王族をやっているとの第二王子を気にかけるのは分かる。
ただ、噂よりひどかったのが……
「ああもう! 着替えは籠に入れておいてって言ったじゃないですか! あと髪は乾かしてから出てきてください! 跳ねた水を拭くのは私なんですから!」
「だから、そういうのは使用人の仕事だろ?」
「いつもはセリアセリアって呼んでるくせに、こういう時だけ使用人呼ばわりもやめてくださいよ!」
「うるさいなぁ……ああ、あと部屋にワイン運んどいて。それと今日は肉の気分だから」
湯あみ着姿のナミトが散らかした着替えと飛び散った水滴を拭きながらの出来事に、何度目かも忘れたが思い知らされる。
第一王子ナミトは、権力に胡坐をかいて生活の全てを使用人に押し付けてくるのだ。
これこそが真実だと声を大にして言いたい。使用人たちが逃げていったというのも、初日の吸血鬼騒動や料理が口に合わないのもあっただろうが、この自分勝手な所が一番だと、今ならわかる。
なにせ、逆らったら権力を背景に一族郎党がと言い出すのだ。そりゃ誰も面倒見なくなる。
私? そりゃ私だって、こんなに面倒な仕事だとは思いませんでしたよ。もっと怒鳴られたり殴られたりの日々を覚悟していましたよ。
それに比べたらマシな物です。
面倒なのは、二人の時に敬称付けて呼んだら怒られるし、二人じゃない時に呼んだら不敬だと怒られる事でしょうか。
でもお金になるんです! 一家総出でブドウなんか作ってるより何十倍も稼げるんです!
もうかなりの額を稼ぎましたが、ナミトは「帰ったら今までの給金を借金として取り立てるから」と、まるで私をここに監禁するかのような扱いです。
これだけ並べると、結構私は不遇な目に遭っているように思えるのですが、恐ろしいことに、いつの間にか――
私はナミトにご執心なんです。
今も「部屋の鍵がありません」と言えば、湯あみ着姿のまま、「はい」と鍵を渡すのだ。
上半身裸のナミトに迫られ、背の高い姿を見上げながら頬を赤くして「ぶ、物騒ですよ」と言えば、微笑んで「セリアになら安心して預けられる」と言うのだ。
しっかり食べて、よく寝て顔も洗ったナミトはとんでもなくイケメンだ。白い肌も健康的な色合いになり、同じ色をした癖っ毛交じりの髪は艶やか。そこに映える深紅の瞳は、正直反則級にマッチしている。
恋愛などできなかったどころか、私は同年代の男性と話した事がほとんどない。
そんな私に、変わり者だけど顔立ちが良いナミトが、ときたま不器用だが彼なりに優しい側面を見せてくると、私の心はいつの間にか奪われていました。
ワインを運び終えると溜息を吐く。身分違いなのは百も承知だが、運んできた二つのグラスを見ると、諦めきれない。
なんと、ナミトの食事に私も参加するよう言われているのだ。私の作った料理を二人で食べ、食後にワインを嗜む。そんな二人の日々が半年と続いているのだ。
今ではナミトの部屋で食事をとり、寝るのもこの部屋だ。
流石に私の着替えは別の部屋で行っているが、ナミトは知らずに着替えだす。その度に頬を赤くしては枕を投げたり、からかわれて笑いあったり、そんな日々が続いていた。
そしてある日、ポツリと私は零していた。
「男爵領のみんなも、こんな生活送れてるといいな」
「……そんなに、心配か?」
「え? そりゃ、生まれてからずっとお世話になってきた人ばかりですから。お父様もお母様も、負債を全部返したらブドウ園を拡張したいと言っていましたし」
ナミトはどこか考えるそぶりを見せると、何度か頷いて「よし」と意気込んでいた。
「負債とやらを返し終わって、男爵令嬢に戻れるようになってもお前がここに居てくれるって言うんなら、俺がなんとかしてやる」
「へ?」
「アーシヴル男爵領の再興を、俺がなんとかしてやるって言ってるんだよ」
ポカンとしばらく口を開けっぱなしにしてから、「私が逆らったら一族郎党皆殺しですか?」と問いかけていた。
ナミトは、「ただの口癖だ。そんな暴君みたいなことするわけないだろ」と当たり前のように言う。
「その口癖は今後控えてもらうとして……いいんですか?」
「繰り返すが、お前がここに居てくれるならな」
「私がここに……えっと、理由は聞いても……?」
すると、ナミトは顔を暗くして「セリアより長く一緒にいてくれた使用人はいなかったからな」と言ってくださいました。
「お前だけは、俺の変な噂聞いていなくならなかったし、その後もずっと居てくれた……独りぼっちだった俺の我儘に付き合ってくれた」
「仕事、ですから……」
自分でも仕事の一言で片付けられるとは思っていない。私はナミトのそばに居たくて、使用人をやっているのだ。
「……仕事じゃなくなったら、いなくなるのか」
「え?」
「使用人をやらなくてもいいってなったら、逃げたりするのか?」
「いえ、私は……」
言葉に迷っていると、ナミトは「嫌だ」と呟いた。
「もう一人で暗い部屋に籠っているのは嫌だ……というか、セリア以外が身の回りの世話するのが嫌だ」
だから、私にここへ居て欲しい。ナミトはそう言うと、物悲しそうな顔のまま、私に詰め寄ってきた。
「どうするんだ……? この先も、ずっとここに残ってくれるか?」
「え、えっと……」
「どうなんだ」
ナミトは口調こそ寂しそうだが、顔を赤くしながら私に迫っていた。
気づくと顔の火照っていた私もコクリと頷かせれば、「なら、頑張ってやる」と、少し引っかかるセリフを口にしてから残っていたワインを一気に飲み干した。
####
あの夜から更に半年。勤め始めて一年も経つと、ナミトは王族としての仕事をサボらずにやるようになった。
今までサボっていたナミトに向けての書類にサインし、頻繁に公爵などの貴族とも顔を合わせているのだ。
私は、時に使用人、時にお付きのメイド、そして時に夜会の場にてダンスパートナーとして付き添うことが増えていた。
ナミトは夜会など、今まで面倒くさがって一度も行かなかったのに、なにかにつけて私を連れ、綺麗なドレスを用意し、ダンスホールで踊るのだ。
いつの間にか、社交界では第一王子が謎の美人を連れてのカムバックだと騒がれていた。
カムバック? と聞けば、幼い頃はしっかり参加していたそうなので、子供のころを知る貴族からしたら、すっかり大人になって立派な王族となり帰ってきたと見えているのだろう。
そこに男爵令嬢に過ぎない私がいることが、嬉しいような、分不相応なような、微妙な気持ちだ。
けれど、私がそんなことを口にすれば、ナミトは「セリアが一緒にいてくれるから頑張っているんだ」と、顔を赤くして言う。
だんだん部屋で過ごす時の距離が近くなりながら、私は居心地のいい暖かな日々を送っていた。
そんなある日の事だ。ここに来た日を思い出させる、激しい雨の降る昼下がり。私は着替えを済ませてナミトの部屋に向かう途中、とある方から声をかけられたのだ。
「君、ちょっといいかな」
「は、はいぃ!」
「そう緊張しなくていい。僕は別に、君を叱りに来たのではない」
「そ、そうですか……メッサム第二王子」
メッサム・シャルトルーズ第二王子。ナミトとは年子であり、よく似ている灰色の髪とくすんだ赤い瞳をしている。
今まで王族としての責務をこなしてきた、次期国王筆頭候補――だった人。
実はナミトが頑張りだして、国王や王都の貴族を始めとした人々が意見を変え始めたのだ。
「ナミト第一王子こそが次期国王に相応しい」と。
元々、第一王子なのだから次期国王はナミトだった。でも、一年前のだらけっぷりを思うと、必然的に年子にして第二王子であるメッサムが次期国王だという声が強くなっていた。
今もメッサム派とナミト派で割れている。だがどうやら、情勢はナミト派が優勢らしい。
メッサムはそれが面白くないのだろう。声は穏やかなものだが、顔が笑っていない。
「えっと、私に何の用で……」
「いやなに、ちょっと君に話があってね」
「私に?」
何の事だろうか。首を傾げる私へ、メッサムは鋭い声で、「第二王子の権限で、君を兄上の使用人の仕事から解雇する」と言った。
私が訳も分からずにいると、メッサムはそのまま「反論は考えるな」と続ける。
「君は打算と下心で兄上に近づき、生家と王族との繋がりを持とうとしていた姑息な女だ。上手くいくと思った? 没落寸前だった家が奇跡のように成り上がれる機会を、この一年虎視眈々と待っていたんだろう?」
「そ、そんな……! 言いがかりです! 私はナミトの使用人で……」
ついナミトの名に敬称をつけなかったのを聞いてか、メッサムは目を尖らせた。
「男爵令嬢に過ぎない君が、兄上の事を不敬な呼び名で呼んでいる。その事実は知れているよ。それを元に、他にも色々と話を作らせてもらった。後は僕が大衆の前で糾弾すれば、君の立場はどうなるかな?」
「そんな……! そう呼ぶように、私は言われていて……ナミト様の、王族としての命令です!」
メッサムは悪い笑みを見せた。
「その証拠はあるかな? 庇ってくれる人は? 弁明してくれる人は? ああ、僕の方は君が兄上に不敬を働いていたことを、いくらでも話を盛る準備はできている。王族の力を使えば、この瞬間の事も、僕自身への不敬罪だとでっち上げられるんだ。さて、どうなるかな。冗談でもなんでもなく、アーシヴル男爵領の領民は全員断頭台に行くかもしれないよ」
「なっ!?」
「あんな没落寸前の男爵領を潰すのは、僕からしたら簡単な事なのさ」
それが嫌なら、ナミトの使用人を辞めるようにと迫ってきた。
「ああでも、使用人を辞めたからって領地に帰れとは言わないよ。君には王族権限を持って、僕の婚約者になってもらうから」
「え……?」
「君が兄上の元を離れ、僕の物になればいいんだ」
「……どういう、ことでしょう。私はただの、没落しかけの男爵令嬢ですよ」
いや違う。メッサムは首を振って否定した。
「見ていれば分かる。一度心を折ってやって、もはや世捨て人となった兄上をここまで押し戻したのは、他でもない君自身だ」
「一度心を折ったって……あなたは何をしたというのですか……?」
「なにって? あらぬ噂を国中に流し、兄上に寄ってくる者を金で抱きこみ、孤立させただけだが?」
ナミトと出会ってから、彼が自分に流れる噂を煩わしそうにしていたのを思い出す。
そのたびに、誰かを思い返すようにして「飽きないな」と口にしていた。
「まさか、ナミトのおかしな噂って、全部あなたが……!」
「そうだと言っている。物わかりの悪い女だね、君は」
なぜそんなことをするのか。怒りを覚えて口にすると、メッサムは歪んだ笑みを見せた。
「全ては国王になるために決まっているだろう? そのために、兄上は何よりもの障害だった。とはいえ、十年以上前の幼かった心を折るのは簡単だったが、今の兄上は君という精神的支柱を得て強くなっている。同じ方法はおろか、他のあらゆる方法を使っても、守るために立ちはだかり続けるだろう」
私が、ナミトの精神的支柱? 目を見開くと、分かっていなかったのかと嘲笑われた。
「社交の場に出るようになったのも、仕事を真面目にするようになったのも、全ては君が来たからだ。そして、ここに居続けてくれると信じているからだ。だからこそ、君を奪って婚約者とし、今度こそ心を完膚なきまでにへし折る! もちろん、君にも旨味はある。男爵家とその領民は全員王都にて引き取り、君自身も生涯王妃として愛そうじゃないか」
断ったらどうなるだろうと考える。もし私がナミトから離れなかったら、きっとこのまま拮抗状態がしばらく続くだろう。私個人はナミトが守ってくれる。
けど、男爵家や領民は? 守り切れないだろう。メッサムが真っ先に潰すはずだ。
そこまで考えが及んだのを察してか、メッサムは冷たく告げた。
「兄上の元を離れると今すぐ言ってこい。そうすれば、何もかもうまくいく」
ああ、この人は私を使ってナミトを排除する気だ。せっかく、ナミトが王族として頑張って、周囲から認められ始めたというのに、私のせいで台無しになってしまう。断れば、男爵家も潰されてしまう。
ギュッと口をつぐんでいると、メッサムは去っていった。
とてもナミトの弟とは思えない。冷徹で他人に興味がなく、自らのためだけに権力を振りかざす王族――メッサムこそ、吸血鬼や暴君の名が相応しい。
しかし、もはやあらゆる手は打たれているのだろう。私はただメッサムの話に頷けば、当初の目的はすべて上手くいく。
そう、すべて……。
#####
夕食を食べ終え、私はナミトにワインを運んでいた。
私は本当の事を、この場で言わなくてはならない。そうすれば、全てが上手くいくのだから。
元々の目的である男爵家を持ち直す資金稼ぎどころか、身内から王妃が出ることになる。 没落寸前の男爵家は、一気に王族の仲間入りを果たすだろう。領民の人々も、みんな王都で幸せに裕福に暮らせるだろう。
だから、ここで言う。お酒が入る前に、本心を伝えるため。
それですべて、上手くいく。そう、全て……。
「ねぇ、ナミト……」
全て、上手くいく。全て……
「私、メッサム第二王子と婚約することにしたの」
一瞬目を見開いたナミトだったが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「……確認するが、すべて納得しての事か?」
抑揚のない声に、私はそのまますべて打ち明けた。
「うん、だって全部上手くいくから。私がここに来た目的は、果されるから……だから」
だから、私はナミトの使用人をやめて、メッサムの婚約者になる。そう告げると、ナミトの指先が私の頬に優しく振れた。
「じゃあ、なんで泣いている?」
「え?」
あれ、本当だ。いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
ああそうか、きっと嬉し泣きだ。悪い噂だらけの怠け者に付き合っていたら、家は救われ、王妃になれるんだから、これはきっと嬉し泣きで、私は納得して……
「……ない」
納得して、いない。全てはうまくいかない。
私自身が、ナミトのそばにいられない。
「……わたし、は」
「お前の意見の前に、俺から先に言わせてもらう」
ナミトは立ち上がると、私を強く抱きしめた。突然の事にワインボトルを落としてしまう。けど、そんな事は気にならない。私は強く抱きしめられるほどに、涙が零れ出ていった。
「お前を、あんな奴に渡したくない。もしお前が本気で行くって言っても、絶対に止める。じゃないと、一族郎党皆殺しだ」
涙と共に笑いが込み上げてきた。泣きながら「今言うセリフじゃないよ」と、私もナミトの背中に手を回した。
「……お前は、やっと見つけた生きる目的だ。王族としてもう一回頑張ってやろうと思った理由だ。なによりも、俺はお前を愛している」
「やっと、その言葉を聞けた……!」
心が通じ合った。やっと、ナミトの本心を聞けた。
でも、メッサムはどうするというのだろう。このままでは、男爵家が潰されてしまう。
そんな事は杞憂だとでも言うように、背中をぽんぽんと叩かれた。
「後は任せろ」
それだけ言うと、ナミトは私を離して部屋を出ていった。
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翌日、ナミトは第一王子として大々的な発表をした。国王から王族としての経験を積むため、とある貴族を相手に政治的な合意に基づく取引を行うというのだ。
その相手こそ、私の生家であるアーシヴル男爵家だった。ナミトは王都からアーシヴル領へ、莫大な額を取引としてしっかり証書に纏めた上で流した。
個人的な感情ではなく、唯一の特産品であったブドウの大量生産のための先行投資だと発表し、これからは王族として正式に買い取るというのだ。
これで、アーシヴル男爵家のブドウは王族御用達という箔が付いた。買い付ける金と、これから先の売り上げで、アーシヴル男爵領は更に栄えることになるだろう。
これは結果的に大成功し、発表から半年と経たずにアーシヴル男爵領のブドウは飛ぶように売れる事となった。
その機を見計らい、ナミトは私を夜会の場に連れ、大衆の前で「この者こそ、アーシヴル男爵領の令嬢、セリア・アーシヴルだ!」と宣言した。
今や国の一大特産品となったブドウの生産地の長女と、そこへ最初に目をつけた第一王子。ナミトが私をいくら称賛しても、身分の違いを埋め、誰にも違和感を抱かせない理由付けには十分だった。
そんな称賛の声が上がる中、冷ややかな声が会場に響いた。
「そのような下級貴族の女にご執心とは、兄上も落ちたものですね」
メッサムと、彼を次期国王にしようとする一団だった。
「セリア殿への同情ですか? 長く仕えてくれた使用人が可愛くなったから、アーシヴル家のブドウの買い付けを行うようになったのでは?」
身をすくめる私に、ナミトは庇うように前へ出ると、胸を張ってメッサムと相対した。
「俺はただ、王家の人間としてかつて行えなかったことの埋め合わせを行っているだけだ」
ナミトはかつて流行り病の時に救えなかったアーシヴル男爵領を思っての事だと言ってくれた。私情からの行動にしないよう、しっかりとした結果も残してくれた。
メッサムは分かっていない様子だが、「同情なのは否定しないのですね」と口にする。
しかしナミトは眉根一つ動かさず、「国の貴族への同情が繫栄をもたらしたのなら、それに過ぎたることはないだろう」と言ってのけた。
二人とも譲らない。バチバチと視線が交わされると、メッサムは控えている貴族たちに目くばせした。
すると、一人の貴族が一歩前へ出た。
「ここにアーシヴル家のブドウ交易における不正な申告書があります! 第一王子様に認められた途端、アーシヴル家は不正な取引を行うようになったのです」
そんな覚えはない。しかしこれを受けて、メッサムが私を睨みつけ、口を開く。
「王族に認められた途端に欲におぼれるとは、男爵家はよほど金に飢えていたと見える! その娘たるセリア・アーシヴルもまた同様な存在! これほど品位が低いとは思いませんでしたね!」
ブドウ交易の不正な申請書が提示され、アーシヴル男爵家の品位の低さについて声高に宣言すると、続けてメッサムが言い放った。
「以上の事から第二王子の権限により、セリア男爵令嬢には王都からの追放を言い渡させていただきます」
まだナミトの心を折ることを諦めていなかったのか。私が反論しようとして、ナミトが手で制す。
私の手を取って一歩前へ出ると、メッサムとは比べ物にならない威厳に満ちた声で「ここに宣言する!」と言う。
「ブドウ交易の不正については、第一王子の全責任を以て一切そのような事はなかったと断言させてもらう! そして品位の低さと言ったが、既に父上にはセリア男爵令嬢を我が婚約者とすることを伝え、承諾を得ている! それでも品位に欠けると言うか!」
私は頬を染めながらも、国王様からナミトを頼むと言われたことを思い返し、凛然と立つ。
「疑うというのなら、国王に聞いてみるのだな」
メッサムについていた貴族たちへ言うと、その堂々とした態度に委縮している。
それに、私が次期国王候補の婚約者であると理解したようだ。
これからは王族となる私に不敬を働いたら不味いことになるので、一様に口を閉じた。
これ以上私を攻めては、後に王妃になった時、自分に降りかかる火の粉を恐れたのだろう。
メッサムはまだ反論しようと、「何を黙っている!」と声を荒げていた。
だがどうやら、メッサムに付いていた貴族たちはナミトを認めたようだ。メッサムから顔を逸らし、口を閉じている。
それでも、メッサムはやかましく騒いでいた。
「僕の命令が聞けないのか! 他にもあの女を追放する話はいくらでも作ることくらい造作も……」
そこまで言って、しまったと気づいたようだ。しかし、この場にいる皆の耳に入った事だろう。
メッサムが、私を陥れようと作り話を吹聴しようとしていたことが。
無論、ナミトが聞き逃すはずもない。
「今何を言いかけた?」と問いかければ、メッサムは口をつぐんで言葉を探している。
「俺の婚約者に何をする気だったんだ?」
「ぼ、僕は……」
やがて、項垂れながら「失礼します」と言い残してトボトボと去っていった。
ホッと、私は隠れて胸を撫で下ろしていた。これでナミトを邪魔する者はいない。これからは私とアーシヴル男爵家だけでなく、国を支えてくれる王になれるだろう。
そんな風に、もう心配事はないと思っていた時の事だった。私にだけ聞こえるよう、ナミトがひっそりと口にしたのだ。
「俺はお前の事を愛しているし、これからも愛し続けると誓うが――」
ナミトはニヤッと笑うと、当たり前のように口にした。
「王になったらしばらくは出会った頃みたいな自堕落生活に戻るからな」
「えっ!?」
「その時は、またしばらく面倒を頼んだぞ?」
「……ああもう、本当に、あなたって人は――」
噂通り手のかかる人。けどそれでいい。私は元々、そのためにナミトの元へ来たのだから。
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