【1・東シナ海上空】そして戦地へ 3
神崎は首と指先をパキパキ鳴らし、スーツケースから携帯用VRゴーグルと手袋を取り出した。
手袋はシャツのポケットに詰め、ゴーグルから伸びた二本のケーブルの一方の端子をPCに接続した。
もう一方のケーブルの先は、太い針か目打ちのような形の金属で出来ており、一見したところ何に使うのか分からない。
「クソッタレ……」
そう呟くと、彼はハンカチを棒状に丸め口に咥えた。
そして――――するどく尖った端子の先端を、自分の延髄に、やや上方へ向けて深々と刺し込んだ。
「ぐぅっ、ぐぐぅ―――――!」
くぐもった呻き声を上げながら激痛にもだえる神崎。
空いた手は、シートの端にツメを突き立てて握りしめている。
それ以上、食い込んだツメに力を込めれば、クッション材ごと高級シートをむしり取ってしまいそうだった。
途中、目打ちの先が、ガリっと骨をかすめる感触が、握りしめた手に伝わる。
しかし、その感触に不快感を覚える余裕など彼にはなかった。
太い針で首筋から頭部にかけて貫いているのだから。
ダイレクトに脊椎に打ち込まれた金属の目打ちは、通常の人間であれば神経を損傷して麻痺状態にするか、最悪死に至らしめる。
だが人ならぬ彼の体の中では、微弱な電気信号を発する目打ちの周囲を神経が這い回り、密着し、擬似的な電子接続が始まっていた。
彼は体を強ばらせ、痛みに耐え、肩で息をしていた。
そして痛みがやわらいでくると、歯形がつくほど強く咥えていたハンカチを吐き出し、大きく息を吸い込んで、吐いた。
彼はひどい目眩に襲われながら額にVRゴーグルをかけ、親指でくい、と少々持ち上げると、ゴーグルのスキマから手元のノートPCを覗き、キーを叩きはじめた。
画面には、本社サーバーネットワークへの接続画面が表示されている。
「ぐぇ……めんどくさ……うぇぷ……う…ぐ」
痛みが引くと今度は酷い吐き気を催した。
日頃彼がプレイしているゲームとは比べものにならないくらい、何重にもかけられたセキュリティを次々と解除していく。途中、吐きそうになって何度も手が止まった。
我ながら、こんな呪文のような大量のパスワードをよく覚えていられるものだ、と神崎は呆れた。いまどき生体認証を使わないのは、死体を利用されることを想定してのこと。
膨大な量のパスワードに加え、複数のランタイム認証が混ぜ込んであった。
やっとのことでパスワードを打ち込む作業が終わると、本社最高セキュリティのネットワーク深部への接続が完了した。
おつかれさまの丸っこい文字と気の抜けたファンファーレが鳴っている。
このふざけた趣向は神崎の兄が考案したものだ。それを見る度に、神崎は兄を思い出して、二重にイラっとしてしまうのだ。
彼はシャツのポケットから手袋を取り出して、両手にはめた。
はめずらいが、ぴったりと手に馴染む。薄手のよく伸びる生地の上に、プリント基板のようなメタリックな線が幾重にも走っており、その起点となっている指先には、樹脂製のキャップがはまっていた。
この奇妙な手袋はVRゴーグルとセットになっており、仮想空間での作業を行うためのものだ。作業中、外からは空間を撫でているように見えるだろう。
神崎は本社サーバー最深部に接続すると、つぎは本社の軍事衛星とのリンクを開始した。ゴーグルに展開する大量のデータが脳にも同時に流れ込み酷いバーチャル酔いを催す。
そして、強引に神経を接続した結果、脳のあらぬ場所を刺激するのか彼の臓器にまで負荷がかかる。
このゴーグルや衛星リンクシステムは、軍事用サイボーグが、前線で衛星や膨大な軍事用サーバーと通信するための特殊兵装である。
したがって生身の人間が使用出来るようには作られていない。
それを人外の彼が無理矢理脳神経に直接有機接続し、一時的にサーバーや衛星とリンクしている。長時間使用すれば神の身である彼とて無事では済まない。
あくまでも、非常時の奥の手なのだ。