【4・転院】最大の敵はパパ 4
スーツケースの中身は、びっしりと詰まった新札の日本円だったのだ。
エレガントな方法ではないが、時間が惜しく、手段を選んではいられなかった。
「日本円で二億円あります。中身を改めて下さい。当座はこれで間に合うと思います」
見たこともないような金を目の当たりにした父親は、息を飲み神崎の顔を見た。
「僕には使い道のない金です。彼女のためなら、僕の財産を全て差し出したっていい」
神崎は、淡々と答えた。
下衆な方法ではあるが、相手が交渉を渋る場合、現ナマを突きつけるのは定石だ。
金で釣るもよし、身の証にするもよし、とかく大量の現金というものは、見せつけるだけでも威力がある。
「一体君は……」
父親はそのとき、神崎の澄んだ目に、一瞬痛いほどの苦悩を見た。
神崎は唇を噛み、目を閉じて深呼吸をひとつ。
そして父親を悲壮な目で見つめ返して、
「彼女は、長い時間ずっと探し求めていた、僕の――」
そのとき神崎の言葉を遮るように、彼の携帯が鳴った。
すみません、と言って両親に背中を向けて電話に出る。
……どうせ自分にかけてくる奴なんて仕事の関係者だろう、神崎はそう思った。
「yes...」
数十秒の英語でのやりとりの後、彼は急に声を荒ららげた。
「死んだ?」
思わず日本語で怒鳴ってしまい、慌てて英語で言い直した。
背後から不安そうに麗の父が顔を覗かせる。
「何かあったのかね?」
神崎は軽く頭を下げて、英語で二、三言話すと電話を切った。
「すみません、仕事先で大きな事故が発生しました……。話の途中で申し訳ありませんが、僕はすぐに戻らなければなりません」
「事故は、かなり深刻な状況なんだね?」
「ええ。死者が多数出ています。急いで戻らなければ。申し訳ありません、塩野義さん。僕はこれで失礼します」
病院にヘリのローター音が近づいてきた。
神崎が傍らの窓から見ると、彼を迎えに来たGSS社東京支社所有の真っ白なヘリが、病院のヘリポートに着陸するところだった。
慌てて身支度をする神崎に、麗の母親が言った。
「あの、神崎さん、せめて麗に顔を見せてやってくれませんか。お別れを……」
「いえ、このまま失礼します。彼女には後ほど連絡しますので」
彼は深々と麗の両親に頭を下げると、父親に病院の電話番号を書いた名刺を手渡した。
「転院の件、どうか本気で考えて下さい。先方に僕の名前を出してもらえれば、全て手続きが取れるようにしますから……では」
言い終わると同時に、神崎はトランク二つと塩野義夫妻を残して駆け出した。
☆
病院の正面に出ると、ヘリが彼を待っていた。
回転し続けるヘリのローターは周囲に騒音と強い熱風を撒き散らし、紙くずを宙に舞い上げている。その真っ白なボディには、青と金のラインが入り、GSS社のロゴとグリフォンのエンブレムが描かれている。
神崎はふと、気配を感じて病棟の方に振り向いた。
三階の病室の窓から、カーテンに手を掛けた麗がこちらをじっと見ている。彼女の訴えるような視線は、神崎の胸をキリキリと締め上げた。
「……ごめん」
麗は悲しげに神崎を見ると、小さく頭を左右に振った。
彼は唇を噛み、彼女に背を向けてヘリに駆け寄った。
機体の前では待機した、GSSのロゴ入りジャンパーを着た東京支社の社員がドアを開け、インカムを持って彼を待ち受けていた。
「すぐ戻るから……」
そう小さく呟くと、神崎は断腸の思いでヘリに乗り込んだ。