【2・茶番】クライアントはいつも勝手 1
三月十一日の早朝、神崎は成田空港を発ち、約十四時間かけて中東のドーハ国際空港に、トランジットのため降り立った。小型機を乗り継いでさらに数時間、丸一日がかりで、この小国に到着した。
以前彼がこの国を訪れたときには、天にはただ鳥と雲が舞うのみで、人間はラクダの背に揺られて運ばれるものだった。
その頃の彼は、楽器を携え、行く先々で『吟遊詩人』と呼ばれ、敬われていた。
だが今の彼は、武器を携え、行く先々で『請負人』と呼ばれ、蔑まれている。
☆ ☆ ☆
成田から発つ前日、GSS東京支社に出社した神崎は、さほど広くもないオフィスで、上司の菊池とコーヒーを飲みながら次回の任務の打ち合わせをしていた。
神崎の直属の上司、四十歳半ばの菊池一平は、筋骨逞しい体を窮屈そうにスーツに詰め込んで、コーヒーカップを手に椅子の背もたれにふんぞり返っていた。
『謎名刺』を菊池から渡された神崎は、机の上のソレをしばらく眺めて悩んだあと『……なんじゃこりゃ?』という反応を示した。
「菊池さん、コンシェルジュって言ったらデパートやホテルにいるアレ……ですよね」
「そうだろうな。名前を付けたのは俺じゃないから分からんが」
菊池はスキンヘッドをなで回しながらぶっきらぼうに答えた。
頭のあちこちにある傷は、男の勲章というやつか。
「うーん……」
神崎は腕を組み小首を傾げてケースに入った名刺を見る。
表は日本語、裏面はロシア語で印刷されている。
さっぱり仕事の内容が分からず困惑するしかなかった。
「いいから黙って持っていけ、有人」
菊池は、そこはかとなく圧力を発しながら、謎名刺のケースと一緒に、航空会社の封筒を、神崎の腹に押しつけた。
「了解っと、」
神崎は微妙に納得のいかない顔をしながら、名刺とビザ、ドーハ行きの航空券を受け取ると、机の上に置いた、愛用のアルミのスーツケースに仕舞い込んだ。
そして彼は、微妙に憮然としながら、しかし真面目な顔で上司に尋ねた。
「――で、結局俺は何をすればいいんで?」
「ご新規さんに押し売りしてこい」
「は……い? 押し売り……ですか?」
唖然とした顔で上司に聞き返した。
「はっはっは、押し売りは冗談だが。
ご新規さん、というのは、最近我が社の顧客となった中央アジアの小国Aの事だ。
お前も知っての通り、長い民族紛争の末に最近独立したばかりの小さな国なんだが、国内の治安がかなり悪化し、自国の軍隊や警察が全くアテにならない。
そこで政府は周辺諸国と同様に、国内の治安維持のアウトソーシングを我が社に発注したのさ」
「これまたキナ臭いところで、しかも押し売りとは……」
神崎は渋い顔で、カップに残ったコーヒーを一気に飲み干した。
分かってはいるが、面倒な仕事ばかり回される、そんな己の境遇にうんざりせざるを得なかった。
「でも、がっぽり金は持ってるらしいぞ。地下資源がわんさか出るからな」
菊池は、親指と人差し指で輪っかを作ってみせた。
小国ながら手つかずの豊富な地下資源があるなら、当然あちこちの勢力がこの国を虎視眈々と狙うだろう。
顧客として申し分のない、護り甲斐のある国だ、と神崎は思った。
「大手数社との営業合戦の末に、見事我が社が治安維持業務を受注した。恐らくは、親会社側の資源開発事業とか復興事業なんかもセット売りにしたんだろうけどな。
――会長は、やることがいつもあざとい」
「あざといというよりも悪どいじゃないですか? ま、そういう男ですからね。会長は」
神崎はフン、と不快そうに鼻を鳴らすと、日の暮れかかる窓の外に視線を投げた。
その先には、ゴミゴミした灰色のオフィス街が、静かに紫色の影の中に沈んでいく様が伺えた。一時間もすれば、光の羅列が都市のアイデンティティを示す唯一のものになるだろう。
菊池は頭をひと撫ですると、話を続けた。
「対外的に見れば、我が社がこの国の開発を独り占めしているように見えるだろう。が、実際には表だって国際支援を行えない日本政府の代理として、その仕事を肩代わりしているに過ぎない。
日本政府としても手アカのついていない資源目当てなのは間違いなく、かといって国内情勢が微妙な現状では、国費からの支援費用の捻出など望むべくもない」
菊池はお手上げのポーズで、軽くおどけてみせた。
「で、結局俺らに汚れ仕事を丸投げしたってことですね」
「そうイヤそうに言うなよ、有人。お仕事お仕事。自衛隊の支援もなにも得られない、孤立無援のこの国では全てが自己責任だ。
我が社は復興、開発を引き受けるかわりに、自分の身も守らなければならない。
条件は厳しいが、資源の豊富なこの国で上手く立ち回れば企業としてもリターンは計り知れないだろう。
結果会長は日本政府の顔も立てつつ利益を追求する立場として、大きな博打を打ったことになるわけだ」