【2・一時帰国】キミこそ俺の探していた君 5
☆ ☆ ☆
「じゃ、ちょっと検査行ってくるから、ちゃんと待っててよ、有人さん」
麗は手を振りながら、看護師に車いすを押され処置室へと去っていった。
神崎と麗は、病院の庭の中程にある木陰のベンチで、しばらくおしゃべりを楽しんでいたのだが、間もなく病室の書き置きを見た母親と看護師に発見され、麗はいましがた看護師に護送されてしまった。
結果ベンチには、神崎と塩野義夫人の二人が残された。事前の根回しは母親にはそれなりに効果があったようで、神崎はそれほど警戒心を持たれることなく、すんなりと受け入れられた。
麗の母親は、四十代くらいのショートカットの大人しそうな女性で、カットソーのグレーのワンピースに品のいい皮のサンダルという出で立ちだった。本来美人のはずだが翳りが見えるのは、長らく娘の病気のことで心労が募っているためだろう。
神崎は麗の母親に挨拶をすると、近くにあった自販機で冷えたお茶を買い、彼女に差し出した。込み入った話を病院の小さな喫茶室でするのも気が引けたからだ。
「あの子にとって、貴方はそれはそれは王子様みたいな存在でした。あんなに楽しそうな娘を見るのは、もうどれくらいぶりでしょうか……」
彼女は手元のペットボトルのお茶に視線を落として、ぽつぽつと娘の近況を語りだした。足元には、結露した水滴がぽたぽたと落ちて水溜まりを広げていく。
「そうでしたか……」
麗は、神崎の前ではいつも明るく振る舞っていたので、てっきりそういう子なんだとばかり思っていた。今生では、自分と会う前の彼女を、何一つ知らないのだ。
「このひと月ほどで笑顔が増えて、血色が少し良くなりました。それに、今まで自分から散歩など行こうとしなかったのが、こうして出歩くようにもなったんです」
そんなにも自分は彼女を変えていたのかと、神崎は驚いた。出会って変わったのは自分だけではなかったのだ。もっとも彼の場合は『変わった』というよりも、本来の自分に『戻った』という方が正しいのだが。
「失礼ながら、僕も麗さんの病気について調べさせてもらいました。――現時点では、先が見えている、ということも……」
神崎はサイレンを鳴らして病院の敷地に入って来た、緊急車両にちらと視線をやって、すぐに目の前の小さな噴水に視線を戻した。
「じゃあ、どうして貴方のようなご身分のお方が、余命幾ばくも無い娘のために……」
世界的な巨大多国籍企業のCOOなんて存在は、一般市民の塩野義夫人にとって想像の範囲外である。シンデレラに求婚した一国の王子などとはスケールが違い過ぎる。
「聞いて、……くれますか?」
「ええ、ぜひ」
「……確かに、僕の兄は多国籍企業の社長で、僕も役員をしています。
辟易する話しですが、周りに寄ってくる連中は皆腹黒い人間ばかりで、誰も僕自身を見ようともしないし、利用することしか考えていない。
息が詰まるばかりで、正直生きた心地がしない毎日です。
だから僕は、素性も肩書きも関係ない、ネットの世界に逃げ込むしかなかった。
そんな世界で、彼女は僕自身を見てくれた、必要としてくれた。
僕にとって、これ以上大切な、有り難いものはなかった……。
だから、僕は出来る限りのことを彼女にしてあげたい。
……ただ、それだけの、単純な話です」
真実の半分しか語ってはいないが、それでも説得には十分な材料だと彼は思った。どうせ、残り半分を告げたところで、理解されるはずもない――。
「神崎さんにも、いろいろとご苦労があるんですね……」
彼女は、その言葉にどんな感情を乗せて言えばいいのか分からず、空疎につぶやいた。唯一理解出来たのは、この男にとって娘はかけがえのない存在であるという一点だった。
「いえ……そんな」
神崎は母親の方に向き直り、頭を下げた。
「どうか、麗さんとお付き合いさせて頂けないでしょうか」
「ありがとうございます……。どうか頭を上げて下さい。こちらこそ、娘をよろしくお願いします」
母親が涙声になっていた。
「神崎さん、親のわがままだということも十分承知しています。
でも、お願いです。どうかこの先も、麗を支えてやってくれませんか?
あの子の時間が無くなるまでの僅かの間だけで構いません。
…………もう、親としてあの子にしてやれることは、何もないんです……」
あまりにも痛々しい母親の様子は、気の毒などという言葉で簡単に言えるものではなかった。
だが、神崎は力強く応えた。
「無論です。彼女を救うために、僕は日本に帰ってきたのですから」