【1・中の国】ネトゲがなかったら今ごろ死んでる 5
彼の目的地、釣りをしようと思っている「池」というのは、島の中程にあって、周囲を切り立った崖に囲まれた空間に、ぽっかり開いた水溜まりだ。
池といっても淡水ではなく、どこかで島の外の海と繋がっており、生息している魚はどれも海水魚だった。池の上には大きくて厚い氷が常に張っていて、釣り師たちはみなこの上で氷の隙間に糸を垂らす。
枯れ木の並ぶ池の周辺では、極太の大きなミミズが地面から何本もウネウネと生えていて、ビギナー冒険者には格好のレベル上げスポットとなっていたが、夜間になると骸骨や幽霊が闊歩する危険地帯に様変わりする。
(ありゃー……)
彼が巨人の群れの中を抜けて池の側までやってくると、倒木の横で誰かが倒れている。側には中途半端に体力を削がれたミミズが天を仰いでうねっていた。恐らくこいつとやりあって倒されたのだろう。周囲には、力尽きたこの冒険者の同行者は見当たらない。
(……死んでるな。なんでまたソロでなんか。それとも寝落ちか?)
体力を失って倒れていたのは、猫のような耳と尻尾を持った野趣溢れる種族の女性だった。茶色の髪を眉で切りそろえ、ショートボブの髪は首の後だけ長く伸ばして束ねてあった。まだレベルの低い冒険者の着る、体にぴったりとした、は虫類の皮で出来た茶色い鎧を纏っている。
「彼女」とは言ったが、中の人が女とは限らず、特にこの種族の女性は中の人が男なことも多かった。そういったものをネットゲームの世界では「ネカマ」と呼ぶ。
(正直、この鎧デザインは好みじゃないんだがね)
Alphonceは、彼女を放置するのも気が引けたので、蘇生を希望するかどうか声を掛けてみることにした。
彼の職業は、二系統の魔法といくつかの武器を操る、この世界ではひどく器用貧乏な魔法剣士だ。そのため蘇生魔術も心得ていたのだ。
とんでもなく器用貧乏なのは中の人=神崎も同様で、正直潰しの利かないこの職業が、今の自分には相応しい、と彼は自虐的に思っていた。
とりあえず救出作業に入る前に、現在このエリアにいるPCをサーチしてみる。
どうやら彼女は日本人のようだ。
もっともAlphonceの中の人は十五カ国語も操るのだから、このゲームのプレイヤーの使う言語はほとんど網羅している。誰が答えようとほとんど心配はなかったが。
――とりあえず日本語で問いかけてみよう。
===== ===== ===== =====
Alphonce:
こんにちは、蘇生の魔法はいりませんか?
Flaw:
ありがとうございます。お願いします
===== ===== ===== =====
即座に猫の人から返事が返ってきた。寝落ちではなさそうだ。
「ま、そういうことなら……」
彼はとりあえず現在時刻を確認した。ゲーム内時間で、日没にはまだかなり間があるようだった。
蘇生後しばらくは衰弱している状態で、モンスターに襲われやすい。万一、不死生物の出現時間と被ってしまうとやっかいだ。連中は衰弱している者から襲いかかるからだ。
安全確認は済んだので、いよいよ彼女 (かもしれない)に蘇生の魔法をかける。詠唱を始めると、彼の体の周囲を気が取り囲み、燐光が舞い散り始めた。
「ん……?」
詠唱完了まで表示バーがまだ残り五十%を示す頃、「あること」に神崎は気が付いた。
「このPC名……あ、あ……そんな…………」
神崎は胸がキリキリした。顔の筋肉が小刻みに震える。
心をざわめかせながら、表示バーの動きを揺れる眼で機械的に眺めていた。
Alphonceが詠唱を終えると、死体だった彼女の体の上に光の束が降り注ぎ、雪の上に横たわっていた華奢な体がふわりと宙に浮いた。
彼は、心に浮かんだその考えを、全力で否定した――
『そんなはずあるか! ただの偶然だ!』