【1・中の国】ネトゲがなかったら今ごろ死んでる 2
「ふんふんふん……っと。これで、ポチっとな」
ユーザーIDとバスワードを入力し、ロビーサーバーへのログイン手続きをする。画面が暗転し、ワールドサーバーへの接続を開始した。
画面の真ん中で接続過程を示すバーが伸びていく。
再び画面が暗転しワールドサーバーへの接続が完了すると、ひどく長い手続きを経て、最後にログアウトをした場所にプレイヤーキャラクターが出現した。
プレイヤーキャラクター=PCと略されるが、プレイヤー自身の分身となるものだ。神崎は、自分と近い容姿の種族をPCとして使用しており、髪型もなんとなく彼と似ている。
違うのは、漆黒の瞳と濡れた鴉の羽毛のような髪ではなく、琥珀色の瞳と焦げ茶色の髪をしている点だろう。少し古いゲーム故、細かいキャラクターメイクが出来ないのだ。
(お前も変わらずシケた面してんな……)
分身に自分を重ねたのか、表情など変わるはずもないのに、そんな風に見えてしまう。神崎の気分がシケているのは今に始まったことでもなく四六時中のことで、これが人間だったらとっくの昔に致死量の淋しさで即死している。
みっともなくメソメソする程度でそれが済んでいるのだから、神族というものは、かなりタフな精神の持ち主と言える。
画面下部、メッセージウィンドウに英文で『おかえりなさい』の文字が流れる。
「はい、ただいまもどりました」
ぺこりと小さく頭を下げる。
彼が画面相手に話しかける癖は昔からだった。
画面右上端、ショートメッセージの着信を調べる。件数は0。
(……そりゃそうだ)
彼が普段親しく付き合っているプレイヤーは、現在そう多くない。たかだか数日ログインしなかったからといって、自分宛になにか連絡するような輩は存在しない、と彼は認識していた。
(そういえばログアウトしたのは、自宅だったっけ……)
『本物の自宅は持っていないくせに、仮想空間には立派な自宅を持っている』
そんなことに気が付いて、神崎は苦笑した。海外暮らしの多い神崎は、オフの時は概ねホテル住まいで、リアルの自宅を持っていないからだ。どうしても保管しておきたい物は、会社のロッカーや兄の自宅に置いてある。
彼のPC「Alphonce」の自宅は【中の国】と呼ばれる世界の、小人と森の民が暮らす連邦国家にあり、「Alphonce」はこの連邦国に所属する冒険者の一人だった。
石造りの自宅の中では常に水が流れ、心安まるせせらぎの音が聞こえる。民族調の落ち着いた内装の部屋には、自作の家具や、季節イベントで集めた調度品などが所狭しと並べられていた。
調度品やグッズの一つ一つに想い出があり、それらを愛でることで想い出に浸れる。彼は一見雑多にも見えるこの部屋を、とても気に入っていた。
癒やし効果満点の水音と、ゆったりした曲調のアコースティックギターの音が、エンドレスで部屋に流れている。それを聞きながらくつろいでいると、神崎はいつのまにか画面をつけたまま眠ってしまう――いわゆる『寝落ち』をやってしまうことも、少なくはなかった。
『寝落ち』はデメリットがとても多い。気付くと、突っ伏していたノートPCがヨダレでベタベタになっていたり、コントローラーのコードが首に巻き付いてうなされたり、PCがどこかの壁に何時間も頭を擦りつけ続けたり、PCが危険な敵集団の中に突撃した挙げ句、無抵抗のまま戦闘不能になって死体を晒したり等々、『寝落ち』をすると本当にロクなことがない。
神崎=【Alphonce】は思い出す。
――そういえば、前に植え付けた苗は、しばらく世話が出来なかったからもう枯れてしまったろうか(どうせあいつは世話なんかしやしないし)、競売に出した装備品や品物は売れずに自宅に返却されてしまっているのだろうか、などと思いつつ、外の人=神崎は冷えたノンアルコールビールをぐいとひと口、喉に流し込んだ。