いつかの体育祭
沙織里には三つ年上の従兄がいた。一人っ子の沙織里にとって、近所に住む従兄は実の兄のような存在だった。そんな従兄が死んだのは三年前のこと。沙織里も誘われていた体育祭の前日のことだった。
その従兄から電話がかかってきたのは昨日の夜のことである。着信を報せるスマホの画面に表示されたのは従兄の名前。慌てて受けたスピーカーからは、懐かしい従兄の声がした。
「久しぶり」
「最近どうだ?」
「元気にしているか?」
いつもの調子で従兄が聞いてくる。その変わらぬ様子に、沙織里の中で張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
「つらい」
「いなくなってしまいたい」
「従兄に会いたい」
関を切ったように吐き出す沙織里の話を、従兄はうんうんと、ただ静かに聞いてくれる。
一頻り話して沙織里が落ち着いた頃を見計らい、従兄が言った。
「体育祭を見に来ないか?」
明日、開催される体育祭に、従兄も出るのだという。従兄の通っていた学校の体育祭はこんな時期だっただろうか。薄ら寒いものを感じたが、そもそも従兄が誘う時点で正常のものではない。沙織里は二つ返事で頷いた。
「じゃあ、明日」
言いおいて、電話は切れた。
明けて今日。深夜と呼んで差し支えない時間、真っ暗なグラウンドの端に沙織里は一人立っていた。程なく、どこからともなく入場のアナウンスがあり、従兄がグラウンドに入ってくる。スタート位置について、バンッと合図が鳴る。従兄は走り出した。
一週目、従兄は軽快に走っていく。沙織里は走る従兄をじっと見つめていた。
二週目、疲れが出てきたのか、段々とペースが落ちてくる。沙織里は手を組むようにして祈っていた。
三週目、いよいよ苦しくなった従兄が、それでも走っていく。口を真一文字に引き結び、がむしゃらに腕を振って、前だけを見据えて走っていく。沙織里はいつしか従兄の名前を大声で叫んでいた。
翌朝、沙織里はいつものように自室のベッドの上で目が覚めた。あれは夢だったのだろうかと思うが、そうではないと主張するように喉がひりついている。一つ大きく息を吐くと、沙織里は半年ぶりに部屋を出た。
ことの次第を母親に話したのは、ずいぶんと経ってからのことである。沙織里の話を聞き、しかし母親は怪訝な顔をするばかりだった。そんな名前の従兄はいないのだという。そんなはずはないと他の親戚にも聞いてみたが、従兄を知る者は誰もいなかった。
あれは一体何者だったのか、それは今だに分からない。