80 領都マラソン
「………………は?」
突然切り替わった景色に、兵士二人は掠れた声を漏らした。
「こ、ここはどこだ……」
「俺たちは路地にいたはず……だよな?」
「あ、ああ……」
目を見開いたままキョロキョロと辺りを見渡す二人に、俺は今の場所を教えてあげることにする。
「ここは領都から少し離れた草原ですよ。ほら、この轍をずうーーっと辿って進めば、その先に領都があります」
俺は地面に深く刻まれた延々と続く轍を指差した。ここは今日、俺たちも馬車で通過した道だ。ちなみに距離にすると領都から二十キロほど離れた場所になる。
「バカが! そんなことを聞いているのではない! なぜ我々がここにいるのだと言っているっ!」
レストランで怒鳴り散らかしていた兵士が、あの時と似たような怒鳴り声を上げて俺の鼓膜をビリビリと震わせる。目の前でやられるとかなりの大迫力だ。
とはいえ前の会社で散々クレーマーの相手をさせられていたせいか、気圧されることはまったくないんだけどね。
ちなみにクレーマーの勢いに飲まれないコツは、心を無にするか、相手を泣き叫ばないと意思を伝えることのできない赤ちゃんだと思うことだよ。
まあとにかく、この赤ちゃん兵士の名前はわからないけれど、立派なヒゲを生やしているのでヒゲ兵士と呼ぶことにしよう。俺はヒゲ兵士にやさしく話しかける。
「ここはどこだと聞いたじゃないですか……。というか、お二人は私たちに構っているヒマはあるんですか?」
「ああ!? どういうことだ?」
俺に睨みを利かしたまま、ヒゲ兵士が眉をひそめた。
「デリクシル様を護るという大任を任されているあなた方は今、職務を放り出してこんな場所にいるんです。デリクシル様が食事を終えられた後、放置されている馬車を見て一体どのように思われるのでしょうね?」
そんな俺の言葉に、同僚兵士が顔を青ざめさせながらヒゲ兵士の肩を揺する。
「お、おいっ! 何が何やらよくわからねえが、たしかにそいつの言うとおりだ! は、早く帰らねえと俺たちはデリクシル様に粛清されちまう……!」
やはり評判の悪い貴族令嬢だけあって、自身のボディーガードにも厳しいらしい。これは俺の計画どおり。
後はこの二人が領都に向かって必死に走り続けながら、伊勢崎さんへの貴族ハラスメント未遂を反省してくれればいいのだけれど――
――などと思っていたのだが、ヒゲ兵士は俺から視線を外すことなく、こちらを睨み続けている。俺は背後の伊勢崎さんにそっと声をかけた。
「少し離れていてね」
「はい、旦那様」
すぐに伊勢崎さんが俺から距離を取る。そしてヒゲ兵士は腰に備え付けた鞘に手を伸ばし、
「貴様……どうやら魔術師のようだが、その程度の奇術で我らをどうにかできると思わないことだ。今すぐ我らを元に戻せ。さもないと……」
剣をすらりと引き抜いて、同僚に話しかける。
「おいドブソン、慌てることはないぞ。このような大掛かりな転移魔法など、俺は聞いたことがない。これはおそらく幻術の一種だ。コイツを痛めつけて、術を解けばいいだけのこと。二人で仕掛けるぞ」
「そ、それもそうか。へへっ、俺としたことが慌てちまったぜ……」
同僚も俺に視線を移し、どこか見くびるような薄い笑みを浮かべながら剣を構えた。どうやら転移魔法じゃなく、そういう幻を見せる魔法だと思われてるらしい。
「いや、本当に転移してるんですよ?」
「そんな虚言には騙されん!」
「あの世で後悔するんだな!」
二人は声を上げると、一気に間合いを詰めて同時に剣を振り下ろしてきたが――
「――異空壁」
俺は自分の前面に異空壁を展開させる。
一つあたり直径五ミリほどしかない異空間。それをドット柄に張り巡らせた畳二畳分ほどの異空壁は、二人の斬撃を音もなくピタリと受け止めた。
「ああっ!?」
「なんだコレは!」
ふわりと浮かんだ異空壁に剣を防がれている不思議な光景に、二人は驚愕の表情を浮かべる。そのまま腕に力を入れ、剣を押し込もうとしているようだが剣はピクリとも動かない。
「これも幻術か!?」
「クソがっ!」
ヒゲ兵士と同僚兵士は剣を上段に構えなおすと、叩きつけるように剣を打ち下ろした。しかし異空壁が剣を通すことはない。
さらに兵士たちは剣を振り下ろし、薙ぎ払い、突き刺そうと試みるが、そのすべてを異空壁は防ぎ切る。
「チッ、他を狙うぞ!」
そんな状況にヒゲ兵士は舌打ちすると異空壁を切るのは諦めて、その外側に回り込もうと俺の左右に二人が分かれた。
なかなか見切りが早い。伯爵令嬢の護衛だけあって、もしかするとそれなりに有能なのかもしれないな。
しかし俺の異空壁には、まだまだ余裕があるのだ。
俺は異空壁をさらに引き伸ばし、伊勢崎さんを含めた周辺をぐるりと囲むと、そのまま外側に向かって異空壁を広げた。
広がっていく異空壁に押しのけられ、兵士たちは弾かれたように尻もちをつく。
「ぐあっ!」
「な、なんなんだよこれは!?」
困惑する声を聞きながら、俺はさらに異空壁を操作。
異空壁は俺の頭上にも伸びていき、天井までをも包み込んだ。直径10メートルほどの異空壁ドームの完成である。
少し前まではこんなに異空壁を大きくすることはできなかった。間違いなくアースドラゴンを倒した影響だろう。
だが俺たちを囲う謎の異空壁を前にしても、兵士たちは怯まない。
「所詮はまやかしよ! 攻め手を休めるな!」
「お、おおっ!」
兵士二人は必死の形相で異空壁に剣を打ち続ける。しかし何度振ろうが、異空壁は剣を通さず、ひびが入ることもなく、打撃音すら響かない。
「はあ、はあ……はあ」
「クソッ! ど、どうなってんだ……」
まったくの手応えのない状況に、ついに兵士二人は膝に手をつき、肩で息をし始めた。……うん、そろそろ頃合いだね。
俺は足を止めてぐったりとした二人の足元に、そっと異空壁を忍ばせにいくのだった。




