39 エンカウント
結局、俺の腕を抱いたままレイマール商会に着いた伊勢崎さんは、顔をゆでダコのように真っ赤にしてふらつきながら俺から腕を離した。
「きょ、今日のところはこのくらいで許して差し上げますっ!」
「う、うん。ありがとう」
などと答える俺だが、伊勢崎さんのかわいい嫉妬には微笑ましい気分になってしまう。兄を取られると危機感を抱く妹とは、きっとこういうものなのだろう。
そんなほっこりした気分に浸りつつ、俺はレイマール商会の中へと入った。
だが、エントランスでいつものように従業員に声をかけようとしたところで、まさかの人物に出会った。レヴィーリア様である。
「あら、あなたたち――マツナガとイセザキですわよね!?」
そう言いながらカツカツとヒールを鳴らし、小走りに近づいてくるレヴィーリア様。俺は小声で伊勢崎さんに尋ねる。
「もう二度と会うことはないんじゃなかったっけ?」
「伯爵令嬢ともなると、商会に訪れることなんてめったにないはずなのです。しかもこのような戦場に近い町にだなんて……」
困惑の表情を浮かべる伊勢崎さん。そうしている間にレヴィーリアさまが目の前にまでやってきた。俺は頭を下げて挨拶をする。
「ご機嫌麗しくレヴィーリア様。マツナガにございます。このたびは先日レヴィーリア様にお求めいただいた洗髪剤を持ってまいりました」
「まあっ、やっぱりそうなのね。今日あなたたちが来るような予感がしていましたの!」
両手をぱちんと合わせて喜ぶレヴィーリア様。どうやらドンピシャでエンカウントしてしまったらしい。
「ふふっ、楽しみですわね。洗髪剤は後でライアスから購入させていただきますわ。……ところであなたたち、今日はお時間はおありかしら?」
「え? ええ、ありますけど」
ライアスとは事前に約束をしているわけでもないので後回しにできるし、商談以外に予定もない。なにより時間がなかったとしても断れないのが階級社会だ。
「それは幸いですわ! それでしたらわたくしとお茶などいかが? わたくし、あなたたちともっと仲良くなりたいと思っていましたの!」
パッと花が咲いたような笑みを浮かべ、俺たちをお茶会へと誘うレヴィーリア様。もちろん断れないのが階級社会なわけである。
◇◇◇
レイマール商会の周辺は町の中では一等地。すぐ近くにレヴィーリア様お気に入りのお店があった。
どうやらそこはお茶とお菓子を楽しむ店のようで、中に入った途端に香ばしい茶葉の香りとほのかに甘い匂いが漂ってくる。すぐに店主と思しき老婆が近づいてきた。
「おや、レヴィーリア様。お越しいただき――」
「お邪魔するわね! 奥の席がいいのだけれど空いているかしら?」
「ええ、ええ、空いとりますとも」
本当に馴染みの店らしい。老婆の挨拶をざっくばらんに遮って、ズンズンと奥へと向かうレヴィーリア様。
そうして俺たちが奥のテーブルにつくと、レヴィーリア様は老婆にお茶を注文し、俺たちに顔を向けた。
「ねえマツナガ? お茶が来るまでの間、洗髪剤を見せてもらってもよろしいかしら?」
「ええ、もちろん。こちらです」
と、俺は『収納』から伊勢崎さんが購入したシャンプーの入った箱を取り出すと、その様子にレヴィーリア様が目をぱちくりとさせた。
「あら、あなたは『収納』使いなのね」
「はい、そうです」
「行商人に取ってはかけがえのない魔法ですわね。ぜひともお仕事に励みなさい。……自らの才能で思うがままに人生を切り開く――そのような幸福は簡単に手に入るものではないのですからね」
そう言ったレヴィーリア様の顔にはどこか影が差したようにも見えたのだが、すぐに彼女は片眉を上げながら箱から中身を取り出した。
「んん? これはどうやって使うのかしら?」
レヴィーリア様が手に持っているのは二種類のボトル。伊勢崎さんが購入したものは、シャンプーとコンディショナーの二つがセットになっている物のようだ。
読めない日本語に顔をしかめているレヴィーリア様に、伊勢崎さんが声をかける。
「レヴィーリア様、こちらはまず、ここを押すことによって薬剤で出てきますの。それを手ですくって髪に――」
「――まあっ、なんて便利な仕組みなのかしら! 二つあるのはどうして?」
「まずはこちらで髪の汚れを落とします。その後にこちらの――」
「――ほうほう、なるほどですわっ! でもコンディショナーとやらで髪を補修するのでしたら、洗い流す必要はなくて? その方がたくさん綺麗になりますわ!」
「いえ、しっかり洗い流してくださいませ。もちろん地肌についたものもです。そうしないとかえって傷めてしまいますから」
シャンプーとコンディショナーの会話を続ける二人。食い入るようにシャンプーを見つめて質問するレヴィーリア様と、口元に少し笑みを浮かべながら答える伊勢崎さん。
別人として再会した二人だが、慣れ親しんだ間柄のような、それこそ仲の良い姉妹のような雰囲気を俺は二人から感じていた。
「ふーん。思っていたよりも、なんだか面倒くさいのねえ!」
本当に面倒くさそうに眉をひそめるレヴィーリア様。それに伊勢崎さんはくすりと笑って答える。
「美しい髪のためですもの。少しの手間など気にならなくなりますわ」
「そういうものかしら?」
「そういうものですわ。面倒くさがらずに使っていれば、やがて効果が現れます。そうなってくると手入れをすることも楽しくなってくるものです」
「なるほど……たしかにそうかもしれないわね! さすがお姉さまですわ!」
「えっ!?」
思わずぎょっと声を上げる俺と伊勢崎さん。そしてお姉さまと口に出したレヴィーリア様も、戸惑いの表情を浮かべているのだった。




