22 スマホ
翌日。今日で最後になるであろう出社に備え、まずは朝食の準備をしていると玄関のチャイムが鳴った。
ドアを開けるとそこには制服姿の伊勢崎さん。たしか伊勢崎さんは、俺よりも少し遅い時間の電車で通学しているはずなんだけど……。
「おはよう伊勢崎さん。こんなに朝早くからどうしたの?」
「おじさま、おはようございます。少しお話したいことがありまして、お訪ねさせていただいたのですが……お時間はよろしいでしょうか?」
「少しくらいなら大丈夫だよ。それじゃ狭い部屋で申し訳ないけど上がってくれる?」
言ってから気づいたけれど、ここは伊勢崎さんのお婆さんの物件だ。狭いというのは失言のような気がしないでもない。
そもそもあのお金持ちがこんな庶民マンションを経営してるのも謎なんだけどね。タワマンとか経営してそうなのに。
ソワソワキョロキョロとしている伊勢崎さんをダイニングキッチンに案内する。これまで何度かここに来たことがあるのだが、相変わらず慣れないらしい。
「それでどうしたのかな?」
伊勢崎さんの分のインスタントコーヒーを淹れながら尋ねる。
「はい。まずは一点、例のホッケー部の狼藉者についての処分が決まりました」
「ええっ、もう決まったの!? 早いね……」
もはや突っ込む気にもならないが、サッカー部である。
伊勢崎さんが言うには、彼は遠い遠い北の地にある全寮制高校に転校することになったらしい。昨日の今日で物的証拠がなにもない状況からのスピード決着。わけがわからない。
「――私といたしましては、大変手ぬるいと言わざるを得ませんが、おじさまとお婆様の意向に従おうかと思います。……ですが……あの、今からでも遅くはありませんので、気が変わったりしませんでしょうか?」
「ないない! 十分だって!」
「むう……」
伊勢崎さんは不満げに唇を尖らせるが、むしろよくぞここまでやれたなと思う。城之内財閥とやらが怖すぎるよ。とはいえ、俺としてもこれでひと安心だ。
「わかりました。それではこの件に関してはもう終わりということで、さっさと忘れてしまいましょう。そしてこちらが本命の用件なのですが――」
伊勢崎さんは背筋を伸ばすと、じっと俺の目を見て口を開いた。
「おじさまは……今後も異世界に行かれるつもりですか?」
「うん、もちろん。昨日は日本に戻ることで精一杯だったけど、やりたいことがいろいろあるんだよ」
間髪入れず答える。会社を辞めると決めてからいろいろと考えたが、やっぱり異世界には夢がある。
観光もまだしていないし、魔物料理だって食べたい。まあメインが金策目的なのは少し格好悪いと思ったので、そこまでは言わないけど。
すると伊勢崎さんは懐からスマホを取り出し、おずおずと声を上げた。
「そっ、そういうことでしたら、異世界については僭越ながら私の方が詳しいかと思います。きっと密に連絡をとることで、おじさまの力にもなれるはず。……いえ、きっとなってみせます! ですから、その、おじさまの電話番号を教えていただけないでしょうか……?」
「そういえば電話番号の交換はしてなかったね。もちろんいいよ」
「あっ、ありがとうございますっ!」
顔を真っ赤にして答える伊勢崎さん。おっさんの電話番号を聞くくらいで、そんなに緊張することもないと思うけど。
「えーと俺の番号は――」
俺の番号を聞きながら、伊勢崎さんがわたわたとスマホを操作する。その手にあるのは見慣れない機種……というか、これってご年配の方が持つというシニアスマホっぽい。
しばらくスマホを操作していた伊勢崎さんは、申し訳なさそうにスマホを俺に差し出してきた。
「す、すみません。私、実はその、スマホを上手く扱えなくて……おじさま、私の代わりに登録してくださいませんか?」
「えっ? そうなの? 伊勢崎さんってゲームが趣味だし、こういうの得意そうだけど」
彼女が通っている学園は部活動にひとつは入らないといけないのだが、その中で彼女はレトロゲーム部という文系の部活に所属している。
俺と初めて出会ったのもゲームショップだったし、ゲームを遊んでいればスマホくらい簡単に扱えそうに思えるんだけどな。
「いえ、私はレトロゲーム専門ですし、機械操作はあれが限界でして……」
恥ずかしそうに目を伏せながら答える伊勢崎さん。意外といえば意外だ。
大家さんなんかは最新機種が出るたびにスマホを変えるので、よく見させてもらうんだけどね。普通は逆だろうと思わなくもない。
そういうことで俺が操作をして、お互いの番号を登録した。
ついでにLANEをインストールしてやり方を教えてあげた。教えたときの感触でいうと、伊勢崎さんがLANEを使いこなせるかどうかは微妙なところだったけど。
番号を登録したシニアスマホを手に持って、ニコニコ顔で伊勢崎さんが言う。
「ふふっ、ありがとうございます。おじさま、異世界に行かれる際はいつでも私を呼んでくださいね。すぐに駆けつけますので」
「ああ、そういえば昨日試してみたんだけどさ、どうやら俺ひとりでも異世界に『次元転移』ができるみたいなんだ。だから伊勢崎さんがわざわざ付いてこなくても大丈夫だよ」
「えっ……!?」
「もちろん聞きたいことがあったら、頼らせてもらうからね。よろしく頼むよ」
「さ、さすがはおじさま……! で、ですがっ! 異世界はいろいろと常識も違っておりますし、私が案内したほうが絶対に良いですわ。ですからやはり私が!」
「そりゃあ伊勢崎さんがついてきてくれれば助かるけどさ、伊勢崎さんだって忙しいでしょ?」
彼女はJKなわけだし、いろいろとやることがあるはずだ。おっさんの世話をしている暇なんてないだろう。
「ぜんっぜんっ! 全然忙しくなんかありません! 私、常日頃から時間をすごく、すごーく持て余しておりまして! それに、ええと……そう! 私もすごく異世界に行きたいんです! ですから是非私を連れて行ってくださいませ!」
ぐいぐいと顔を寄せ、伊勢崎さんがすごい勢いで迫ってくる。彼女も行きたいというのなら、まあ……いいか。
「そういうことならお願いしちゃっていいかな?」
「はいっ! ありがとうございます! これからはいつだって連絡してくださいませ!」
そう言って伊勢崎さんはシニアスマホを大事そうに握りしめ、にっこりと微笑んだのだった。




