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神様、俺は勇者になりたくありません! ~戦いにむかない俺がくじを引いたら勇者になった件について~

作者: 恵ノ神様の信者

こちらはVチューバ―幽焼け様主催「短編小説ガチンコタイマンバトル」のエントリー作品になります。

小説家になろうの規約第11条の元、アカウントの持ち主である「恵ノ神様」にこの作品を投稿していただいておりますが、この作品の作者である「恵ノ神様の信者」は別人ですので、お間違いなきようお願いいたします。

恵ノ神様のファンの方、紛らわしくて申し訳ありませんm(_ _)m

 青鷲ギルドの扉は重い。

 それはこの中が外とは違い、平和ではないということを暗示してそう作られている――わけではもちろんなく単にいいかげん古くて建て付けが悪くなっているだけである。

 カイルが中に入ればその場には人だかりができていて、小柄な女性が目の前の壁のようになっている男たちに向かって声を張り上げているのが見えた。

 今日もギルドは大忙しのようである。


「登録証を拝見してまーす。手に持った状態で受付前に整列してください。あ、そちらの方も、ご協力お願いいたしますぅ」


 両肩に食材をぎちぎちに入れた袋を担いだままその後ろを通り抜けようとしたが、その場で呼び止められてしまった。


 え、と少なからず驚いて相手を見れば、薄い茶金色の髪をツインテールに結っている彼女は確かにギルド職員の制服は着ているが、その顔は見慣れない。

 彼女の顔立ちに若々しさと初々しさが残っているところを見ても年下だろうし新人なのだろう。



 そういうカイルもまだ17なのだが見てくれがおっさんくさいらしく15を過ぎた頃から二十歳以下に見られたことはないので、見た目で人を判断してはいけないのは骨身にしみて知っているのだが。

 冒険者ではなくギルド内部で働いている人間の顔を知らないというのは他のところから派遣されてきたばかりかな、と勝手に納得した。

 それにギルドの受付に配属された人間が最初にする仕事は、朝にあふれかえる冒険者たちの人員整理だということを知っているカイルの方が、このギルドに関してはベテランだった。


「新人さんかな? 可愛いねー、よろしく。俺はカイル」


 軽口をたたきながらも荷物をとりあえず下ろし、首から下げていたギルド職員証を彼女に渡した。


「あ、冒険者の方ではなかったんですね……」


 素早く内容に目を走らせた彼女は、差し出されたのが冒険者の登録証ではなく職員証であるのに気づくと恥ずかしそうに首を竦めた。


「はい、おかえししま……え?」


 返してくれようとした職員証のある箇所を見て動きを止める受付嬢。

 そして自分より頭二つ分くらい背が高く、がっしりとした体躯の男をしげしげと見つめる。

 そんな熱っぽい視線で見つめられては照れてしまうね、とカイルは頭を掻いた。


「え、ええと、カイル、さん?」

「はい?」

「登録が女、になってますが……」

「ああ、“女”であってるよ」

「はあ?」


 その可愛い眉の間にしわが寄る。その受付嬢の反応に成り行きを見守っていた周囲も、驚かれた方のカイルも「またか」という顔をした。


「アイーダさん、カイルさんに会ったのは初めて?」


 入り口が何やら騒がしいと気づいたのか、タイトスカートの下の足をせわしく動かしながらきつい面立ちの眼鏡の女性がやってくる。

 きりっとまとめた黒髪にその銀縁の眼鏡はそれだけでできる女を演出させている。美人受付嬢のマリンだ。

 マリンはアイーダと呼ばれた新人受付嬢とカイルの間に割って入ると、カイルの職員証を指さした。

 

「初めてこの村にくる方はみんな驚くのよね。カイルさんは“料理人”なので職業上は“女”扱いになるのよ」

「え? 男性なのに料理人……?」


 ギルドの職員証に職種は記載されていないから、チェックの厳しいアイーダ嬢でも知っていなければわからない。


「この村は特別。ここは『勇者の生まれる村』だから。この村にいる者は選んだ職業で自分の性別を決められるのよ」

「そうなんですか!?」


 知らなかった、とアイーダと呼ばれた彼女の表情を見ると、この村しか知らない人間からすると、他の村に生まれると不自由なんだなぁ、と思わされた。



 ここはメル=トロンッタ村。別名、勇者の生まれる村。


 メルという尊称がついているのは、この村が特別に国王の庇護を受けているという証でもある。


 この国……いや、この世界を作ったと言われる神、メダ=メル。

 メダは人に光を与え、そして大地を与え、風をお与えになった。

 しかし光があるところには闇が生まれる。

 闇から魔の者が生まれるようになったのは世界の摂理だ。

 神に祝われなかった魔物たちは、人を襲い被害を与えるようになっていった。

 魔物は闇の中の魔力から生まれる。

 同じように特別な力を持つ魔物……魔王もいつしか闇から生まれるようになり、人々を抑圧していった。


 しかしメダ神は人間をお見捨てにならなかった、


 勇者は、偶発的に生まれる魔王に対抗しうる人の切り札で、魔王が生まれるのに合わせて勇者の力を与えられた者が現れるようになっていったのだ。


 勇者……それは権能の証。

 天より授かった魔を払う力の持ち主。


 そして、この村は勇者の生まれる村と言われるほど歴代の勇者に選ばれる者が多かった。

 歴史上もっとも古い勇者となったアスベルを始めとして、歴代勇者のほとんどは、この村に住んでる者が力を授かったとされている。


 神のおかげで生き長らえるようになった人々が、神を崇拝するようになるのは自然なことだ。

 この世界の全ての国は、神、メダ=メルを信仰している。

 しかしそのメダ教の教義では、神が授けた性別を侵すことは許されなかった。

 性別によってなれる職業も決められている。

 基本として外で行われる労働は男が、家の中でのこまごまとした働きは女が。

 

 しかし過去に女性なのに勇者の力を持つ者がこの村に表れた。


 勇者は男の職業と決めていたメダ教の聖職者たちは困った。

 彼女を勇者と認めなかったら世界が滅んでしまう。

 そのため特例としてこの村の者は、生まれ持った体の性別を無視して、自分の職業を決めることができるようになったのだ。


 就業の自由にしなかったのは、完全に教義を捨て去ることができなかったからなのだろう。

 その時に、勇者になるものだけが性別を問わないとしたわけではなかったのは、勇者が戦う女性を連れて魔王に勝利した経験からでもあるようだ。


 そのおかげで異性の職業と決められている職業に就きたい者もこの村に集まることにもなった。


 勇者が生まれやすいという神の寵愛が深い村であるはずなのに、体と心の性が一致せずにいたり、宗教の下である種の異端と思われるような者が集まる村としても発展することにもなったのは、なんとも皮肉な話である。

 

「もちろん肉体的な性別は変わらないから、結婚などとは別なのだけれどね。『職性』と呼んでるこの村独自のシステムよ」


 わかった? と先輩受付嬢に言われ、アイーダは大きくうなずいている。


「そうそう、だからマリンさん、俺と付き合ってよー、体は立派な男なんだしさ」

「お断りします」


 なれなれしく肩に置こうとした手をぺちんと弾かれるのも毎度のことだ。

 そのまま仕事に戻っていってしまうマリンを見送ってから、カイルはアイーダを振り返った。 


「はっはっはっ、マリンさんは相変わらず手厳しいなぁ。えっとアイーダちゃんって言ったっけ? 俺、ギルド内の食堂で料理作ってるから食べに来てねん」

「え、えーっと……」


 可愛い女の子の名前はすぐに覚える。これはモテたい男の基本。

 初対面の男の強引な押しに、まだ物慣れていない様子のアイーダは困惑しているようだ。

 もう一押し、と思っていたところで扉の方がざわついた。

 

 なんかきらきらしくやたら眩しい人間が入ってきた。そこに漂うオーラだけでそれが誰だかわかってしまう。

 金色の髪はさらさら背中の中ほどくらいの長さでに首の後ろで無造作に束ねられている。その碧色の瞳は涼やかで彩るまつ毛も長い。

 男としてなら小柄な方だが、中性的で整った顔立ちは基本的にむさい男が密集しているギルドの建物の中ではひときわ輝いて見えた。


「あ、登録証をお出しくださーい」


 カイルの前にいたはずのアイーダはすかさず登録証を今入ってきた人物の方に確認しに行って、ほわぁ、と上気した顔で相手を見上げている。


 …………。


 人が恋に落ちる瞬間に立ち会うのは何度目だろうか。しかもそれも全部目の前の人物相手にだ。

 がっくりと肩を落としてアイーダの後ろ姿を見つめていたが、登録証を出して見せたその人物はこちらに迷いなく歩いてきた。


「カイル、また女の子口説いてんの?」

「うるせえ、お前が言うな」


 お前が来なかったらうまくいったかもしれないのに!

 そう八つ当たり気味にいったが、冗談だと思ったらしく相手の美形は軽やかに笑った。本気だったのに。

 幼馴染で親友のレイだ。もっともこの村に産まれて住んでいれば、誰でも面識があるし一緒に遊ぶから幼馴染くらいにはなるのだけれど、レイは少し違った。

 レイはこの村で生まれたわけではなく、7歳くらいだっただろうか。物心がついた後によそから移り住んできていた。

 最初は接点自体がなくあまり仲良くなかったのに、何がきっかけだったか忘れたが、意気投合した後はいつも二人で過ごすようになっていた。


 才能がある子供なら騎士や傭兵の排出率が高いこの村に来て、しごかれて武勇に優れて育つというのは珍しくもないが、レイはこの村に来てから剣を握るようになり、今では右に出るものはいないくらいの剣士に成長している。

 そして今はこのギルドでナンバー1の腕の立つ冒険者だ。

 この冒険者のギルドに片方は料理人として、片方は冒険者として出入りするようになった今は、ほぼ毎日顔を合わせている。


「今日も食べにくるんだろ?」

「うん、今日の依頼済ませてからそっちにいくよ。僕の分なんでもいいからキープしといて」


 レイと話している間も、アイーダの目がレイを追いかけている。その目がハート型になっているのは見間違いではないだろう。

 ちょっと気になる子はみんな親友の方が好きになるというパターン。レイ自身が恋愛沙汰に興味がなく恋人がいないのも問題なのだろうけれど。

 もう何度これを繰り返したことやら。


「ん? どうした?」

「……なんでもない」


 今日も今日とて女と見まごうばかりのお美しい親友の横顔を見ながら、こっそりとため息をついた。







 青鷲ギルド内にある食堂には、料理人は三人、手伝いのまかない婦が繁忙時間に四人ほど交代で入っているが、もちろんカイル以外は全員女性だ。

 女性しかいない職場でハーレムなはずなのだが、別にカイルに粉をかける必要もないくらい、客が男ばかりなのでカイルがモテることはまるでないのが悲しい現実だ。


「今日もカイルのごはんは美味しいなぁ」


 しかし幸せそうに本日の定食を口に運んでいるレイを見ていれば、モテてない現実はどうでもよくなってくる。


「そーだろ、そーだろ。俺の飯はうまいんだ」


 夢中になって口にスプーンを運んでいるレイは子供の頃のままだ。

 レイは冒険者になってから、毎日必ずギルド食堂で昼食を摂る常連中の常連だ。だから毎日その日の定食を必ず確保するのが食堂に勤めている人間の暗黙の了解になっていた。

 昼食の時間は混雑するが、食堂が忙しい時間を完璧に把握しているのか、レイが来る時間はいつも遅い。

 今日もがらんとした食堂の片隅で、一人でもくもくとレイが食事をとっている。


「僕、カイルに胃袋完璧に掴まれちゃってるからねー。カイルなら大歓迎だから、いつでも僕のところにお嫁においで」

「高給取りのところに嫁入りってのは悪くない話だけど、冒険者は不安定な職だからなぁ。危険だし。ないわー」

「カイルが安定職じゃん」

「うわ、甲斐性なしなダメ夫丸出しなセリフ!」


 人がいないのでレイの前に座りこんでバカ話をしていたが、ふと、レイが視線を上げる。カイルは食堂の入口の方に背を向けていたが、それで誰か入ってきたのに気づいて振り返った。


「あれ、アイーダちゃん?」

「食事に来ました……まだ食事残ってます?」

「ああ、休憩時間なんだね。まだあるよ。日替わり定食は売り切れちゃったけど、他のがいくつか。今日のおすすめは極楽鳥の卵のリゾットかマニガエルのムニエルだよ」

「じゃあ、リゾットの方をいただきます」

 アイーダはレイの隣の席に座ると、カイルに向かって頭を下げる。

「先ほどは失礼しました」

「いや、気にしない、気にしない」

 悲しいかな、男の料理人が驚かれるのには慣れている。

 そんじょそこらの冒険者より体格がよくて、腕っぷしが強く見えるせいで、なんで料理人をやっているの!? と驚かれることも珍しくないし。

 その体つきで肝っ玉小さいのね、と言われて侮蔑の目で上から下まで見られるのまでがセオリーなのだから、普通に接してくれたアイーダなんてまだましだ。


「お恥ずかしい話です。派遣される村のことくらいちゃんと調べてから来るべきでしたし」

「真面目だねえ……」

「午前中にこのギルドに登録されている人の登録証を片っ端から確認して、性別と職性を見てきましたから次に同じようなことはないですよ!」

「それ、職権乱用なんじゃ……」


 呆れたようにいうレイに、にっこりとアイーダは笑ってごまかしている。

 仕事と自覚し直したのか、アイーダは先ほどのようにレイに対しても浮ついた表情は見せず、礼儀正しく一定の距離を保って対応している。受付嬢としてのプライドというのがあるのだろうか。


「あ、そうそう。王都から神官様たちがいらしてます。……カイルさん、今期は必ず『選定の儀』を受けてくださいね。今まで受けてないということ記録に書かれてましたよ?」

「げ、また来たの? 今年やたらと来てない? 三回目なんだけど……。俺、冒険者じゃないからあれで色々調べるの不要だしさ……」

 露骨に嫌な顔をするカイルに、決まりですからとアイーダはにべにもない。


 選定の儀というのは成人する前に皆が受けさせられる国民の調査みたいなものだろうか。

 国民は皆、神のしもべ。

 神官の持つ聖なる力の元では、その人の潜在能力や向き不向きの大まかな予測がわかるらしい。


 この村では特に『将来勇者になりそうかどうか』を中心に見るらしい。

 それ以外でも、その子には伸びしろがあるか、一生の職業を決める前に受けて、将来を決める指針にしたりもしている。

 もう一生の職業を決めてしまっているカイルからしたら、そんなものは受ける必要がないのだ。


「えー、行きたくないなぁ」

 駄々をこねるようにぶつぶつ言うと、飽きれたようにレイが肩を竦める。

 ちなみにレイの方は早々に受けて、片鱗を見せていた剣の才能の能力を保証される結果となっていた。

 レイは幼い頃から『勇者になりたい』と言い続けていたが、憧れへの道を本格的に歩み始めたきっかけとなったのは選定の儀がきっかけだっただろう。


「子供みたいなこと言ってるなあ。選定自体は別にどこか傷つけたりするわけじゃないのになんでそんなに嫌がるんだ?」


 まるで注射を嫌がる子供を説得しているようである。


「貴族が嫌いだし。特にケラスス」

「それはわかる」


 派遣される神官と一緒に、この村を所領として持っている貴族がやってくるのだが、そのケラススという男がしこたま胸糞が悪い男で。ケラススをよく言っている人の存在に会ったことが今までにないくらいに村の中での評判が悪い。

 平民が嫌いというのならわざわざ来なければいいのに来ているのは、勇者の証を持つ者が表れた時にその場に立ち会って、その後見人の座を勝ち得たいというからだろう。勇者を見出したのは自分だと吹聴すれば、自分は何もしてないのに貴族社会の中では話題の中心になれるようだから。

 なので選定の儀があるとその度に村にやってくるのだが、横柄な態度で当たり散らしたり、特に食事に対して文句ばかりを言うので料理人としてはその行儀の悪さが許しがたい。


「ケラススが嫌いなのはわかるけど、国民の義務なんだから、諦めればいいのに」

「国民の義務なのは勇者の可能性がある人物かどうかを国が管理したいからだろ。俺、どうせ勇者になれるわけないし、料理人だし」

「勇者になれなくても個人の能力値や隠れたスキルなんかもわかるしさ。自分の意外な適性わかったら嬉しくない?」

「それが嫌なんだよ。俺の好き嫌いとか努力とか無視されるようで。これで走り幅跳びのスキルがあるとか言われて、そっちを活かした仕事にしろって言われたらどーすんの? いまさらだろ? それが剣やなんかでも同じ」

「また屁理屈いって……」


 勇者が生まれる村というだけあって、この村では勇者になりたいと願う子供や若者の率は異常に高い。

 むしろ最初からそういうのと縁を結びたくないと忌避しているカイルのような若者の方が少数派だった。

「カイルは武術の才能あるのに、ほんとそういうの嫌いだよね……」

「そんな才能あっても腐らせてやるよ」


 自分に戦う仕事は向いていない。それを知っている。

 誰かのために生きるとか、誰かの命を背負って戦うとか、そういうプレッシャーを負うのが嫌だし、己の分はわきまえている。


 この料理人という職だって戦にいかないでいられて、自分でもできるものとして選んだのだ。

 戦うのに向いた体格に生まれていることで戦うことをずっと期待され続けていたから。

 料理が好きだから料理人になったわけではない。“女”だったら戦わずに済む、と完全に消去法で決めた職業だった。

 生半可な腕では周囲を説得できないから、ひたすら料理の腕を磨いて今にいたる。

 今ではおいしいと言ってくれる周囲の笑顔が嬉しくて、それを励みに頑張れているけれど、最初はそうでもなかったのだ。


 どんなに男らしくないと言われても、自分だけでも自分の命を惜しみたい。


 その本音は誰も知らない。レイにすら本当のことを伝えていない。

 いや、レイにこそ言えない。

 みんなを守れる勇者になりたいと、幼い時からためらいもなく言って、それを今でも言い続けている親友だからこそ、自分のようなずるい立ち回りをするような本音は言えない。


 なぜこの村の多くの人間は勇者に憧れられるのだろう。そんな自己犠牲的発想、俺は嫌だ。

 ここで自分の能力や才能があるなんて言われたら、皆が逃がしてくれないような気がして。だから、どんなにわずかでも、戦わされるかもしれない可能性があることからは逃げるしかなかった。








「おんや? カイル……何してるんじゃ」

 

 かけられた聞き覚えのあるしわがれ声に顔を上げる。

 薬屋のおばばことシギの店と隣の藪の隙間に座り込んでいたのだが、もう誰かに見つかってしまったようだった。


「…………隠れてんの」

「そんなでかい図体なのに、隠れる場所が子供の時から同じじゃて……中身は成長しとらんの。食堂は大丈夫なのかの?」

「昼の忙しい時間は終わったから平気だよ」


 今は夜時間の仕込みで忙しいのに逃げてきて、後でものすごい叱られるだろうが、あのままギルド内にいたら無理やり選定の儀に連れて行かれそうだったから仕方なくだ。

 神官が来る度になんだかんだ言って逃げているので『またか』と思われているだろう。


「何から逃げとるかは知らんが、そんなところにいたら虫に食われるでの。かくまってやるから店の中に入りなさい」

「……はーい」


 久しぶりにきたシギの店。子供の頃はレイともよく遊びにきていた。

 漂う少し変わったような匂いはきっと薬に使う草木の香りだろう。子供は嫌がる匂いが立ち込める店だから、自分とレイ以外の子供がこの店に入り浸るのを見たことがなかったが、少なくとも自分はこの香りが嫌いではなかった。

 シギはさっさと店の奥に入っていって定位置に座りこんでしまう。

 勝手知ったるなんとやら。久しぶりに来た店の、少しばかり変化した配置や内装が目について物珍しくて周囲を見回してしますと、黒光りする、木で作ったような八角形の箱を見つけた。

 外側にはどこかで見たような模様が描かれている。

 なんだっけ、と考えてすぐにわかった。教会の扉に描かれているものと同じだ。


「ねえねえ、ばぁちゃん。これなーに?」

「んー?、おみくじじゃよ」


 お祭りの時にひいておもちゃやお菓子を当てるあれだろうか。

 知らぬ間にこの店はそんなサービスを始めていたのだろう。

 売り上げに貢献してやるか。

 そう思いながらも箱を振るとガラガラと音がする。中に何本か棒が入っているようだ。上にある小さな穴から中にある棒を出すらしい。

 よーし、と振ってさかさまにする。棒が出てきたかと思うと、それは雷光のように眩しく光った。


「のわ! 光った!?」


 見間違いではないはずだ。それくらい強い光だったのだから。

 なんだ、なんだ、と驚きながら子供のようにシギに箱ごと突き付ける。


「ばぁちゃん、これ、どういう仕組みになってんの? なんか出てきた棒がすげぇ光ったんだけど!」

「おやおやおや……」


 カイルからその箱を受け取ったシギはそれをしげしげと見入り、感慨深げに頷いた。


「……カイル。どうやらおぬしは神より勇者に選ばれたようじゃの。わしが生きてる間に勇者様が選定されるとはのぉ……。魔王が復活する兆しがあらわれたんじゃろうて」


 しわくちゃな手を合わせて感慨深そうに、ご老人がなんかを言っている。


「…………は? 勇者? 何、言っちゃってんの?」

「物分かりの悪い勇者様じゃのぅ。だからおぬしが勇者だと言ってるじゃろうが」


 勇者が生まれる村なんじゃから、そこは察しろい、となぜか怒られてしまうが。


「なんでくじを引いたら、勇者になんの!?」

「そのくじは勇者となる資格があるものしか引くことができぬものじゃ。おぬしが手にしたのも神の意思じゃろうな」

「こっちの意思はまるで無視?」

「本人の希望を聞いて勇者になったという話聞いたこともないがの」


 本人の希望が通るなら、この村の若者のほとんどは勇者になっているだろうけれど。

 そんなのがあると知ったら触らなかったのに!


「でもなんか王都から人が来て勇者の選定とかすんだろ? こんな雑な勇者のなり方なんてあるもんか!」


 今日はそれをさぼってここに来たというのに。


「あんなのは見せかけじゃ。選定は単なるその人の能力を計るもので、勇者の可能性があるとかなんとか言っても、現実に勇者は誰がなるのかわからんじゃろし。おぬしより上の世代はみんな知っておるぞ」

「じゃあなんでその真実を下の世代に教えないんだよ!」

「おぬしなら言えるのか? 目をキラキラさせて選定の儀で勇者になれると言われる自分の姿を想像している幼子の前に、その選定の儀はウソですよ~んって」


 それを言われて黙り込んだ。……言えない。

 自分は選定の儀を受けたことがないから直接は知らないが、結構重々しい儀式みたいで宣誓をしたり、色々するらしいことは聞き及んでいる。

 それを聞いた子供が憧れるのもない話ではないだろう。


「もっとも勇者になる可能性が高いものが、えてして勇者になることが多かったからの。選定の儀で勇者になれるというのはあながち間違いではないかものぉ? 剣など武術の才能が高い者が勇者になりやすいわけじゃし」

「俺、剣なんか持ったことねえよ」

「毎日、包丁振り回しておるじゃろ。似たようなもんじゃないかの?」

「全然違うわ! 包丁に謝れ!」


 こんなことなら、料理人にならなければよかった……! と今更になって後悔をするが。


「なぁ、この権利を返上するって言っちゃダメか……?」

「何を言うておる。ダメに決まっているじゃろ。というより、できないじゃろ?」


 いやだいやだ働くのですら嫌なのに戦うのはもっと嫌でござる、とぶつぶつ言っているカイルに、シギが不思議そうに指を振った。


「おぬし向いてると思うがのぉ? 牛刀でなんなく筋も骨も断ち切る膂力あるし、包丁の代わりに剣とか槍で魔物倒せばいいだけなんじゃし。ほれ、背も高いし筋肉も発達しておるし。戦いに向いた躰じゃと思うぞ? 神様も無難なところを選んだんじゃろ」

「無難って……俺の体だけが目当てなのね!」

「魔王退治にはそれが一番大事じゃろ」


 やめて。正論で殴ってこないで。

 病気もあまりしたことない頑健な体が自慢だけれど、魔王退治したくない理由を一生懸命考えている身としては涙目になりそうだ。


「お願い。俺が勇者に選ばれちまったこと、みんなには黙ってて!」

「わしはよいが……無駄じゃろうて。神殿はもう勇者の降臨に気づいたじゃろうし」

 

 神殿は神と繋がっていて、神が起こした奇跡は神官に通じて世の中におふれの形で伝わるようになっている。

 勇者は神の力そのものだから、神殿では勇者の力を継いだものがあらわれたのはわかってしまっているだろう。


「お願いってば! ちょっとだけでもいいから! 人気吟遊詩人のリーランの演奏会のチケットをギルドのコネで融通してあげるから!」


 カイルがやけくそで怒鳴ったらシギの目がきらん、と光った。


「握手券もつけるんじゃぞ」

「……ばぁちゃんも女だね……」

「交渉設立じゃな」


 ふぉっふぉっ……と言いながら手を差し出されて、それを握り返した。

 王都とこの村までは距離がある。勇者現るとの宣託があったとしてもタイムラグが発生するはずだ。

 その間に心の準備をするべきか、それとも逃げるべきかを思い悩みながらシギの店を後にする。


――ここに隠れている意味を失ってしまったからだ。








 カイルはぼうっと食堂の卓に座りこんでため息をついている。

 どこか遠くを見つめるような視線で同じ場所を何度も拭いているカイルを、食堂勤めの賄い婦たちが不気味そうに遠巻きに見ているのにも気づいていなかった。


「……ねえ、今日のカイルおかしいよ。どうしたんだ?」

「……悩み多き年頃なんだよ」

「僕と君、同い年だよね?」

「るっせぇ」


 よほどおかしく見えるようで、めずらしくレイがまだ昼食には早い時間なのに食堂に顔を出す。

 心配をしているという割には 冷静に突っ込んできているが。

 そんなレイを見て、カイルはまた大きなため息をついた。

 魔王が復活して、勇者が求められる世界になったらきっと選ばれるのはレイだろうと思われていたし、自分もそう思ってた。

 もしそうなったらレイに村の行く末を託して、自分はレイが帰ってくる場所を守ろうと、そう思っていたのに。


 ――なんでよりによって自分の方が勇者になるんだ!!


 正直言って、自分は向いてないと思うのに。

 大丈夫か? 神様。あんた人を見る目ないよ。


 またため息をついたカイルを、レイの碧色の目が心配そうに見つめている。

 心配してくれているのは本当のようだ。なんでこんなにいい奴が勇者に選ばれなくて俺なんだ?とカイルのため息がますます深くなる。


「あの話きいた? なんか、魔王が生まれる兆しが見え始めているんだって」

「…………」


 仕込みをしながらお喋りをするのはいつものことなのに、その内容が内容で、思わず肩を震わせて反応をしてしまった。

 後ろで話されている内容に意識していると気づかれないようにこっそりと聞き耳を立てる。


「魔王が生まれるなら勇者の力を持つものは表れているはずなのに、見つからないから勇者を探そうとあちこちに神官が派遣されているみたいよ」

「だからこの村にも何度も神官が来ていたのね」


 今年三度目の選定の儀はそういうことだったのか、とようやく理解をした。


「どうしたの? カイル顔色が悪いよ」


 固まったように動かず、脂汗を流し始めたカイルを心配そうにレイが肩を叩く。



「いや、魔王の噂があるんだなって……」

「ああ、魔王が復活しているらしいって話きくよね。でも勇者が見つからないらしくて。隠れているのではないかって捜索されているみたいだよ。冒険者も、もう一度神官と面通しをするって告知来ているし」

「なんだって?!」


 この村をしらみつぶしにされたら、自分の存在は即座にばれてしまうだろう。カイルは料理人だから勇者の可能性が薄いと思われるだろうけれど、過去に勇者になった人物がみな、元々戦う職業についていたわけではなかったことくらい国は知っていることなのだ。今回もその可能性を持って勇者を探しているに違いない。


「カイル?」


 声を上げたカイルを怪しんだのか、レイが眉をひそめている。


「いやいやいや、なんでもないよ。……この村から出ることが多いだけで、必ずこの村に勇者が選ばれているとは限らないのに、無駄なことしてるよなぁって」

「確かにそうだよね」


 レイは頷いてくれたが、レイを説得したって意味がない。

 別に自分は悪いことをしているわけではないのに、なぜだろう罪を犯している気分になる。

 力があるからといって、必ずしもそれを行使しなくてはいけないわけではないはずだ。

 それなのに、なぜかソワソワする。

 そんなどこかで必死に他人事だと思い込もうとしていたが、そんな思いをギルドの中に飛び込んできた男が打ち砕いた。


「大変だ! 亜龍が出た!」


 その一言で、ギルド内の空気の色が変わった。

 亜龍ってなんだろう、と門外漢なカイルは思うのだが、ギルドの冒険者の様子を見ていると、どうも深刻な存在らしい。


「亜龍ってなんだ?」


 隣にいたレイに小声で話しかけると、緊張した顔のレイも小声で返してくる。


「……魔物だよ。よほど強い魔力溜まりでもない限り、発生しないんだけれど……こんなところに亜龍が出るなんておかしい」

「過去に亜龍ってどんなところに出てたんだ?」

「魔王城の近くで遭遇したって記録を読んだことがあるかな……でもこれで、魔王が覚醒したということが明らかになったと思う。魔王でもない限り、亜龍を作り出すことはできないから」

「亜龍を作り出した?」

「亜龍は魔王の手足のようなものなんだ。」


 魔王は何かをしようと亜龍を生み出して、この村に向かわせたということだろうか。

 ……そんなの魔王の目的の心当たりは1つしかない。

 自分が魔王だったら、真っ先に狙うのは勇者が生まれる率が高いこの村だ。


「情報は少しでもある方がいい。僕が探ってくる」


 慌ただしくなったギルドの様子を見て、レイが剣を手にして身支度を始めた。


「おい、レイ!?」

「近くまではいかないよ。遠くから観察するだけ。どっちの方に向かいそうだとか表皮の材質とかなるべく詳しく調べてくるから、今のうちに青鷲ギルドで討伐団を組織しておいてほしい。ギルド長はどこにいるの? 非常時なんだから陣頭指揮してほしいんだけど……」


 飛び出しそうになるレイを止めようとカイルが声を掛けようとした時だった。


「レイはいるか!?」


 唐突に声が降ってきて、一階にいた人間は階上を見上げる。

 階段の上すぐにある二階の応接間。そこから出てきたばかりだと思われるギルド長と、そのすぐ後ろに並ぶ顔ぶれを見て嫌な予感がした。神官たちと、噂の貴族、ケネススだったからだ。


「はい……こちらですが。なんですか?」


 手を挙げるレイに「おう、いたか」とギルド長が目を止めると「あちらです」と後ろの男にレイを教えるかのように囁いたのが見えた。


 後ろにいた痩せぎすな男は一人だけ煌びやかな衣装をまとい、それが質実剛健を旨としている青鷲ギルドの建物に似合わず浮いている。

 場違いというより空気の読めない貴族だなぁ、という感想を持ちながら、その男――ケネススをカイルは見ていた。

 ケネススは前に出ると顔に似合わず甲高い声を張り上げる。


「神殿は勇者が降臨していると宣言した。よってこの村で勇者候補として一番可能性の高いレイを王宮に連れていくことにする」

「なんだって?!」


 思わず声を上げてしまったが、周囲の動揺のどよめきに飲み込まれてカイルのその声はかき消されていた。


「僕は勇者じゃないです!」

「それでも、お前を王の御前に連れて行かざるをえまい」


 レイの言葉を受け付けず、ケネススはレイの方に手を差し伸べる。


「もしかしたら覚醒が遅れているのかもしれない。王都に行くまでに覚醒が起きるかもしれないし、そうでなくとも魔王が生まれた以上、王都に腕の立つ人間を集めるのは護衛にちょうどがいい」

「この状況で!? たとえ僕が勇者だとしても自分の村が亜龍に滅ぼされそうになっているのに行くと思っているんですか?」


 目の前に脅威がある。

 もし亜龍をここで止められなかったら村は壊滅するだろうし、それどころか近隣の村まで蹂躙されつくすかもしれない。


「仕方あるまい。世界が滅びるという大事の前に、小事などに構ってられまい」


 なのにケネススにはそんな危機感は通じないようだ。

 後ろに控えていたのは自警団の兵士たちだろうか。彼らに声をかけてレイを連れていくように命じる。

 それを見ても周囲のギルドの者たちはどうすればいいのか、と迷ってしまって動けない。

 魔物や盗賊相手であったら瞬時に判断して対処ができるが、このような政治的な動きには抵抗をしていいかどうかがわからないのだ。


「ふざけるな! 俺らにとったら世界はこの村なんだよ!」


 そんな中、レイですら動きを止めた中、ただ一人動く人間がいた。カイルだ。

 レイを捕らえようとした兵士の後ろを狙い、その膝裏を膝頭で押してやる。いわゆる膝かっくんだ。

 床に座り込むようによろめいた兵士をどついて、レイの腕を引っぱった。


「カイル!?」

「行くぞ、レイ!」


 走り出した二人を見て、ようやく周囲が状況を理解した。

 ざっとまるで海が割れるように人の波が割れ、二人のために道を作ったかと思うと、入口の扉近くにいた者が扉に飛びついて二人のために開けてくれて。お礼を言う暇もなくそのままギルドを飛び出した。


「無茶しすぎだよ、貴族相手に」


 走りながらレイに叱られてしまったが、カイルは無言で走っている。

 レイが本気を出せばカイルより強い。

 レイが自力で逃げださなかったのはレイがやはり相手が王が派遣している貴族だということに遠慮があったからだろう。


「無茶しすぎじゃねえよ。あんなの拉致じゃねえか。親友が誘拐されそうになっているのを黙って見ているほど俺は人間できてねえの」

「もう……君は本当に無鉄砲だなぁ。でも、ありがとう」


 走りながら後ろを振り返るが、どうやらギルドの仲間たちがあのままケネススの兵士の足止めをしてくれたようで、追ってくる気配はしない。

 少し速度は緩めたが、そのまま二人とも走ることを止めなかった。

 お互いあえて言わなかったが目的地は、先ほどの亜龍の居場所なのは同じだろう。

 

「なんでそこまであいつら勇者を見つけるのに血眼になるんだ? 勇者ってそんなに偉いのか?」

「勇者は唯一破魔の力を持つ人間だから。魔物の前ではどんな人間の地位も関係なくなるから、魔王がいる時は勇者は誰よりも偉い存在になるよ」

 

 続いてレイが勇者の能力について簡単に教えてくれる。つまり、勇者が振るえばそれがこん棒でも魔を絶つものになるらしい。

 勇者ってすごいな。でもそれが自分なのががっかり感がはなはだしいけれど。

 さすが勇者を目指しているだけあってレイは詳しい。


「魔王が覚醒したとなったら、もっとも守られるべき存在なのは勇者だね。それ以外の人間はただの肉の塊だ。冷たい言い方になるけれど、僕がもし為政者だったならそう判断する。勇者ではない僕を王都に連れて行こうとした王の判断は正しいかもしれないな。ただしそれが勇者である自覚がなく、安全ではない勇者の護衛のためだったならね」


 そんなバカな。

 勇者がそんなお偉い存在だったら、勇者が守るべき民はどうなるんだ。本末転倒だ。


「もしお前が勇者だったら、自分の命可愛さに守られるってことか?」

「うーん、僕は無理だなぁ。目の前で大事な人が傷ついているのを放っておけないし、黙っていられない。大事な人じゃなくても、誰かが痛がっているのなら助けたいと思っちゃう。……あくまでも理想論だよ。あんな風に利己的な冷徹さを僕は持てない。それが偽善と言われてもね」

「そうだよな」


 それを聞いて、なんかほっとしてしまった

 それが世間一般の勇者サマのあるべき姿なのだろうし、それに自分が知ってるレイの回答だと思った……が、自分には無理だ。

 どんな状況でも自分の命を惜しんでしまう。

 しかし、レイが言うように勇者である自分のために誰かが命を投げ出してまで守ってくれるとしたら、それは安心ではないだろうか。

 そう思ってもいいはずなのに、なぜかそれを喜ばしく思えなかった。





「あれか……?」


 遠目にもわかる。

 村の中で一番大きな建物の教会より大きい怪物が、のそ、のそ、とゆっくりゆっくり歩いてこちらに向かってきている。


 まるで小さな山のようだ。

 あんなのが村の中で暴れたらひとたまりもないだろう。

 歩くだけで地響きがするほどの巨体。

 ゆっくりと歩いてこちらに来ているが、その足跡がくっきりと地面に残っている。

 この辺りは湿地帯で地面がぬかるんでいるせいもあるだろうが、その窪みの深さを見れば、それの体重がいかほどのものかがわかる。

 足場が悪いせいで歩みが遅れて被害が大きくなる前に亜龍の存在に気づけたというのは幸いだろう。


 レイが剣の柄に手を当て、いつでも抜けるように構えている。


「もう少し近くに行って体表を観察してくる。カイルは早く避難して!」

「レイこそ逃げろよ!」

「僕は大丈夫」


 大丈夫といっている割にはレイの表情は固い。


「レイ!! 後ろ!」


 亜龍だけでなく他にも魔物がいた。

 一見したら野犬のようだけれど、姿だけが空洞のように暗く、黒く、それで異形のものだと容易に判断できた。 


 危ない!!


 レイをかばおうと近くにあった大木の下枝を叩き折り、そのとがった切っ先を魔物に向かって突き刺そうと突き出して……その魔物が霧散した。

 刺した感触がない。

 まるで水にでも突き刺したように木の枝は無抵抗に、その魔物の体に埋もれていく。そして――。


「な、なんじゃこりゃ!?」


 魔物が目の前で泥のように溶けだしていった。みるみる目の前で形をなくしていく、野犬のような魔物。

 その雫のようなものが手の甲に飛び散ったので、うわあああ、とみっともなく手をぶんぶん振った。

 手についたそれを振り落としてから残った汚れを服にごしごしと擦り付ける。


「ああ、くっそ、こういうぬるぬるねばねばどろどろ系の怪物って生理的に嫌なんだよっ」

「カイル……その力は……」


 一人で慌てていたが、レイの感情をなくしたような声に我に返った。


「あ……」


 レイの目が完全に座っている。ウソをついてもごまかしても言い逃れができない真剣さだ。

 えーと、と言葉を選ぼうとしたが、上手い言い訳を考えるのも面倒になってしまった。


「……なんか知らんが、どうやら……俺が、勇者らしい」

「……君が?」

「俺だってウソだと思いたいし、なんかの間違いだと思うんだけどさぁ……」


 いまだに自分だって信じられなかったが、これが証明といえば証明なのかもしれない。

 二人の目の前で魔物が消えたということが。

 軽くシギの店であったことを話し、改めて亜龍に向きなおる。


「だからとりあえず、あれ、倒してみようとするつもりなんだよ」


 時たますごい音を立てて地面に倒れこんでいる亜龍を指さし、ぎゅっとレイの手首をつかんだ。


「死ぬかもしれないから、今のうちにお前に謝っておく」

「え?」

「お前がここに越してきてすぐに、盗み疑惑が出た時にお前をかばえなくてごめんな」


 レイがこの村に来て、初めて会った時のことを覚えている。

 きんきらきんの可愛い子がきた、と沸き立つ女たちの自分との態度の差が面白くなくて。

 そんなさなかに出てきた、村の仲間のナイフの盗難騒ぎ。

 自慢のナイフを盗まれたと騒ぎ立てる奴と、そいつの言葉を信じてレイをなじる友達を遠巻きになって見ていた。

 今ならレイはそんな盗みをするようなやつじゃない、と全力でかばえたのだろうけれど、自分はまだそれほど人間ができてなくて。レイを信じきれなくて、皆につめられるレイをただ見ているだけだった。

 レイがもっと不細工で、女の子から人気がなかったら、助け船を出していたかもしれない。

 少なくとも彼の言い分はちゃんと聞くように村の皆に仕向けたかもしれなかった。


 あの頃の自分はレイに嫉妬していたのだろう。

 その後レイと親しくなって、そんな自分の心の狭さと行動を後悔していた。

彼が仲良くしてくれる度に、心がどこかチクリと痛んでいたし、レイが自分を親友だと認めてくれていることにも、罪悪感を感じていた。


「なんだそんなこと……? そんなことあったの覚えてなかったし、知らなかったよ。あの頃そんな言いがかりたくさん受けてたし、気にしないでよ」

「……俺の見てないところで、たくさんあったのか!?」


 なんでもないようにレイが笑っていったが、その言葉の方がショックだ。同じ村に育ってたやつらが、そんな陰湿なことをしていたという事実を突きつけられたということに。そしてそれに気づいていなかった自分の鈍さにも。

 しかし、ショックを受けている時間はない。


「あと4年くらい前にお前の家で水飲んで、手ぇ滑らせて洗濯物にコップの水ぶちまけて逃げたのも俺だ、ごめん! お前んちの家の柵に足ぶつけて曲げたのも俺だし……。ええっと、他にもなんか謝らなきゃいけないこといっぱいあったかもしれないけど、全部謝っとく! 許さなくてもいいけどな!」

「え、じゃあ、洗面台のガラス割ったのももしかして君?」

「それは俺じゃないわっ」


 言いたいことは言えたから、じゃ、行ってくる、とレイの剣を借りていこうとしたら腕を掴まれて、足場の悪い地面にバランスを崩してよろけかけた。


「なにするんだよ!」

「待って!! それなら僕の方も謝らなければならないことがあるよ。それに君が僕に謝る以上に感謝したいことの方がいっぱいあるというのは忘れないで」


 全力でしがみつくように腕を掴まれれば、振り払っていくこともできない。

 自分もその勢いでよろけたのか、コケの上に膝を突いたレイの服が、泥水で濡れて広がっていくのが見える。

 小さく息を止めるようにしてから、レイが話し出した。


「僕が勇者になりたかったのも……世界やみんなを救うというような大きなことをしたかったからじゃない。ただ、君をこの村から連れ出したかったからなんだ」

「へ?」

 

 どこか痛いのをこらえるような顔をして一度言葉を切ってから、レイはまた口を開く。


「勇者アスベルはこの村を出る時に、親友の農夫ランディを連れていった。ランディは旅のさなかに槍使いとなり勇者を支えて魔王を見事に倒した……その話は知ってるよな?」

「あ……あぁ」


 それは勇者の生まれる村の始まりの伝説だから、ここで生まれ育ったなら子供でも知っている話だ。


「後に、この村出身のエレスラは女性だったけれど勇者になって、彼女も親友の女性であるシーラを魔王討伐に連れていった。魔王討伐に行けるのは男性だけだという教義に真っ向から反抗したよな?」


 なんでこんなタイミングでこいつはこんな話をしているのだろう。

 しかし、大事な話をしているとわかるから、黙ってその話を聞いていた。


「勇者は友を連れて旅に出るのが許される。勇者の心の支えになれるように。勇者だけが特別な存在なんじゃない。勇者を支える人も大事な人なんだよ。僕は勇者になって君を……勇者にとって特別な人、大事な人だとみんなに知らしめたかったんだ」

「それって……」  


 戦える仲間より親友を選ぶ。そうレイは言っているのだろうか。

 『女でもできる職業』を男がすることは下等であると思われている現実がある。それは女性に対する蔑視にもつながっているのだけれど。

 これは一生の職業を女性がするものと決められているものに定めた親友の汚名を雪ぐために、彼は自分の未来を賭けようとしていたのだろうか。

 勇者とそのパーティーはこれ以上ないくらいの栄誉を与えられるから。


 ――そんなの別にいいのに。いらないのに。


「もし僕が勇者だったら、君が嫌だと言っても一緒に来てほしいって頼むし、君が勇者なら僕を魔王を倒す旅に僕を連れて行ってほしいと願うよ。……君が勇者となって人の注目を浴びたくないのなら、僕が君の身代わりとなってもいいから」


 そうだろう? と目を覗き込むようにして言われて、思わず目をそらした。

 人前で目立つようなことをするのが照れくさかったり、苦手だったりするのも、親友にはお見通しだったようだ。

 これが他の奴なら、表に立つという言葉は、勇者としての成果の上前を撥ねるつもりかなどと疑っただろう。

 しかし、レイが純粋に心配してくれているのはわかる。それがレイだから。


――ああ、本当に……損な性格をしているやつだな。俺の親友は。


 濡れた地面に手をついてレイが立ち上がり、持っていこうとしていたレイの剣を取り上げられた。


「亜龍を倒すのなら僕もいくよ。僕じゃなんの役にも立たないかもしれないけれど……」


 剣を腰から下げて拳を握るレイに、自分も拳を握って軽く当てた。


「いや、俺なんぞよりよほど使い物になると思うぞ」


 勇者の力はあったとしても、実戦経験のない自分と違い、レイは剣士だ。

 筋力はあっても上手い体の使い方を知らない自分では、いかにいいアイディアがあってもそれを現実にすることは難しい。


「手伝ってほしい」

「ああ、もちろんだよ。どうすればいい?」


 レイに作戦を伝えれば、心得たとばかりに大きく頷いてくれる。

 二人で亜龍から出る魔物を切り払いながら近づいて、これ以上は察知されて無理だろうという箇所で立ち止まり、息を殺して様子をうかがった。


「レイ、気をつけろよ」


 息声で言うと親友はぐっと握り拳を作って微笑んだ。


「ああ、任せとけ……来い!」


 剣を振りかざすとそのまま走っていく。

 その走り出した背中を見て思う。


 こいつは俺みたいに勇者なんかに選ばれなくても、最初から勇者になれる奴なんだろう。

 俺はなんだか知らない力に選ばれなければ勇者になることはできないような凡骨だけれど、レイはそんな大きな力に選ばれなくても勇者になることができるような、才能に恵まれたやつだ。

 劣等感とか嫉妬とか、そういうのを感じるような次元にいない、高みにいる親友に、今はそう素直に思えた。 


 レイの動きに反応した亜龍の顔がそちらを向く。

 大きな体の割に、亜龍は反射神経は悪くないようだ。

 レイは亜龍の足元まで駆け寄ると大きく伸びあがって剣をその足に立てる。しかしキィン!と固い鱗で弾かれ、金属から出る高い音が周囲に響き渡った。

 空を切るようにしっぽが振られて、それを地面に転がってかわしたレイは、亜龍の後ろに回り込む。 レイを追いかけるようにして、亜龍はそちらの方を向いた。


「いまだ、カイル!!」


 レイのスピードについていけず、足がもつれた亜龍がこちらに向かって倒れこんでくるのがスローモーションのように見えた。

 巨体に押しつぶされないように間合いを目で計り、いつでも逃げ出せるようにへっぴり腰で木の枝を構える。

 自分から向かっていって相手を切り刻むような技術を自分は持っていない。それなら向こうから来てもらうまでだ。

 手を目いっぱい伸ばし、深く息を吸う。剣を握った経験すらほとんどないど素人でもこれくらいならできる。

 レイが自力でなる勇者なら、俺は預かった勇者の力でレイをサポートするだけの勇者だ。


 勇者が触れば勝手に魔は消え失せる。

 直接触らなくても勇者が触れているものを媒介にして魔物は消えるようだから、それならできるだけ長いものを用意して、魔物に触れれば消えるはずだ。

 レイが戦っている間に、一番長そうな木の枝を折って準備した。


 そうだ。この手のせこさだったら誰にも負けない。


 神様が俺を勇者にしたのは、この小ずるさのせいだったのかも、とちらっと思ってしまった。

 


「どわああああああ!」


 湿地帯にカイルの声が響き渡る。気合いの声ではなく、それは単なる悲鳴。

 なぜなら木の枝の先端に亜龍が触れる矢先から、どろどろとタールのように溶けて、周囲にも自分にも黒い雨のように降り注いでいくから。


 気持ち悪い、気持ち悪い!!

 勇者の力を華麗に使って闘いたかったのだけれど、生理的に無理だから!


「うひぃぃ」


 どばどばと周囲に溶けた亜龍の体が溜まり、黒い沼のようになっていく。

 幸い酸のように周囲に害をなす性質は持っていないようで、自分にもかかったけれど痛みなどはない。

 黒い犬のような魔物のしぶきが触れても気持ち悪いだけで人体に害がなかったので、多分同じなのだろうとは思っていたが。

 重力に支配されるのは人も魔物も同じらしく、転ぶ勢いで倒れこんだ亜龍が触れたところだけが溶けて真っ二つになる。そうなれば魔物といえども生命を絶たれるらしい。

 食材以外のものを切った……というより溶かしたのは経験は初めてだが、手ごたえがないので実感がわかない。


「ははは……ざまぁねえな……」

 虚勢を張ってはいるが、足ががくがく震えている。

 いやいや武者震いだ、と言い聞かせるが、どちらかというと我ながらひいき目に見ても生まれたての小鹿の足つきだ。


「君は僕らのように訓練を受けているわけじゃない。そうなるのが当たり前だよ」


 自分とは反対に、しっかりとした足取りのレイはさすがに戦い慣れているようで、亜龍が絶命しているのもしっかりと確認していた。

 あんなに走り回っていたのに、疲れた様子を見せることもない。


「俺もそのうち慣れるのかな……」


 木の枝を握って離せなくなっていた手から、無理やり指を引きはがす。そして震える手をじっと見ていたが。


「大丈夫だよ、僕がサポートをする。君は一人じゃない」


 ぎゅっとレイに抱きしめられた。

 細く小さなレイの腕。それなのに自分の方が包まれている気がする。

 その柔らかな抱擁に目を閉じると、そのぬくもりに緊張が和らいでいくようだった。


 きっと俺は勇者である自分を受け入れざるを得なくなる日がきて、そしてこの村を出なくてはならなくなるのだろう。


 ――その時の自分の隣には、レイが歩いているのだろうか。


 もはやそれ以外の未来を、考えられなくなっていた。





 カイルが触れたら溶けたようになってしまうので、レイに亜龍を切りなおしてもらい、剣の力だけで退治した風に見せかける。

 これで勇者の存在はは少しの間は、ごまかすことはできるだろうけれど、それもほんの少しの間だけだろうことはカイル自身もわかっていた。

 二人して亜龍を倒したことを報告にギルドへと向かうと、貴族の制止を振り切って逃げたというのに、レイとカイルが逃げ出した後、ギルドの皆は神官とケラススに猛抗議をしていたようだ。

 確かな証拠がないのにレイを連れていくは断固反対だと、特に女性陣の剣幕はすさまじく、そちらの方が魔物の集団のようだったと対応していたギルド職員たちの顔が青ざめていたのだから、想像するのも恐ろしい。

 亜龍をレイが倒したと偽装したせいでレイの株がさらに上がってしまったのだが、元々青鷲ギルドのトップ冒険者だったことからそちらは大したことではないだろう。



「カイル、体は大丈夫か?」

「あ? 別になんともねえよ。筋肉痛とかにもなってないし」


 次の日。 

 いつものように昼食の仕込みをしているとレイが食堂にやってくる。

 他の魔物の警戒や、昨日倒した亜龍の死体の処理をするということで冒険者が全て出払っていて、食堂だけでなくギルド内も閑散としていた。

 ギルド職員も対応に追われているのか、最小人数だけ残して外に出ているようだ。 

 レイは昨日の功労者ということで、今日の作業は免除されているようで珍しく手持無沙汰そうにしている。

 食堂の客はレイだけしかいなくて貸し切り状態になっていた。


 「そうじゃないよ。あんな力使って、体の方はなんともないのかって……」


 声を潜めてレイが言うことに、破魔の力を使った自覚がなかったカイルは言われてみれば、と鼻をこすった。


「うん、そっか。大丈夫だな。俺がなんか意識してやったというわけではないし」


 ただ棒きれで魔物に触ったら、相手が勝手に死んだ。それだけなのだから。

 昨日の戦いを思い返しながら今日の定食に出すレタスを引きちぎりため息をつく。


「結婚できないの覚悟で料理人になったのになぁ……勇者って本職なの? それとも副職でやっていけるの?」

 

 本業、料理人、趣味、勇者……魔王が聞いたら泣きそうな話である。

 腕力のある男の方がモテるから、料理人という職を選んだ時点でモテなくなるのには覚悟をしていた。元々モテたためしはないのだが。それなのに勇者に選ばれ、戦う人間になったというのなら、苦労して料理人の道を選んだ自分は一体なんだったのだろうか。


「喧嘩とか嫌いだもんね、カイルは」

「おう、平和主義者だと言ってくれよ」


 それを人はヘタレともいう。


「カイルは自分がモテたいとかモテないとか言ってるけど、君が望むなら結婚はいつでもできると思うよ?」

「お前、俺がどんだけモテないか知ってて言ってんのかよ……」


 嫌味なやつだな! と吠えたら、とても爽やかな笑顔をレイが返してきた。


「君は自分がモテてるの知らないだけだと思うよ?」

「は? 誰に?」

「そうだね、僕とか?」

「意味ねえじゃん!」


 男にモテても意味がない。毎度の返しをされて毎度の返しをしたのにレイの様子がいつもと違う。


「そうだよね。僕にモテても仕方ないよね……」

「ん? どうした?」


 ううん、なんでもない、と首を振るレイは、どこか様子がおかしい気がする。それが何だろうとも思うがわからない。


「そうだ、新しい武具の試着が必要なんだけど、調理場の控え室借りられないかな。家に戻るまでよりここの方が近いし」

「あ? 別にいいけどその辺で着替えればいいだろ?」


 武具は下着の上から直接装着する。

 裸体をさらすのを気にしない男どもが受付前あたりで無造作に着替えをして、女性陣のひんしゅくをおおいに買っているのだが、そのあたりカイルも無頓着だ。


「うーん、さすがにそれもどうかなって思うよ。人いないとはいえ周囲の目も気になるしさ」


 苦笑しながら嫌だと譲らないレイ。こういうこまめなところがモテる要素なのだろうか。


「あー、お前の裸体なら見たいって思う女子多そうだしなぁ」

「女子……より男子の目の方が気になるけど、さ……。カイルは僕が裸になるのは気にならない?」

「別に気にならないよ。なるわけねーだろ。今さらじゃん」

「ま、そうだよね、今さらだよね、確かに」

「そーいや、昔はよく一緒に泳ぎに行ったけど、最近あんま行かなくなったよなぁ。やっぱお互い仕事するようになると休みも合わないしさぁ」


 話しながら、ほら、しゃーねえな、こっちこいや、とレイを手招きする。

 さすがに調理場控室は部外者立ち入り禁止の場所だから、万が一のことを考えて自分も行かないとダメだろう。

 面倒くさいと思いつつも鍵を開けるとレイを先にいれて入り、バタンと扉を閉めた。









「相変わらずあの二人仲がいいですよねえ」



 食堂から聞こえるカイルとレイのじゃれ合いは受付の方まで聞こえてくる。

 漏れ聞こえる二人の会話を聞きながら、書類整理の仕事をしていたアイーダはくすくすと笑った。

 今日の受付のお留守番はまだ大きな仕事ができないアイーダとその教育係のマインだけだ。



「ところでレイさんの性別のこと、カイルさんって知ってるんです……よね?」


 なんとはなしに二人の会話を聞きながら、アイーダは浮かんだ疑問をそのまま口にする。


「そりゃ、知ってるでしょ? 付き合い長いんだし」

「そうですよねー。カイルさんって軽く口説いてくるから、レイさんいなかったらうっかり引っかかっちゃいそうですよね」


 目は作成した書類の数を数えながら、口はふぅ、と細くため息をつく。


「あんなに強くて凛々しいのにレイさん女性なんですもんねえ。職性男、性別女の表記を見て目を疑いましたよ」

「カイルさんの女性というのは職性だけのものってわかりやすいけれど、レイさんは女性にしては背が高い方だし、あと他の女性の剣士の方は女性用の胸当てを使っているけれど、レイさんは全部が男性用防具を身に着けているから、そこでも勘違いしちゃうわよね」

「あー……でも剣を振るには胸がない方が邪魔にならないからいいんじゃないですか? その分、強いということで」


 職性の存在を知ってアイーダが最初に調べたのはレイだった。

 冒険者の持つ登録証はギルド職員の職員証と違って性別の明記がない。

 ほんのりと憧れた人の生まれ持った性別を知ってショックを受ける新人を慰めてくれたのはマリンで、この村に来た女性のほとんどは同じようにレイの性別を知ってショックを受けるとも教えてくれた。


 その辺の男性より強いし、立ち居振る舞いも優しく紳士的。それなのに女性だなんてなんという罪深い人だろう。

 女でも素敵なんだから構わない、とレイの人気は村の女性陣にとどまるところを知らないが、まだほのかな憧れのみだったアイーダは即座に淡い恋を諦めることができた。


「カイルさんはレイさんの意思を尊重して、レイさんを男性として扱っているってことなんですかね。そういう関係の異性の友人って憧れますよね」

「でもレイさんって別に男として扱ってほしいってわけじゃないと思うんだけどなぁ……」

「そうなんですか?」

「カイルさんと一緒の時のレイさん、恋する少女のような表情してるし」


 そうマインは左側を見つめながら、何かを思い出すような顔をしている。きっとカイルとレイが二人で話している姿でも思い起こしているのだろう。


「それなら、あえてレイさんの気持ちを無視してるってことですよね。カイルさん、悪い人ですよね」

「それともあの二人にとってはそれがいい関係だと納得しているんじゃないかしら」

「恋人となるより親友であることを選ぶってことですか……私には難しいです」



 アイーダがうんうん、と頷いたその時だった。





 ――野太い男の悲鳴がギルド内に響き渡った。


 続いて食堂の奥から、何やら騒いでる声も聞こえてくる。



『ない!! ついてない! なんで!?』

『いや、僕が貧乳なのは今に始まったことじゃないだろ……』

『そこのこと言ってんじゃねえよ! ちょ、え、まじ!? えええええええ!? お前一緒に川に泳ぎいった時、上半身裸だったじゃねえかっ』

『だって君が貸してくれた水着、ズボンしかなかったよ? そういうもんなのかなって……君しか周囲にいなかったし別にいいかとも思ったし……隠すような胸ないから』

『いや、そこは隠せ! 気にしろ! とりあえず昔のことはいいから、お前はまず服着ろおおおお! いや、俺が出ていく!』



 バターン!!




 扉を乱暴に開く音と共に、ものすごい勢いで受付の前を駆け抜けていった誰か。

 顔を両手で覆って走り去る、がっしりした体躯の男のその耳がいつもより赤いのが見てとれた。

 ギルドの重い扉を難なく片手で開いて走り去る後ろ姿を見送りつつ、マインが咳払いをしてから呟いた。



「……とりあえず私たち、ものすごく推理を外してたみたいね。万が一あの二人が入籍した場合、夫欄と妻欄の書き方をどうすべきなのか、調べておかなきゃギルド職員としてはダメよ?」

「はい……」


 先輩受付嬢のありがたいお説教に、新人受付嬢はただ大きく頷いた。







【了】

なろう系という指定されていたテーマに解釈違いをしていたら申し訳ありません(;^ω^)

幽焼け様をはじめとして皆さまに楽しんで読んでいただけたら幸いです。

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