03 恋は埋まらない
意外なことに、それからも岬くんとの関係は続いた。
登校時に会えば挨拶するし、たまに図書室に来て、会話をするようになったのだ。図書委員の私が作業を終える頃には、図書室は閑散としていて、そんなときにふらっと岬くんは現れた。
会話はたいていしょーもないことだった。
昨日何を食べたとか、好きな芸能人はだれとか。意外なことに岬くんと読書の趣味が割とあった。ミステリ好きなのだ。犯行に使ったトリックや、探偵の推理の仕方などについて語り合った。
なんというか、普通の友達同士みたいだった。淡い恋心はすでに消えていたが、岬くんと過ごす時間は楽しく、あっという間に過ぎた。
どうして私と話をするようになったかを尋ねると、「学校くる楽しみがあったほうが良いじゃん」と特に感慨も込めず岬くんは返した。
シロに会うのが楽しみで学校に来ていたと言っていたのを思い出す。私は猫の代わりなんだろうか。猫みたいに可愛くなれたら良いのに。にゃん。
そういったやり取りを経て、岬くんがどういう人間なのか少しずつ分かってきた。
*
「霧崎のやつ、なんか最近やけに嬉しそうじゃん?」
刺々しい声が聞こえたのは、トイレで用を済まし、手を洗っているときであった。
どうやら、出口付近で女子が何人か集まっているらしく、笑い声とともに私の名前が耳に飛び込んできた。
「あーっ、たしかに。いっつも幽霊みたいにうつむきながらふらーっと移動してるのに、足取り軽い気がする」
「私見たんだよ。岬くんと一緒にいるとこ。どうやら、たまに図書館で話してるっぽいんだよね。普段はつーんって感じで済ましてるのに、にやにやデレデレしてた」
「うわっ、ああ見えて実はビッチなのかな」
「そんなふうに見えないけど……」
「死体いじり屋のくせに、生意気だよね」
「言い方ひどーっ」
巻き起こる明確な嘲笑。
「……」
洗面台に置いた手に力が入る。手のひらに爪が食い込み痛かったが、その感覚すら遠ざかっていく。
死体を扱う家柄のせいで、今まで、からかわれたり、陰口を言われてきた。
入学したての頃はまだ良かった。友だちになれそうだと思った人もいた。しかし、どう噂が広まったかはわからないが、はれもののように扱う雰囲気が醸成されていき、クラスで孤立するようになっていった。
小学校の頃からある程度慣れていたので、気にしないように私は過ごしてきた。
気にしたって辛いだけだ。悲しいだけだ。ならばせめて、孤独に負けないように生きようと、そう思った。
あるいはそういう私の態度が悪かったのかもしれない。
なるべく人と関わらないように、ひっそりとしたキャラで過ごしてきたが、人を見下したような態度に映ったのだろう。
こんなもの、慣れている。どうってことない。
しかし、それでも耳を塞ぎ、逃げ出したくなった。
「岬くんだってあんな女――」
「俺がどうかしたのか?」
割り込んできた声に、私は飛び上がりそうになった。心臓が跳ね上がる。
「あ、み、岬くん⁉ いやっ、あははっ、なんでもないよ、なんでも」
「そう? なんか変な噂してなかった?」
「してないしてない!」
「そっか」
それから、遠ざかっていく足音が聞こえた。集まっていた女子たちも、鼻白んだのか散開したようだ。
私はしばらくぼんやりと洗面台を流れていく水をみていた。
岬くんにも聞かれていただろうか?
聞いていてもいなくても、彼ならあんな反応をしそうで、私には判断がつかなかった。
どうか聞き逃していますように、と私は祈った。
*
それから私は、さり気なく岬くんを避けるようになった。
それほど難しいことではない。登校時間はずらせば良いし、図書委員の仕事をさっさと終えて帰ればそれで良かった。
私と岬くんの関係が嘲笑されるのは嫌だったし、岬くんに迷惑がかかるのも嫌だった。
そんなふうにして一週間ほど一人の日々を過ごしていたが、しかし、
「おーい」
図書室に入ろうとしたときに、岬くんに捕まってしまった。いつもは図書室を閉める直前にふらっと来るくせに、今日は開始に来たらしい。一瞬逃げようかと思ったが、しかし悪いことは別に何もしていなかった。
ちょっと気まずいだけだ。
岬くんは会話をするわけでもなく、本棚からミステリを持ってきて読んでいる。私は黙々と貸し出し業務などをしているうちに、図書室は私と岬くんだけになった。いつの間にか岬くんは本を戻したみたいで、私の方をじっと見ていた。
避けていたことを謝るか悩んでいるうちに、何気なく岬くんが口を開く。
「霧崎ってさあ、なんでいつも一人なの?」
「ぐぅ……ッ!」
デリカシー無いのかこいつ?
「色々あるの。詳しいことは言いたくない」
「ふうん?」
「岬くんこそ、いつも一人じゃん」
少しムキになって言ってやった。
「うん。俺、なんか集団が苦手」
「え、そうなの? てっきり一人が好きなんだと思ってた」
「だったらこんなふうに話したりしないだろ。別に一人は嫌いじゃないけどさ。霧崎もそうじゃないの?」
あれ。ひょっとして岬くんは、クラスでの私の立場をほんとに知らないのだろうか。
答えを求めていたわけではないのか、岬くんは続けて言った。
「じゃあさー、なんで俺の誘いを受けてくれたんだよ。埋葬した時」
「それは……」
気になっていた男の子だったからとは言えない。
「てっきり、俺のこと好きだからかと思ってたけど」
「はあっ⁉ そそそ、そんなっ、なんっ↑でぇッ↓そんな事言うの⁉」
動揺を隠しきれず声が裏返る。
「だって昼休みよく見てたろ、俺を」
バレてた!
「いや、違うし。視線の先にたまたま岬くんがいただけだし。ほら昼休みに時間割を見ながら頭の中で予習復習をしてるからさー私ってば。位置的に時間割が岬くんの先にあるんだよね。あーそれで岬くんも勘違いしちゃったのかーそうかーしょうがないね。でも岬くんの横顔に見惚れてたとか全然ないからそこんとこよろしくね?」
「すげー早口で何言ってるか全然わからん」
このやろ。
「でも、そっか。勘違いだったか」
岬くんは机に座りなおし窓の方を向いた。行儀悪い。瞳がどこか寂しそうに見える。
「じゃあ、なんで最近俺のこと避けてたの?」
答えに詰まった。でも正直に言うしか無い。
「……私、クラスでちょっと嫌われ者みたいだから。その、勝手な考えだけど、岬くんに迷惑かけたくなかった」
「別に俺、そんなの気にしない」
「私は気にするの。そういうキャラじゃないし」
「前も言ってたな。『キャラ』って、そんな重要か?」
「波風を立てないようにするには、そういう配慮も必要でしょ」
「じゃあ、霧崎はどうしたいんだよ」
岬くんの言葉と眼差しは私を打った。今度こそ本当に、返す言葉がなかった。胸を射抜かれたように、痛みとしびれが広がった。
「俺は霧崎と話ができて嬉しかったよ。埋葬のときはほんとに助かったし。友達ができて楽しいって思ってた。学校に来るのがまた楽しみになった。霧崎はどうだ?」
私もそうだった。いや、多分岬くん以上に楽しんでいたし、嬉しかったと思う。
「……私も、嬉しかった」
「じゃあ決まりな。これからは周りなんか気にしないで話そう」
岬くんは晴れ晴れした顔で、
「クラスに居るときより、キャラとか気にしてない埋葬の時の霧崎のほうが、カッコよかったよ」
と言い残し、図書室を出ていった。
数秒の間呆けたあと、私は投げかけられた言葉をようやっと飲み込んだ。言葉は血流にのって体内をめぐり、そして、全身を火照らせる。私は長い息を吐いた。
岬くんが出ていって良かった。
カッコいいなんて人生で初めて言われた私は、その意味を理解する頃には、耳の先まで真っ赤になっていたのだから。
*
『あのときの霧崎のほうが、カッコよかったよ』
なんだか魔法がかかったみたいに、その言葉は何度も頭の中で反響し、大きくなった。
ふわふわとした幸福感に包まれながら、帰る仕度をし始めた。鞄に筆記用具をしまうと、忘れ物をしていることに気づき、慌てて教室に足を向けた。
教室のドアを開けようとすると、いつか聞いた笑い声が聞こえた。伸ばした手を止めると、会話の所々に、『霧崎』というワードが聞こえた。
ああ、トイレで話をしてたのも、この人達か。
まあ、良いことがあったからと言って、嫌なことがすべてチャラになるわけじゃないし、消えるわけでもないよね。
深呼吸をした後、私は教室に入った。引き戸をわざと音が出るように閉めると、中で話をしていた女子が驚いたようにこちらを向いた。入ってきたのが私だとわかると、更に眉を上げた。教室には、会話に興じていた三人と、私しかいない。
「なんだよ」
私の視線に挑戦的な色を見たのか、三人のうちの一人がとんがった声を投げかけてきた。島川さん。可愛い顔をしているが、ちょっと悪ぶってる感じの人だ。そのギャップがまた可愛いと思う。明るくはしゃいでいる様子をよく見かけるし、友達も多いようだ。周りにいる二人はいつも仲良しな根岸さんと小高さん。根岸さんはハラハラとした様子で私と島川さんに視線をやっている。多分この子が唯一私をかばおうとした子だ。小高さんはにやにやと楽しそうな顔をしている。
私は三人を無視して自分の席に行き、教科書を取り出した。
明日が課題の提出日だった。真面目な生徒である私としては、ちゃんとやっとかないとね。
「言いたいことがあるならこっちみて言えばーっ⁉」
私の態度が気に食わなかったのか、島川さんが声を上ずらせる。小高さんの笑い声が続いた。
ああ、友情って素晴らしい。何しろ、他人を貶めることさえも娯楽にしてしまうんだから。
それにしても、言いたいことがあるならこっち見て言え、だって?
それはこっちのセリフだった。
私は自分でもびっくりするぐらいの早足で三人に向かった。島川さんは私を睨みつけ、根岸さんは怯えたように椅子を引き、小高さんの笑顔は少しひきつる。
眉を寄せ、つばを吐きそうな勢いで島川さんがまくし立てた。
「何、なんか用? まさか怒った? だったらごめんね―? そんなキャラだと思わなくってさ―」
そうだ、こんな行動、私のキャラじゃない。
だけど。
私は――そうだ。確かに、怒っていた。
死体がどうとか、岬くんがどうとか好き勝手に言いやがって。
そんなの、私のせいじゃない。全部、人をバカにして楽しみたいお前らの都合じゃないか。
そんな思いが湧いて出たが、しかし私は、彼女らを攻撃したいわけではなかった。取っ組み合いをしたいわけでも、険悪な仲になりたいわけでもない。
怒り以上に、私は私に対する宣言がしたかった。私のキャラに対する決別を、彼女たちに宣言したかったのだ。
戸惑う彼女たち視線に対し、私は目一杯胸を張り、そして口を開き――
「……」
特に言葉が思いつかず、考え込んだ。
なんか流れで来てしまったが、こういう時何を言えば良いんだろう?
気の利いた言葉が出てこない。ミステリ小説だけじゃなく、映画やドラマをもっと見ておくべきだったか。
まあいいか。どうにでもなれ。
「島川さん」
「なんだよ」ややたじろいだように私を睨む。
「素直に好きって気持ちを伝えたほうが、可愛いと思うよ」
微妙な空気が流れた。なに言ってんだろ私。まあ良いか。普段のキャラなら言わない青臭いセリフだし。でも絶対言う相手を間違えている気がした。
「……じゃ、じゃあ、そういうことで」
なんだか急速にしぼみつつある気持ちを抱えて私は出ていこうとした。
じゃあそういうことでって、どういうことなんだ?
「あ、いたいた」
すると、出ようとしたドアから岬くんが入ってきた。鉢合わせした格好になり、私は固まる。
「こっちいたのか、探した」
不満そうに岬くんは言った。こっちはあんたのせいでいろいろ大変なんだよ(八つ当たり)。
「霧崎、この後ちょっと付き合ってくんね?」
「え……」
前にも聞いたような言葉だ。
「岬くん、霧崎なんかと仲いいのっ?」
島川さんの言葉には、あざ笑うような、慌てたような含みがあった。振り向くと、島川さんは眉を寄せ訴えかけるような表情をしている。それをみて確信した。彼女はやっぱり岬くんのことが好きなのだ。
岬くんは彼女の切実な雰囲気には全く気づいてない様子で、あっさりと応じる。
「仲良いよ。なあ、あやちゃん」
「あやちゃん⁉」
驚いたのは私の方だった。
霧崎綾。確かに私の名前だが。
そんなふうに呼ばれる筋合いはあらへんで?
混乱の余り心の中の関西人がツッコミを入れる中、岬くんは「行こうぜ」と言って私の手を握った。
*
「何、あやちゃんって」
「まあまあ、いいじゃん細かいことは」
嫌だ、と伝えると、岬くんはちぇ、と唇を尖らせた。そのあまりにも子供っぽい様子がなんだかおかしかった。
どこに行くかはすぐに検討がついた。
シロを埋葬した雑木林だ。
「ほら、これ」
ツツジの木の前で岬くんが指差した先には、見落としてしまいそうなほど小さいが、しかし気づけば確実にわかる、蕾があった。
命が育っている証拠。その蕾が包んでいる可能性に思いを馳せ、私はなんだか嬉しくなった。
岬くんと顔を見合わせ、どちらからともなくハイタッチした。
それから、二人で空を見上げながら、いつものように雑談をした。
「俺さ、頑張るよ」
話も尽きてきた頃、思いついたように岬くんは言う。
「え……何を?」
「霧崎に、俺のこと好きになってもらえるように」
岬くんは――笑った。
彼の言葉が、恋愛に根ざしたものでは無いことはわかっていた。
だが、岬くんの笑顔をみて、私は。少し照れたように、でもしっかりと私を向き、驚くほど口元が優しげにほころぶさまを見て、私は――
恋に、落ちた。
「だから、花が咲いたらまた一緒に見に来よう」
なぜだか鼻の奥がツンとなった。
涙が溢れそうになるのをこらえながら、私はうなずいた。
そうして、この地に埋葬したつもりだった恋心は、ゾンビのように這い出て、以前よりもずっと強く、私の心を掴んで離さないのだった。
・参考文献
『樹木葬という選択』(著:田中淳夫 築地書館)